大鶴義丹さんがTBSラジオ『たまむすび』にゲスト出演。父・唐十郎さんと一緒に仮面ライダーショーや映画『地獄の黙示録』を見に行った話、映画『任侠外伝玄界灘』で逮捕された唐十郎さんを小田原署で面会した話などをしていました。
(玉袋筋太郎)ほら。いやー、でもね、お父様の唐十郎さんが、ねえ。もう一緒に、仮面ライダーショーかなんか行っちゃって。後楽園ゆうえんち。これ、やっぱ子どもとしてはあの頃、行きたかったもんね。これは。
(大鶴義丹)いちばんそれがね。
(玉袋筋太郎)そうなんだよ。
(小林悠)でも、そういう家族のふれあいみたいなのはあったんですね。
(大鶴義丹)あ、結構ね、親父はあちこち連れて行ってくれたんですよね。やっぱ、いちばん覚えているのは後楽園が好きなんで。僕が。仮面ライダーショーみたいなの、行くじゃないですか。あれはいちばん、子どものあの当時のね・・・
(玉袋筋太郎)最高だよ!
(大鶴義丹)ショッカー出てきた!みたいな。ところが、親父、一緒に入ってくれないんですよ。
(小林悠)会場にですか?
仮面ライダーショーも演劇
(大鶴義丹)『俺はアングラ演劇の旗手として戦っているんだから、子どもの仮面ライダーショーの・・・これはある種の演劇だから、この演劇空間に俺は入ることはできない』とか。
(玉袋筋太郎)(笑)。これがいいよね!それで、『お前、1人で見とけ!』って言われて。うん。
(大鶴義丹)チケット渡されて、『お前、入って来い』っていうね。
(小林悠)ええーっ!?
(玉袋筋太郎)で、お父さん、なに?表でタバコ吸ってたんでしょ?
(大鶴義丹)そうですね。
(玉袋筋太郎)たまらねーなー!(笑)。いいよ!
(小林悠)そこらへん、妥協しない感じがやっぱりすごいですね。
(大鶴義丹)そうですね。いろんな映画とかも連れて行ってくれて。だから、子ども映画なんか連れて行ってくれないんですよ。
(小林悠)でも、アニメとか見たいじゃないですか。やっぱり。子どもの時だったら。
(大鶴義丹)絶対そういうの、ダメなんです。親父、自分が見たいものに。だから当時ね、『地獄の黙示録』が。コッポラ監督の。あれがやっぱり話題になっていて。『行くぞ!』っつって。『お前、これ見とけ!』って。小学校3年かなんかで。
(玉袋筋太郎)(笑)。4年ぐらいだな。多分な。小学校4年生ぐらいだろうね。
(大鶴義丹)でもね、ずーっと横でね、その解説をしてくれるんですよ。親父のアングライズムでの。
(玉袋筋太郎)地獄の黙示録を?
(大鶴義丹)地獄の黙示録を。噛み砕いて。『このジャングルの川を登っていくボートっていうのは・・・』。そこでいろいろ起きていくんですけど。『これはある種のアメリカの暴力の歴史を、この・・・さかのぼって行くと考えろ』みたいなことを言ったりして。
(小林悠)ええーっ!?そんな見方、するんですか?
(玉袋筋太郎)いいよねー!それはやっぱり・・・
(小林悠)それはなかなか教えてもらえないですよね。
(大鶴義丹)でもね、それを覚えていて、大人になってDVDで見なおしたら、『これ、親父すげー解釈だな!』と思ったこと、いくつかありますね。
(玉袋筋太郎)そこでこう、バチバチとはならなかった?思春期の頃とか。
(大鶴義丹)あ、ありました。ありました。16ぐらいになってね、やっぱりあの、僕も1回高校を退学になってるんですけど(笑)。『出てけ!』って言われて。高校1年の秋にはもう追い出されちゃったんですけど
(小林悠)あら。
(大鶴義丹)で、まあ次の、入り直したんですね。 別の高校にね。その時はモメましたね。まあでも、私立だったんでね。入学かなんかで120万ぐらいパーにしちゃってね。で、次に入り直したのもまた私立だったんでね。
(玉袋筋太郎)バカ野郎だね。本当に。
(大鶴義丹)言ってみりゃあ、ねえ。車1個、海に落としたみたいなもんですよね。
(玉袋筋太郎)(笑)
(大鶴義丹)まあでも、そん時は結構モメましたね。高校辞める、辞めないの時はね。
(玉袋筋太郎)そういう挫折もあってですよ、ねえ。俺なんか親父と最後、口聞かなくなるんだけど。それ、あれだからね。プロレスは違うぞ!ってことで、親父とモメて口聞かなくなって。
(大鶴義丹)(笑)
(玉袋筋太郎)『お前、猪木見てるけどな、猪木なんてあれ、子ども番組出てる奴なんだぞ!』なんて言われて。『うるせー!』なんつって。そっから口聞かなくなったんだもんね。俺なんか。
(小林悠)そういう環境がね、近くにあると、逆になんだろう?自分は俳優さんにはなりたくないって思っちゃいそうな気もしますけど。そうはならなかったんですね。
(大鶴義丹)なんかね、まあ、NASAの職員とかになりたかったですけどね。
(玉袋筋太郎)(笑)。NASAの職員!
(大鶴義丹)やっぱり、ねえ。いちばん身近なものを選んじゃいましたね。やっぱり、好きなんでしょうね。
(玉袋筋太郎)でも、お父さんとお母さんが・・・その4の筋なんか、最高だよ。映画『任侠外伝玄界灘』で多忙なお父ちゃんに会いに行くも、なぜか小田原署でガラス越しに面会の筋。
(小林悠)これは、なにがあったんでしょう?
(大鶴義丹)これね、親父が自分で脚本と初監督をやった玄界灘っていう。主演が安藤昇さんかな?
『任侠外伝玄界灘』
(玉袋筋太郎)安藤昇さん、最高!安藤組ですよ!
(大鶴義丹)で、うちの母が相手役なんですけども。で、まあそういう任侠映画を。ファンタジーなんですけど。それで、やったんですけど、宣伝費がないってことになったんですよ。お金、使い切っちゃって。親父もメチャクチャだから。で、『宣伝費がない。困った、困った』って。で、映画の中で、本物のウェポンを使ったんですね。
(玉袋筋太郎)本物のウェポン(笑)。
(小林悠)そ、それは・・・ダメですよね?
(大鶴義丹)『ウェポン』って言っておきますけど。ウェポンを使ったんですけど。そのウェポンを小田原の浜辺で、新聞記者集めて、ウェポンを動かしちゃったんですね。
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(玉袋筋太郎)(笑)
(小林悠)ああー、記事になったら宣伝になるかな?と思ったんですかね?
(大鶴義丹)で、逮捕されるのはわかっていて。そのウェポンは動かしちゃいけないウェポンなんで。
(玉袋筋太郎)そりゃそうだよ!それで、お父さん(笑)。お世話になっちゃった。
(大鶴義丹)はい。まあ、それはわかってね。だから、なんですかね?わかっていてやったんですけどね。
(玉袋筋太郎)確信犯だ。
(小林悠)そこも含めての。あ、なんかいいですね。
(大鶴義丹)なんで。したら、まあ小田原署にちょっと合宿に行っちゃったんで。
(玉袋筋太郎)合宿だよな。
(大鶴義丹)で、ウチの母親が、俺が『パパどうしたの?帰ってこない』って言ったら、『ああ、パパ?会いたい?』って言うから、『ああ、会いたい。会いたい』っつったら、『行くか!』っつって。小田急線ロマンスカー乗って。子ども、嬉しいですからね。ロマンスカー乗って。
(玉袋筋太郎)そりゃ最高よ。
(大鶴義丹)嬉しく行ったら、なんだか様子おかしいビルに入っていって。で、1時間ぐらい待ったら『どうぞ』って言われて。本当、こうスタジオみたいな感じで、ガラス越しの。奥に親父がいるんですね。なにこれ?って思って。
(玉袋筋太郎)(笑)
(大鶴義丹)『時間ないから、早く話してきなさい』っていう。
(玉袋・小林)(笑)
(小林悠)本当あの、よく点点点って丸い穴があいてますけどね。
(玉袋筋太郎)親子の会話を書記が取ってたっていうんだから。記録してたっていうんだから(笑)。
(小林悠)どんな事態ですか!?
(玉袋筋太郎)すごいよー!
(小林悠)でも、唐さんっていろんな意味でかっこいいですよね。そういったところで、こう、人が絶対しないことをする方ですよね。
(大鶴義丹)機動隊とモメたりとか。いろいろやってますよ。写真、残ってますけども。
(玉袋筋太郎)すごいお父さんだよ。
(小林悠)まさしく無頼派っていう感じ、しますもんね。
(玉袋筋太郎)うん。だから大鶴義丹さんも、ちょっとそういう血が入ってるのかな?っていう。ハチャメチャだなっていうところも、感じるんですよ。うん。
(小林悠)それは、なんの話を聞き出したいんですか?ハチャメチャ話(笑)。
<書き起こしおわり>
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