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大鶴義丹 自宅2階がアングラ劇団の稽古場だった少年時代を語る

大鶴義丹 自宅2階がアングラ劇団の稽古場だった少年時代を語る たまむすび
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大鶴義丹さんがTBSラジオ『たまむすび』にゲスト出演。実家の2階部分が父・唐十郎さんと母・李麗仙さんのアングラ劇団の稽古場だった少年時代の思い出を語っていました。

(玉袋筋太郎)でもね、やっぱりこれ、2世なわけですから。2世タレントっていろいろいるんですけど。大鶴さん、2世タレントの回みたいなの、あったんですか?

(大鶴義丹)いまは結構あるんですけど。その、いま言った僕は家に劇団の稽古場だったんで。

(玉袋筋太郎)すごいよね。

(大鶴義丹)僕、ここがすごく・・・2世の悪いところがある種、出なかったのは、親が苦労してるところを見てるんですよね。稽古場で。劇団員たちと、要するに汗かいて、怒鳴って。

(玉袋筋太郎)そうだろうね。

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親の苦労を見て育つ

(大鶴義丹)で、大抵の2世の人は親の苦労を見てないんですよ。いきなりテレビとか映画で完成している親しか見てないんですよ。

(玉袋筋太郎)聞いてるか?三田佳子次男!

(小林悠)ピンポイントで来た!(笑)。

(玉袋筋太郎)たとえばですよ。じゃあ、そのやっぱ稽古場で育ったっていうのがデカいよね。

(大鶴義丹)そうですね。だから単に親も芝居やって評価を受けてるんですけど、芝居を評価を受けるまでにどんだけ・・・もう変な話、アングラ劇団なんで殴り合いみたいにやりながら、出来ていく芝居ですから。それを見てるから、『いや、そんな甘いもんじゃねえ!』と思うんだけど。そういう意味では、すごく環境が良かったんですね。

(玉袋筋太郎)環境が良かったんだよ。すごいよ。だって、稽古場に来てる人たちがすごいよ。根津甚八さんとかいるわけでしょ?佐野史郎さんとか、ちょっと変わった人たちが。うん。そういうとこで、やっぱり『坊っちゃん、坊っちゃん』ってかわいがられてたのかな。

(大鶴義丹)いや、坊っちゃんっていうのはないですけど。みんなやっぱり、アングラ俳優って結構高学歴が多いんですよ。変な話、国立大学をドロップアウトして演劇に目覚めちゃったみたいなのが多いんですよ。だからいろんな筋の専門がいるんで。勉強とかでも数学がちょっとうまくできないなと思うと、京大の数学科を退学して・・・

(玉袋筋太郎)すげー。退学して(笑)。ドロップアウト。

(大鶴義丹)して、芝居を目指しているっていうのがいたりするんですよ。そいつに聞け!ってなるんですよ。

(玉袋筋太郎)ほー!

(小林悠)えー!変な話、稽古場に子どもが行くと怒られたりとか、そんなのはなかったんですね。

(大鶴義丹)いやいや、良くしてくれましたよ。それこそ、俳優でもたとえば六平直政さんなんかもいましたけど。彼はああいう雰囲気ですけど、美術大学を出てるんで。で、溶接とかも現代芸術でできるんで。こう、溶接の仕方を教わったりとか。

(玉袋筋太郎)(笑)。いいよね!やっぱそういう大人に囲まれると、やっぱ物事を違う見方になる。だから結構そういう大人に囲まれていると、学校行って浮いちゃったりとかしなかった?耳年増になったりするじゃない。

(大鶴義丹)あのね、大抵大人たちが僕に教えるのは、ちょっと下ネタなんです。いやらしいことね。

(玉袋筋太郎)なるほどね。

(大鶴義丹)で、それをものすごい、小学生にしてはハイレベルな・・・いまはインターネットとかあるから、みんな大人も子どももないですけど。当時の小学生でそういう、なんかハイレベルないやらしいことを教わってって、学校で僕が『実は世の中ってのは、こうなんだぜ!』っていうのは・・・

(玉袋筋太郎)(爆笑)

(大鶴義丹)『新宿の奥に行って、ああだこうだすると、こんな結果があるんだぞ』っていう話を。すると、みんなやっぱ学校では、『そんなこと、パパもママも教えてくれなかった!』みたいな。

(玉袋筋太郎)(笑)。そうだよね。そういう環境がいいんですよ!俺なんか、銭湯行ってさ。銭湯でそういうおじさんにやっぱりいやらしいことを教わっちゃったりしたもんえ。うん。

(小林悠)あらー。

(玉袋筋太郎)いや、でもそのね、両親の姿っていうのは、それはすごいと思うね。

(大鶴義丹)それをやっぱり見れたっていうのはすごくありがたい環境でしたね。たぶん稽古場が家と離れていたら、見れなかったんですけど。全く一緒だったんで。うるさいんですよ、もう。追い込み稽古なんてもう、ドンドンドンドン。夜の11時ぐらいまで、朝からやりますから。子どもの僕なんかももう、ご飯も待ってないといけないんですよ。

(小林悠)あ、どうされてたんですか?お食事とかは。

(大鶴義丹)もう、ある種の育児放棄ですよ。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)まあ、いまはね、結構問題にはなりますけど。当時はね。

(大鶴義丹)『稽古の方が大事だから、子どもなんか待ってろ』みたいな感じですから。

(玉袋筋太郎)で、この間、飲んでいる時にそういう話をしたもんね。やっぱ。お母さんに対しての話をね、してたよね。大鶴さんがね。要するに、『他の家庭とはちょっと違ったんだ。ウチは。お袋、やっぱり女優だから。お母さんが劇場映画とかで、おっぱい出しちゃうんだから』って。うん。そういう話をしてたね。

(大鶴義丹)『芝居がいちばん大事なんだ。とにかくこの世で自分たちは芝居がいちばん大事なんだ』っていう法則のもとに動いている一家だったんで。まあ、『子どものご飯なんて、お腹空いても、3時間、4時間ぐらいは死にやしないから待て』っていう、そういう教育ですよね。

(小林悠)ええーっ!?

(玉袋筋太郎)で、自分で料理が上手くなっちゃったんだ。

(小林悠)そうなんですってね。ご料理の腕前は一級品とありますが。

(大鶴義丹)こっちはね、本当食べ盛りですから。我慢できないから。もう、冷蔵庫のものをいろいろ組み合わせて作ったら、『これ、俺、美味いじゃねーか!』なんて思って。俺、小学校3年ぐらいにはね、ハンバーグぐらい結構・・・

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)自分でこねてですか?

(大鶴義丹)ええ。親父の残ったお酒、蒸したりして。

(小林悠)(笑)。本格的じゃないですか!

(玉袋筋太郎)小学生で蒸し物はないよ、なかなか。普通、駄菓子だけどな。そういう環境ですもん。うん!

(小林悠)遠足のお弁当とかも、自分でやっていたんですか?

(大鶴義丹)あの、やっぱり稽古が追い込みになると、ウチの母親も疲れちゃってて。朝、もう起きれないんですよね。だから、もうお弁当を作る時間がないんで、しょうがないから、もう自分で作るみたいな。それが、稽古場が一緒なんで、もう夜の1時、2時まで追い込み稽古をしてるのを、ドンドンドンドン聞こえているから。それで、起きれない母親を子どもながら見ると、『お母さん、起きて』とは言えないですよね。

(玉袋筋太郎)かぁー!

(大鶴義丹)だから、近くで見ているから、子どももバカじゃないから、わかるんですよね。『こりゃちょっと、あんだけやってんだから、子どもの弁当どころじゃないわな、大人たちは。だったら子どもは子どもで、自分で作りましょう』みたいな理屈ですね。

<書き起こしおわり>

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