谷村新司 20代半ばで1億5千万円の借金を作り完済した話

谷村新司 ビニ本コレクション5千冊の収集と処分を語る たまむすび

谷村新司さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。20代半ばで1億5千万円、現在の額で15億円ほどの借金を作った谷村新司さん。その理由と完済までの道のりを話していました。

(玉袋筋太郎)その1から行っちゃっていいですか?20代半ばで1億5千万の借金って。

(谷村新司)たぶんいまの額で言うと、15億ぐらい?

(小林悠)ええっ!?

(玉袋筋太郎)15億ですか!?

(谷村新司)うん。の、感覚だと思いますね。

(玉袋筋太郎)これはまた、なぜそんなに背負い込んじゃったんですか?

(谷村新司)これがですね、僕らはひたすらプロを目指して。年間300ステージぐらいやってたんです。それで事務所を一緒に始めたのが、当時の音楽、全くわからない男で。これがまたすごい男なんですけど。『お前らの歌、ええなあ』って僕らのアマチュアの頃に聞いてくれて。『アメリカ人に聞かしたろ』って彼が突然言ったんですよ。なんか詐欺師みたいな男なんですけど。

(玉袋筋太郎)もう、来ましたよね。いきなり。

(谷村新司)でもね、目が澄んでて。いい男だったんで、『よっしゃ!』って。春にその話をして、夏にアメリカにいたんですよ。

(玉袋筋太郎)アメリカに行っちゃってるんですね!

(小林悠)早いですね!

(谷村新司)で、そこでアメリカ大陸を40日間で回って。それで、途中でお金が途絶える。日本からお金を行き先に送っていたんですね。当時、持ち出しの・・・

(小林悠)あ、限られてましたもんね。

(谷村新司)1ドルが360円でしたけど。

(玉袋筋太郎)その時代だ。

(谷村新司)それで、メキシコでそのお金を送ってくれる人が東京でトンズラしたっていう情報が入って。

(玉袋筋太郎)来たー!

(谷村新司)僕ら、メキシコで露頭に迷ったんですよ。それで、そん時に友達になったメキシコ人が『誕生日だから歌いに来てくれ』って言われて。それで、僕はギターを持って、友達だからって歌いに行ったら、30人ぐらい友達を呼んでくれていて。僕らのいまの現状をこっそり言ってくれてたんで。みんな、お金をカンパしてくれたの。

(小林悠)メキシコの人、いい人!

(谷村新司)で、僕も若かったから、『いや、僕はお金のために歌ったんじゃないから』っていうんで、受け取らない。したら、彼は『君の歌に感動したんだから、受け取れ!』って言って、もう押し問答をした挙句、押し付けられて。それでもう、涙、涙しながらそのお金を握りしめて、メキシコの夜の町をホテルまで歩いて帰ったっていう。

(玉袋筋太郎)おおー!

(谷村新司)で、そんな状況があって日本に戻ってきたんで、世界に恩返しできる日本のプロバンドを作ろうと。それがアリスのスタートだったの。

(玉袋筋太郎)はー!

(小林悠)思いも強まって。

ジェームス・ブラウン来日公演

(谷村新司)それで全国を回っていて。その、細川健っていう代表。同い年なんですけど、彼が、『これをやっていてもなかなかメジャーになるのは難しいな。勝負かけよう』って言うんで、ジェームス・ブラウンを呼ぶっていう話になったんです。

(玉袋筋太郎)ちょっと待って。いきなりですよ。もう、アントニオ猪木がモハメド・アリを呼ぶようなもんですよ!

(小林悠)ああ、本当ですね。

(谷村新司)もうもう、無茶もいいとこですよ。でも、その時は日本は割とレッド・ツェッペリンとか、ロックはみんなメジャーだったんだけど、リズム・アンド・ブルースって意外とマニアしか知ってなくて。で、ジェームス・ブラウン、来たんですよ。

(玉袋筋太郎)来たんですか?

(小林悠)本当に来てくれたんですか?

(谷村新司)大阪フェスティバルホール。3000人入るホールに、200人。

(玉袋筋太郎)ジェームス・ブラウンがですか!?

(谷村新司)はい。

(玉袋筋太郎)ゲロッパ!

3000人入るホールにお客さんは200人

(谷村新司)1回目。それでその時のことを、『ゲロッパ!』作った井筒さんが知っていて。それで、招待されたんですよ。映画にね。それで僕、なんで・・・見ず知らずの人に招待されたんで、見に行ったら冒頭で、西田敏行さんと岸辺さんかな?ヤクザの親分子分で新幹線で会話する。『親分、JBが最初、日本の来たんはいつでしたっけ?』っていうセリフがあって。そしたら西田さんが『あれは谷村新司んとこの事務所が呼んで、大きな借金をくろうた年やから・・・』っていうセリフがそのまんま出てくる。

(玉袋筋太郎)(爆笑)。いいっすねー!

(谷村新司)それで、『えっ!?』って。僕はもう最初に『はっ!?』って思って。それで終わって井筒さんが来て。『すいません。事後承諾なんですけど』って言われて。僕がラジオでその話をしたのを、生で聞いてたんですって。

(玉袋筋太郎)うわー!

(谷村新司)っていう話があって。その時に、ン千万っていう借金がまず・・・

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)もうジェームス・ブラウンのおかげで。

(谷村新司)おかげで。で、これを今度返すために、もう一発勝負をかけようと。

(玉袋筋太郎)(笑)。山師ですね!

(谷村新司)山師。それで、『ミュージッククルーズっていうのはどうや?』って言われたの。要するに、音楽をやりながら船に乗って。たくさんの人たちと一緒にワイワイと楽しくやると。『ええ、ええ!OK、OK!』って。それで、さくら丸っていう大きな客船を借りて。それで神戸から出港するんですけど、その時、お客さんが半分も集まってなかったんで。

(小林悠)あらー!

(谷村新司)それで、前金を打たないと船が出ないっていう話で。

(玉袋筋太郎)(爆笑)

(谷村新司)それでまた借金し倒して船を出したんですよ。それで、当時GAROが乗っていたんですけど。GAROは忙しいんで、グァムからすぐ、飛行機で帰って。僕らはそのまんま、日本まで船で帰ってきた時に、神戸港沖でグァム島から電報が入って。『グァム島でコレラが発生した』と。

(小林悠)あれー!?

グァム島でコレラ発生・入国拒否

(谷村新司)で、『船の中に下痢発熱がいたら入国を止めてくれ』と。1人、いたんです。

(玉袋筋太郎)えっ?

(谷村新司)僕だったんです。

(玉袋・小林)(爆笑)

(玉袋筋太郎)あらららら!

(谷村新司)それで、地下の船倉にロープ張られて隔離だったの。でも僕は、もしコレラだったら、伝染病なんで船全体がもうアウトだったの。それで、やっぱり熱でうなされていた時に、意識朦朧としてたら、冷たいタオルがおでこにきて。それで、立入禁止のところにパッと見たら、その細川がいたんです。

(小林悠)はい。

(谷村新司)『伝染るから来るな。伝染病だったら、僕、死ぬから』って。『いや、ここまで来て片っ方だけ死ぬのは納得できへんやろ?』っていうセリフを彼が言った時に、『ああ、やっぱりこいつと心中するんだな』って思って(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(谷村新司)で、無事に。その時、僕は疲労性の下痢発熱だったと2日後にわかって、入港した。だけどそこでまた、借金がドン!と膨らんで。1億近くになっていたんです。

(小林悠)いやー、膨らんでばっかりじゃないですか。

(谷村新司)それで、まだ懲りてなくて。『本能に根ざした勝負をかけんといかんかったな』って反省が彼の中にあって。『ストリップはどうや?』っていう話になって。

(小林悠)(笑)

(玉袋筋太郎)ストリップですか?急に。

(谷村新司)急に。『はあっ!?』って思って。『それは・・・俺、個人的にはいいと思うけど』って言ったら、みんな『いい!』って言ったんですよ。『そしたら、呼ぶから』って言って、パリの、カフェ・ド・パリっていう踊り子さん。

(小林悠)一流じゃないですか。

(谷村新司)もう、呼んでるんです。

(玉袋筋太郎)呼んじゃってるんですか?

(小林悠)もう、いくらするだろう・・・

カフェ・ド・パリの一流ストリッパー招聘

(谷村新司)本当、そう。呼んでて、仕事から帰ってきたら、突然、事務所・・・日本間の事務所だったんですけど、そこに、こんなちっちゃいパンツを履いたお姉さんが、真っ赤な口紅をして、パーッ!とタバコ吸ってる人がブワーッ!といるんですよ。

(玉袋筋太郎)(笑)。いいなー!

(谷村新司)それで、『えっ?来たの?』『もう、着いた』。問題が1個あって、どこでやるかはまだ決めてないの。

(玉袋筋太郎)小屋ですか。

(谷村新司)小屋を。で、『とりあえず、チンペイたち、ちょっと探してくれ』っていうんで、そっから仕事しないで、大阪のストリップ劇場に交渉に。

(玉袋筋太郎)(笑)

(谷村新司)あの、カフェ・ド・パリの踊り子さんを出してくれっていう交渉に僕、行って。そしたら当時、大阪は結構エグいストリップが主流だったんで。こうやって踊っているだけ・・・

(玉袋筋太郎)じゃ、ないですもんね。

(谷村新司)『いくらパリと言うても、アカンで!』って言われて。『そこをどうにか!』っていうんで、なんか3日間ぐらい出してもらったんだけど、あまりにもこう、キレイに踊っているだけなんで、お客さん、怒りだして。で、結局もう、アウトになって。

(玉袋筋太郎)あらー!

(谷村新司)なんだけど、契約してるんで、日数間のギャランティーはしなくちゃ行けない。それで、日数間ギャランティーして、彼女たちは優雅に過ごして、パリにお帰りいただいて。借金だけが残る・・・

(玉袋筋太郎)これが!もう大変です!

(小林悠)映画みたいですね(笑)。

(谷村新司)気が付くと、1億5千万。

気が付くと借金が1億5千万円

(玉袋筋太郎)かぁーっ!その1億5千万ね。まあ当時で15億ぐらいって。で、お父様にね、それを相談に行ったっていう。お父様もまた、相場師をやられてるお父様で。

(谷村新司)相場師。まあ、息子としては、『あわよくば・・・ちょっと助けてくれるかな?』って思って。『1億5千、実はいま、借金がある』って言ったらオヤジが、『おおー、大したもんやん』って。それで終わりだったんです。

(玉袋・小林)(笑)

(谷村新司)それで、『それだけ借りれるっていうのは男の甲斐性やから。まあ、がんばんなはれ』って言われて、チャンチャンだったんですよ。

(玉袋筋太郎)かぁーっ!すごいよねー!そんな借金。でも、返したんですもんね?

(谷村新司)返したんですよ。ちょうど、『冬の稲妻』。

(玉袋筋太郎)あっ!冬の稲妻で返したんですか!?

勝負をかけた『冬の稲妻』

(谷村新司)だから、冬の稲妻で、いわゆる勝負をかけたんです。もうここで外したら、また膨らむだけだから。一発勝負!っていうんで、もう徹底的に作り上げたやつが冬の稲妻なんで。それが大ブレイクして。で、しばらくしたら、原宿で、『チンペイ、ちょっと飲もうか?』って彼が言ってきて。酒、飲まない男なんですよ。で、僕も普段、飲まないんだけど。『飲もうか?』って言うから、なんかあるんだなと思って。『じゃあ乾杯』って言ったら、『借金、返済終わった』って。

(玉袋・小林)!

(谷村新司)で、その時に2人で酒を飲んだんですけど。その酒は、美味かったですね。

(玉袋筋太郎)美味いでしょうねえ!そうですよ。いくらのお酒だったんだ?って。1杯(笑)。

(小林悠)(笑)

(谷村新司)1杯8千万くらい?

(玉袋・小林)(爆笑)

(玉袋筋太郎)たっけー店だな、それ(笑)。

(谷村新司)どんな水割りや?っていうぐらいのお酒。

(小林悠)忘れられない味ですよね。もう、それは。

(谷村新司)最高でしたね。

<書き起こしおわり>

谷村新司 ビニ本コレクション5千冊の収集と処分を語る
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