松尾潔さんがNHK FM『松尾潔のメロウな夜』の中で1987年のR&Bチャートを振り返り。この年にヒットした曲を聞きながら、解説をしていきました。
(松尾潔)続いては、こちらのコーナーです。いまでも聞きたいナンバーワン。2010年3月31日に始まった『松尾潔のメロウな夜』。この番組は、メロウをキーワードにして、僕の大好きなR&Bを中心に大人のための音楽をお届けしています。ですが、リスナーのみなさんの中には『そもそもR&Bって何だろう?』という方も少なくないようです。そこでこのコーナーでは、アメリカのR&Bチャートのナンバーワンヒットを年度別にピックアップ。歴史的名曲の数々を聞きながら、僕がわかりやすくご説明します。
ニュージャックスウィング革命前夜
第15回目となる今回は、1987年のR&Bナンバーワンヒットをご紹介しましょう。1987年と申しますと、88年の1年前です。『そんなことはわかってる』と、簡単にいま、反論が聞こえてきますけども(笑)。あの、『88年の1年前』っていう言い方には、ニヤリとした方もいるんじゃないでしょうか。なぜなら、88年というのはR&Bの大きな変換点。ニュージャックスウィングの元年と言われているからなんですね。ニュージャックスウィング元年、88年の前年。つまり革命前夜といった1年でございました。
まあ、87年の暮れにキース・スウェット(Keith Sweat)が出てきてますから。この年をもってニュージャックスウィング元年ということもできるんですけども。まあ、一般にね、88年。ボビー・ブラウン(Bobby Brown)やガイ(Guy)のアルバムが出揃った88年をニュージャックスウィング・エラの始まりと言いますので。87年はその前の、ワサワサした感じっていうのを楽しめる1年なんですね。
それまでの、70年代。もっと言えば60年代からのR&Bっていうかね、ソウル・ミュージックの様式を踏まえた人たちも、まだまだここでは健在ぶりを示していましたし。この後、メインストリームに踊り出る人たちの、なんて言うのかな?そういう萌芽っていうのかな?なんか動きの始まりみたいなものもちょっと感じることができるっていう。見方によっては88年以上に面白い、新旧の価値観が絡み合う。時として、古いものをより古く見せてしまう、残酷な1年でもありましたね。まあ、いまいい寝かせ時だと思うんですよ。はい。
じゃあ、まずは聞いてみましょうか。この年、33曲ナンバーワンヒットあるんですね。33曲あるんですが、この年ならではというか、ニュージャックスウィング・ムーブメント。テディー・ライリー(Teddy Riley)以前としか言いようがない、そんなサウンドのいい曲をまずはピックアップいたしました。まずは、4月。3週間に渡って連続でナンバーワンを獲得したプリンス(Prince)です。『Sign O the Times』という大傑作ですね。とにかくもう、プリンスのなんて言うんでしょうね?まあこの人、いまでもクリエイティブであることは疑いようがないし。この間のグラミー賞でのプレゼンターで、ほんのわずか20秒ばかりのスピーチをやっても、『うわっ、プリンス、すごいな!』って言わせるような。そんな個性の持ち主なんですが。
この頃はなんて言うんでしょう?才気煥発っていう、なにをやっても歴史の1ページになるような。そんな時代でした。アルバムのタイトルトラック、『Sign O the Times』。これをまずご紹介したい。そしてもう1曲。フォースMD’S(Force MD’S)という僕が贔屓にしているボーカルグループ。9月に2週間連続でナンバーワンを獲得しました『Love is a house』という曲。これはもうね、プリンスとは真逆の、ソウル・ミュージックの伝統を感じさせるメロウな、それはメロウな1曲でございます。
じゃあ、2曲続けてお楽しみください。プリンス『Sign O the Times』。フォースMD’S『Love is a house』。
Prince『Sign O the Times』
Force MD’S『Love is a house』
1987年のR&Bナンバーワンヒットをご紹介しています、今夜のいまでも聞きたいナンバーワン。2曲続けてお楽しみいただきました。プリンスで『Sign O the Times』。そして、フォースMD’S『Love is a house』でした。フォースMD’Sというのはね、ボーカルグループ。ニューヨークのボーカルグループでございまして。スタテンアイランドとかあのあたりで歌っていた人たちですね。まあ、後にこのスタテンアイランドからウータン・クラン(Wu-Tang Clan)というヒップホップのスーパーユニットが出てきて、ヒップホップのイメージが強くなるんですけども。
フォースMD’Sは、もともとフォースMC’S(Force MC’S)という名前がグループ名でありまして。ラップをやってたんですね。で、トミーボーイというヒップホップ系のレーベルから出てきた、まあそんなヒップホップ時代のボーカルグループでありました。途中からフォースMD’Sと名前を改めまして、ボーカルの方に専念したんですが。もともと古い体質のボーカルグループでありまして、当時ライバルと言われていたニュー・エディション(New Edition)に比べると、いまとなってみると、ニュー・エディションっていうとね、ボビー・ブラウンとかラルフ・トレスヴァント(Ralph Tresvant)とか。水色の声を持った少年たちの、決して上手さを売りにしてたわけではない、少年の輝きを売りにしていたグループなので。
なんかライバル扱いされていたのも変だなっていうぐらいの実力派の、しかもちょっと、オールドファッションドなグループなんですが。この『Love is a house』っていうのはビートがいいですね。トラックを作っていたのがマーティン・ラッセルズ(Martin Lascelles)というUKのプロデューサーでありました。実はこのマーティンという人は僕の長年の知り合いでございまして。日本の音楽家、鷺巣詩郎さんの相棒。それこそバディとしても知られております。マーティン・ラッセルズは英国王室のね、流れにある、やんごとなき方としてもよく出てくる人なんですが。
非常にアメリカのR&Bが好きで。実際にはあれなんです。普通に立派なブドウ畑を持っているようなそういう人なんですが(笑)。もうずっとアメリカのR&Bの仕事がしたくてしたくて。それで、これがね、トラックが認められて、アメリカのボーカルグループが歌ってチャートのナンバーワンになったと。『夢が叶ったよ』っていう風に言ってましたね。で、そのマーティン・ラッセルズがフォースMD’Sの仕事をやる時には、フォースMD’Sのかつてのヒット、『Tender Love』という曲を超えたいと思ってやっていたそうです。
で、『Tender Love』のプロデュースを手がけていたのはジャム&ルイス(Jam & Lewis)なんですが。ジャム&ルイスから、『ミスターラッセルズ、君の仕事、気に入ったよ』っていう電報が届いたって見せてもらったこともあります。これ、いい話ですけども。そしてそのジャム&ルイスがかつてミネアポリスで切磋琢磨していた仲間がプリンスであるということでありまして。なにが言いたいか?といいますと、この頃は、ニュージャックスウィングの前は、ミネアポリスファンクというものが一大ムーブメントとしてあったんですね。プリンスの出身地、ミネアポリスであります。
最近、このあたりの音がまた来てるんですよ。マーク・ロンソン(Mark Ronson) feat.ブルーノ・マーズ(Bruno Mars)の『Uptown Funk』あたりがそのいちばんわかりやすい例なんですけども。
まあ、あれがあの、いま世界中でね、ヒットしてます。アメリカ、イギリスをはじめとして世界中でヒットしてますんで。いま、ミネアポリスファンク、来てるね!ってよく小耳に挟みますけども。この番組をずっと聞いている方はお分かりかと思いますけども、ちょっと2、3年前から、ミネアポリスあたりの音源のリイシューっていうのがすすんでまいたからね。ジワジワ来ていたムーブメントをマーク・ロンソンが上手く捉えたというのが正しい見立てかと思います。
まあ、そのぐらいのいい寝かせ時とも言える80年代半ば風情ですね。もう、大方30年前のお話を一生懸命やっていますよ。もう昨日の出来事のように話してますけども(笑)。87年のチャート、トップを飾った33曲のアーティスト名だけご紹介しましょうか。この年は、前年の居残り、ボビー・ブラウンから始まりました。そして、ジャネット・ジャクソン(Janet Jackson)ですね。ルーサー(Luther Vandross)、キャメオ(Cameo)、メルバ・ムーア(Melba Moore)、フレディー・ジャクソン(Freddie Jackson)、ルースエンズ(Loose Ends)、ジャネット、ジョディ・ワトリー(Jody Watley)、プリンス、システム(The System)、ルーサー&グレゴリー・ハインズ(Luther Vandross with Gregory Hines)、アトランティック・スター(Atlantic Starr)。
リサリサ(Lisa Lisa and Cult Jam)、ウィスパーズ(The Whispers)、ハーブ・アルパート(Herb Alpert)、ステファニー・ミルズ(Stephanie Mills)、アレクサンダー・オニール(Alexander O’Neal)、ジャネット・ジャクソン、フレディー・ジャクソン、リバート(LeVert)、フォースMD’S、マイケル(Michael Jackson with Siedah Garrett)、LLクールJ(LL Cool J)、リサリサ・アンド・カルトジャム、ステファニー・ミルズ、マイケル、ジ・オージェイズ(The O’Jays)、アンジェラ・ウィンブッシュ(Angela Winbush)、スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)、アース・ウィンド・アンド・ファイアー(Earth, Wind & Fire)。アースなんかもね、1位とったんだ。ロジャー(Roger)、そして最後がマイケルという。
マイケル・ジャクソンとジャネット・ジャクソン。この兄妹でかなり数、稼いでるんですね。やっぱりジャネット・ジャクソンがね、ジャム&ルイスのプロデュースを仰いでいたことを考えると、ミネアポリスファンクの色合いが強かった1年とも言えるし、まあ、ジャクソン兄妹の威光衰えずといった1年でもあったわけですが。年間を通していちばん売れた曲はなんだったか?と言いますと、マイケル・ジャクソンだったんですね。12月の最終週に出てきた『The Way You Make Me Feel』が。正確にはその翌年、88年の頭にかけて4週連続のナンバーワンになって。これがこの時期のもっともヒットした曲になったんですが。
その前の年。86年がプリンスの『Kiss』。これが1年でいちばん売れた曲だったんですね。だからプリンスとマイケルの時代ということも言えますね。
ちなみに88年。翌年はキース・スウェットの『I Want Her』が年間を通していちばん売れた曲になったんで、さっきお話したニュージャックスウィング・エラ、ここに始まるっていうのが88年という根拠になっているのがキース・スウェットの台頭ですね。うん。
なんかこのコーナー、学校の先生っぽくなっちゃうんですけど、いつも(笑)。全部試験に出ますんで!ここで話していることは。もうソウルバー試験で出てきますんで。ぜひ、ご記憶に留めていただきたいと思います。じゃあここで、この年の1曲。僕にとっての1曲っていうのをご紹介したいと思います。まあ、マイケル・ジャクソンをご紹介するのが順当なところなのかもしれませんけど。
マイケルと言えば、僕は『Thriller』とか『Off The Wall』の時のインパクトの方が強いので。マイケル・ジャクソン以外でということになりますと、そうですね。マイケル・ジャクソンが年末にトップに躍り出るその前の週。1週間ながら1位を獲得したロジャーのこちらを思い浮かべてしまいます。スイートな、それはスイートな1曲です。ロジャーで、『I Want To Be Your Man』。
Roger『I Want To Be Your Man』
このアルバム、『Unlimited』っていうのは僕がたしか池袋駅の近くの中古盤屋さんで買ったんですよね。たしか新品で買ったんじゃないんですよね。『あっ、もう中古で出てる!』と思って買った記憶がありますね。ロジャー『I Want To Be Your Man』、ご紹介いたしました。
僕がロジャーにインタビューしたのはこれから2年ほどたった90年の頭ぐらいだったかな?91年になっていたかな?だったんですけどね。あの、大変エネルギッシュな人で。オハイオ出身でね。本当にいろんな、成功を還元しなきゃいけないっていうことで、音楽を心置きなくできるように、自分たちの仲間のために会社を作ったり、学校を作ったりとか。いろんな事業展開をしているんだと。それも、音楽をやるため。音楽は自分が好きなことをやりたいから、それ以外のことで自分の生活のボトムを安定させるんだと。ああ、そういう音楽人生もあるのか、なんてことをね、インタビューの時間にしみじみと感じた、そんな記憶がございます。
西新宿のホテルでしたね。ずーっとピザを食べながらインタビューに答えていたロジャーなんですけども。99年に実の兄弟から殺されてしまうという。うーん・・・ちょっとマービン・ゲイの最期にも似た、そんな人生の結末を迎えましたけども。87年暮れの『I Want To Be Your Man』。この響きは永遠ですね。
<書き起こしおわり>
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