プチ鹿島『教養としてのプロレス』プロレス視点で全てを読み解く方法

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プチ鹿島さんがTBSラジオ『荻上チキ Session22』に出演。ご自身がプロレスを見ることで学んだ、プロレス視点で世の中の物事を読み解く方法について語りました。

(南部広美)今夜はTBSラジオで放送中の『東京ポッド許可局』でもお馴染み、時事芸人のプチ鹿島さんです。

(プチ鹿島)よろしくお願いします。楽しみです。今日は。

(荻上チキ)はい。どれぐらいぶりですか?この番組は。

(プチ鹿島)4月か。4月のスペシャルウィークに出させていただいて。日刊ゲンダイさんと直接お会いできて。すごく、楽しかったですね。で、その1週間後にですね、この番組にもよく出ている久田さんっていう方、いらっしゃるじゃないですか。

(南部広美)久田将義さん。

(荻上チキ)東京ブレイキングニュースの。

(プチ鹿島)はい。と、一緒にイベントをやる時に、久田さんがタクシーに乗ってきたんですよ。そしたら、タクシーの運転手さんが『いや、あのセッションでやっているオヤジジャーナルっていうのがすごく好きなんだよね』っていう。そこまで届いているって。久田さんが『いや、僕、彼といまイベントやるんですよ』って。いや、ラジオの力を感じました。本当にうれしいですね。

(南部広美)すごいうれしい!そういう話を聞くと。

(荻上チキ)反響、ありましたもんね。いままでずーっと取り上げ続けてきた当事者と会うっていうのも・・・

(プチ鹿島)もう好きすぎて『ゲンダイ師匠』と呼んで。まさかお会いできるとは思わなかったですよね。

(荻上チキ)ずっと分析の対象だったものと会うっていうのは。これ、やっぱり冥利に尽きますよね。

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ゲンダイ師匠 日刊ゲンダイ

(プチ鹿島)冥利に尽きますね。すべて本人に会って聞くことができるって、なかなかいままでの経験ではなかったですからね。いままで、いちばん野次馬の円の外で、一方的にしゃべったり書いたりしていただけなんで。直接当事者とお会いできるとはっていうのは、ありがたいですよね。

(荻上チキ)ある意味、解説席でずっと見ていたら。やっぱりでもプロレスだとよくありますよね、そういうこと。

(プチ鹿島)そういうことだと思うんですよ。たぶん今日やることは大概こういうことをやりますよとは決っているんですけども。決っているっていうか、僕の中でですよ。じゃあ、相手がどう出るか、わからないです。もう、いろんなものを仕掛けてくるかわからない。で、こっちもじゃあそれに対してどう応戦しようか?でもやっぱりいちばんお互いは、チキさんも南部さんもそうだと思うんですけど、聞いている人、観客にとって喜んでもらえるものを伝えることが、たぶんそこにいる人の思いだと思うんで。

(荻上チキ)そうですね。

(プチ鹿島)そこらへんの、すべてアドリブにかけるというですね。特にラジオなんてそうじゃないですか。やっぱり本番5分前にスタジオ入ってきて、もうこれで用意ドン!じゃないですか。そこはすごく刺激がある。うれしいリングですね。僕にとって。

(荻上チキ)そのプロレスという観点から物を見てみると、たとえばこの前のゲンダイ師匠との1時間の番組ですよ。あれ自体もやっぱり、ああ、こういった見方もできるんだなっていうことを、プチ鹿島さんが書かれた『教養としてのプロレス』、この本の中で実はあの回のことが書いてあって。そうかそうか、ゲンダイ師匠は割と淡々とではあるけども、いろんなヒントを残していったなと。

(プチ鹿島)いや、残しましたよね。だから本番中にも、この間言おうと思ったんですけども。すごく、なんでああいう、それこそ安倍首相とかを罵倒する、びっくりするような見出してで来るじゃないですか。それは、むしろ安倍さんをチェックしたい人たちを、むしろ引かせて逃すんじゃないですか?みたいなもっと穏やかな見出しを・・・

(荻上チキ)聞いてましたよね。

(プチ鹿島)そしたらおっしゃったのが、やっぱり電車の中で、隣の人がゲンダイを読んでいて、窓ガラスに写った見出しで隣の人が興味を持って買ってくれたらそれでいいと。要は、煽りなんですよね。アジテーターなんですよ。それって僕がまさしく90年代に見ていた活字プロレス。たとえば週刊プロレスの手法と同じなんです。偏ってるんです。ただ、偏っていることに対してはものすごく熱が発生するんで。だからゲンダイ師匠に対しては、まったくアンチではなくて。こんなに偏って、熱くて、毎日怒っているおじさんがいますよ!っていうのをとにかく世に広めたかったんですね。それはかつての週刊プロレスの異様な熱。これ、ちゃんとした人が読めば、なんでこんな偏った意見を毎週書いているんだ?と。

(荻上チキ)はいはい。

(プチ鹿島)特にプロレスっていうのは結果を。スポーツとは微妙に違いますから。じゃあなにをこの試合で感じたか?とか、自分はこう見たぞっていうのを週刊プロレスは当時、伝えていたんです。主観を。あり得ないじゃないですか。

(荻上チキ)物語をね。

(プチ鹿島)でもそれが、やっぱり熱をもって読者をひきつけると、『今週の週刊プロレスは何を書いてくるんだろう?』とか。それがもう、メインになるんですよ。むしろ。プロレスの試合そのものより。で、やっぱりプロレスで各団体のしがらみとかあるでしょうから。やっぱり書いてあるものが全て真実かどうかわからない。今週たまたま表紙に出したレスラーが、それは週刊プロレス出す側の意思で。いろんなフィルターを通して、この人を主役にしているわけですから。じゃあどういう意味でこのレスラー、この団体を今週は主役にしたのか?っていう。そこはやっぱり行間を考えていくんですね。僕らは。

(荻上チキ)そうですね。

行間を考えていく

(プチ鹿島)それって、最近よく聞く『メディア・リテラシー』と。僕ら、週刊プロレスとか週刊ゴングとかの読み比べで。東スポもそうなんですけど。むしろ行間を読んで、なんかこう、サラッと書いてある方に実は真実が見え隠れしている。じゃあもう一誌読もう!っていう。リテラシーっていうのはなぜかプロレスマスコミで僕は習ったと思うんですよ。

(荻上チキ)構図はいろいろあるけれども、ここを取り上げたのはなぜか?って。

(プチ鹿島)だからオヤジジャーナルってやってますけど、全てはそのプロレスマスコミの読み比べから。だってプロレスっていうのはぜったい観客は真実を知り得ないんですよ。第二次情報、三次情報しか知り得ないんです。ですから、その二次情報、三次情報の中からいかに情報を読み解いて・・・読み解いてっていうとかっこいいですけど、自分の中でどんどん妄想する。で、当時はネットなかったですから。週に1回、『じゃあ今週、週プロはなにを書いてくるのかな?』っていう想像だけで、どんどんどんどん週プロを追い越しちゃう場合もあるんですよ。だから、そこらへんのタメの長さっていうのが、いまはすぐに結果が出ちゃう。ネットを見れば。時代ですけど。そこらへんは、期せずして鍛えられたなっていう部分はありますよね。

(荻上チキ)でもなんかこう、たとえばtwitterとか、2ちゃんねるでもいいし。リアルタイムで反応するっていうのはもっともっとやりやすくなったじゃないですか。だけど、説明するとか、物語化するっていうことをせずに、もう次いっちゃうので。なんかこう、久々にね、プチ鹿島さんの本を読んで、『メディア批評を読んだな』って感じがするわけです。テレビはこういうところを映したけど、その瞬間は実は過去にあったこれの反復で、とか。あるいは過去にあったことをオマージュして作りかえたんだとかっていう見方は、映画とか作品っていうものを鑑賞しようという態度があるジャンルだと、普通にみんなやっていることが、テレビって基本的に流すものだから。で、つまらないものだからっていうイメージがあるから、突っ込んでおしまい。消費しておしまいだったりする。

(プチ鹿島)そうですね。

(荻上チキ)それを改めて組み立てるっていうのは、プロレスから学んで。それをいまでも続けているんだなっていうのは・・・

(プチ鹿島)プロレスファンってどうしても過去に生きてしまうんですよね。過去のこの試合はあの時の試合と同じだぞとか。データが蓄積で、じゃあこの試合の意味は過去の10年前見た試合と同じだとか。それは妄想ですよ。自分の。勝手にこう、想像力を駆使できるというのが、期せずして前のめりにもなりつつ、過去のデータとか自分の記憶と照らしあわせていく作業っていうのは、これ本当にいま、オヤジジャーナルって言ってますけど、普通のそれがマスコミになっただけで。メディアになっただけで。プロレス誌の読み比べとまったく変わりないですね、僕。

(荻上・南部)ふーん。

(プチ鹿島)で、基本はジャーナリスティック精神とか社会派とかそういうことじゃなくて、野次馬なんです。基本的には。

(荻上チキ)楽しみ方のコツみたいな。

(プチ鹿島)この裏、どうなってるんだろう?とか。これ、どこまで段取りあったんだろう?とか。たとえばわかりやすく言うと、笑っていいとも!のグランドフィナーレ、ありましたよね。で、絶対に共演しないであろうっていう方たちが次々に集まってきて。期せずしてタモリさんがあの時、『これ、プロレス?』っておっしゃったんです。あれがいちばん僕、正しいプロレスの使い方で。それは『段取りがあるの?これ、プロレス?』っていうネガティブな意味じゃなくて、『これからどうなるんだろう?』とか、『これ、どこまで真相は段取りができてるの?でも、いま目の前であるのはガチだよね?』みたいな。

(南部広美)なるほど。

(プチ鹿島)で、それについて自分たちは語り合いたい。真相を知りたい。興奮を共有したい。予想外のものをいま、目の前で見ているっていう、うれしさですよね。それは全部、僕の中ではプロレスなんです。

(荻上チキ)はいはいはい。たしかに、よくたとえば20何時間テレビとかそういったところで、一堂に会する時ってあるじゃないですか。いろんな人が。あん時、僕素直に笑ったこと、あんまりないんですね。つまりその、笑いでネタで成功させるとか、面白いことが起きるっていうよりは、なんかこう、事件性としてその時間を見るみたいな。

(プチ鹿島)そうです。だから27時間テレビなんてまさしく僕の中ではプロレスを見るワクワクドキドキ感しかないですよね。ちょっとイレギュラーな瞬間があればあるほど、美味しいものをいただいたっていう感じですよね。昔、あれなんですよ。まあ、27時間テレビ。FNSの。中森明菜さんが自殺未遂をして。で、当時恋人だと言われていた近藤真彦さんが雲隠れをしてっていう。そういうピリピリした、マスコミ全体が。で、27時間テレビにぶつかって、最後エンディングでたけしさんが出てきて。で、なんかのクイズを、じゃあたけしさん、出してください!っつって。『問題。マッチはどこにいるでしょう?』っつって、ドン引きしたんですよ。もう。スタジオが。

(荻上チキ)でしょうね。

(プチ鹿島)でもそれ僕、録画とってないですけど、それをずっと、なんてすごいことを言うんだ!っていうことが、いまだに覚えてて。それは芸人仲間でも、あの時のたけしさんの空気をぶち壊すというか、なにも読まない、で、イレギュラーさですよね。これ、もう事件・事故ですよ。

(荻上チキ)テレビが引いてある、ある種の線というのを。

(プチ鹿島)そうです。枠を超えちゃうんです。

(荻上チキ)見せつけますよね。『ここ、線でしょ?』っていうのを。

(プチ鹿島)プロレスだってそうだと思うんですよ。みんな『あれ、ショーでしょ?』って言いますけど、でもそうは言っても人間対人間ですから。絶対に生身の攻防以外に、感情のナマの攻防っていうのがあると思うんですよ。もう1発蹴りを入れてやれ!とか、もっと痛いところ入れてやれ!とか。それって真実じゃないですか。リアルじゃないですか。

(荻上チキ)あん時、殴ったな!とか。

(プチ鹿島)そうですそうです。で、プロレスファンっていうのはやっぱりそういうのが大好きですから。まあ好事家なのかもしれないですけど。あの時のあれってなんだったんだろう?っていうのをいつまでも語りたがる。それは27時間テレビのあの時のあれってすごいなとか、全く同じなんです。なるほど!ザ・春の祭典とかで、とんねるずさんとかダウンタウンさんが、あれ?同じテーブルにいたよな?っていうだけでドキドキしちゃう。それは全て僕の中でプロレスを見る楽しみなんです。

(南部広美)ふーん!

(荻上チキ)それは初見の人は楽しめないですよね?当たり前なんだけど、文法を学ぶことによって楽しむ。あの、いけないとかじゃなくて。つまりその、ある種瞬間芸とかで瞬間でロックするというよりは、積み重ねて楽しんでいくものですよね。

(プチ鹿島)そうですね。だから過去の記憶が積み重ねていくっていう。もちろんその前提にはプロレス大好き、お笑い大好きっていうのがあったからこそ、その積み重ねで。たとえばだから、ずっと仲違いしていたプロレスラーが、もう50・60になると、一堂にリングに会して、いいとも!グランドフィナーレみたいな瞬間があるわけですよ。やっぱりそれを見ると、『ああ、自分が見てきたものは間違いじゃなかったな』っていう。やっぱり10年前・20年前は心を痛めて、なんで団体分裂してわかれちゃうんだよ!って。それこそ学生運動じゃないですけど、そういうのを見てきて。やっぱりここで集ったりすると、やっぱり距離が長ければ長いほど、『あ、自分はいいものを見ているな』って。それはいいとも!の最終回も同じなんですよ。

(荻上チキ)なるほどね。

(南部広美)紆余曲折を全部知った上での、目撃。

(荻上チキ)まあ国会でそれをやられると、なんであんなに寒々しいんでしょうね?(笑)。

(プチ鹿島)国会はね。だから僕、本の前書きでも書きましたけど。『プロレス』っていう言葉の間違えた使われ方で、よくコメンテーターの方とかが言うのが、国会の乱闘とかを見て、『これ、プロレスですよね』って半笑いで言うみたいなね。それはぜんぜんレベルが低いものだから!

(荻上チキ)あれは乱痴気騒ぎだと。

(プチ鹿島)乱痴気騒ぎですよ!段取りすら、ちゃんとできてないし。

(南部広美)使わないでほしいと。

(プチ鹿島)使わないでほしいですね。プロレスっていうのは、もう真剣にものごとを伝えるものだと僕は思ってますんで。

(荻上チキ)だからその見方を積み重ねていく、その快楽っていうものを実はメディアの見方とか、あるいは政治の見方とか、いろんな見方の中でわかっていくと楽しい。その中でのガチ感をどうやって把握してくか。

(プチ鹿島)そうなんですよ。ちょうど僕、中学生の時にですね、僕は週刊プロレスっていうのを毎週、あと、月刊ゴングっていうのを買っていたんですけども。一方で、父親は週刊朝日と月刊現代っていうのを買っていたんですね。で、じゃあ柔らかい記事もあるじゃないですか。それで政治の記事とかも見てみて、やっていること、同じなんですよ。竹下派分裂とか、長州軍団分裂とか。基本的に政策じゃなくて、政局なんですよ。だから自分の中では政治もプロレスも、人が集まって離れていく。で、また新しい旗の下に集うっていうのは、竹下派も長州軍団も同じなんですよ。僕の中で。

(南部広美)それ、中学生の時の理解。

(荻上チキ)客の歓声を獲得するのか、票田を獲得するのかの違いだと。

(プチ鹿島)そうです。だから小沢一郎がまた地下に潜ってなにかを仕掛ける。これは長州力が次の東京ドーム大会のために他団体の選手を仕掛けるために地下に潜る。僕の中で、全く同じなんです。

(荻上チキ)潜り続けてね、出てこない人もいますけど。

(プチ鹿島)だから興行論として楽しむのがプロレスファンのひとつの見方でもありますよね。次のドーム大会、どういう興行で満足させてくれるんだろう?とか。

(荻上チキ)というわけで袋とじではね、教養としてのプロレス、伺っていきますよ。

(プチ鹿島)よろしくお願いします。

(CM明け)

(荻上チキ)TBSラジオをキーステーションにお送りしているセッション22。ここからはセッション袋とじ。本日のお客様はTBSラジオで放送中の東京ポッド許可局でもお馴染み、時事芸人のプチ鹿島さんです。よろしくお願いします。

(プチ鹿島)よろしくお願いします。

(南部広美)よろしくお願いします。今夜のテーマは『世の中の全てはプロレスで読み解ける?プチ鹿島プレゼンツ、教養としてのプロレス』。

(荻上チキ)あ、いい曲がかかりましたね。

(プチ鹿島)『SKY HIGH』。この曲を聞いて、『あ、プロレス。じゃあいいや。今日は』ってリスナーの方がいたとしたら、その方にこそ、聞いてほしいし、読んでいただきたい本を書いたんです。

(荻上チキ)ちょっと待ってね!と。こっからもうちょっとお付き合いをっていう。ずっとお付き合いをと。

(プチ鹿島)そうです。たとえばまあ、プロレスファンにも読んでいただきたいんですけども。それよりこの本を読んで、じゃあプロレスを楽しもう、好きになろうっていうことではなくて。僕が30年以上見てきたプロレスで学んだ、期せずして学んだことが、世の中に応用するとこれだけひとつのものの見方ができるんですよというのを、エッセンスをこの一冊にまとめたんで。ねえ、いまやっぱり忙しい人が多いですから。新書を読んで知らなかった部分を、でも自分の貯金にしたいっていう方にはいい本じゃないかな?っていう意味で書きましたけどね。

(荻上チキ)これ、ポイントはね、教養としてのプロレス入門っていう本じゃないんですよ。つまりたとえばドロップキックってこういうキックでねとか・・・

(プチ鹿島)一切書いてないですね。

(荻上チキ)三回、トントントンとやるとゴングが鳴るとか。そんな話じゃないんですよ。

(プチ鹿島)そんな話は一切書いてないです。誰と誰が仲が悪いとか。こういう抗争があってとか、一切書いてないですね。

(荻上チキ)団体名の歴史とかではなく。

(プチ鹿島)そもそも僕がいちばんこの本の肝になっているのが、僕が子どもの頃。1980年代、10才ぐらいからプロレスを見だしたんですね。で、その時っていうのはゴールデンタイムで放送されていたんで。20%ぐらい視聴率を取っていたんです。ということは逆に言えば、プロレスに興味がない一般の大人もプロレスと触れる機会が多かったんですね。で、『プロレスが好きだ』なんて言うと、『あんなもん、八百長だろ』とか、『あんなもん、ショーだろ』ってバサッと否定されるんですよ。で、僕それに対してものすごくコンプレックスを抱えていて。二十歳過ぎるまで、プロレスが好きっていうのは僕、黙っていたんです。

(南部広美)ええっ!?

(プチ鹿島)隠れキリシタン的な。本当に。だからあの、自分の中でもコンプレックスがあったんです。こんなものを好きでいいんだろうか?っていう。

(荻上チキ)ああ、好きだからこそ、否定されることが嫌だから。悶々とする。

(プチ鹿島)そうです。で、実際自分でもプロレスの胡散臭さとか、いかがわしさっていうのは十分わかっていて。で、自分の中でも疑心暗鬼、半信半疑なんですけども。それはやっぱり普通の大人にバッサリ切られると傷つくわけですね。でも、大人には傷つけられるんだけど、いざテレビの前で猪木を見ると、ものすごく、疑って見る時に限って、あやしい色気が発生するわけですよね。ひきつけられちゃうんですね。

(荻上チキ)色気。

(プチ鹿島)で、そこで考えたのが、もうプロレスが八百長とか真剣勝負とか、なにが真実か?とか、それはもう関係ないんだと。もう半信半疑でいいじゃないかと僕は思ったんです。半信半疑という気持ちでものごとを見たら、いちばんワクワクドキドキできるわけですよ。たとえばプロレスはもう絶対真剣勝負だ!っていう。そっちだけの、真に固まっていたら、それはそれで頭が硬直しちゃうし。プロレスなんて八百長だしショーだけど、これはあえて楽しむんだよみたいな、そこまでなんて言うのかな?型を崩しちゃうとやっぱり味気ない。パサパサになるんですよ。

(荻上チキ)はいはい。

(プチ鹿島)それよりは、『これ、一体どういう裏があるの?』とか。『面白いな』とか疑いつつ、半分信じて半分疑うポジションだと、こんなに面白いものはないっていうのを僕は自覚したわけですよ。それをものごとに、プロレスだけじゃなく、たとえばオヤジジャーナルですよね。東スポとかいろんなものを読み比べて、『これ芸能人スキャンダル書いてあるけど、どこまで本当なんだろうか?』とか。そういう読み比べをし始めたのが、全部応用できたのが半信半疑というスタイルですね。

(荻上チキ)やっぱりその、たとえば載る芸能ニュースもね、リークとかされたりとかっていうケースとか。あるいは、あるスキャンダルが発覚した時に、その写真をあえて他のスキャンダルを渡すことでそっちを報じないでくれっていうようなやりとりがあったりとか。そういったことって、どこにもやっぱり通じるものだったりしますよね。

(プチ鹿島)そうですよね。だから半信半疑を楽しむっていうのは、イコールグレーゾーンにいるっていうことなんですよ。イエスかノーか、いまなんか特にtwitterとかあるから。特にイエスかノーか、二項対立しかないですけど。このグレーゾーンにいると、意外とこう、自分の中で熟成してゆっくり考えて。これはどういうことなんだろう?っていう。『いや、でもな、猪木を信じよう』とか。『猪木、でも信じられないな』とか。そういう彷徨いつつ、でもグレーゾーンにいた方が、ものごとを見る方がちょっとワクワクするっていう。で、これ1995年にオウム真理教事件、地下鉄サリン事件っていうのがあってね。

(荻上チキ)はい。ありました。

(プチ鹿島)僕、当時25才で。ちょっと上の世代だったんですよね。僕より上の世代の人たちだったんですけど、だいたいまあ若者ですよね。あれを見て、僕本当に思ったのが、彼らはやっぱりプロレス心がないんだなと思ったんですよ。というのは、自分が信じるものをなんで世の中はわかってくれないんだ?ってこれ、僕がまさしく感じた、昭和から感じたプロレスファンの気持ちと同じなんですよ。で、そういう人って暴走しちゃうとどういうことになっちゃうか?っていうと、自分以外は全てバカっていう。これをわかってくれない世の中は、自分以外全部バカ。

(荻上チキ)ああ。

(プチ鹿島)最初は純粋な気持ちで必死に真面目に応援してるんだけど。信じてるんだけど。それを世の中がわかってくれないと、自分以外は全てバカってすごい傲慢に豹変するんですよね。

(荻上チキ)わかっている側とわかっていない側の二者しかいない。

(プチ鹿島)極端から極端に行っちゃうんです。グレーゾーンがないと。で、僕はやっぱりあの事件を見た時、『ああ、半信半疑の真ん中に立つ気持ちって大事だな』と思ったんです。たぶん、最初からオウムの信者だって、やっぱりこれは素晴らしいものだ!って。たぶらかされたにしてもですよ、思ったに違いないんです。でもそれがだんだんこう、なんで世間はわかってくれないんだ!?っていうのが突き詰めていくと、極端から極端に走ると、傲慢になっちゃうっていうのは、それは僕、プロレスで本当に味わっていたんで。なんでプロレス、猪木のあれをわかってくれないんだ!?って。世間はバカじゃないか?って。で、そういう時に登場したのが、UWFっていう新しい団体なんですね。

(荻上チキ)おお!

(プチ鹿島)猪木さんの弟子筋がやっている。たとえば前田日明さんとか。彼らがやったことは何か?って、いままでのいかがわしいプロレスっていうのを全部否定しますと。ロープに振っても返ってきません。キックと関節技、いわゆるいまの総合格闘技の原型なんですけど。そういう格闘スタイルをやりますって。

(荻上チキ)リアルだよと。

(プチ鹿島)だから僕は救われたわけですよ。それまで自問自答していたわけです。こんなもん好きでいいのか?って。でもなんかやっぱりこういういかがわしいもの、好きだなって思いつつ、プロレスの中で、やっぱり革新的な団体が出てきたんですね。それで僕も当時10代、二十歳ぐらいでしたから。そっちに流れたわけですよ。だから自分の中である意味、学生運動だったんですね。その時はもう学生運動なんてなかったですけど。で、この理想を追い求めたんです。要は頭でっかちのあれで。そしたらそれが分裂してしまうわけですよね。なんでこんな志の高い理想っていうのは、全て分裂してしまうんだろう?頓挫してしまうんだろう?っていうのを、僕はプロレスで散々見てきたんで。

(荻上チキ)ええ。

(プチ鹿島)だからその後、オウム真理教の事件が起きた時とか、『ああ、やってること、同じだな』って。で、僕は少なくとも挫折を覚えたし。で、彼らはやっぱり挫折を知らなかったと思うんですよ。ものすごくエリートの理数系の大学とかを出たわけですから。それでなんで自分たちのことをわかってくれないんだ!?この志をわかってくれないんだ!?っていう、あの挫折のない感じがね、『あ、プロレスを見てないからこうなったんだな』って、僕は本当に真面目に思ったんです。

(荻上チキ)それはいい考えですね。

(プチ鹿島)だから半信半疑の大切さを学んだんですね。グレーゾーンっていう。

(荻上チキ)私、あの文学を学部時代に学んでまして。その時に師匠が繰り返し言ってたのが、『文学を読むっていうことはテストパイロットになることなんだ』って言っていたわけですね。つまり、その現実社会とかいろんなものを解釈をいろいろする前に、文学で読んでおくことによって、文学を解釈しても誰も傷つかないと。なので実際の事件とかを解釈すると誰かを傷つける可能性があるから、そうしたことを考えるんだって言ってたわけです。最近、小中千昭さんっていう脚本家の方。ホラーの分野の方が、彼の『恐怖の作法』っていう本を出しまして。その中で、『恐怖映画っていうのは恐怖の予行演習をするメディアなんだ』って言っていて。

(プチ鹿島)なるほど。うんうん。

(荻上チキ)そこで恐怖をいろいろ味わっておくことで耐性をつけたいっていう人間の本能みたいなのがあるんじゃないか?みたいなのを書いていて。これも結構自分の中にスッとおりたんですね。

(プチ鹿島)そうですね。

(荻上チキ)だからプロレスを見ておくことが、ある種いろんな構図の中途半端なものとか、判断を保留にしなきゃいけないこととか、とは言え裏は何なんだろう?と問い続けることの、いろんな感情のロールプレイングになるんじゃないか?っていう。

(プチ鹿島)そうなんですよ。だからそのUWFっていう格闘技性をね、で、当時としては画期的なレーザー光線とかを演出で使うわけですよ。まあ、シャレてるんですよ。そんな難解でお洒落なものだったら、若者は飛びつかないわけがないんです。で、僕も飛びついたんですけども。で、それが団体が分裂したりする。ちょっと前の学生運動みたいなもんですよね。そうなるとやっぱり挫折を味わって。で、面白いもんで揺り戻しがきて、またジャイアント馬場さんがやっている王道プロレスがスゴい!ってことになったんです。それはつまり、やっぱり無駄なものってあったっていいじゃないかっていう。ロープに振るのを否定したりして、突き詰めていったけど、やっぱり無駄なものがあってプロレスって面白いじゃん!っていう揺り戻しがあったんですね。

(荻上・南部)うん。

(プチ鹿島)で、僕もそれに気づいたわけで。本当に無駄なものは、別に無駄なものじゃないんだって気づいたのが当時だったんです。で、一方でね、これ1991年だったと思うんですけども、『プロレス少女伝説』というのがですね、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したんですね。これ、井田真木子さんでしたかね。

(荻上チキ)権威ある賞ですよ。

(プチ鹿島)で、僕としてはうれしいわけですよ。プロレスの物語にスポットライトが当たって、権威ある賞を受賞した。まさに自分のコンプレックスが解消される。ただ、この時ね、立花隆さんっているじゃないですか。あの方が選考委員で。賞はあげたんだけど、こういうコメントを出したんですね。『私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思います』。

(荻上チキ)ほう!

(プチ鹿島)だからこんな賞をあげたけど、プロレスに情熱を傾けている少女の話なんて、世の中には必要ないんだ!っつって、ものすごく僕、傷ついたんですよ。

(荻上チキ)すごいこと言いますね。

(プチ鹿島)すごいこと言ったんです。この人。

(荻上チキ)差別ですよ。

(プチ鹿島)差別です。で、残念なことに、『でも立花隆の言っていることも、正直当たっているな』って。『だって俺、無駄なものを見てるもん。世の中の役に立ってないもん』って思ったんです。それがやっぱり、世の中の大人にバサッと切られるって、またここで改めて味わっちゃって。で、僕はずっと『でもなんか許せねぇ、立花隆!』って。でもね、そうは言っても大学生の時だったから、立花隆の著作も読んでいるわけですよ。

(荻上チキ))はいはい。

(プチ鹿島)『知の巨人』じゃないですか。面白いわけですよ。で、立花隆さんがやっているってことは、これは世の中に大切、これは世の中に必要ないって仕分けをして。ねえ。『宇宙からの帰還』とか。ものすごく読んでためになる本を書いてらっしゃるじゃないですか。だから、わかりやすく言えば無農薬野菜とか有機野菜を毎日食べて、世の中にいいものだけ、体にいいものだけしか摂取しない。それが立花隆さんなんですけど。でも僕は、やっぱり無駄なものがあっていいんじゃないか?人間っていうのは有機野菜だけ、無農薬野菜だけ食べて生活できるもんか?って思ったら、できないと思うんですよ。

(荻上チキ)うん。

(プチ鹿島)立花隆さんはそれ、できると思うけど。唐揚げとか食べちゃうでしょ?油ぎった。

(南部広美)カップラーメンとか食べちゃう。

(プチ鹿島)食べちゃうでしょ?それが僕は人間なんじゃないかって。ずっと僕、1人で、twitterもなかったから。大学生の時。悶々と立花隆の反論を考えたわけです。でね、その人間の無駄なものとか大いなる無駄をバッサリ捨てて見つめないで、やっぱり何が表現者だ!?みたいな。これ、若気の至りですけど。立花隆さんに対して思ったわけですよ。

(荻上チキ)はいはい。あれはあれで1つの知性の形ではあるけれど、1つの形でしかないですからね。

(プチ鹿島)そうそうそう。だからいわゆるプロレス=大いなる無駄で、それは立花隆さんから見ればそうなんだけど。でも、大いなる無駄なものを見ることによって、神は細部に宿るじゃないけど、学べることは。僕はずっとそれ以来思ってるんで。無駄を大切にしようよ!っていうのがこの本にも書いたんですけども。そっから学べるものってあるじゃないですか。学校では教えてくれないものよりは、プロレス会場で見た人間関係のだらしなさとか、そういうのを見る方が教養になったり。

(荻上チキ)複雑な相関図とか頭のなかに描けるようになったりとか。たしか、格闘マンガの『刃牙』というマンガの中でね、刃牙の親父とメシを食うシーンがあるんだけど。こう、『毒も食うけど栄養も食う』と。両方美味いと感じることが食うことなんだ、みたいなシーンがあって。それは立花隆への遠回しな反論ということになるんでしょうかね?

(プチ鹿島)だから立花隆さんの言ってることって、それは世の中の常識であり、大多数であり。それは当然そうなんでしょうけど。

(荻上チキ)通俗的な見方っていえば見方ですよね。それはね。

(プチ鹿島)でもやっぱり無駄なものを食べちゃう人がいるっていうのは認めないと。イエスかノーかでグレイゾーンがないと、それ、なにも面白くないじゃん?っていうのは僕は思いましたね。立花隆のこのコメントでずーっと考えたんですけど。大学生のころね。で、あともうひとつプロレスの見方で学んだことっていうのは、プロレスの中でもマイノリティーっていうのがあるわけですよね。弱者っていうのがいるわけですよ。

(荻上チキ)ほうほう。

(プチ鹿島)たとえばUWFだとさっき話した90年代初頭の格闘技でシュッとした強い人たちが集まった時に一方で何が出てきたか?っていうと、大仁田厚さんっていう方が一度引退して。それこそ格闘技とかのバックボーンもない人がもう一度プロレスをやりたい!っていうことで。で、知名度も人気もない。一度引退したおじさんだ。なにをやったか?って言ったら、デスマッチをやったんですね。泥と血と電流爆破とか。それはもう、ゲテモノですよ。プロレスファンの中でも、こんなのはゲテモノだ!って。

(荻上チキ)有刺鉄線とかでしょ?

(プチ鹿島)そうです。だって、みんな格闘技路線のUWFにワーッ!って走ってるんですよ。で、一方でそういうのが出てきたら、やっぱりそれが面白くて。ブレイクするわけですよ。だからこれ、ものの見方として、なにかこう、世の中がこれが主流ですよって言った時に、でも一方で対極になにが出てきているのか?っていうのをちゃんと見ておくっていうのはプロレスでならいましたよね。だから大仁田さん、真逆でしたから。でも20年たって、大仁田さんの知名度の方が下手したら上じゃないですか。

(荻上チキ)ええ。

(プチ鹿島)だから、それなんですね。それはその時は答えは出ないけど、20年、30年たってみるともうお互いUWFも大仁田さんのFMWも同じですからね。僕の中で。

(荻上チキ)だからメインのルートがあって、王道があって、それに対して傍流があったりとか邪道があったりしてって、いろいろ出てきて。たぶん時代を振り返ってみるとそれらが全部あったのがあの時代の王道で。それに対してカウンターが出てくるっていうのが繰り返されますからね。

(プチ鹿島)だからこれはさっき話しましたけども、安倍一強って言われてますけども、じゃあこれ、たとえば野中広務さんとかが、かつてのあれが蠢き始めたと。あ、またなんか動いているなと。いや、これ別に民主党でもいいですよ。なんか動いているなっていう時に小馬鹿にするんじゃなくて、ちゃんとその・・・だっていつこれが化けるかわからないわけですから。それをちゃんと最初から見る楽しさっていうのは、僕はプロレスで習いましたね。むしろ全く逆の方向も見ておくっていう。はい。

(荻上チキ)それがまた歴史の反復をしてね。ポシャる可能性も重々ありますけど。

(プチ鹿島)そうなんです。ポシャったらポシャったで、『俺、あん時あれ見たけどちょっと当てが外れたな』とか。それをまた語れるのがプロレスファンなんですよね。

(荻上チキ)その時にシニシズムにならないのは、普通の政治ウォッチャーとは違う態度ですよ。要するに『またどうせ分裂するんだろ?』っていうのは視聴態度として違うということですか?

(プチ鹿島)違いますね。だからいま何が蠢いているのか?っていうのを。それはもう癖で見るようになりましたね。

(南部広美)決めつけずにとにかく、それそのものを見て収めていくっていう。

(荻上チキ)その後、たとえば批判していたものに戻るっていうのもあり得るわけじゃないですか。

(プチ鹿島)そうですね。たとえばそっちのアンチ、反対勢力が政権交代なり、プロレス界で一山築けば、そっちにまた批判勢力が集まるわけですよ。そしてまた分裂してっちゃったり。それの繰り返し繰り返しを、本当それこそ90年代なんかね、政党の分裂とか新団体・・・新団体っていま言っちゃいましたけど。新党と新団体ってまったく同じなんです!

(荻上チキ)新党と新団体で(笑)。

(プチ鹿島)はい。90年代のね、非自民とか。あれなんか本当に団体が結集して1つのリングに集まったっていう。もう同時進行で僕、同じ価値で見てましたからね。

(荻上チキ)でもやっぱりこう、そういった起きていることの種明かしみたいなのをするための目線があるっていうことはいいですよね。私たちとかってたとえばテレビでも、PRIDEとか見ていたわけじゃないですか。で、なんで高田さんがあの時フンドシで太鼓を叩いていたのか?ってことを合理的に説明しろと言われると、誰も合理的になんて説明できないと思うんですよ。だって不合理の塊ですから、あの行為は。だけど、あれというのはたとえばかつてのプロレスとの距離感にあったものというのの中の緊張関係で、高田さんがあのタイミングで、PRIDEというある種のガチのものをアピールするために、ああいったある種茶番的なものを、あえてやるっていうことに驚きを感じる・・・

(プチ鹿島)だからフンドシ姿とか、高田延彦さんには僕はしみじみしましたよね。高田延彦さんっていうのはUWFが分裂した時に、三派分裂したんですね。その1つのUWFインターっていうところで初めて自分がトップに立って。エースになったんです。で、『最強』と謳いだしたんですね。で、とにかくやっぱりかっこよかったんですよ。で、かっこよかったんですけど、『でも高田最強じゃねーよな?』っていうのも、見ながら僕ら周りは見てるんですよ。でも、あえてこの時期に、プロレスがエンタメで明るく楽しくっていう流れになっている中で、最強っていうのを名乗って。たとえば猪木さんがやっていたいわゆるストロングスタイル。暗い、求心力のあるスタイルですね。それを、あえて復古的に復元し始めたわけです。

(荻上チキ)うん。

(プチ鹿島)だからそれに乗る楽しさがあって。ただ、やっぱりそれはかっこよすぎてかっこ悪かったんですよ。で、最終的に高田さんがどうなったか?っていうと、最強っていう旗印を掲げた手前、グレイシー一族っていうのが日本に来て、ヒクソン・グレイシーと雌雄を決することに追い込まれちゃうんですよ。で、あっさり1ラウンドでギブアップしちゃうわけです。超かっこ悪いじゃないですか。でもその中で、高田かっこ悪い!かっこ悪い!っていう中で、その数年後にフンドシで太鼓を叩くっていう。だから振り切れた、今度はかっこ悪すぎて、かっこいいんですよ。

(荻上チキ)ええ。

(プチ鹿島)『あ、高田やっぱりUWFインターの一連の二枚目路線があったからこそ、挫折したからこそ、いまこれができるんだな』っていう。ファン目線でいうと、『大人になったな、高田。かっこよくなったな!』って。かっこ悪すぎてかっこいいっていうのは、あのPRIDEのフンドシ、もしくはハッスルでの高田総統っていうキャラもあったんですけど。全く逆のことをやり始めたんで。それはちょっと前のかっこいい二枚目路線を走っていた高田延彦は受け付けなかったと思うんですよ。

(荻上チキ)その繰り返し、面白いですよね。そんなPRIDEで桜庭和志が、またこんどはグレイシー一族をハンターしていくということになる。

(プチ鹿島)そうです。もう本当に時系列で見ていくと、桜庭和志さんっていうのは高田さんの団体のいちばん若手。下っ端レスラーですよね。それがたまたま誰かが出られなくなったから、自分が代打みたいな感じで出たら優勝しちゃったっていうので、一気に桜庭を起点とした格闘技ブームが起きるわけですよ。

(荻上チキ)はい。でもシウバの膝蹴りでやられてっていうことも含めて。繰り返すんですね。

(南部広美)いやー、まだまだお聞きしていきたいところですけど。今夜、いらしていただきましたプチ鹿島さんの新刊『教養としてのプロレス』は双葉新書から現在発売中です。

(プチ鹿島)あ、明後日(8月6日)発売です。

(南部広美)明後日ですか?

(プチ鹿島)そうなんです。ありがたいことに二日前に出させていただいて。だからこれ、セッション出るのもあって、これもハッタリなんですけど、現代思想部門で1位になっています。いま。

(荻上チキ)(爆笑)

(南部広美)すごーい!

(プチ鹿島)これね、僕がプロレスで学んだエッセンスだと思うんですね。ハッタリ重要だぞ!っていう。

(荻上チキ)逆に、現代思想を割と出身の一部として持っている僕としては・・・(笑)。

(プチ鹿島)でも1位なんだからしょうがないじゃないですか!

(荻上チキ)しょうがないよ。現代思想が不甲斐ない。

(プチ鹿島)日刊ゲンダイの『ゲンダイ』じゃないですよ(笑)。今日ね、ゲンダイ師匠のお話もしたかったんです。野次のね。ゲンダイと東スポを読み比べていくと、野次のもう一人の犯人が読み比べるだけでわかる!っていう。それもプロレスの読み比べの面白さで。まあ、また機会があれば。

<書き起こしおわり>

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