ケント・モリと西寺郷太 マドンナ マイケル追悼ステージを振り返る

ケント・モリと西寺郷太 マドンナ マイケル追悼ステージを振り返る 西寺郷太TAMAGO RADIO

ダンスアーティストのケント・モリさんがTBSラジオ『西寺郷太TAMAGO RADIO』に出演。ケントさんがロンドンO2アリーナで踊った伝説のマドンナ マイケル・ジャクソン追悼ステージについて、改めて振り返っていました。

ケント・モリと西寺郷太 マドンナ マイケル追悼ステージを振り返る

(西寺郷太)ここからは、『音楽教えてカパチ先生』。毎週ゲストをお迎えして、様々な角度から音楽の魅力を掘り下げていくコーナーです。今夜のゲストはダンスアーティストのケント・モリさんです。よろしくお願いします。

(ケント・モリ)よろしくお願いします。

(西寺郷太)いやいやいや、ようこそいらっしゃいました。

(ケント・モリ)ようこそ呼んでいただきました。

(西寺郷太)基本的にはロスアンゼルスに自分の家はあって、そっから世界中を、ツアーとかいろんなことしながら回っているという状態なんですよね?

(ケント・モリ)そうですね。

(西寺郷太)で、日本でも結構ワークショップをやってますよね。ダンス、いろんな土地に行ってダンスを教えられて。やっているというケントくんがここにいま。TBSに来てくれたということで、非常にうれしく思っています。よろしくお願いします。

(ケント・モリ)よろしくお願いします。

(西寺郷太)いや、でもまずケント・モリさん、ご紹介しますとですね、知っている方、多いと思いますけども。ダンスアーティスト。この呼び方も、ケントが、あれですか?いわゆるダンサーっていうのじゃなくて、こだわりを持って?

(ケント・モリ)そうですね。あの、まあその世の中的に僕が感じたのは、まあダンサーっていうのは僕は本当にアーティストだと思っているんですけど。なかなかそういう感覚というか、そういう風に認知されていないなと感じていたので。それを逆にダンスとアーティストっていうことで、くっつけることで、いまからダンスに触れてくれる人だったりとか、そういう人たちに開眼させられるかなと。そういった風に、まあ変な意味じゃないですけど、エデュケーションというか。それを知ってもらえるかな?と思いまして。だから、あえて僕はその名前を。

(西寺郷太)ダンスアーティスト。はい。あの、ケントくんはですね、愛知県出身で、1985年3月生まれ。3月3日。耳の日(笑)。

(ケント・モリ)はい(笑)。ひな祭り。

西寺郷太とケント・モリの出会い

(西寺郷太)ひな祭り(笑)。それで、僕とケント。まあ、ケントって言ったりケントくんって言ったり。まあ、ケントっていってるかな?いつも。の、出会いは、先ほどもちょっと話したんですけど、マイケル・ジャクソンさんが亡くなられて。それで、『This is it』っていうライブをやられようとしていたのが・・・もうすぐ5年ですよ。その頃に、ちょうど5年前のいまごろですよね。『This is final curtain』ってマイケルが言って、世界中からダンサーが集まって、オーディションをしていた。で、その中にケントくんも入っていたと。This is itの映画の中で行列シーンみたいなのがありますけど。

(ケント・モリ)はい。

(西寺郷太)で、僕はそのオーディションに。マイケルのThis is itのオーディションにモリ・ケントというダンサーが受かったっていう情報をネットで見つけたのが最初なんですよ。

(ケント・モリ)それがすごいですよね(笑)。ちなみに、後で分かったことなんですけど、郷太さんと話してて。僕の当時のアシスタントが書いていたブログですよね。それを当時、まだMyspaceだと思うんですけど。まあ、本当にダンスの世界ってなかなか情報量が少ないといいますか。本当に世界大会優勝したりとか、いろいろこう、大きなオーディションに受かったダンサーがいたとしても、あんまり知られない中。それにちょっと思った僕の当時のアシスタントが、僕のそのエピソードをブログに書いてくれて。

(西寺郷太)あれ、何月ぐらいに書いたんですかね?彼女。

(ケント・モリ)あれは、直後だったと思いますね。

(西寺郷太)受かってから。じゃあ、その時に、この話もいろんなところでされてますし。でもいちばん最初、僕が担当させてもらっていた『(小島慶子)キラ☆キラ』というTBSのラジオの番組で、そのマイケルが結局亡くなったと。で、マドンナ。いわゆるライバルで、同い年だったマドンナのステージにケントくんはマドンナのダンサーとして当時、契約していて。で、まあいろいろあって、マイケルのオーディションに受かったんだけども、マイケルが選んだんだけども、マドンナが『私の契約があるわよ』って言って、マイケルの方に行けなかったと。

(ケント・モリ)はい。

(西寺郷太)で、世界ツアーをマドンナと回ろうとしてたら、そういう出来事が起こったのでマドンナが『ケント、マイケルの追悼ダンスを踊りなさいよ』って言ってくれたんですよね?

(ケント・モリ)そうです。

(西寺郷太)それで、あの、あれは7月の上旬だったと思いますけども。世界中にその『マドンナが追悼した!』っていうことでケントのダンスがドーン!と流れて。で、各種日本のテレビは、あの当時ですよ。いちばん第一報は『マイケルのそっくりさんが、似てるダンサーが踊った』みたいな、だけの情報だったんですよ。で、僕がこのTBSのラジオで担当されてもらっていたから、『いや、あれは日本人のケント・モリっていうダンサーで、マイケルとマドンナが取り合ったダンサーだ』っていうことを説明して。そしたら、ケントのお父さんとお母さんも喜んでくれて(笑)。

(ケント・モリ)いやー、本当に僕の記憶では郷太さんがそこで、メディアに対してというか、そこのラジオをきっかけに言ってくれなかったら、たぶん誰も知らずに。それが日本人だっていうこともたぶん知らずに。僕は当時、マドンナのダンサーでしたけど、それを取り上げられることもなかったですし。知られることすらないといいますか。

(西寺郷太)でも、あのマドンナのダンサーもたくさん日本人、いましたよね?

(ケント・モリ)ええと、僕と、初めの年。2008年は僕とはむつんサーブの2人が。

(西寺郷太)会ったこと、ありますよ。

(ケント・モリ)あります?で、その2人と僕と3人ですね。が、オリジナルでやっていて。で、その後はむつんサーブの2人がちょっと他のプロジェクトということで2009年、参加できないということになり、また2人。本当、それこそ日本ですごい活躍しているTAKAHIROっていうダンサーと、あともう1人。Mahoっていう。その2人が代わって入ってきてっていう。だからスイッチになっているので、常にいたのは3人なんですけど。

(西寺郷太)はいはい。でも結局、マイケルのライブが突然始まっちゃうからみんな困ったわけですよね。ダンサーっていうのは。いわゆるトップアーティストの場合は、1年とか半年とか2年とか、世界中のツアーの間、契約をするんですよね?

(ケント・モリ)そうですね。専属ダンサー契約という形で。

(西寺郷太)というのは、他の仕事が入ってもこれは断らないでねっていう。

(ケント・モリ)そうですね。もう、これはなんていうんですか?自分の専属的に雇うといいますか。

(西寺郷太)それで、まあマドンナに選ばれるっていうのはとにかくダンサーとしては相当トップクラスというか。世界の最高レベルですよね?

(ケント・モリ)僕はそう思いますね。

(西寺郷太)それで選ばれていたのに。困りました?あの時は。あの、マイケルがファイナルカーテン、やるぞ!って。今年の7月、やります!って言ったんでしょ?

(ケント・モリ)あの・・・うれしい悩みですけど。当時はうれしいっていう気持ちすらないというか。なんで俺は・・・って思いましたよね。なにを、まあ、そのね。本当にこれはタイミングなので。その未来を読めたら、マイケルのオーディションがあるなんてわかっていれば、もちろんその延長の。2009年の1年間の専属契約もしなかっただろうし。

(西寺郷太)あ、2008年でまず1回、終わってたんですか。契約は。

(ケント・モリ)1回終わってたんです。で、そのはむつんサーブなんかは自分たちのプロジェクトということで契約を延長しなかったんですね。で、彼らはよかったと思うんですけど。僕はその、していたので。

(西寺郷太)でもちょっとその前で言うと、愛知県でダンスをはじめて、それからなんでまずそのロス・・・アメリカに行くまでっていうのはどういう状況だったんですか?やっぱり日本でも活動されてたんですか?それか、ポン!ってもうアメリカにいきなり行ったんですか?

(ケント・モリ)活動してたと言ってたら、本当にしてなかったに等しいぐらいなんですけど。当時大学生で。大学は一応、3年間行ったんですけど。まあ、残り1年っていうところが正直、僕にとっては待てなくて。人生を変えたいっていう思いで行ったんですけど。日本でも別にやってなかったっていうことではないんですけど、なんかこう、なんていうんですかね?学ぶのであれば、自分の本当に学びたいと思う本場で、そういう本当に世界最高レベルのところから学びたいという。自分は本当に小さいころからMJをはじめね、いろんなグレイトアーティストたちのステージだったり音楽を聞いて育ってきて。もう、二番煎じのものはもらいたくないっていうか。

(西寺郷太)ああ、もういちばん最初の、いちばんすごい人とやりたいと。

(ケント・モリ)そうですね。から、エデュケーションされたいというか。

(西寺郷太)いや、でもそれにしても、ちょっとまず僕たちもいわゆるマドンナの追悼ステージでこの曲の部分もあったと思うんですけども。ちょっと僕がマイケルの曲もたくさん好きな曲、あるんですけど。その中でもダンサブルなマイケルのひとつの象徴のような曲を選んだので、1回聞いていいですか?これをまず。

(ケント・モリ)もちろんです。

(西寺郷太)マイケル・ジャクソンで『Another Part of Me』。

(西寺郷太)はい。マイケル・ジャクソンで『Another Part of Me』。この曲はスリラーが出て、その後、マイケルがBADというアルバムを作る。本当にBADの初期に作られた曲で。ディズニーランドのキャプテンEOのテーマ曲。エンディングでもかかっている曲ですけども。そのマドンナの追悼ステージで3曲かな?メドレーになっていて。ケントが登場するんだけど。その時の1曲目がビリージーンで始まり、一瞬、このAnother Part of Meが挟まりつつの、Wanna Be Startin’ Somethin’でしたっけ?

(ケント・モリ)そうです。

(西寺郷太)この3曲の流れの中で。

(ケント・モリ)に、なりましたね。

(西寺郷太)これ、どういうことでこれらの曲?マドンナが選んだんですか?

(ケント・モリ)彼女も含め、本当にマイケルのシグニチャーになる、そしてその時の世の中のムードというか。マイケルを想う気持ちっていうのにいちばん相応しい曲ということで、そこにいた彼女のチームとやったんですけど。まあ、聞いているみなさん、見えないと思うんですけど、この帽子。いまかぶっている帽子。これ、その時。僕が踊っていた時にかぶっていた帽子。

(西寺郷太)あ、2009年の?O2アリーナで?

(ケント・モリ)(笑)。を、僕はね、あれ以来一度も出してこなかったんですけども。

(西寺郷太)マジで!?

(ケント・モリ)今日、郷太さんに会うので。僕はこの帽子をね、持ってきましたよ。

(西寺郷太)すげー!いま、ゾクッときたわ!

(ケント・モリ)本当にこれ、世の中で1個しかない帽子で。

(西寺郷太)あの時の。いや、でもやっぱりもちろんマイケルがなくなるなんてことは誰も想像・・・僕もあれでずいぶん人生変わったというか。本当にケントとの出会いも、それもあったと思うんですけどね。でも、あの瞬間のケントの思い。それこそ、まあ言えば、変な話ですけど、マドンナのツアーが終わって、またもう1回、マイケルがあのツアー。This is itも長く予定されてましたから。マドンナとの契約が終われば、選ばれていたマイケルのところにもう1回、トライしようみたいな思いもあったと思うんですよ。

(ケント・モリ)はい。

(西寺郷太)その中で、いちばん踊りたかった人の、断った中でのあの訃報で。そしてマドンナから『ケント、行きなさい』って言われたっていう。もう、話しているだけでゾクッと来ますけどね。どんな思いだったんですかね?あの時は。

(ケント・モリ)なんかね、まあいろんなことが起きて、あのステージを迎えたんですけど。まあ、なんか本当に感謝の気持ちと、僕に出来る事を全身全霊で全うさせてくださいっていう気持ちで。いま、本当振り返ると荒い踊り方してるとは思うんですけど。でも、あの時の気持ちっていうのは、なんて言うんですかね?あふれ出る思いとともにっていう感じで。なんか宇宙まで届け!みたいな感じで踊っていたのをすごく鮮明に覚えていて。で、本当にあれの後、19ヶ国でずっとやっていく。その1回1回が・・・

(西寺郷太)意外と知られてないんだよね。あの1回だけじゃないんですよね。

(ケント・モリ)そうなんですよ。それを1回だけの予定が、彼女がこれを本当にキープして。最後までやりたいっていうことでやっていったことが、なんか僕の人生の節目にもなったし。やっぱりその、ハートで全てはつながっていくんだっていう風な思いに僕はなっていったと本当に思ったので。いまの活動にもつながっていますし。本当に僕にとってはかけがえのないステージだったなという風にですね。

(西寺郷太)いやー、本当に僕もあのビデオ、何度も見ましたけども。まあ、マイケルがMotown 25で初めてムーンウォークしたみたいな。その時のムーンウォークよりも後々のムーンウォークの方が長かったりキレイだったりするんだけど。やっぱりあの、ケントの踊った、特にマドンナに指名されてっていうあそこのストーリーも含めて、非常に感動的なダンスだったなと思うんですが。

<書き起こしおわり>

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