都築響一が東京右半分に惹かれた理由『若い人が右半分に移っている』

都築響一が東京右半分に惹かれた理由『若い人が右半分に移っている』 TBSラジオ

都築響一さんが2012年3月にTBSラジオ『柳瀬博一Terminal』に出演した際の書き起こし。まずは都築さんがなぜ東京右半分に興味を持ったのか?について語っています。

(柳瀬博一)TBSラジオ『柳瀬博一Terminal』。柳瀬博一と・・・

(南部広美)南部広美がお送りしております。さあ、続いては現場の動きから明日へのヒントを探る『The point of view』ですけれども。

(柳瀬博一)春になるとですね、地方から東京に出てきたり、あるいは引っ越したりって人がいっぱいいらっしゃる)

(南部広美)人が動く時期ですもんね。

(柳瀬博一)南部さん、最初に東京住んだの、どちらでした?

(南部広美)私は、左半分になるのかな?高幡不動というところです。

(柳瀬博一)高幡不動。左も左です。相当左ですね。で、いまでも左半分ではなくてですね、東京の東側が、東京スカイツリーが押上にできちゃったりして、注目されています。で、この右半分ってなかなかメディアで取り上げる機会ってなかったんですね。そんな中ですね、ここにですね、一冊の本があります。その名も『東京右半分』。重い!値段も6000円!

(南部広美)6000円ですもんね。

(柳瀬博一)ページが576ページ!オールカラー。ほぼ。その本を作られたのが、今日ご紹介する編集者で写真家の都築響一さんです。こんばんは。

(都築響一)はい。よろしくお願いします。どうも。

(柳瀬博一)よろしくお願いします。

(南部広美)よろしくお願いいたします。

(都築響一)すいません。右半分っぽくない値段で。

(柳瀬博一)(笑)。ちょっと、あれですよね。2軒ハシゴしたと思えば。

(都築響一)いや、もうスナックだったらね、一晩分っていうかね。ボトルキープはできないっていう値段ですからね。

(柳瀬博一)そしたらもう、ボトルキープしたと思えば、お釣りがきますよね。

(都築響一)安いと思うんですけど、人はね、洋服とかには金を払うが、本には払わないっていうですね。

(柳瀬博一)困ったもんですね!だんだん我々の業界の・・・

(都築響一)愚痴が(笑)。

(南部広美)出版業界の。こう。

(都築響一)でも、楽しくやらせていただいた本なんで。ぜひお読みください。

東京右半分とは?

(柳瀬博一)で、都築さん。東京右半分。そもそもこの本は、東京の山手線の、しかも右側ですよね。上野から駒込、田端とか。あるいは東北線の赤羽のあたり。の、まさに東側。低い土地の方ですよね?

(都築響一)そうですね。低いっていうか、本当に、隅田川の向こうとか、そういうあんまりいままでメディアで取り上げられないっていうかですね。

(柳瀬博一)で、都築さんがその名も東京右半分。これ、もともとインターネットで連載を・・・

(都築響一)そうです。この出版社は筑摩書房ってところなんですが、WEBマガジンとして連載をはじめて、2年間やってましたね。毎週。

(柳瀬博一)いや、実は私はディープな読者で。ずっと(笑)。読んでたんですけど。

(都築響一)ありがとうございます。

(柳瀬博一)で、そもそもなぜ右半分に注目をされたんでしょうか?

(都築響一)僕はもともと左半分で生まれ育って遊んでたみたいな感じなんですが。

(柳瀬博一)東京の割りと真ん中ですよね。都築さんは。

(都築響一)そうです。で、やっぱりね、職業柄っていうとあれですけど、港区だったり、そういうところがね、仕事先でも多かったんですけども。で、右半分のことをよくわかんなかったんですね。で、下町情緒っていうのが嫌いなんですよ。僕は。

(柳瀬博一)ここんところ、実はここ十年、流行りのキーワードで言うと、『谷中・根津・千駄木』。谷根千ブームがあったり。

(都築響一)はい。あのかわいい町家みたいな話で。嫌なんですよ。

(柳瀬博一)えっ?嫌なんですか(笑)。

(都築響一)なんか、婆さんみたいな着物きて歩く若い子みたいなやつとかですね。

(柳瀬博一)ダメ?あれ(笑)。

(都築響一)ぜんぜんダメですよ。それからあとなんか路地に植木鉢並べてどうのこうのみたいなですね。プライバシーゼロの暮らしっていうのが・・・いや、別にいいんですけど、僕としては魅力を感じなかったんですね。で、あとは本とか雑誌とかテレビとかでも、下町っていうと必ず・・・なんですか?昔からやっている洋食屋さんのおいしいオムライスとか、そういう話しか出ないじゃないですか。

(柳瀬博一)そうですね。

(都築響一)ねえ。なんかお菓子屋さんとか。本当、そういうの全く興味がなかったんですけど。数年前からですね、僕が付き合う若いカメラマンとかデザイナーとか編集者とかがどんどんあっちへ移ってるんですね。

(柳瀬博一)あ、右半分に。

(都築響一)そう。それは彼らが下町情緒が好き、とかじゃなくて。安いからなんですよ。

(柳瀬博一)あ、まず値段が安い。

値段が安い東京右半分

(都築響一)まず同じようなサイズの場所を借りるのに、杉並とか世田谷よりもぜんぜん安いと。しかも、いま地下鉄の乗り入れとかがどんどん便利になったので、たとえば都心に出るのに、高円寺・阿佐ヶ谷みたいな中央線沿線に住んでいるよりも、浅草とかあっちに住んでいる方がぜんぜん早いっていうか。自転車で行けちゃうっていうですね。

(柳瀬博一)実は近いんですよね。墨田区近辺も、銀座・東京むちゃくちゃ近いですもんね。

(都築響一)そう。近いです。だからすごく便利で。そういうことに気がついて。全く経済的とか地理的なことだけで移ってくる人がすごく増えたんです。だから面白いと思ったんですね。だから、そうすると、その人たちのための店ができたりとかね。そうやって町がデベロッパーの思惑とは別の形で発展してきてるんで。これは面白いなと思って歩きたかったんですけど。でも、どこもやってくれないので、自分がやむを得ずやったっていうのですね。

(柳瀬博一)いちばん最初に右半分。探訪されたのはどこだったんですか?どのあたりから?

(都築響一)湯島・上野・浅草へんですね。

(柳瀬博一)あ、なるほど。

(都築響一)特に浅草なんかは、10年前ぐらいだといちばん寂れていた時代ですよね。夕方になるとお店も閉まっちゃって。で、これをやるようになって、2・3年前から精力的に夕方遊びに行くと、すごい変わっているのにびっくりして。昔からの店は早く閉めちゃうんだけど、その後にこそこそ出てくる人たちがいてですね。夜中から朝までやっているバーがすごい増えたりとか。それもこう、ちょっとわかんないような形で営業してたりとかですね。全く観光客向けじゃない、地元の若い、新しいジェネレーション向けの店っていうのが飲み屋に限らず、洋服屋とか、いろんなものでも。あと、クラブとかですね。

(柳瀬博一)クラブ!?

(都築響一)クラブもライブハウスもありますし。そういうのがバンバン出来てきているので。あ、これはなんか認識不足だったなって気がすごいしました。

(柳瀬博一)この前、あの編集者の石黒謙吾さんが出た後に、一緒にイベントを。浅草のアミューズミュージアムでやらせていただいたんですよ。アミューズさんのやっている。あそこなんかも、面白いですよね。

(都築響一)あそこは月に・・・あれですからね。竹の子ナイトとかやってますからね。

(柳瀬博一)竹の子族の!?

(都築響一)元・竹の子族の人たちが大事にとっている衣装を着て、当時のジンギスカンみたいな音で、当時のステップで踊りまくるっていうイベントとかやってますよ。最高に楽しいですよ。

(柳瀬博一)この本でも紹介されてましたけど、青森のボロの、手で触れる博物館やってたりするのとか。

(都築響一)はい。いちばん貧しい農民たちの労働着っていうのはすごいパッチワークでキレイなんですけども。それを青森の人はいちばん貧しい、恥ずかしいと思っていて。刺し子とかはね、民芸品として展示するけど、そういうのに出さなかったものを1人だけ生涯かけて集めてきたおじいさんがいて。それをアミューズの会長さんが青森出身ということで、共鳴して。それで博物館を作ってですね。やっぱりテキスタイルだから触ってもらわないとダメだっていうことで、ちゃんと触らせるっていう。ねえ、普通の学芸員たち、反省しろ!っていうね。素晴らしい展示をやってますよ。

(南部広美)へー!

(柳瀬博一)そういえば、浅草といえば縁がありますよね。南部さん。

(南部広美)なんで、そういう振り方を・・・いきなり、無茶ぶりっていうんですよ。それ。知ってます?最後だからいいけど(笑)。浅草サンバカーニバルに私、出てた。すごい若い頃に、結構踊っていて。

(都築響一)サンバ体型ですもんね。

(南部広美)すっごい都築さん、いまニコニコしながら。あんな顔(笑)。

(都築響一)いやいや、超褒めてるんですよ。

(南部広美)でも、20代前半の頃ですから。いま、もう2度と衣装なんか着れないですけど。その頃はすごい活気があって。やっぱり浅草・・・なんて言うんですか?住んでいる人たちがこう、みんなあったかいっていうか。商店街のおばちゃんたちも応援してくれたりとかね。

(都築響一)そうですよね。

(柳瀬博一)面白いのは、でも都築さん。そういう昔から暮らす人と、東京右半分読んで思ったのは、その谷根千はある種の観光ですけど。これは実際に若い連中も含めて、どんどん新しい奴も含めて、住んでいる奴らの話ですよね。

(都築響一)そうですね。だから昔からの、とか老舗の、っていうのは1個もないので。新しい人が入ってくるのは、難しくもあるんですよ。浅草だって、もともと保守的な土地柄ですし。

(南部広美)すごい敷居は高いイメージはあるんですよ。

(都築響一)最初に入ってきた若い子たちはずいぶん苦労したみたいですけども。だからね、年月をかけてだんだん定着してきてっていうこと。だから先駆者の苦労が結構ありますね。

(南部広美)それによって、どんどん人が入りやすくなったっていうか。

(都築響一)そうですね。やっぱりいま、シャッター商店街とかいろいろあるじゃないですか。下町に限らず。こう、大きなお店ができてね、昔ながらの商店街に人が来なくなるっていうのは半分であって。もう半分はやっている人たちの閉鎖性っていうのもありますよね。だけど、空いちゃってるからしょうがないっていうんで、金はないけどとにかく安くて広いところがほしいっていう人が、それを乗り越えて入ってきて、だんだんそれが波となるっていうのが正しい発展のしかた。

(柳瀬博一)人が入ってくるっていうことですね。僕もよく覚えているのが、80年代の半ばぐらいによく、浅草に、名画座に行ったんですけど、シャッター商店街化して、ちょっと寂れていた時があったんですよ。

(都築響一)はいはい。いまでもそうですよ。あのへんは。六区のへんは。

(柳瀬博一)六区。ちょっと残ってますよね。で、あの地方に行くとシャッター商店街化しかねないところが、こうやって新しく人が入ってくるっていうのは、やっぱり東京って人がいるからってことなんですかね?

(都築響一)まあ、それもありますし、浅草がそう、開発も進んでないっていうのもあるのと、巨大な、たとえばユニクロの10階建てのビルなんかができないのは、やっぱりあの、地主が1人なんですよ。

(柳瀬博一)ええっ!?

(都築響一)浅草寺さんなんですよ。

(柳瀬・南部)あー!

(都築響一)なので、切り売りされないっていう面もありますよね。

(柳瀬博一)なるほど。

(都築響一)特にあの、真ん中へんはね。だからそういうことで、保たれている部分もあると。

(柳瀬博一)うーん。ああ、面白いですね!そんな、むしろ懐古ではなく、観光でもなく、いまの右半分のライブな動きが面白い。そんな右半分の次はですね、ワールドワイドな側面を、曲の後にお伺いしたいと思います!

<書き起こしおわり>

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