兵藤ゆき・玉袋筋太郎 『天才たけしの元気が出るテレビ』を語る

兵藤ゆき・玉袋筋太郎 『天才たけしの元気が出るテレビ』を語る たまむすび

兵藤ゆきさんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。玉袋筋太郎さんと、伝説の番組『天才たけしの元気が出るテレビ』の思い出を語り合っていました。

(小林悠)そして、これも聞きたいんですけど。『天才たけしの元気が出るテレビ』、お出になってたんですけど。その時、玉さんは?

(兵藤ゆき)玉さん、立ってましたよね。いっつも。たけしさんの横で。

(小林悠)覚えてます?

(兵藤ゆき)覚えてますよ。まだ若くて。2人でね。

(玉袋筋太郎)そうです。

(兵藤ゆき)水道橋さんと2人。玉ちゃん。

(玉袋筋太郎)浅草キッドは、ダンカンさんの付き人もやっていたので。で、うちの博士が元気が出るテレビの放送作家みたいなこと、やらせてもらってたんで。毎週毎週。麹町で。

(兵藤ゆき)そう。たけしさんについて。若い衆がギャッ!といらっしゃったんで。で、まあ収録が終わってからみんなでご飯食べにね、行って。お寿司屋さんとか。当時、『時価』って書いてあるお寿司屋さんでね。値段がわかんない。

(小林悠)怖い怖い!

(玉袋筋太郎)そうそうそう。

(兵藤ゆき)これをあの、財布が立つ松方さんが。

(玉袋筋太郎)出た!松方さん!ダイナミックでしたねー。

(兵藤ゆき)松方さんね。

(小林悠)あ、松方弘樹さんですか!

(兵藤ゆき)松方さんがね。だから、玉ちゃんとか水道橋さんとか、要するにたけしさんの、当時お付きの人たちも、『好きなもの、食え!』って言って。最後、札束で立つ財布を、パン!と。『あ、立ってる!財布が!』みたいな。

(小林悠)ひえー!

松方弘樹からの差し入れ「松茸100キロ」

(玉袋筋太郎)松方さん、だからあん時、うちの師匠が荒木町で北野屋っていうのを始めて。お店。割烹を始めたんだよね。自分が飲みたい店を作りたいっつって。そうすると松方さんからドン!と京都から差し入れが来るんだけど。松茸100キロだからね。松茸100キロ!だから、焼いて、土瓶蒸しして、なんだ。割いて食ったりとかするんだけど。最終的に100キロあるから、なにしていいかわかんねーから。板さんが思わず、松茸のカレーを作ったっていうね。

(兵藤ゆき)(笑)

(小林悠)もったいない!

(玉袋筋太郎)『松茸カレーでいいだろ』っつって。

(兵藤ゆき)贅沢だね!

(玉袋筋太郎)贅沢な時代でね。まあテレビも。景気も良かった時代ですからね。もう、だからなんですか。年度末とかああいう時に、暑気払いみたいの、やるんですよ。でっかいところを借りて。もう、そん時の商品とか、すごい商品だったよ。お金も、なんか。

(兵藤ゆき)出た!じゃんけん大会ね。

(玉袋筋太郎)あれ、言っていいんですかね。

(兵藤ゆき)じゃんけん大会。いやいや、商品ですから。でも商品、うちもスタッフの子でも、ビデオデッキとか当たってましたよ。

(玉袋筋太郎)そうよ!博士なんかスクーター当たっちゃって。俺なんか、25万のネックレス当たっちゃって。そしたらうちの師匠が『おう、お前それ、20万で俺に売ってくれ』なんて言って。

(兵頭・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)18万で。『師匠だから2万まけます』なんつって。やったりとか。でも、すごい企画やってましたよね。姉さん。

(兵藤ゆき)テレビが本当に制作費を使ってましたからね。7・8分のビデオを・・・どうだろう?制作費、800万くらい使ってたんじゃないの?

(玉袋筋太郎)使ってたんじゃないですか?

(兵藤ゆき)すんごい。人も多かったけど、機材だって。だって、大仏魂(だいぶっこん)、中国まで持ってったんだから。

(小林悠)大仏魂ってなんですか?

(玉袋筋太郎)デカい大仏が。歩く大仏を大仏魂っつって作って。それ、中国まで持って行っちゃったりうとか。

(小林悠)船かなんかに載せたんですか?

(玉袋筋太郎)載せたんだろうな。

(兵藤ゆき)まあ、バラバラにしたんですけどね(笑)。でも、いろいろと、いま芸能界で活躍してらっしゃる方とか、いわゆるスポーツ選手なんかをね。そっから発掘して、デビューして世界チャンピオンになった飯田覚士くんとか。ボクサーね。世界チャンピオンになったりとか。あと、岡田准一くんでも、ジャニーズ予備校から出てきたしね。

(玉袋筋太郎)そうだ!

(小林悠)そうなんですか!?

(兵藤ゆき)いま、もう言ってもいい。国民的アイドルでしょ?いま、もう言ってもいいけど、昔X。

(玉袋筋太郎)Xですよ!

(兵藤ゆき)Xもね、やってたし。

(玉袋筋太郎)早朝ヘビメタですよ!

(兵藤ゆき)ピザ配達して火、吹いたりして。『あったけーの、持ってきたぜ!』って。

(小林悠)(笑)

(兵藤ゆき)そうだよ。たけし軍団が寝てるところにいきなり早朝でダダダダダッ!っつって。Xがバーン!って。早朝ヘビメタで。で、東さんがYOSHIKIと取っ組み合いになっちゃって。大変だったんだよ。うん。

(兵藤ゆき)でも、あれ一時ね、言っちゃいけなかったんだよね。Xは元テレに出てたことは言わないでくださいって。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)イメージの問題なんでしょうか。

(兵藤ゆき)プロフィールの中に書かないっていう。あ、でもいまはね、OKっていう。

(玉袋筋太郎)週、どのぐらいロケに行ってました?

(兵藤ゆき)私は土日ですね。最初、高田純次さんと2人でロケに出たので。あれは元気が出る商事っていう会社で。私と高田さんは営業マンで、部長が松方さんで、社長がたけしさん。で、秘書が木内みどりさんって役目は決まってたんですね。だから、やりやすかったですよね。

(玉袋筋太郎)それがだんだんめちゃくちゃな方向になっていってね。早朝ニードロップとかさ。早朝バズーカとかさ。早朝シリーズも、テリー伊藤さんが新聞見てて。『早朝ソープ』っつーのがあったんだよ。早朝ソープっつー記事をみて、『これだ!早朝シリーズだ!』っつって始まったのが早朝シリーズっていう。

(小林悠)あ、早朝と合せて違和感のある言葉と組み合わせて、いろいろチャレンジしたってことなんですね。

(兵藤ゆき)ボツになった企画もいっぱいあったんですよね。『東大生の血液を輸血すると、頭がよくなるのか?』って。ボツですよ!あと、『布団圧縮袋に入れたら何分持つか?』とかね。やってないですよ。やってないです。そういう企画も出たりとかして。さすがに、たけしさんが最終的には気が確かなので。『これは無理』って言って。

(玉袋筋太郎)まあ、そっからお笑いウルトラクイズになってったりするんだけどね。

(小林悠)たけしさんが『いまのバラエティーでやっていることは、すべてこの番組でやってきたものだ』みたいなことをおっしゃってたっていう風に聞いてますけどね。

(玉袋筋太郎)やり尽くしているぐらいですけどね。

(小林悠)だって、いまのテレビ局はあれですよ。衣装代もお弁当も出ないものだってありますからね。そんな時代は、想像つかないですよ。いま考えれば。

(兵藤ゆき)ただ、いまできないこと、いっぱいありますよね。

(玉袋筋太郎)無理無理無理無理。

(兵藤ゆき)当時だったからできたっていう。まあ、逆に規制がかかってよかったってこともありますよ。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)命の問題。

(兵藤ゆき)そう!だって、ねえ?いい年した浪越徳治郎さんとエンペラー吉田・・・

(玉袋筋太郎)2人をジェットコースターに乗っけちゃうんだから!大変だよ!

(兵藤ゆき)大変だよね。で、入れ歯外れるの、喜んでたっていう。いまはもう、それは逮捕ですよね。ディレクター。

(玉袋筋太郎)逮捕!

(兵藤ゆき)ぜったいに逮捕になっちゃいますね。

(小林悠)BPO(放送倫理・番組向上機構)ですね。

(玉袋筋太郎)BPO。そういう時代もありました。

<書き起こしおわり>

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