玉袋筋太郎さんが、亡くなったゲームクリエイターの飯野賢治さんとの思い出をTBSラジオ たまむすびで語りました。
(玉袋筋太郎)夢を与えるっつったってさ、夢を与える仕事、大変だよな。いろいろクリエイターとかいるじゃない?俺たちの同年代で、『Dの食卓』って作った飯野賢治くんが死んじゃったんだよ。
(小林悠)そうでしたね。読みました。
(玉袋筋太郎)亡くなっちゃって、本当ご冥福をお祈りするけどね。年代的に俺たち世代だからさ、ちょっとショックだったね。若き天才としてデビューしてさ。で、最近ゲーム、彼の作ったゲームやってねーなと思ったんだけどね。
(小林悠)ええ。
(玉袋筋太郎)ある時、新幹線で会ったんだよ。車中。前に一回仕事したことがあって。で、俺の横に座ってくれて、いろいろ話してくれたんだ。当時ちょうど、ITバブルがドーンと行ってさ、なんか今どっかに入っている人たちが注目されたじゃない。なんとかエモンみたいなのが。その人の話について、結構言ってたよ。「でもね、アレと俺が目指しているのは違うから。」って。「アレになろうと思えばなれるけど、俺はクリエイターだから。」っていう話だったね。うん、してたんですよ。
(小林悠)かっこいいなー。
(玉袋筋太郎)そうだよな。このラジオもたぶん聴いていたと思うよ。伊集院と電気グルーヴの大ファンだからよ。そうなんだよ、『週末TSUTAYAに行ってこれ借りよ』なんつって。まあ、今週は違うけどね。
(小林悠)そうですね。聴いてほしかったですね。
(玉袋筋太郎)そうそう。合掌!ありがとう!
<書き起こしおわり>