安住紳一郎 少年時代の時刻表の思い出を語る

安住紳一郎 安住少年と時刻表の思い出を語る 安住紳一郎の日曜天国

安住紳一郎さんがTBSラジオ『日曜天国』の中で2009年4月に話したトークの書き起こし。安住さんが少年時代に、近所の先輩から時刻表を使って鉄道の手ほどきを受けた話をしていました。

(安住紳一郎)さて、それから先週の月曜日ですかね。4月20日ですか。ニュースでご覧になった方も多いかなと思いますけども、時刻表が創刊以来1000号を迎えたっていう。中澤さん、ご覧になりました?そんなニュース。

(中澤有美子)あの、ちらりと新聞のコラムに書いてあるのを。はい。読んだぐらいですね。

(安住紳一郎)あの大きな時刻表ですね。みなさんもご存知だと思いますけど。昔の交通公社、JTBの出しているJTB時刻表と、交通新聞社だったかな?が、出しているJR時刻表っていうちょっとね、2つの二大ブランドがございまして。で、JTBが出しているJTB時刻表が大正時代から作っているそうですけども、こちらが1000号を迎えたということで。こっちのJR時刻表の方もたぶん555号とかなんとか見たから、こっちも結構なね、歴史があるんですけども。今回はこの、昔の交通公社が作っているJTBの時刻表が1000号を迎えたということで。ちょっとね、にわかにニュースになって。鉄道ファン以外の方もね、ずいぶんと馴染みがあるので、おおー!という盛り上がりを見せていたんですけども。

(中澤有美子)ええ。

(安住紳一郎)みなさんは、1000号の時刻表をご覧になったでしょうか?これがですね、私もミーハーなものですから、ちょっと気になるなと思って。一昨日、市ヶ谷にある文教堂っていうちょっと大きめの本屋さんがあるんですけども。入ったら、月曜日発売で一昨日(金曜日)ですよ、売り切れてるんですよ。

(中澤有美子)はー!

(安住紳一郎)それで、係の人に聞いたら、『4月の下旬くらいになると、また入荷する予定なんですけれど。こんなことは、国鉄からJRに変わった時以来なんですけどね』なんて言っていて。ちょっとした、軽い突発的な特需に沸いているみたいですけどね。

(中澤有美子)へー。

(安住紳一郎)最盛期は200万部ぐらい出てたみたいですけれども。インターネットの普及で、いまやもう10分の1以下で15万部ぐらいになっているそうですけどもね。インターネットできてから、ずいぶん楽になりましたもんね。

(中澤有美子)そうですよね。

(安住紳一郎)駅すぱあとを初めてやった時、感動しましたもんね。やっぱりね。

(中澤有美子)本当に。

(安住紳一郎)ええっ!?って思いましたけれどもね。うん。中澤さんは時刻表は使いますか?

(中澤有美子)えっ?一時期、使い方を覚えたんですが、いまはたぶんきちんと見れる自信がないですね。ええ。

(安住紳一郎)最近電話帳も使わなくなりましたけれどもね。時刻表もずいぶん使わなくなったという方が多いんじゃないかな?と思いますけども。女性は特にね、苦手という方が多いのかもしれませんけれど。

(中澤有美子)そうかもしれませんね(笑)。

(安住紳一郎)私も、インターネットも使いますし、時刻表も使いますね。で、なんかちょっと余裕のある時は時刻表を使いたいなという気持ちになりますね。ラジオをお聞きのみなさんは、どういう気持ちでね、使ってらっしゃるかな?と思いますが。

(中澤有美子)ええ。

(安住紳一郎)なんとなくこう、なんだろうな?ハンバーグ食べたいなと思ってファミリーレストランに行って、メニューを渡されるじゃないですか。それで、でもハンバーグを食べたいと思ってファミリーレストランに行くんだけど、ハンバーグのところだけ見ればいいんだけど、やっぱりちょっと他も見ちゃうじゃないですか。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)で、またそれが楽しいじゃないですか。

(中澤有美子)そうですね。

(安住紳一郎)なんとなく、時刻表ってなんかそういうね、余分なところも見えてしまう感じの・・・無意味に前後何十便見られちゃうみたいな。そういう楽しみがあって。

(中澤有美子)それで想像も膨らんで楽しいと。

(安住紳一郎)うん。『ああ、15分おきに出てるんだ』とか、『8時台はこんなに』とか。そういうような楽しみがあるような気もね、するなあと思いますけどね。

(中澤有美子)わかります。なんか、わかりますね。ええ。電子辞書じゃなくて、厚い辞書を引きたいような感じですよね。きっと。

(安住紳一郎)うん。そうですね。なんかちょっと、便利な方向だけに進まない人間のわがままみたいなところがね、顕著に出るなあという風な感じもありますし。だいたいハンバーグ食べたいなってファミリーレストランに行って、ハンバーグ食べないっていうパターンも結構多いんですよね(笑)。

(中澤有美子)あ、そうですよね(笑)。そうそうそう。

(安住紳一郎)直前になって変えちゃったりするんですよね。『エビドリア!』っつって(笑)。

(中澤有美子)(笑)。そう。あれ、なんなんでしょうね?

(安住紳一郎)あれ、なんなんでしょうね?私、小学校1年生の頃に、家の近くに宮崎大介くんっていう一学年上の、とても利発な先輩がいたんですけども。彼はちょうど小学校2年生だったんですけども。私はその宮崎先輩に鉄道の初歩の手ほどきを受けているんですけども。まあ、男子児童の世界ではよくある話なんですけども。

(中澤有美子)ああ、そうなんですね。

(安住紳一郎)宮崎先輩に、エル特急とは何か?とか、A寝台とは何か?とか。見たことはないんだけども、本州に行くとどうやら電車の屋根にパンタグラフがついているよとか。そういうことを、いろいろみっちりと仕込まれてるんですよ。

(中澤有美子)へー(笑)。

(安住紳一郎)一学年上の宮崎先輩にね。宮崎先輩って、まあ、宮崎大介くんに。ええ。とても感謝してるんですけども。

(中澤有美子)そうですね。

(安住紳一郎)彼からは、他にも近鉄バファローズの男気についても薫陶を受けてまして(笑)。

(中澤有美子)わっ、渋ーい(笑)。

(安住紳一郎)渋いですよね。ええ。近鉄バファローズがいかにすごいかということも、すごい薫陶を受けて。で、私、当時かぶっていた野球帽は自分の意思を貫くことができず、近鉄バファローズの帽子をかぶってるんですけども。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)当時ね、小学校の男の子ってだいたいジャイアンツの帽子。まあ、あってタイガースの帽子なんですけども。なぜか私、宮崎くんの薫陶を受けて、校内で何人かしかいない、堂々たるバファローズ帽だったんですよ。

(中澤有美子)これ買って!って頼んだんですね。お母さんに(笑)。

(安住紳一郎)ええ。っていうかなんか、そうせざるを得ない状況だったんですね。ものすごく近鉄バファローズの薫陶を受けていたから。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)いまだに小さい時の写真を見て、北海道出身で、北海道っていうのはジャイアンツ天国ですから。もうクラス中、40人いると、男の子20人の中の8割・9割はジャイアンツで。たまにね、青色が男の子似合うだろうってドラゴンズとか、当時のホエールズとか西武ライオンズの帽子をかぶっている子がいるんですけども。ねえ。群を抜いて岡本太郎の近鉄バファローズですからね。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)紺と赤ですからね(笑)。

(中澤有美子)そうですか(笑)。

(安住紳一郎)まあ、そんなこともありながら、彼がいろいろ、ブルートレインの写真とか、浜松町のモノレールの切符とかを宝物にしていまして。ええ。私にいろいろね、見せてくれるわけなんですけども。そこで私は一気に、鉄分っていうんですか?鉄道分子を、鉄分をずいぶん注入されるわけで。

(中澤有美子)へー。

(安住紳一郎)でも私には、手持ちの鉄道グッズがないものですから。ちょっと悲しい思いをしてたんですけども、ある日、私の父親が勤めている会社で、会社で使わなくなった時刻表をもらい下げて来てもらって。私にくれたんですね。ええ。いまはあんまりね、会社で置いてるところはないのかもしれませんが。昔はかならずなんか、共同机の上に最新号の時刻表を置いてあって。で、次のがきたら、それを処分っていうか、二軍落ちしてどっかに行ったりとかするんですけど。

(中澤有美子)ええ、ええ。

(安住紳一郎)それでなんか、いらなくなったのをもらい下げて来てもらって。とてもうれしくて。それで、宮崎先輩に、『私もついに、JTB時刻表を手にしました』ってね、自慢しに行ったんですけどもね。

(中澤有美子)かわいい!はい。

(安住紳一郎)そしたら宮崎先輩は・・・宮崎先輩っていっても小学校2年生ですけども。宮崎大介くんは、とても利発な子なので、『うん。でもそれは最新号ではないね。3ヶ月前のものだね』なんて言って、結構冷たくね。利発だから。

(中澤有美子)あ、そっか(笑)。

(安住紳一郎)『でも、大幅なダイヤ改正があったわけではないから、無意味ではないね』なんて言って。

(中澤有美子)(笑)。そんな端正なしゃべり口なんですか(笑)。

(安住紳一郎)端正なしゃべり口でね。『無意味ではないね』なんて。『無意味じゃないんだ』なんて思って。もう完全に私は持って生まれた子分肌ですから。

(中澤有美子)ああ、そうですか(笑)。

(安住紳一郎)もう宮崎大介くんの前では直立不動なわけですよ。『私、こんなものを手に入れたんですけども』。

(中澤有美子)かわいい(爆笑)。

(安住紳一郎)『それは最新号ではないね。3ヶ月前のものだけれども、大幅なダイヤ改正があったわけではないから・・・』。

(安住・中澤)『無意味ではないね!』。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)無意味ではないんですね!

(中澤有美子)よかったです(笑)。

(安住紳一郎)よかったです!

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)『大介さん、モノレールっていうのはどこからどこまで走ってるんですか?』。いろいろね。それでその、当時のJTB時刻表を教科書に、宮崎くんは本当によく教えてくれまして。1年近く飽きもせず、本当にいろいろ教えてくれて。本当にいま振り返ってみてもね、なんかね、すごく近所の子どもの面倒見のいい小学校2年生だなあと、いま思いますけども。で、僕はかならずそのJTBの時刻表を小脇に抱えて、大介くんのところに通うわけですよ。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)お姉ちゃんが、かつ子ちゃんって言ってね。かこちゃん、かこちゃんって言われてたんですけどね。ええ。『また参りましたけれども・・・』『入って、入って』っつって。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)『今日はじゃあ、京急の切符を見せてあげるよ』なんて言われて。

(中澤有美子)へー、いろいろ持ってたんだ(笑)。

(安住紳一郎)で、北国の田舎に住んでますからね、まったく私鉄とかの意味がまったくわからなくて。『私鉄ってなんだろう?これ、大介くんに聞いてもいいのかな?』みたいな。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)『私鉄ってなんですか?』って(笑)。本当によく教えてくれたんですけどもね。で、時刻表。じっくり見たことのない方はチンプンカンプンかもしれませんけども。結構いろんな情報が載っていて。あの、電車、船、フェリー、飛行機。あるいはその、後ろには旅館案内とか。あるいは鉄道に乗る際の注意事項とか、いろいろなものが書いてあって。

(中澤有美子)あ、そうでしたっけ。へー。

(安住紳一郎)それで、大介くんと僕はいっつも架空のプランを立てて。で、後ろに旅館案内が載っているので、ここに泊まるとか。うん。

(中澤有美子)へー。あ、ハイレベルなことをされてましたね。

(安住紳一郎)そうですね。ええ。当時はちょっと、北見の方に住んでいたので。『まず、特急オホーツクに乗って・・・』なんて言って。で、『紳一郎くん、オホーツクっていうのはね、日本の特急の中で初めてカタカナの名前のついた特急なんだよ』なんて言われて。『ああ、そうですか』と思って。で、書くわけ。時刻表にね。オホーツクの横にね、『初めてのカタカナ』みたいな(笑)。

(中澤有美子)あ、そんなに(笑)。もう、メモまでして。

(安住紳一郎)メモまでして。で、『オホーツクに乗った後は北斗3号だね』なんて言って。『それから、はつかり、もしくはくりこまに乗るんだよ』なんて言われて。『くりこま、くりこま・・・』みたいな。『くりこまってなんだろう?』みたいな(笑)。

(中澤有美子)(笑)。あとで調べよう。

(安住紳一郎)あとで調べよう、みたいな(笑)。はつかりってなんだろう?みたいな(笑)。で、『僕は東京に行く前に、赤羽で一泊するんだ』なんて言われて。『赤羽に一泊なんだ!』って(笑)。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)北国の少年だから。訳わかってないから。

(中澤有美子)わかんないですよね、ええ(笑)。

(安住紳一郎)『僕は、尾久に一泊したい!』とか言って(笑)。もう、すごろくみたいな感じでね、やってるんですよね。ええ。そんな楽しい日々があったんですが。それからずいぶん時間がたって、30年たって。自分でもそれから30年たったということに、さっき振り返ってびっくりしちゃったんですけど。

(中澤有美子)うん、そうですね(笑)。

(安住紳一郎)5年くらい前ですね。ある番組の撮影で、秋葉原の特集をしていて。で、私リポーターとして行ったんですけども。鉄道模型の店の取材に行ったんですよ。それで、こういうジオラマがあって、鉄道模型があって。まあ、そういう経緯もあるから、私も興味津々で。『すごいなあ、うーん、凝ってるなあ』なんて思って見ていたんですけども。

(中澤有美子)ええ。

(安住紳一郎)そしたらその、鉄道模型屋さんの一角に、鉄道書籍コーナーっていうのがあって。私、知らなかったんですけども。その、鉄道の雑誌のバックナンバーなんかがズラリと揃っているんですけども。その中に、昔の時刻表がズラーッと並んでるんですよ。

(中澤有美子)へー!

(安住紳一郎)で、興味のない方は『なんで古い時刻表が必要なんだ?時刻表は新しいものにいちばん価値があって、古くなったらいらなくなるんじゃないか?』とお思いかと思うんですけども。私も最初はそう思ったんですけども。やっぱりその、昔の、1970年代後半から1980年代。いわゆるその、いまのJR。国鉄の最盛期の頃で、要するに、いまはなくなってしまった地方の赤字ローカル線なんかがずいぶん北海道とか九州とかね、あるわけですけど。もう、その時代はバリバリの現役で、たくさん載っているわけで。

(中澤有美子)なるほど。

(安住紳一郎)あるいは、少しさかのぼると、今度はSLの時刻表が出てきたりということで。古い時刻表にものすごい需要があるらしくて。ズラーッと並んでいるんですよね。

(中澤有美子)ふーん!

(安住紳一郎)で、またびっくりすることに、結構値段が張っていて。

(中澤有美子)あ、上がっているんですか。売ってもいるのか。

(安住紳一郎)売ってもいるんですよ。もちろん。それで、古本として売っているんですけども。1980年代、昭和55年くらいのもので、5千円くらいするんです。

(中澤有美子)おおー。

(安住紳一郎)で、昭和30年代くらいになると、もう1万円を超えていく。

(中澤有美子)ほー。いま、いくらなんでしたっけ?

(安住紳一郎)ん?1冊?1冊ね、大きいJTBので1050円かな?

(中澤有美子)はあ、はあ。

(安住紳一郎)でも、当時は300円とか400円くらいですから。まあ、10倍くらいの値段がね、ついているんですけどね。で、こうやって見ていると、その時にずーっと忘れていたんですけども、ちょっとやっぱり大介くんのことを思い出して。で、その宮崎さんに教えてもらっていた、教科書がわりにしていた時刻表はとうにどっかに行っちゃってたんですけど。『たしか俺、6才くらいだったな。じゃあ、79年か80年くらいか・・・』と思って、その79年と80年のコーナーをこう、見ていって。

(中澤有美子)はい。

(安住紳一郎)で、『もしかして、なんとなく記憶に残ってるんじゃないかな?』と思ったら、やっぱり三つ子の魂百までって言いますけども、ビビッてくるのがあって。

(中澤有美子)はい、はい!

(安住紳一郎)『うおっ!おっ!このレイアウト・・・後ろ、キリンレモンじゃねえ?』って思って。フッと見たら、キリンレモンで。『これだ!』と思って。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)『これが宮崎先輩と一緒に学んだ教科書だよ!』と思って。なんかちょっと、感極まっちゃって。

(中澤有美子)そうですね!

(安住紳一郎)5300円、即買い!

(中澤有美子)即買い(笑)。涙が出そうだ。なんか・・・

(安住紳一郎)うん。で、ついでにもう、宮崎先輩に自慢されていた抑圧がなんか、鬱憤がなんか30年超えて、急にその場で爆発して。他の時代のものも即買い!もう、これも、これも、これも、これも。

(中澤有美子)ああ、そうなんですか(笑)。

(安住紳一郎)みなさん、ご自宅に昔の時刻表がありましたら、ご検討いただくといいかもしれませんね。ええ。結構あの、そういうところに出しますと、いい値段がつくみたいですよ。ええ。

(中澤有美子)へー!

(安住紳一郎)それで、まあ時間がないことは承知してるんですが、そんな鬱憤ばらしに買ってしまった時刻表。これがそうなんですけども・・・

(中澤有美子)あ、持ってきてくださったんだ。あっ、ほー!

(安住紳一郎)これは復刻版で、決してそんなに高くないものなんですけども。昭和22年、それから昭和25年、それから昭和36年、それから昭和31年かな。

(中澤有美子)あ、生まれる前のものなんですね。

(安住紳一郎)生まれる前のものなんですけれども。いまよりもずいぶん小さい・・・

(中澤有美子)版が小さいですね。

(安住紳一郎)ええ、ええ。結構ね、昔の時刻表を見てると面白いんですよ。昭和22年の時刻表なんですが・・・

(中澤有美子)文庫本大のサイズ。

(安住紳一郎)そうですよね。まあよく、東京-大阪間は新幹線ができてずいぶん早くなったなんて言うんですけども。昭和22年ですから、戦争が終わってすぐなんですけど。これを見ると、東京を朝の8時50分に出た博多行きの汽車は、大阪に着くのが夜の11時20分(笑)。すごいですよね。

(中澤有美子)はー、1日がかりですね。

(安住紳一郎)1日がかりっていうかね。びっくりですよね。いま、2時間半、3時間って言われてますけどもね。ええ。

(中澤有美子)へー。

(安住紳一郎)それで、岡山に着くのがもう、次の日の朝の3時。尾道に着くのが次の日の朝6時。で、博多に着くのは次の日の夕方4時みたいな。

(中澤有美子)うわー!

(安住紳一郎)もう24時間を超えているみたいな。

(中澤有美子)本当だー。

(安住紳一郎)で、博多に行くのが1日2便みたいな。ええ。昭和22年ね。網棚まできっとね、人がいっぱいこう、わっしゃりで。いろいろなものをね、積んでねっていう感じがこの行間から読み取れるわけですよ。

(中澤有美子)なるほど、なるほど。

(安住紳一郎)まあ中澤さん、ねえ。お芝居で興味のあるふりをしてますけども。そんなに興味ないっていうのは伝わってますよ。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)いいんです。じゃあ、これはどう?昭和25年。先ほども言いましたけれども、後ろにこう、旅館案内とか載ってるんですよね。そういうのも見ると、昭和25年だから、面白いんですよね。

(中澤有美子)そうですか。

(安住紳一郎)うん。面白い。『赤倉温泉香雲閣 電話六番』とか。

(中澤有美子)ええーっ!?

(安住紳一郎)『えっ?電話六番?どうやってかけるの?』っていう感じですよね。ええ。電話六番。当時は交換ですから、たぶんきっとね、『赤倉の六番』とか言うと、香雲閣につながるんでしょうね。きっとね。

(中澤有美子)おー。

(安住紳一郎)『柏屋別荘 電話十二番』とかね。いいですよね。面白いですよね。

(中澤有美子)そうですね。

(安住紳一郎)『一泊三百円』とか。ええっ!?っていう感じが。

(中澤有美子)はー。

(安住紳一郎)まだ興味ないみたいなだな。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)じゃあ、これはどうだ?荷物の級分けが、やはり当時は、みなさん相当な荷物を持ってね、生活をかけて乗るわけですから。ええ。

(中澤有美子)そうですよね。

(安住紳一郎)級分けがされてるんですが。ランク分けがされているんですが。8級 昆布・小麦粉・醤油・藁縄。9級 米・化学肥料・味噌。10級 木炭・生甘藷・魚肥。魚の肥料ですね。11級 薪・米ぬかとか。すんごく細かく決められている。

(中澤有美子)えっ?えっ?申告して?

(安住紳一郎)申告して、等級別に荷物の値段も払う見たいな。

(中澤有美子)はー。

(安住紳一郎)まだ来ない・・・

(中澤有美子)いや・・・そんなことないですよ(笑)。ええーっ!?

(安住紳一郎)あ、じゃあ本当にあの、初心者の方でもわかりやすい驚きね。これはたぶん女性の方でも驚くはず。みなさん、聞いてくれてますよね?

(中澤有美子)(笑)。大丈夫だと思います。

(安住紳一郎)昭和25年の時刻表から。いちばん最初の見開きに、いまもそうですけど、地図が載ってるんですよ。で、びっくりしますよ。まず、西日暮里がない。

(中澤有美子)へー。

(安住紳一郎)イマイチだな。西川口がない。

(中澤有美子)あー。

(安住紳一郎)南浦和の駅もない。

(中澤有美子)西とか南とかつくのは、後からできたってことですか?

(安住紳一郎)まあ、比較的ね。うん。じゃあ、東十条が当時、下十条と書かれていた。

(中澤有美子)ふーん。

(安住紳一郎)ああ、そっか・・・私鉄だな。じゃあ。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)じゃあ、東急東横線沿いで、『第一師範駅前』っていうのがあったっていうのはどう?

(中澤有美子)どんな字を書くんですか?

(安住紳一郎)あの、先生の師範。これはいまの・・・

(中澤有美子)あ、学芸大学?

(安住紳一郎)正解!

(中澤有美子)おおー!へー。

(安住紳一郎)で、都立大前が、当時『都立高校前』。

(中澤有美子)へー。

(安住紳一郎)ああ、イマイチだね。うん。じゃあ、井の頭線の『一高前』っていうのはどうですか?

(中澤有美子)あ、それはもう、東大?

(安住紳一郎)駒場東大前ですね。いまのね。当時は、昔の名前で呼ばれているという。わかった。お金だな。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)今度はね、昭和36年。見開きに・・・

(中澤有美子)だいぶ厚くなりましたね。時刻表が。

(安住紳一郎)日本長期信用銀行の広告が入ってるんですが。ワリチョー、1年で利息 年七分三厘。

(中澤有美子)おおー!

(安住紳一郎)年率7.3%だよ?

(中澤有美子)ええっ!?預けたい!

(安住紳一郎)でしょう?

(中澤有美子)はい!

(安住紳一郎)これ、驚かない?

(中澤有美子)(笑)。はい。

(安住紳一郎)ようやく来たな。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)じゃあ最後。本当にわかりやすいところで。あの、航空ダイヤも載ってるですけど。これ、私さっき見てびっくりしたんですけど。航空ダイヤってなんとなく、ずいぶんいろいろ変わってきたなっていう印象があるんですが。昭和36年に、東京羽田発福岡行きの飛行機が載ってるんですけど。羽田を夜中の12時30分発っていう飛行機があるんですよ。

(中澤有美子)ほえー。

(安住紳一郎)で、福岡に朝の4時50分に着くっていう。

(中澤有美子)結構飛びますね。

(安住紳一郎)なんかこう、逆行している感じがあるよね。まあ当時はたぶん、夜間発着のね、許可が出たんだと思うんですけども。いまじゃ考えられないダイヤが載ってるんですよね。

(中澤有美子)そうですよね。ええ。

(安住紳一郎)その次の便が東京羽田発 1時30分。朝のね。で、福岡に朝の5時10分に着くっていう。すごいよね。

(中澤有美子)へー。すごいですね。しかも、飛ぶ時間が長いですね。

(安住紳一郎)うん。まあ、当時はプロペラだったのかもしれないし、ということもあるのかもしれないですけども。私はちょっとこれを見て、びっくりしましたね。こういう時代があったんだなと思って。

(中澤有美子)ねえ。夜間発着ぜんぜんOK。

(安住紳一郎)ねえ。逆に、いまよりも進んでいる感じがね、するなあというところがありますよね。さらに、時代ですよね。飛行機の運賃が、当時東京福岡間で1万2600円。ですから、だいたいまあ、物価が10倍くらいになっていると考えると、当時片道12万くらいかかるという、大変まあ高価なものだったんですけども。

(中澤有美子)そうですね。

(安住紳一郎)うん。いろいろ割引がある中で、『新婚割引 約2割引』っていう。

(中澤有美子)ほほー!

(安住紳一郎)ねえ。新婚に人は約2割引きますよっていうのが、なんとなくちょっと、うん。面白いなあという感じになりましたね。

(中澤有美子)そうですね。それで、じゃあ宮崎に行ったのかな?

(安住紳一郎)かもしれませんね。まあ、宮崎くんよりも、いま私は時刻表を持っているぞという。

(中澤有美子)(笑)。そうですね。どうされてるんでしょうかね?

(安住紳一郎)利発な人で、理数系にすごい興味があったんで、たぶん、すごいなんかエンジニアとかになってるんじゃないかな?と思いますけどね。ええ。小学校1年生以来、もう会ってませんけどもね。ええ。いまなら、俺の方が持ってると思うよ!

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)それだけは言っておきたい!根に持つ方だから。

(中澤有美子)いやいやいや(笑)。

(安住紳一郎)さんざん自慢されたから、取り返しているよ。

(中澤有美子)そんな、公共の電波で(笑)。

(安住紳一郎)宮崎先輩に告ぐ。いまなら負けねえぞ!

(中澤有美子)(爆笑)

(安住紳一郎)長くなりました。今日のメッセージテーマ、こちらです。

<書き起こしおわり>

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