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毒蝮三太夫 永六輔を追悼する

毒蝮三太夫 永六輔を追悼する 荒川強啓デイ・キャッチ!
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毒蝮三太夫さんがTBSラジオ『荒川強啓デイ・キャッチ!』に電話出演。亡くなった永六輔さんを追悼しました。

(荒川強啓)さあ、ここで電話がつながっております。この方にお話を頂戴いたします。土曜ワイドやマムちゃん寄席などで古くからお付き合いがとても深かった毒蝮三太夫さんと電話がつながりました。マムシさん?

(毒蝮三太夫)やあやあやあ、暑い今日だねえ。

(荒川強啓)あのー、マムシさん。永さんがお亡くなりになったことをどこで知りました?

(毒蝮三太夫)いやいや、これはいま、永さんの後に番組をやっている『いち・にの三太郎~赤坂月曜宵の口』、やっているでしょう? はぶ三太郎がね、まあ俺の事務所でいま社長にしたんだけどね。で、三太郎から電話がありましてね。「実は、7日の日に亡くなったんです」と一昨日ぐらいに電話があったのよ。

(荒川強啓)はい。

(毒蝮三太夫)で、「まだ発表していないんで。月曜日に発表しますから」って言ったらずいぶん早く発表になっちゃったんだねえ。それでね、ちょうど七夕の日じゃないの? 

(荒川強啓)七夕ですね。

(毒蝮三太夫)だからね、なんかの縁かな? と思うけどもね。まあ、強啓ちゃんも知ってるだろうけどね、昭和がなくなっていくね。どんどんね。

(荒川強啓)ああー、そうですね。あの、マムシさん、永さんの思い出としてはどんな時の画面を想像されますか?

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永六輔さんの思い出

(毒蝮三太夫)いやいや、思い出なんてゴマンとあるよ。あのね、永さんとはよく野球の試合もやったのよ。ライターズなんて野球でね、俺がまた俳優座かなんかで出てね。それで永さんと野球をやってね、相変わらずね、文句ばっかり言うんだよ。グラウンドで。「あれがボールか? あれがストライクか?」とかね。で、キャッチャーをやっていたかな? それでもう何かにつけて、「これはおかしい! あれもおかしい!」ってね、いっつもそう言っていて。それで俺、ラジオではね、土曜ワイドラジオ東京でずーっと20年ぐらい永さんがスタジオのメインパーソナリティーでね。それで俺が外へ。久米宏ちゃんも出ていたんだけどね、まあ、厳しかったよ。ラジオでは。

(荒川強啓)うん。

(毒蝮三太夫)あのね、たとえば15分の番組を俺、持たされているとするよね。コーナーを。すると当時、9時間の土曜ワイドラジオ東京っていうやつだからね。9時間だよ。朝9時から夕方5時まで。本当のワイド番組だよ。

(荒川強啓)そうですね。

(毒蝮三太夫)それだからね、俺、朝暗いうちに出て、夕方暗くなってからね、954の車が――当時まだ950の時代だね――が、明かりをつけて帰ってきたっていう思い出もあるぐらいだよ。で、外でだからカミさんといる時よりもディレクターや954の女性キャスターといる時の方が長いぐらい。

(荒川強啓)うん。

(毒蝮三太夫)それでね、5箇所ぐらい入り中(中継)があるわけ。その中でね、10分か15分あるんだけどね、入り中が上手くいかないとね、「じゃあ、そちらで。曲でも流すからゆっくりやってて」って5分くらいで切られちゃうんだよ。何回あったか。

(荒川強啓)うーん。

(毒蝮三太夫)そのたびに、悔しいな!って。いつか永さんが「10分の番組を30分やってもいいよ」って言われるようにならないかなと思ったのが、いまの俺のラジオの原点だね。うん。

(荒川強啓)マムシさん、永さんに最後の一言、声をかけて差し上げるとしたら、どんな言葉を用意しますか?

(毒蝮三太夫)いやいや、もうね、『大往生』という大ベストセラーをお書きになりましたけども。俺、大往生だと思うよ。俺、4月に病院に行ってお会いしたんだけどね。「ああ、これが最後かな」と思ったからね。まあ、その時にお別れしてよかったと思う。それでね、いろんな意味でね、(立川)談志の後に俺のことをいろいろ気を使ってくれてね。「マムシさん、マムシさん」って言ってくれた。あの大御所がね、俺を本当にかわいがってくれたんだよ。それでね、素晴らしい作詞家だったね。作詞も素晴らしい。エッセイも素晴らしいけど。それから、ラジオも素晴らしいけど。よく、あの顔であの作詞が書けたと思うよ。素晴らしい(笑)。

(荒川強啓)(笑)

(毒蝮三太夫)それからね、江戸っ子中の江戸っ子だけどね、あの方は江戸っ子でも浅草のね、最尊寺っていうお寺の息子さんですから。俺たちに比べたらね、エリート中のエリートよ。だから下町のお坊ちゃんだったね。だから品がよかったろ? なんとなく。

(荒川強啓)そうですね。

(毒蝮三太夫)ガラッパチじゃなかったろ? だからベーゴマもそれからビー玉もけん玉も、あの人にとってはあんまり思い出がないのよ。小さい時から身体も丈夫じゃなかったし。だからそういう点じゃあ、俺たちにとって下町の中でもこんなに品のいい人がいるのかなって思ったぐらい。そういう思い出だね。もっともっといろんなことを聞きたかった。

(荒川強啓)はい。

(毒蝮三太夫)永さんね、俺もいずれあの世に行きますけどもね、またその時にお話が聞けたらいいなと。それから談志が先に行ってるからね、談志とケンカしてるよ。また(笑)。

(荒川強啓)はい。マムシさん、ありがとうございました。どうも、お忙しいところを。

(毒蝮三太夫)はいはい。強啓ちゃんも身体、気をつけてね。

(荒川強啓)はい。ありがとうございます。

(毒蝮三太夫)暑いから。さくらんぼ、ありがとうな(笑)。

(荒川強啓)失礼します(笑)。毒蝮三太夫さんでした。いやー、お話の中に「品がある」という一言がありましたが。本当にそうなんですよね。なんかもう、気さくな中にもピシッとしたもの。それから、歴史、そしてその伝統というものを決して外さないという。その中でも、柔らかく話してくださったという永さんのみなさんに与える影響というのは大きかったと思いますね。はい。永六輔さん、7月7日にお亡くなりになりました。83才でした。ご冥福をお祈りします。

<書き起こしおわり>

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