大沢悠里さんの『ゆうゆうワイド』降板が発表された2016年1月18日、TBSラジオ『ミュージックプレゼント』の中で毒蝮三太夫さんが大沢悠里さんにエールを送りました。
(大沢悠里)毒蝮三太夫さん、今日は川崎市高津区溝の口3-1-1、スノーボードストア『JACK IN THE BOX』さんにお邪魔しております。
(西村知江子)マムシさん?
(毒蝮三太夫)はいはいはい。まあ、悠里ちゃん、2016年の1月18日か。記念すべき日になっちゃったなあ。悠里ちゃんのさっきのお知らせを聞いたよ。
(大沢悠里)うんうんうん。
(毒蝮三太夫)まあ、30年間。悠里ちゃん、いろいろと俺と会った時に話をしたことがあるけれど。黙っていたね。俺に。『いろいろ相談するね』って言ってたじゃないか。俺に。
(大沢悠里)だからもうとっくに相談してるじゃない。
(毒蝮三太夫)そうか。
(大沢悠里)そうですよ。もう1年前から言ってるじゃない。三ちゃんを通じて。
(毒蝮三太夫)そうそうそう。
(大沢悠里)だからマムシさんは残ってくれてうれしいよ。
(毒蝮三太夫)いやいやいや、俺もね、いつか俺が『辞める』って言ったらね、悠里ちゃんも『俺も辞めるよ』なんていう話もしたじゃない?
(大沢悠里)うんうん。
(毒蝮三太夫)だからいろんなことでね、初めがあれば終わりがあるよ。
(大沢悠里)そうよそうよ。
(毒蝮三太夫)それから、形があるものはいずれ壊れるよ。だからそれは当たり前なんだけどね。やっぱりね、俺はね、ああ、近石さん。それから利根川さん。
(大沢悠里)若山弦蔵さん。
(毒蝮三太夫)そうそう。それから俺の相手をやってくれた、スタジオで。ねえ。そういう方たちがさ、どんどんどんどん終わっていなくなるじゃない?亡くなった方もいらっしゃるしさ。ねえ。悠里ちゃんがいちばん、30年で長いんだよ。
(大沢悠里)そうね。
(毒蝮三太夫)近石さんは15、6年だから。まあ、近石さんがいなかったら、この番組はなかったんだけどね。いや、だけど近石さんに会うたびに、『悠里ちゃん、元気でやってくれてるよな。マムシさん、いいよ』って。近石さんが言うたびにね、『悠里ちゃんのあの録音の時の受けは俺はできなかったよ』って言うんだよ。
録音放送を生放送のように受ける
(大沢悠里)マムシさんの録音をな、俺が生でやる。あれをね、創り出したって。私が。したら、散々遊ぶんだもん。休みとっちゃうんだもん。腹たったね、あれは。我ながら(笑)。
(毒蝮三太夫)休みとってね。それで俺は八ヶ岳とかさ、下呂温泉で聞いてるこの楽しみはなかったよ(笑)。
(大沢悠里)(笑)
(毒蝮三太夫)上手いな!って。あれは本当にみんな行っちゃうよ。あの場所へ(笑)。
(大沢悠里)最初ね、あれね、録音を生放送って言わなかったんだよ。だからみんな、店に駆けつけたんだよ。で、抗議が出たんで、『あ、そうか。「録音」って言わなきゃいけない』と思って。
(毒蝮三太夫)いやいや、あれ、録音を生放送って言っても行くよ。うん。そのぐらい悠里ちゃん、上手かったよ。それで俺もね、録音しててね、『あ、ここは悠里ちゃん、こう言うだろうな』って。だから『悠里ちゃん、なあ、知江ちゃん』なんて言ったらね、みんな上手いんだよ。
(大沢悠里)(笑)
(毒蝮三太夫)あれはね、昔、圓鏡さんがやっていたの、あるじゃない?
(大沢悠里)そう。『午後2時の男』。
(毒蝮三太夫)あれをね、録音でスタジオと掛け合ってないなっていうのがよくわかったけど。いや、俺になったら本当に上手いんで驚いたよ。したらうちのおかみさんね、『1年全部録音にすればいい』って(笑)。
(大沢悠里)1年録音ね(笑)。俺もね、ちゃんと時間を守って音楽かけられるから、ほっとするよ。
(毒蝮三太夫)そうそうそう(笑)。ちゃんと2曲、かかるんだもんな。
(大沢悠里)また手綱を持ってね、暴走する馬を止めて曲をかけるの、大変なんだから。30年間も。
(毒蝮三太夫)わかった(笑)。こういうのもさ、あと1ヶ月半で聞かなくなっちゃうから・・・
(大沢悠里)あと3ヶ月あるよ。3ヶ月。早く辞めさせるな。
(毒蝮三太夫)あ、そうかそうか。ねえ。
(大沢悠里)4月8日までやるから。『ゆうゆうワイド』。
(毒蝮三太夫)でもね、長い間ご苦労さん。それしか言いようがないよ。
(大沢悠里)そうだよ。元気でね、なんとかなったじゃない。
(毒蝮三太夫)だから俺の方はね・・・
(大沢悠里)もっとやって。
(毒蝮三太夫)心配だっていう人がたくさんね、問い合わせがあるだろうけどね。とりあえずまだ。
(大沢悠里)そうだよ、元気だもん。俺はやっぱり4時間半は長いよ。
(毒蝮三太夫)長い。で、よく疲れて。それで疲れて4時間半終わった後にぐったりしてたっていうのをよく聞いたよ。
(大沢悠里)そうね(笑)。俺、会社に来る時はね、歩幅も大きいんだよ。帰りはね、ダメ。歳だね。
(毒蝮三太夫)だからイグアナみたいに這って歩いて帰ってたって。
(西村知江子)(笑)
(大沢悠里)歳だよ。それはあるよ。
(毒蝮三太夫)ほいで、なに?『今日は俺、どこ?ここにいるの?』って言ってたって。『これはもうダメだな』って思ったって。みんな(笑)。
(大沢悠里)そうなの?そう言ってたよ。もうちょっとすると、『悠里さん、番組ないんですよ。なぜ来たんですか?』なんて。『えええー?』なんていうのが(笑)。
(毒蝮三太夫)『だって僕は・・・ここに来てるんだから・・・しゃべりますよ』って。
(大沢悠里)『もう番組は、ないの!』。
(毒蝮三太夫)俺の方が歳、上なんだから。でもね、今日もね、いま屋根の下だからね、下駄履いたんだけど。まあ、冷たい風が吹いているよ。
(大沢悠里)今日はいいじゃない。スノーボードストアだから。雪じゃないの。
(毒蝮三太夫)そうそう。でもスノーボードって言えばさ、15日?
(大沢悠里)軽井沢のな、バスの事故な。かわいそう。
(毒蝮三太夫)あれはな・・・もう。大学生だよ。日本の宝ですよ。その大学生がね。で、中にはね、介護職になろうと思った大学生もいるんだってさ。それで、『介護離職率をゼロにする』なんて安倍さん、言ってるじゃない?それからね、いろいろ今度、選挙で持ってね、自民党がどうのこうのってあるけどね。本当にそういう意味じゃ、いたましい。
(大沢悠里)離職率ゼロにするんだったら、お給料上げなきゃダメだよ。
(毒蝮三太夫)だから、職場の環境をまず変えることだよ。
(大沢悠里)知らないんだよ、現場を。大臣も代議士もみんな。
(毒蝮三太夫)でね、あれはこれから調べりゃわかるだろうけどね。起こるべくして起こった事件だよ。で、やっぱり安かろう悪かろうじゃ。安全がいちばん大事なんだから。
(大沢悠里)競争ばっかりさせてね。
(毒蝮三太夫)そこに行くとね、悠里ちゃんね、俺、思うんだけど。47年間、これやってるよね。
(大沢悠里)うんうん。
(毒蝮三太夫)954のね、キャスターがね、よく俺を安全に・・・今日もね、ちゃんと運転してさ。安全運転で来て。偉い!これだけは俺ね、感謝するよ。
(大沢悠里)うん。ねえ。
(毒蝮三太夫)まあ、そういうわけで。悠里ちゃん。今日はね、元気に・・・
(大沢悠里)ずいぶんね、『車で突き落とせ』って言ったんだけどね。マムシをね。
(毒蝮三太夫)あ、いまイヤーモニターが外れちゃった。
(西村知江子)(笑)
(大沢悠里)あ、良かった。『突き落とせ』って言ったんだけどねえ。本当に、もう。まあ、元気で生きてよ。
(毒蝮三太夫)まあ、俺はもう少しやるから。
(大沢悠里)まったく、参ったよ。
(毒蝮三太夫)あ、そうか。俺を一緒に連れて行くんじゃないよね?
(大沢悠里)死ぬんじゃねーんだ、バカ!(笑)。
(西村知江子)(笑)
(毒蝮三太夫)えっ?あの世に行くんじゃないよ。談志や圓楽さんに会ってね、俺を呼ぶんじゃないよ(笑)。
(大沢悠里)(笑)。まあ、余力のあるうちに、俺もどっか行きたいよ。もう3日続けて休んだことねえんだから。
(毒蝮三太夫)そうか。
(大沢悠里)月2回ぐらいしか休みねえんだ。
(毒蝮三太夫)あ、そうか。俺、3日続けて録音があるんだ。
(大沢悠里)(笑)。3日どころじゃねえじゃん!この野郎、まったくまあ(笑)。
<書き起こしおわり>