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中尾ミエが語る ナベプロ王国とスパーク3人娘の思い出

中尾ミエが語る ナベプロ王国とスパーク3人娘の思い出 たまむすび
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中尾ミエさんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。ナベプロ王国の様々なエピソードや、スパーク3人娘の思い出を話していました。

(玉袋筋太郎)いや、だけどね、そのナベプロに入って。もう芸能界ですごいじゃないですか。で、ミリオンセラーを出すっていう。ねえ。いまのミリオンセラーとまた違いますもんね。当時のミリオンセラーっていうのは。

(中尾ミエ)そう。だから運が良かったんだけど。だから、昔はね、1曲ヒットを出せば10年持つって言われた時代なの。だからいい時代にデビューしたから。だから、10年どころじゃないでしょ?もう、あなた。50年持ってるんだから。

(玉袋・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)50年!すごいすごいすごい!

(中尾ミエ)もう1曲あれば十分なのよ!

(玉袋筋太郎)その1曲がほしいねー!

(小林悠)本当ですね!

(玉袋筋太郎)いや、でもそのナベプロ王国っていうのはどうだったんですかね?

(中尾ミエ)それはもう、あの頃はまだジャニーズもなかったしね。もうやっぱり、渡辺プロがちょうどこれからっていう時だったし。

(玉袋筋太郎)そうですよね。ええ。

(中尾ミエ)だから、世の中全部が渡辺プロ一色みたいな時代でしたね。

(玉袋筋太郎)もう、ハナ肇とクレイジーキャッツもいてですよ。

(中尾ミエ)ピーナッツもいて。

(玉袋筋太郎)ピーナッツもいてだ!

(中尾ミエ)それである時期ね、女性が多かったんですよ。私たちの頃は。3人娘でしょ?伊東ゆかり、園まり。梓みちよ。それから、奥村チヨとかアグネス・チャンとか。辺見マリ・・・

(玉袋筋太郎)すげー!

(中尾ミエ)もう言ったらね、キリがないけど。で、そういう女性の時代が続いて、それから今度、男性の時代になってくるの。タイガース、ワイルドワンズ、布施明、森進一。だからね、結構・・・みんなほら、しぶとく残ってるじゃない。

(玉袋筋太郎)しぶとくっていうか、すごい人ばっかじゃないですか!

(中尾ミエ)いまでも。だから結構ね、いまだにやっぱりナベプロ卒業生みたいなの、いっぱいいますよね。

(玉袋筋太郎)いますよねー!すごいんだから。『でももう、クレイジーキャッツは・・・ああ!』とか思っちゃったりするんですよ。でもこの、女の人がいっぱいいた頃の、要するに3人娘。僕、高校時代、映画見に行ってるんですよ。

(中尾ミエ)ああ、そう?『ハイハイ3人娘』?

(玉袋筋太郎)はい。『ハイハイ3人娘』、見に行きましたよ。浅草東宝に。で、あの3人娘、最初嫌だったって。

(中尾ミエ)そりゃ、だって私はその前に『かわいいベイビー』がヒットしてたから。

(玉袋筋太郎)かー!出た!

(中尾ミエ)それで、もうヒットして。私、1人で紅白も出てたんだもん。

(玉袋筋太郎)そうですよね。それがまあ、ユニット。いまさら・・・

(中尾ミエ)そうでしょ?なんでいまさらでしょ?

(玉袋筋太郎)出た!(笑)。

(中尾ミエ)それで、もう大喧嘩したりして。

(玉袋筋太郎)(爆笑)

(中尾ミエ)その頃の、名前を言ってもあれですけど(笑)。ドリフターズの会社のいま、社長をやっている井澤さん。あの人がマネージャーだったんですよ。私の。

(玉袋筋太郎)(笑)

(中尾ミエ)で、もう井澤さんも社長の家にいて。下宿してて。それでマネージャーだから、もう四六時中一緒だから、もう大喧嘩して。『なんで3人一緒に紅白出なきゃいけないのよ!?』とかって。もう大喧嘩してたんですよ。

(玉袋筋太郎)あらー・・・

(小林悠)もう、いまはほら、また2004年から3人娘結成されて。コンサートもなさってますけど。当時は、あまり仲はよくなかったんですか?

(中尾ミエ)そうそう。みんなそれぞれね、そう思っていたから。だからレコード会社が各々違うから、3人娘のレコードっていうのはないんですよ。

(玉袋筋太郎)ああー!レコード会社の壁があるんですね。

(中尾ミエ)そうそう。だけど、そうこうしているうちに、あなた、みんなね、自分はいつまでも売れっ子だと思っていると、そうはいかないじゃないですか。で、私がね、ちょっとほら、ヒット曲もなくなって衰退していった頃に、今度、園まりがヒット曲をバーン!と出したのよ。それで、おお、よかったよかった。で、また園まりも少し衰退してきたら、今度、伊東ゆかりが『小指の思い出』で。だからおかげさまで、3人娘。なんか延々やっていたようなイメージがあるの。

(玉袋筋太郎)ああー!そっか。三段ロケットですよね。

(中尾ミエ)そうそうそう。

(玉袋筋太郎)1号機が中尾さんで行って。その後、園さんが行って、伊東ゆかりさんみたいな。

(中尾ミエ)だからいまにしてみりゃ、助けられたわよねー。

(玉袋筋太郎)はー!でもやっぱ、その、ねえ。女性たちがいっぱいいた時の中で、やっぱり中尾さんがトップっちゅーか、シメてくんですか?やっぱ。スケバン的な(笑)。

(小林悠)(笑)。リーダー的な。

(玉袋筋太郎)その、梓みちよさんをこう、シメたりとか。そういうことはなかった?

(中尾ミエ)齢はあの人の方が上なんだけどね。

(玉袋筋太郎)あ、そうなんすか?

(中尾ミエ)そうですよ。だけど、まだピーナッツが上にはいたから。私もちょっと、そのへんは、ちょっとね。理性を持って(笑)。先輩は先輩だから(笑)。

(玉袋筋太郎)理性って言ってる時点で、なにかあったんじゃないですか(笑)。

(小林悠)感じざるを得ないニュアンス(笑)。

(玉袋筋太郎)あの、あずさ二号とは(笑)。まあ、そんなことはいいんですけど。どうだったんすか?クレイジーキャッツのみなさんとかとは?クレイジーの映画もよく出られてますもんね。

(中尾ミエ)そうですね。で、渡辺プロの社長が、東宝のプロデューサーになったんで。だからもう、ほとんど東宝の映画は、ほとんど出てましたね。だから、クレイジーの映画も出てたし、あと、駅前シリーズとか。森繁さんなんかもね。

(玉袋筋太郎)すっごいね!

(中尾ミエ)だったんで。だから、まあでも、本当にいい時代でしたね。

(玉袋筋太郎)本当にいい時代なんすよ。いま、映画見ても、いい時代だなって。みんなやっぱりハツラツとしてるな!みたいなね。うん。

(中尾ミエ)もう本当に、本っ当に寝る間もなかったんだけど。でも、やっぱり若かったからね。ともかく、化粧を落として、落としたら次の日、またやんなきゃならないでしょ?その時間がもったいないから。化粧をしたまんま寝るのよ。

(玉袋筋太郎)(笑)

(中尾ミエ)もう若いから、ぜんぜん平気だから。朝起きたらちょっとテカテカしてるから。ちょっと粉をはたいて。これでいいわって。

(玉袋筋太郎)(笑)。すごいよ!

(小林悠)すごいですよね。エネルギーが。

(玉袋筋太郎)でも、この何ですか?ナベプロで軽井沢の恒例イベントがあるっていう。

(中尾ミエ)あ、これはね、毎年あの、湖の上で夏のフェスティバルがあったんですよ。で、これ、もう恒例だったんですけど。そうすると、その頃、佐藤栄作さんが首相だったんだけど。渡辺プロはいろいろ、政財界も強かったんで。

(玉袋筋太郎)そうですよね。

(中尾ミエ)で、その時にちょうど、佐藤栄作さんも軽井沢に別荘を持ってらして。で、いつもいらっしゃるんで。終わったらみんなでダダーッ!ってそこに行くんですよ。栄作さんの別荘に。で、そこでなんかドンチャカドンチャカやって。それで、ちょっとじゃあ、何かやりましょうって。こう、日本間の襖を開けて、何かちょっと芸をやるわけ。その頃、藤田まことさんとか、みんないましたから。

(玉袋筋太郎)うーわ!すげーんだよ(笑)。

(中尾ミエ)で、私もほら、怖いもん知らずだから。『ねえ、首相。ほら、こういう時はおひねり、投げて下さい』とかって(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)首相!首相!

(中尾ミエ)『おひねりが大事なのよ』って(笑)。そんなことをやって。

(玉袋筋太郎)最高だよ(笑)。

(中尾ミエ)遊んでましたね。

(玉袋筋太郎)すっごいよね!

<書き起こしおわり>
https://miyearnzzlabo.com/archives/25339

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