町山智浩さんが2026年1月13日放送のTBSラジオ『こねくと』の中で映画『グッドワン』を紹介していました。
※この記事は町山智浩さんの許可を得た上で、町山さんの発言のみを抜粋して構成、記事化しております。
(町山智浩)今日はですね、今週16日金曜日から日本で公開される『グッドワン』という映画をご紹介します。これ、『グッドワン』っていうタイトルは「いい子ちゃん」っていう意味ですね。この主人公の17歳の女の子・サムちゃんが周りの大人たち、おっさんたちから「本当にいい子だね、いい子だね」と言われているんですが。これ、ポスターの図を見るとわかるんですが、その『グッドワン(いい子ちゃん)』って書いてあるところにグチャグチャグチャグチャと落書きがしてあるんですよ。
「いい子ちゃんなんかじゃないわ!」っていうことなんですよ。で、この映画ですね、その17歳の女の子がクリスというお父さんとその彼の幼なじみらしい、昔からの友達らしいマットおじさんと3人で……つまりおじさん2人と17歳の少女がニューヨークの近くにあるキャッツキルという非常に美しい山に2泊3日のキャンプに出かけるという話なんですよ。すげえ居心地の悪そうな映画でしょう?
めちゃくちゃ、シチュエーションを聞いただけで気まずくて死にそうになる映画なんですが。それだけの話なんですよ。で、キャンプに行くって言ったらなんか、ドラマチックなことが起こらないと映画にならないなと思うでしょう? たとえば殺人鬼が襲ってきたり。逆に素敵な男の子と会って恋に落ちたりとかね。でもそういうことはこの映画、一切なしです。本当に何も起こらない映画なんですけど。
これ、気まずいんですよ。めちゃくちゃ気まずいんです。でもね、すごくためになる映画で。僕みたいな人にとっては。特にこのおっさんであるだけで他人に対する理解度とか感情に対する敏感さが欠けるんですが。自分は個人的に一番、そういう感情的IQの低い人間なんで。それを教えてくれる映画として非常にためになるし。
逆にね、非常に繊細で自分のことよりも他の人たちの感情とか、他の人たちの人間関係とかが気になってしまって気を使う人っていうのもいるでしょう? 必要以上に。そういう人にとっても非常に共感を持てる映画になってるんですよ。うちのカミさんなんか、そっちのタイプなんですよ。気を使って気を使って生きてきた人なんで。これを見た時に「わかる!」って言ってましたね。
でね、どうしてこの3人で……おっさん2人と17歳の少女がキャンプに行くことになったかというと、本当はその相手のマットおじさんにも17歳ぐらいの男の子がいるんですよ。ディランくんっていう。その彼も一緒に行くはずだったんですよ。だから「わあ、楽しそう。一緒に行く」ってなって家に迎えに行ったら、そのディランくんが「俺、行かねえ! オヤジなんかと旅行には行かねえ。勝手に行ってこい!」ってキャンプに来ないんですよ。
それで彼女が仕方なく一緒に行く羽目になっちゃったんですけど。そこで彼女は「じゃあ、私も行かない」って言わない子なんですよ。彼女は『グッドワン』、いい子だから。それで行くじゃないですか。そうすると「なんでディランは来なかったの?」みたいな話になると、実はそのマットさんは離婚していて。で、離婚した原因はお父さんが悪いんだっていうことでディランくんは責めていて、だから一緒に行ってくれないんだということがわかってくるんですよ。
「それに比べてサムちゃんはいい子だね。お父さんについてきて」って言うんですけど、実はこのサムのお父さん、クリスももう随分前に離婚をしてるんですよ。で、20歳ぐらい年下の奥さんと再婚していて。で、すごくつらい環境にいるんですね。そのお父さんに引き取られた主人公の少女サムちゃんは。サムちゃんは引き取られて、そういう状況だから、もう物事を荒立てないでお父さんに従い続けてる子なんですよ。これはしんどいんですよ。でも、子供だからしょうがないですよね。
これは監督の実際にあったことをそのまま映画にしたそうです。この監督はインディア・ドナルドソンという人で現在、42歳なんですけども。結婚して子供ができたんで、自分がちゃんと親になるために自分の子供の頃にあったことを映画にしようと思ったそうです。で、この撮影の時には赤ちゃんがいたそうですけど。彼女、このインディア・ドナルドソン監督のお父さんは結構有名なハリウッドの映画監督なんですよ。ロジャー・ドナルドソンという人で90年代にかなり活躍した人です。
で、ケビン・コスナー主演のサスペンス映画『追いつめられて』とかですね、ピアース・ブロスナン主演の『ダンテズ・ピーク』とか、非常に男性的アクション映画を撮っていた人なんですよ。で、彼自身もスポーツマンでアウトドア好きだったんで、その娘を連れて山に行ってキャンプをしてたんですね。で、この監督インディアさんもだからアウトドアテクニックとかを全部、父親から教えられたそうです。
で、まあキャンプに行くわけですが、このマットさんという人は俳優なんですけど。元俳優で今、落ちぶれてなんかセールスマンをやってるっていう設定になってて。マットさんは全然、アウトドアができない人なんですよ。ダメで。いきなり寝袋を忘れてます。そういう人なんですが、このサムちゃんは全部アウトドアの細かいことを黙ってこなしていくんですよ。で、テントを立ててね、ご飯を作って。全部、やるんですね。あと水をくんだり。水をくむのもちゃんと濾過してくんでるんですけど。その間、このおじさんたち2人は何をしてるかっていうと、酒を飲んでるんですよ。
これはね、ちょっと怖いなと思って。たとえば後片付けとかも黙って彼女がやるんですよ。これ、日本でよくある風景だよね。お正月とか、親戚で集まるでしょう? そうすると、いつの間にか誰も命じてないのに女性たちだけは後片付けとか、そっちに回っちゃうのね。で、男たちだけが座敷にいて酒を飲み続けてるの。でも誰も「そうしろ」なんて言ってないのに、そうなるじゃないですか。
「あれ? アメリカでもこうなんだ」と思ってちょっとびっくりしたんですよ。アメリカでも家族同士で集まったりするとそうなりかねない時があるんだけど。男たちも結構、積極的にキッチンに行ったりとか、片付けをするようにするんですね。でも、このサムちゃんの父親との関係性はそうじゃないんですね。で、そこからちょっといろいろきつくなってくるんですよ。見てるうちに。たとえばサムちゃんは山歩きをしている最中に時々、「トイレに行くわ」って言ってその森の奥に歩いていくんですけど。タンポンを入れ替えてるんですよ。
彼女、「私、生理だから行かない」って言えばいいのに、それを言えないんですよ。これやっぱり父親がすごくお金持ちだったってこともあるみたいですね。それでそっちに引き取られて。で、お母さん逃げてっちゃったんで、そっちに行けなかった。するともう、その中で生き抜くため、サバイバルするためにね、そういったことに耐えているんだということがわかるんですよ。これはだから「いい子」とされる人がどれだけ苦しんでるのか?ってことを描いていくんですよね。
これね、僕も反省していてね。うちの娘も結構、何でも言い返す娘だったんですけど。それでもじゃあ、娘がいつ生理だったかってことはわかんないですよ。だからそういうところもあるし。あと、この父親がすごく何でもかんでも人に指示したり……まあ映画監督なんでね。指示する癖がついてるんですよ。で、そのマットっていう友達は元俳優なんで、もちろん指示しまくるんですよ。で、娘にも指示して。彼は指示することが仕事なんで、キャンプに行ってもずっと指示してるんですよ。
男同士の関係性の「悪い癖」
(町山智浩)あとはね、男同士の関係性っていうものの悪い癖があって。男同士の遊びって基本的にゲームじゃないですか。スポーツするでしょう? ギャンブルするでしょう? 勝ち負けがあるんですよ。ちょっとしたことで腕相撲したりとか。それが単に会話の中でもやっぱりそれが延長されていくんですよ。「俺の方が知ってる」「それは違う」っていう感じで全部がゲームっていうか、バトルになってるんですね。軽い。
で、相手にマウントを仕掛けるような形になっていく。それはなんかね、男の悪い癖なんだと思うんですよ。で、それが男同士のふざけなんだろうと思うんですけど。「お前はダメだ」みたいな。「だからお前、離婚されちゃうんだ」とか言ったりするんですけど。
これは男性同士のじゃれ合いなんだけど。ただ、それをずっとこのサムちゃんは背後で、背中で聞いてるんですよ。ところが、この映画はその背中で聞いてるサムちゃんの顔だけを映すんです。この映画は何でも分かりやすいように全てを整理して、わかりやすく出してくれる一般の娯楽映画とは違います。もう本当に日常の中を切り取って、それをサッとそのまま出してるんですよ。だからその日常の中に隠れてる意味を知るのは、観客の努力が要ります。だから娯楽小説と純文学の差はそこにあるんですよ。で、この映画は純文学側なんですね。
だからその男同士がくだらない……「俺、マラソンに出ようと思うんだ」「お前、マラソンなんかやったことねえくせによ」とかって言い合いしてるのを、2人の男じゃなくてそれを聞いてるサムちゃんの顔だけを見せるんです。で、「彼女が心の中で何を考えてるのかをみんな、考えてくださいね」っていう映画なんですよ。まあ、だいたいわかりますけど。「男ってなんでこんなところで競い合ってるのかしら?」ってことですよ。しょうもねえ。バカなんじゃねえか。近所の小学生とか何が変わるの? こいつら、何にも成長してねえなっていうことでしょうけど。
ただこれでね、また嫌なシーンがあって。別のキャンパーたちと一緒になって、キャンプファイアを囲むシーンがあるんですよ。そうすると、要するにお互いにそのアウトドアの経験自慢が始まっちゃうんですよ。これはね、もう正直言います。はい。僕は小学校、中学校とボーイスカウトで、高校は山岳部でした。
それってね、すごくよくないんですよ。こういう人たちが会うと、まず「ここ、いいよね」って言った後、「いや、何回目だよ」とか言う奴がいるんですよ。それで「あそこ、行った? あそこ、いいよ!」みたいな、行った自慢。そういうね、行った山自慢になっちゃうんですよ。この嫌な感じっていうのはすごく……これはやったことない人じゃないとわからんよっていうね。この監督さんの経験がね、よく出ていて。それをね、彼女は少女の時にずっとバカじゃねえのと思いながら黙って聞いてたんですよ。これ、何も考えないで見てると、このシーンが何を言おうとしてるかってのは全然わからないと思いますよ。
で、そういうことに気づけるのは、カメラワークです。そういうバカバカしい男のアウトドア自慢をしているのを彼らじゃなくて、それを聞いて複雑な表情をしてるサムちゃんの顔を見せるから。だから客観的になるわけですよ。でもね、なんていうかスポーツに限らず全部、そうなんですけど。男って基本的にオタクでしょう? 自慢。知識とか経験とか、ねえ。スポーツマンって一番、オタクと離れてるように思うじゃないですか。でもスポーツほどオタク的なものってこの世にないんで。
「あれは違う、あれはダメ。こっちのがいいよ。あれ、やったことある?」とか。もう男のオタク病を何とかしてくれっていう(笑)。まあ、それは女性にも、みんなあるんだけど。これがすごいのは言ってる人たちを見せないで、黙って聞いてる彼女を見せ続けるんですよ。そこがすごいんですけど。ただ、やっぱりどんどん蓄積されていきますよ。爆発に向かって。
で、3日目のキャンプファイアで決定的なことが起こります。そこから実は彼女は自分が生きるために必要だった大人の中で生きてくこと……つまり、おじさんの中で少女が生きてくってことですね。そこから脱出していくきっかけをつかむんですよ。これ、大人になっても女性たちはみんな、おじさんの中で生きていかなきゃなんないじゃないですか。この社会って。で、その中でおじさんたちに気に入られる……つまり『グッドワン』と言われるようにするじゃないですか。
それがいかにその人自身を縛っているか?っていうことですね。それこそ、政治家になって、総理大臣になるためにも、そうやって生きてきた人がいるわけだから。日本には。おじさんたちに『グッドワン』と言われながら生きてきた人が。でも、それでいいのか?ってことですよ。
それでこれ、おじさん同士がはっきり言ってセックスの話をし始めるんですよ。その時に「うまい対応をする」っていうことを自分で意識してやろうとするところがあるんですよ。その辺とか、見ていて怖いんですよ。ただ、これがちょっと他の状況と違うのはこれ、美しい自然の中なんですね。キャッツキル・マウンテンっていう本当にすごいところなんですよ。行ったことありますが。そういう自慢しちゃいけないですね。はい(笑)。
そのね、ものすごい美しい自然の中でそういうことが起こるんで、彼女はそこで自分を初めて解放することができるんですよ。で、監督はなぜそういう風にしたかというと、宮崎駿のトトロとか、そういった作品を参考にしたって言ってるんですよ。非常に孤独な子供たちにとって、自然っていうのは味方なんだ。そこで自由になれて、解放されるんだということを自分の子供に見せるビデオを見ながら学んだという風に言ってますね。
宮崎駿のアニメだと非常に孤独な状況とか危険な状況に置かれている少女たちにとって、常に自然が味方として機能してるんですよね。で、これは本当にそういう映画になっています。あとはまあ、言わないですが……まあ、おじさんたちはいろいろ反省した方がいいと思いますね。という映画がね、『グッドワン』でね。この『グッドワン』って言い方も良くなくてね、「グッドボーイ」とかね、「グッドガール」っていう言い方は犬に対して言う言い方なのでね。
こういう「いい子」っていう言い方自体が基本的にペットに対する言い方だから、言っちゃいけないんですよ。しかもこれ、マットおじさんはね、「いやー、君は本当にいい娘を持ったね」って言って。その子がいいことによって、そのお父さんを褒めるんですよ。それもおかしいだろうって、いろいろなことが描かれてるんですが表面上は何も起こってないように見える映画がこの『グッドワン』なんで。これはいろいろお勉強になりますので、ぜひご覧ください。