えのきどいちろう 長嶋茂雄の訃報を語る

えのきどいちろう 長嶋茂雄の訃報を語る 荻上チキSession22

えのきどいちろうさんが2025年6月3日放送のTBSラジオ『荻上チキ Session』に電話出演。この日、報じられた長嶋茂雄さんの訃報について話していました。

(荻上チキ)ここからは、長嶋茂雄さんの訃報のニュースについて取り扱います。ここからは野球のコラムを多数執筆し、TBSラジオ『ナイツのちゃきちゃき大放送』にもご出演されています、コラムニストのえのきどいちろうさんにお話を伺います。えのきどさん、こんばんは。

(えのきどいちろう)どうも、こんばんは。

(荻上チキ)さて、えのきどさん、今回長嶋茂雄さんの訃報が入ってきました。このニュースについて、どう受け止めていらっしゃいますか?

(えのきどいちろう)まあ、なんかいつかそういう日も来るんだろうなと思ってましたが。改めてショックですね。なんか、長嶋さんみたいな人って、もうなんかずっと死なないんじゃないかなって思うようなところがあって。なんかね、やっぱり本当、ずっと細い糸みたいにつながっていた最後の昭和が終わっちゃった感じがしますね。

(荻上チキ)本当に監督としても、選手としても、それからまあいろいろな言動も非常に多くの注目を残し、また成績も残しました。長嶋さんの功績については、いかがでしょうか?

(えのきどいちろう)長嶋さんはやっぱり、長嶋さんがプロ野球に入るまでは六大学野球の方が人気があったんだから。六大学が花があって職業野球はバカにされたわけだから。それをひっくり返してプロ野球を本当に人気スポーツにした功労者ですよね。まあ、つまり長嶋さんが太陽なので、輝く太陽がプロ野球に移ってきたうんっていう。それでまあ、ゲームチェンジャーですよね。世界を変えてくれた。そういう人だと思います。もちろん、個々のホームラン数だとか、ヒット数みたいなこともあるんですよ。監督として優勝したってこともあるんだけど。そういうことよりもとにかく、みんなが大好きなプロ野球というものを作った人っていう感じですかね。

(荻上チキ)うん、うん。当時の試合の様子など、覚えていらっしゃいますか?

みんなが大好きなプロ野球を作った

(えのきどいちろう)僕は本当、高度成長期の子供なんで。V9ジャイアンツで過ごしましたから、もう本当に……っていうか、ジャイアンツ戦しかテレビでやってくれなかったんで。だからジャイアンツ戦をずっと見てたですね。あと、僕らの世代って原っぱがまだあったので。原っぱで草野球っていうか、原っぱ野球の子供たちで……別にユニホームなんか着ないでやるんですよね。それでみんな、だからたとえば王さんの一本足打法を真似してみたり、長嶋さんがフルスイングして帽子が落ちるみたいなやつをやるために帽子を一生懸命、浅めにかぶって落ちるようにして。とか、そういうモノマネをしてたんですけど。そうやって日本中の野球少年が長嶋さんになりたくてやっていて。

なんか夢想の……夢の中では3番・王さん、4番・長嶋。で、5番をえのきどが打つみたいな、なんかそういう感じでやっていて。それから、あとは長嶋さんの後継者。次のサードに自分がなるみたいな、そんな空想をするわけ。それでみんな、長嶋さんに憧れて。長嶋さんみたいになりたくてっていう子供が世の中にもものすごく、昭和の頃はいっぱいいたわけですよ。で、それが中学生になって、野球部に……僕なんか、もう中学で野球部にはとても無理だと思って入らなかったですからね。

それから高校野球に行くところでまたふるいにかけられて。で、その長嶋茂雄ごっこのたった1人の勝者。そうやってふるいにかけて、かけられた末に生まれるんですよ。それが原辰徳だった。つまり、長嶋さんの後にジャイアンツのサードを守って4番を打った男っていう。だから、みんなの憧れの集約したものが原さんになるっていう、そういう感じですね。昭和の子供の感覚としては。

(荻上チキ)そうですね。まあ、スポーツであるだけでなく、もうドラマとしても、シーンとしてもいろいろな注目を集めていた、そんな時代でしたよね。

(えのきどいちろう)そうですね。

(荻上チキ)監督としての長嶋さんはいかがですか?

長嶋監督は新庄監督と似ている

(えのきどいちろう)監督としては割と今だと新庄さんに似てると思いますね。勘ピューターって言われていて。それから言動が派手で。それから、海老沢泰久さんの『監督』っていうノンフィクションがあってこれ、すごく面白いんだけど。「見てろ、絶対打てないから」とか、自分のジャイアンツの選手についても悪いことでも予言しちゃうんですよ。で、それがその通りになるっていう。だから、みんなビクビクしながら、なんか長嶋さんの目を恐れていくみたいな感じで。まあ動物的勘とかって言われたんですけど。そういう、監督さんとしては際立ちすぎていて。それから奇策を用いたりとか、そういうような感じで。だから本当にタイプとしては新庄さんに似てると思いますね。

でも、愛された。一方で月見草と言われた野村克也さんの野球観はデータ野球だったり、そういう野球の考え方ですけども、それとはまた違う、明るくて。それから割と盛り上がりを大事にしていくみたいな監督さん像というか。新しいプロ野球像というのを作りつつあったっていう感じだと思いますね。

(荻上チキ)ここでこそ、バッターを変えるならこの人だっていう、なんかドラマというのをとても重視されたような面というのがありますよね。

(えのきどいちろう)そうですね。それからいろんな……笑い話ではバンドのジェスチャーをしながら「代打」って言っちゃうみたいな。もう作戦が筒抜けみたいなこともよく言われるじゃないですか。そういうエピソードも本当にいっぱいあるじゃないですか。そういうことも含めて……だから野村さんの野球が考え落ちというか、本当に理詰めな感じだったのに対して、結構そつがあるんだけどやっぱりね、放っておけないんだよね。好きになっちゃうんだよね、みんなね。そういう感じだったと思います。

(荻上チキ)おそらく今、それぞれの長嶋茂雄と向き合っている、思い出しているという方も多くいらっしゃると思います。えのきどさん、ありがとうございました。

(えのきどいちろう)どうもありがとうござました。がんばってください。

(荻上チキ)ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

本当にびっくりした長嶋茂雄さんの訃報。えのきどさんの「みんなが長嶋さんに憧れて野球をやり、ふるいにかけられた末に現れた長嶋茂雄の正当な後継者が原辰徳だった」というお話はなるほどと膝を打ちました。長嶋茂雄さんのプレーを見て育った野球少年としてのえのきどさんの視点、とても興味深かったです!

荻上チキ Session 2025年6月3日放送回

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