町山智浩『Flow』を語る

町山智浩 クインシー・ジョーンズと楳図かずおを追悼する こねくと

町山智浩さんが2025年3月11日放送のTBSラジオ『こねくと』の中でラトビア製のアニメーション映画『Flow』を紹介していました。

※この記事は町山智浩さんの許可を得た上で、町山さんの発言のみを抜粋して構成、記事化しております。

(町山智浩)今日は『教皇選挙』という映画を紹介しようと思ったんですけど、それは来週公開なんで。それより前、今秋に公開される映画を紹介します。それはアカデミー賞の長編アニメーション賞を受賞した映画で『Flow』という映画です。これね、ラトビアという国の映画なんですよ。ラトビアってあんまり聞かない国名ではあるんですが。これはロシアの隣です。ロシアと国境を接してるんですけども。エストニアとかリトアニアと並んで「バルト海三国」と言われている国なんですけどもね。で、人口200万の、あまり大きくない国なんですけれども。

それが初めてアカデミー賞を取ったという作品が今回の『Flow』という映画です。これはですね、世界のほとんどが水没してしまった地球で黒猫ちゃんが冒険をするという映画なんですよ。で、これは写真があるんですけど。かわいい猫ちゃんでしょう? 超かわいいんですけど……これで猫ちゃん、泳いでないですか? でも猫、水が嫌いじゃん? お風呂に入れるの、大変ですよね。まあ水に対する猫の感情って、非常に謎なんですよ。お風呂場に来て、蓋の上に乗ったりするでしょう? 入りたいのか入りたくないのか、はっきりしろよっていうね。

嫌いだったら嫌いでなぜ、お前はお風呂場に来るんだ?っていうね、そんな猫のおかしさがよく出てる映画なんですけど。これね、おそらくこの猫ちゃんは……猫って半年ぐらいで大人になるじゃないですか。だいたい、生まれてからね。そのね、大人になるかならないかぐらいの一番かわいい時の子ですね。はい。

で、最初は人の家に飼われていたらしくて。この映画の最初のところでも、ジブリ作品に出てきそうな森の中の1軒家があってですね。そこにこの黒猫ちゃんがいるんですが……人間がいないんですよ。明らかに飼い主がいたはずなんですけど、飼い主がいないんですね。この世界、人類がいつの間にかいなくなっちゃっている世界なんです。で、飼い猫だから外に行かないと食べ物もないし。生きるためにその家を出ていくっていう話なんですね。

飼い猫が生きるために家を出ていく

(町山智浩)で、この映画のタイトル『Flow』っていうのは「あふれる、流れる」っていう意味があるんですけど。この映画がね、その段階からずっと、ほとんど映画が止まらないんですよ。ずっとカメラ自体が流れるように黒猫ちゃんの冒険を撮り続けて、画面がずっと動いてるというアニメーションですね。これね、セリフもないです。動物しかが出てこないので。人間がいない世界なので。

ディズニー映画だと、動物がいわゆる擬人化というんですが。人間みたいにしゃべったり、考えたり……ひどい時には服を着ていたりしますね。で、『ライオン・キング』なんかでもCGでものすごいリアルな動物にしてるのにも関わらず、本当に人間のようにしゃべりますよね。でも、この『Flow』は全くそれをしてないんです。本当に徹底的に動物として描かれています。出てくる猫が。でね、この映画のもうひとつ、特殊なところはハリウッドのディズニーとかピクサーとかドリームワークスとかのアニメと決定的に違うこと。それがエンドクレジットがめちゃくちゃ短いことです。普通はもう100人とか200人とか、人の名前がぞろぞろ出てくるじゃないですか。映画が終わると。

わずか50人ぐらいのスタッフで製作

(町山智浩)でもこの『Flow』はね、それがものすごく短くて。サラッと終わっちゃいます。これね、わずか50人ぐらいのスタッフで撮ってるんです。これ、だとしたら労働環境がきついんじゃないか?って思うんですけど。これは今ね、オープンソースで誰でも使える3Dアニメーションソフトがありまして。そのBlenderというソフトを使ってるんですよ。これ、要するにディズニーとかピクサーはいちいちアニメーションを作る時、すごい新技術を開発して。特許をいっぱい取ったりして。それで開発費とかがかかっているんですけど、この映画は開発費の部分がかかっていないんです。ありものでやっています。

しかも、たとえば水の動きとかね、動物の毛並みとか、すごく徹底的にシミュレーションしてコンピュータに計算させているんですよ。ディズニーとかピクサーは。そういうのもしていなくて、猫の動きとかはちゃんと猫を観察して手で作っていて。で、毛並みが動くっていうのはさすがに難しいから、毛は動きません。50人でやってますから。これ、黒猫だったから毛の動きが見えないんでよかったんですけども。

それで、他にもいっぱい動物が出てくるんですけど、あんまりそんなにすごいことをしていないんで。それが逆にいいんですよ。あのね、印象派の絵みたいなんですよ。モヤモヤっとした感じの色の塗り方、質感になっていて、それがすごくいい感じなんですね。動きは動物の動きとか、ものすごくリアルにできてますけど。で、この感じがすごく逆に手作り感があっていい感じなのと、技術で見せるんじゃなくてなんというか、考えさせて見せるという映画になってるんですよ。

観客は常に考えながら見る

(町山智浩)これ、セリフがないから「一体、この話は何だろう?」って常に考えながら見るんですよ。で、飼い主がいないわけですから外へ出なきゃなんなくなるわけでしょう? この黒猫ちゃんがね。そうすると、今まで飼われてたからまず餌を取ることもできないし。それで猫って他の動物をもすごく怖がるでしょう? 犬とか大嫌いなんですけど、犬とかいるんですよ。とにかく外の世界は恐怖の連続なのと、さっき言ったみたいに海が全体を覆っている世界なんで、泳げないから大変なんですよ。猫ちゃんは。

で、そこに非常に運よくちっちゃなヨットが流れてくるんで、それに黒猫ちゃんが乗ると、そこにはいろんな動物が先に乗っているんですね。で、それと一緒に旅をすることになるんですけど。まずね、ワンちゃんのレトリーバーが乗っています。ものすごくかわいくてね、めちゃくちゃ愛想がいいんですけど。でも猫ちゃんは愛想がよくないから、打ち解けないんですよ。あとね、キツネザルが乗っていますね。ワオキツネザルが。

それはすごく好奇心が強くて、人間が残していったいろんなもの……特に金属とかおもちゃとかを拾っては、すごく遊んでいて。猫からすると、ちょっとやかましいんですよ。あと1匹ね、非常に落ち着いたカピバラさんがいます。カピバラはね、ヒゲがちゃんと表現されていて。船長感がありますはい。宇宙戦艦ヤマトの沖田船長みたいな感じなんですけど。古いですが。カピバラ、貫禄があって、長老感があっていいんですけど。で、この動物たちで旅をするんですね。海の上を船に乗って。という話なんですけど、次々といろんなことが起こっていくんですが……一体、それは何を意味してるんだろう?って、いろんな疑問がわいてくるんですよ。見ていると。

まず人間たちはどこいったんだろう?って。誰もいないわけです。それと、なんでこんなに水が増えてしまってるんだろう? 地球温暖化なのかな? とか、考えるんですね。でも猫たちだから説明してくれないんですよ。全然。で、普通の映画のように説明的なものが一切、ないですね。だから見ている人は常に考え続けなきゃなんないし。逆にセリフがないから、お子さんも見れるし。お子さんも見れるけど、大人はものすごく深く考える。大人にとってある意味、難解な映画になってるんですよ。

だからすごく面白い。子供はたぶんね、次々と起こるいろんな冒険……次々と危機が起こりますから。それを猫がくぐり抜けていくんで、もうずっと飽きないでハラハラ見ていることになると思います。お子さんは。で、セリフがないから「わからない」とかって悩む必要もないんですよ。だから子供は悩まないけど、大人はものすごく悩んで見る映画ですよ。

画面で起こることは全部、わかります。「あれは何だったんだ?」っていうことはないんですけど。ただ、「これは何の話なのか?」っていうことを考えちゃうんですね。大人ってね。「私はここから何を受け取ればいいのか?」ってことを考えちゃうんですけど。それは逆に自分自身をに問いかける形になるんで。非常に……「メディテーショナルな映画」という風にアメリカとかでは言われてますね。これ、メディテーショナルっていうのは「瞑想的」っていう意味なんです。メディテーションから来てるんですけど。映画が何も言わないから、自分で考えなきゃなんないんですよ。

黒猫は監督自身

(町山智浩)でね、ひとつヒントがあります。これは状況証拠からわかるんですけど。この黒猫は一体、何か? これは監督自身なんですよ。この監督のギンツ・ジルバロディスさんという人は1人でアニメを作り始めた人なんですけども。現在、30歳で若いんですね。で、この黒猫が住んでいた家というのは彫刻家のお家なんです。彫刻がそこら中に残っていて、スケッチとかもあるので彫刻家であることがわかるんですけど。この監督のジルバロディスさんのお父さんも彫刻家なんですよ。で、彼自身は学校とかに行かないで、たった1人でアニメーションを作り始めたんですよ。16ぐらいの時からアニメ作品を作ってるんですね。コンピューターを使って。だから、たった1人で世の中と切り結び始めた黒猫ちゃんというのは、彼なんですよ。

なんにも頼りがなくて、何も教えられてないので1人でやんなきゃなんなくなってるんですけど。で、もっと確実な手がかりはこの監督が18歳の時に撮った『Aqua』というアニメの短編があるんですが。それは海の上に浮かんでるちっちゃな船に乗っている黒猫ちゃんの話なんですよ。これ、『Flow』と似てるんです。ただCGとか、ものすごく初歩的で。猫なんかもう本当に手描きの線で書いた絵で。本当になんというか、子供が作ったようなアニメなんですけど。

で、その黒猫ちゃんがどうするか?っていうと、まず生きるために泳がなきゃなんないんだけど、泳げないんですね。猫だから。そこで困っているとカモメが来て。カモメが水に潜って魚を獲るやり方を教えてくれて。その黒猫ちゃんを助けてくれたんで彼も泳げるようになって、魚を獲れるようになるっていう話が『Aqua』なんですね。で、それが元になって今回のその大きい映画になっているんですが。彼はその後もずっとアニメを1人で作り続けてるんですよ。この監督、ギンツさんは。で、今回初めて、その50人のスタッフを使って共同作業で撮ったんです。

だからこの船に動物たちが乗り合わせて危機を切り抜けていくっていうのは、このアニメ自体の製作過程なんですよ。それまで、たった1人でやってた人ですから。ついこの前、2019年まで1人で撮ってたんですよ。だからまさにこの猫と同じ状況になっているっていうのを同時進行でやってるという、非常に奇妙な映画なんですけど。で、それ以外にも、もっと大きなというか、宗教的・哲学的、それに政治的なメタファーもこの映画には隠されています。ヘビクイワシというのが出てくるんですね。この『Flow』には。ヘビクイワシ、写真があるんですけども、すげえでかい、白い美しい鳥なんですけど。それに黒猫ちゃんが食われそうになっちゃうんですよ。これ、小動物を食うんだって。

だからちっちゃい猫ちゃんとか、食べちゃうんですよ。で、黒猫をこのヘビクイワシの群れが食おうとすると、1羽のヘビクイワシがそれをやめさせようとするんですよ。そうすると、ヘビクイワシたちは「裏切り者だ!」っていうので彼を制裁するんですよ。このヘビクイワシを。で、翼を折られちゃうんですよ。で、飛べなくなって群から落ちこぼれるんですね。で、この船の仲間になるんですけど……これは一体、何を意味するんだろう?って思っちゃうんですよ。

どうしてもラトビアという国のことを考えてしまう

そういう、いろんなことを考えさせられる話が次々と出てくるんですけど。まずね、ラトビアという国のことをやっぱりどうしても考えざるを得ないんですね。見ていると。ラトビアはロシアに接していて、昔からその周りの大国に何度も占領されたりしてるとこですね。で、ロシアにはかなり長い間、占領されていてロシアの一部だったんですけど。ソ連が崩壊した時に独立をして。今は独立した状態にあるんですが、非常に危険な状態にあります。現在。もしウクライナが占領されたら、次はこのバルト海三国がやられるだろうと言われてるんですよ。

ウクライナよりも遥かにちっちゃい国だし。だって人口200万人ですからね。くっついていて。しかもここを占領すると、ロシアがバルト海に面した部分を取れるんですよ。だから次はここがやられると言われていて、非常に危険な状態にあって。今、EUとかNATOには入ってるんですけれども。この状況でこの映画を見ると、どうしてもそのことも考えざるを得ないんですよね。なにが本当か?っていうより全てを考えさせる映画……やっぱりそういう映画が優れてるんだなと。何も言わないでね。そう思うんですが。今、政治状況が非常に大変な事態になってるんで。どの映画を見ても、そういうことを考えざるを得ないところがちょっとあるんですけど。考えすぎであってほしいんですけどね。

映画『Flow』日本版特報映像

アメリカ流れ者『Flow』『スイート・イースト 不思議の国のリリアン』

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