爆笑問題・太田 上岡龍太郎を追悼する

東野幸治 上岡龍太郎を追悼する 爆笑問題の日曜サンデー

爆笑問題の太田さんが2023年6月4日放送のTBSラジオ『日曜サンデー』の中で亡くなった上岡龍太郎さんを追悼していました。

(田中裕二)さあ、それはサンジャポプラス。こちらニュースからです。

(山本恵里伽)上岡龍太郎死去。元タレントの上岡龍太郎さんが先月19日に大阪府内の病院で肺がんと間質性肺炎のため亡くなったと窓口を務める所属事務所が2日、伝えました。81歳でした。上岡さんは2000年に芸能界を引退した後は表舞台には立たず、高い人気を誇りながらの異例の引き際も話題となりました。

(田中裕二)ねえ。驚きましたけれども。もう、ここのところ、ずっと20年以上ね、テレビなどで活動されていなかったので。

(太田光)だから、がんだとか、そういう話も聞いてなかったから。元気な姿がずっとイメージとして……マラソンをすごいやっていて。

(田中裕二)あと、プロゴルファーを目指すなんてね。

(柴田秀一)ゴルフはずっと、やってらっしゃったそうですね。

(太田光)ねえ。びっくりしましたね。

(柴田秀一)私、たまたまこれ、ニュースデスクをやっている時に入ってきたんですけども。まず、20年間出ていないってことは、やはり20代から30代にかけての人は「上岡龍太郎さん」って言っても、わからないんですよ。

(太田光)そうでしょうね。

(田中裕二)だから、恵里伽さまとかの年代はほとんど、ねえ。

(山本恵里伽)そうですね。あんまりリアルタイムでお見かけしたことはないかもしれないですね。

20代から30代にかけては認知度が低い

(柴田秀一)各局で司会をやっていて。よく言われるのは関西系のテレビでやっていたっていうことはあれですけども。TBSでも『上岡龍太郎がズバリ!』とか、そういうのをやっていたんですよね。それから『おサイフいっぱいクイズ! QQQのQ』なんていうのを昼間にやっていたりなんかしたんですけども。結構ね、関西だけじゃなくて東京でも。

(太田光)そうですね。特に日曜日なんかはアッコさんとね、ノックさんと上岡さんでやっていた、『ラブアタック!』ね。あれなんかは我々、子供の頃は日曜日になると関西系の番組がやっていましたよね?

(柴田秀一)日曜日の昼間って、だいたい関西が基地局でやってましたよね。

(太田光)それと、やっぱり『パペポTV』ですよね。僕らは。深夜、鶴瓶師匠と2人で、本当にトークのみで。まあ、面白かったよね!

(田中裕二)面白かったね!

(太田光)すごかったよね。その、上岡さんが物知りのインテリの感じで。鶴瓶師匠がどっちかっていうと、物を知らないっていう、その2人のやり取りがすごく合っていて。名コンビだったよね!

(田中裕二)名コンビだったね。本当に。

(太田光)大爆笑して見ていましたけども。ああいう番組をやりたいって、やっぱり若手の頃、ずっと思っていたし。で、僕ら的には上岡さんは立川流のBコースって言って。芸能人が……だいたい、たけしさんとか、高田文夫先生とか。それで上岡さんも入門してね。要するに、立川流。上岡さんは「立川右太衛門」としていて。で、僕らが談志師匠の会に出ると必ず楽屋で談志師匠を中心に……みんな、談志師匠を尊敬してるから。で、特に上岡さんとかはもう本当に「談志師匠は天才だ」っていう風に尊敬してる方だったんで。ミッキー・カーチスさんとか、高田先生とか、ポール牧さんもいたね。あの頃。

で、あの楽屋でね、みんなでね、楽しそうに話をしているのを僕ら、隅っこで聞いてたりとかっていうのがやっぱり思い出に残っていて。だから上岡さんが引退する時に僕はたまたま、あれは『EXテレビ』だったかなんかで見たんですけど。「今のこれからのお笑い界、どうなると思いますか?」っつったら「若手では爆笑問題に期待している」って。僕がたまたま見ていたら、そう言ってくれたんですよ。「爆笑問題、頼むで」って言ってくれて。「うわっ!」って思って。

それは何でかっていうと、「あれだけめちゃくちゃな爆笑問題でも、立川談志の前ではきちっと正座をして。お辞儀をして。緊張して話を聞いている。そこに僕は望みを持っている」っていう。要するに、俺らの芸を褒めてくれたわけじゃないんだけど。要するに、その「立川談志のことをわかること」を上岡さんはすごく嬉しく思ってるっていうのを最後に、引退する時に言ってくださっていて。僕はずっとそれを……今、その期待通りになれているのかはわかんないけど。それはすごく励みになりましたね。

「若手では爆笑問題に期待している」(上岡龍太郎)

(柴田秀一)関西の方だけど……関西と関東って、笑いが違うってよく言われるじゃないですか。でも、やっぱり談志さんが好きだったんですね?

(太田光)談志師匠のことはもう本当に尊敬されていたと思いますね。だからやっぱり上岡さんの芸って、ちょっと関西の中でも割とベタベタじゃなくて。インテリ……「天才、上岡龍太郎です」ってね。

(柴田秀一)言ってましたね(笑)。

(太田光)そういう、知的な芸風というかね。そういうところ、ありましたからね。

(柴田秀一)びっくりするのは、とちらないっていうか。つっかえないんですよね。

(太田光)そうなんです。

(田中裕二)ダダダダダダッ!ってしゃべれるね。

(柴田秀一)あれは僕、絶対に真似できないなと思って。よく引っかかるから(笑)。

(太田光)本当だね。だからノックさんの弔事の時なんかもね、感動しましたよね。

(田中裕二)すごかった。名調子っていうかね。

(柴田秀一)どこにプロンプターがあるのかな?って思っちゃいましたけども。

(田中裕二)もう全部、空でね。

(太田光)「ノックさん、ノックさん。あなたは私の太陽でした」ってやつね。あれをまた松村くんが完コピするんだよね。人の弔事を完コピするんじゃないっていう(笑)。

(田中裕二)そこのものまねをするんじゃねえよっていう(笑)。

(山本恵里伽)でも、まるで講談を聞いているかのような語り口だなっていうのは、思いましたね。

(田中裕二)本当にプロですよね。芸人というかね。

(柴田秀一)でも、その中にアドリブがたくさん入ってるんですよね。

(太田光)そう。入っているんですよね。

<書き起こしおわり>

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