ライムスター宇多丸さんがTBSラジオ『ウィークエンドシャッフル』の中で『実写版 進撃の巨人 前篇』について映画評論していました。
【NEW】「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」立体機動予告編 http://t.co/TIMQHN1oOZ #進撃の巨人 pic.twitter.com/dxpvcw13gP
— 映画.com (@eigacom) 2015, 7月 15
(宇多丸)今夜扱う映画は、先週、ムービーガチャマシンを回し、最初は当たらず、この映画に脚本で参加されている映画評論家 町山智浩さんが自腹で1万円を払ってようやく決まりました、こちらの映画。『進撃の巨人 Attack On Titan』。
巨人対人類の壮絶な戦いを描いた諫山創さんの人気コミック。その実写映画化。人間を食べる巨人の禍々しさはそのままに、設定やキャラクターを映画用にアレンジして挑んだ挑戦作。監督は『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』や『平成ガメラ』シリーズで特撮技術監督を務めた樋口真嗣さん。出演は三浦春馬、水原希子、長谷川博己、石原さとみらということでございます。
もうね、言わずもがなというかね。作品でございますよ。何しろその原作の進撃の巨人も、いまや世界的なヒット作ですけど。この番組に関しては、非常に縁が深いどころかね、『タマフルなくして進撃なし』。これを原作者 諫山さんの言質を取っている!こういうね、番組でございますよね。えーえーえー。リーリーリー!っていうね、ことでございます。しかもね、町山さんが脚本に参加されていることで、非常に縁が深いという作品になっております。
リスナーの感想
で、これだけの話題作でございますので、この映画を見たよというリスナーの皆様、メールなどでいただいております。感想をね。メールの量は、多いです!最近では『マッドマックス 怒りのデス・・ロード』や『バケモノの子』に次ぐ量。プリントアウトした紙の量が3センチぐらいになっております。どすーん!感想の内訳は、絶賛2割。酷評2割。そして過半数以上が、『いいところもある。悪いところもある』でございます。大抵の映画はそうじゃないかと思うんですけどね。
興味深いのは、賛否どちらの意見も、実はよく似ている。ポジティブなものは、『巨人がちゃんと気持ち悪くて怖い』『残酷描写が容赦ない』。ネガティブなものは、『人間ドラマのシーンが退屈』『映画オリジナル要素に乗れない』。この2つの要素のどちらによりインパクトを感じたかで肯定派と否定派にわかれるといった印象。だから、同じものを見て、同じ風に受け取っているんだけど、そのどっちの方をクローズアップするか?っていうことなんですかね。代表的なところをご紹介いたしましょう。
(リスナー投稿メール省略)
はい。ということで『進撃の巨人 Attack On Titan』。私も行ってまいりました。計 結局ね、4回ぐらい見る羽目になってしまいましたけど。改めて言うまでもなくね、少なくとも日本での実写化っていうのは非常に難しいと思われる作品ですよね。で、進撃の巨人っていう作品の、原作マンガの映像化作品としては、先にアニメ版っていうのがあって。こちらがかなり原作マンガに忠実な作りになっていて。なおかつ、劇中で立体機動という、シューッと、スパイダーマン的にというか、シューッと飛び上がって巨人をやっつけるための装置というのの描写が、正直構造的に、マンガだけ読んでいると謎な構造だなと思う時もあったんだけど、アニメならではのアクションとしての説得力がアニメ版だと増していたりして。普通にこれ、アニメ版は成功作だなという風に思って見ていたりしたりしました。
で、ただし実写化となるとそのハードルの高さ、もちろん比じゃないわけですよね。アニメ化のね。特にその、僕はやっぱり『このへん、難しいんじゃないかな?』と思ったのは、中世ヨーロッパ風のあの世界観であるとか。難しいだろうなと。で、一旦これ、最初ね、進撃の巨人の実写映画化は中島哲也監督で進んでいたんですね。話ね。で、そん時は舞台は完全に現代日本に置きかえるみたいな方向に行っていたんだけど・・・というのも、まあ、アイデアとして無理もないなと。まず世界観、これをやるの難しいもん、みたいな。
でも結局、割と原作寄りな世界観を、日本での実写長編映画向けにアレンジっていう、言っちゃえば、進撃の巨人実写映画化っていうのに限りなく真っ向勝負というか。正面突破的な方向に来たというかね。まあ、堂々としたもんだというか。で、そのトライ自体は間違いなく価値があるっていう。これはもう、どっちも、いいも悪いも含めて、これは、トライは間違いなく価値があると思う。今後の日本のエンターテイメント作品業界のためにもですね。と、思うし。そして今回の前篇。これ、ちなみに前篇ですからね。後編、話終わってないですから。これ、前篇ってちゃんと言えよ!って。タイトルとかで。それ、すごく思ったりしますけど。
まあ非常に困難だけど、意義あるトライというものに対して、いいですか?ものすごーく、がんばっている!のは、疑いの余地がない。誰もが、がんばっている件に関しては、疑いの余地がないと思いますね。がんばっている!がんばっているんだ、この子は!しかし、この『がんばっている』っていう表現は非常に曲者でございまして。『がんばっているから、いいじゃん!がんばっているから、評価したい!』っていう言い方もできますが、それって反面、とは言え、『がんばっている!んだけど、まあ、上手くは行ってないんですよ』とか。そういう、両面。良くも悪くもがんばっている両面っていうのがあるわけですよね。
いい意味でがんばっているところ
で、ですね、ちょっと先に、いい意味でがんばっているっていうあたり、先に列挙というか、挙げていっちゃいますね。美点の部分です。要するに、美点が全くない映画とは全然思いません。僕も。たとえば、ある意味ここがクリアされていれば、進撃の実写化としてはひとまず合格なんじゃないかと思える巨人描写ですよ。先ほどもね、メールでありましたけど。要するに巨人がいかに怖いか。それがこう、世界中にいる状態が絶望的であるかっていうのがまあ、表現されていれば、他が多少ダメでも、まあまあ十分クリアってことだと思うんですよね。
要は、アメリカ映画だと、フランク・ダラボン『ミスト』の終盤の、『ああ、もうここ、住めないわ。地球、住めねえ』みたいな。あの感じが出てれば、もう大合格だと思うんですけど。はい。で、たとえば、超大型巨人。進撃の巨人っていう作品のアイコン的存在ですよね。まあ、オレンジ色というか、何色というか。で、ガーン!と出てくると。顔がグーッ!っと出てくる。これね、『巨神兵東京に現わる』とかの手法のブラッシュアップだな、みたいに思ったんですけどね。こう、操りでやっているんですけど。ちょっと目が光るのは、ちょっと俺、いただけないなと思った。ちょっと目が光ると機械っぽいというか、作り物っぽくなりすぎるからあれだなと思ったけど。まあ、造形とか、なんと言うかな?ちょっと人工物感も含めて、まあかっこいい見た目にはなっているし。
あと、やっぱり何より今回、やっぱり中型というか、人型巨人ですね。雑魚巨人たちですね。それもね、たとえば肉を、人間を食べるっていうのはまあ、原作通りですけど。人間を食べる時に、なんか余った肉をこう、ウウーッ!って奪いあったりする。要するにゾンビ的な感じになっていたりとか。あるいは、なんか女なのかわかんないけど、笑っている顔の人型巨人の顔のアップになった時に、ウヒヒヒヒみたいな声が重なって。なんかちょっと『おばけー!』みたいな。
ゾンビ感、おばけ感みたいなのが正直僕、どっちも僕が原作のマンガを読んでいて、巨人描写から受けた無機質、無感情みたいな怖さとはちょっとニュアンスは違うよなと思って見ていたけど。ただ、これはこれで、言っちゃえばモロに東宝の怪獣特撮映画クラシック。たとえば『フランケンシュタイン対バラゴン』とか。
その続編の『サンダ対ガイラ』とか。
モロにその系譜上にある、人型人喰い怪獣ものの最新版として。なんて言うのかな?笑っちゃうスレスレの不気味さみたいなのは、ばっちり出ていると思うんですね。笑っちゃうスレスレ。笑っちゃうスレスレ。
特にたとえば中盤に出てくる、さっきも言いかけた原作にはない、あるタイプの巨人が出てくるわけですよ。原作には出てこないあるタイプの巨人も含めて、僕ね、松本人志さんの劇場映画1作目の『大日本人』ってあったじゃないですか。あの感じも思い出したりなんかするぐらいで。
あっちはまあ、笑わせようとしているわけだけど、その笑っちゃうスレスレの気味悪さ、怖さみたいなの、ばっちり出てるなと思ったしね。あるいは、『サンダ対ガイラ』的なところで言うと、怪獣に、しかも人型怪獣っていうか人型の超巨大な人に、至近距離から見られている。キョッ!っていう感じとか。そういう描写とかもあって。まあ、文脈的にわかる。
あと、それに付随する人喰い描写であるとかバイオレンス描写というかも、たとえば教会に人々がすし詰めにワーッ!ってなって、そこである惨劇が起こるんですけど。まあ、おそらく『炎628』という戦争映画というかナチ映画があって。『炎628』オマージュと思しき教会すし詰めからの惨劇シーンを始め、まあ、たしかにこれは誰もが認めるでしょう。いまどきのビッグバジェット日本映画というか、こういうね、映画としてはあり得ないほど残酷描写が容赦ないレベルまで踏み込んでいて。本当に、がんばってますよ。これは。がんばっていると思います。
あと、修羅場描写というか、地獄描写みたいなところで原作からの要素の抽出もすごく僕、的確だなと思いました。たとえば、やっぱり食われる時に心が折れて食われていく。『ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!』とかさ。あと、銃を用意して、『そんなんで役に立つわけないだろ!』って、たかみなに言われてですね、したらまあ自殺とかですね。要素が、ここが絶望的な要素だ、みたいなところが、ちゃんと抽出ポイントも非常に的確だと思いましたし。まあ、こういうのを含めて、特に日本特撮怪獣映画の歴史とか、そういう文脈を共有している、ぶっちゃけ主に40代から50代以上の男性観客は、どうしたって応援したい気持ちが前に出てくるっていう層は結構多いんじゃないかと思います。
僕もやっぱその気持ちは強かったです。見ていて。あとですね、これ、原作の諫山創さんの意向でもするらしい。あるいは町山さんのアイデアだったりするらしいですけど、キャラ設定の改変。特に三浦春馬さんの演じる主人公エレンへの心情的追い込みっていうのを原作マンガよりグッときつくしてるんですね。今回ね。どんどんどんどん追い込んでいく。のも、僕は短時間でエモーションを爆発させなきゃいけない、ピークに持っていかなきゃいけない劇場用映画向けのアレンジとして、非常に正しいアレンジだなと思いました。
このあたり、やっぱり脚本参加した町山さんの功績なのかもしれないなと思いますね。要は、ダンテの『神曲』をやろうみたいなね。地獄めぐりというかね。どんどんどんどん主人公が、どんどんどんどん、これでもか!っていうぐらいひどい目にあって、どん底で、ドーン!カタルシス。この作り、狙いは正しいなと思いますし。原作より、むしろそこはブラッシュアップされてるなって思うところだったりしますし。で、それを徹底されてればこそ、さっきね、進撃の巨人という元のマンガのキモのひとつでもある、途中からジャンルが実は変わるというところですよね。
要は、怪獣映画、もしくは怪獣ホラー映画、モンスターパニック映画みたいなもんだと思っていたら、実は、まあ、いいか。これね。原作も知られているから。ずいぶん。ネタバレじゃないだろ。実は、ウルトラマンだった!っていうね、あたりもですね、より生きるわけですね。主人公を、落として落としてっていうのは。終盤、スーツアクターというか、スーツを着てのウルトラマン的なものの格闘シーンなどはまさに、非常によく、実写ならではの良さも出ていたと思いますし。
あと、特にですね、途中、第二幕以降というのかですね、廃墟の街みたいなのがワーッと出てくるわけですね。主人公たちが移動している途中に。それは軍艦島でロケをしているわけですよ。で、軍艦島のロケしているシーンはやっぱり、おそらく予算に対して相当不釣合いなスケール感がしっかり出ていると思います。あのね、そういうところで、世界観としてショボく見えるところは、意外とないんですよ。それ、結構偉いなと思っていて。『なんか、狭くね?この世界』とか、そういう感じは全然しないんですよね。すごく偉いと思います。日本映画で珍しいと思うし。
それこそ、『隠し砦の三悪人』の、なんかすごい狭いところですったもんだしているように見えるところから、大進歩していると思いますし。軍艦島力もね、当然あるにしてもですね。あと、たとえば序盤近くでですね、壁が。先ほど、『壁の存在感がしっかり出て素晴らしい』ってありましたけど。壁を1ショットの、下のところからウーッ!っと見上げるパンで、すごく自然な見せ方で。どうやってCG混ぜているのか、わかんないですけど。見せ方とか、すごいきっちり、本当にある壁に見えるし。こういうところ、ショボくないのは偉いなみたいな感じで思ったりしてました。
はい。とまあ、こんな感じのところまでは、いい意味でがんばってる。がんばってる!いいじゃないか!がんばってるからいいじゃないか!がんばってるからいいじゃないか!ただですね、実際のところ、この作品ですね、さっき言ったもう一方の面ですよ。がんばってるんだけど、それ以外の、がんばってるのは重々わかるんですが・・・な部分が非常にノイズが大きくてですね。そこの。ここまで述べてきた美点としての『がんばってる』を、あらかた帳消しにしてしまう勢いというのも残念ながら事実でございます。
いいところを帳消しにするノイズ
なにしろやっぱりね、結構見た人全員がそうなんじゃねーのかな?平場っていうか、人物同士、人間同士の普通の会話シーンとかがとにかく・・・まあ、これも難しいんですけど。まあ、ダサい、です。はい。あの、フィクションラインを下げるための、敢えての大芝居なのかもしれないけど。それにしたって、いくらなんでも現実味がなさすぎて、感情移入が困難なレベルのセリフ回しとか。
あと、諸々の間の悪さっていうんですかね?たとえば、石原さとみさんがハンジっていうキャラクター。原作に出てくるね、ゴーグルをかけた女の人のキャラクターを演じてるんですけど。まあ、コミカルな味付けね。コメディリリーフ的な扱いなのは、それが悪いとは言わないけど。なんかこの、笑わせようとしている画とか、いろんな間が悪くてですね。なんか、コスプレしたオタクが笑えないコントやっているようにしか見えない。で、いちいち何か言う時に、『それ、いる?』みたいなボケ要素みたいなのを入れてきたりして。で、全くそれが笑えないどころか、『うわっ、寒・・・スベってる・・・』みたいな感じになっちゃってる。
笑い要素で言うと、たとえば桜庭ななみさん演じるサシャっていう、大食らいの女のキャラクター。これ、要するに原作マンガの、これは美点のところなんだけど、すごく合間にこう、ギャグ要素を実はちょいちょい挟んでくるマンガであるんだけど。それをね、バカ正直に取り入れた結果だと思うんですよね。これ、今回の映画はその要素、いらなかったと思うんだけどね。なんか軽く、やっぱりなっちゃいますよ。実際の人間。しかも、間が悪くて。えっ、なんでそこでこんな要素を入れちゃった?まあ、ね。なんかマッシュポテトをこうやっていじってる感じとか、『未知との遭遇』オマージュなのかな?とか、いろいろ思ったりするけどさ。うん。なんかその、間が悪いな。で、そのあたりでケンカが始まったりとか。そのケンカが、まだこの話、続くの?みたいな。鈍重だったりするあたりとかですね、やっぱり全然いただけないと。
特に問題なのは序盤
で、特に問題なのは、やっぱりオープニングというか序盤だと思いますね。要は巨人が襲来して、ドーン!って派手な見せ場が。さっきから褒めている場面が来る前に、要はこの世界の日常っていうのを見せるわけです。これはまあ、正しいですよね。この世界の日常を見せる。で、オープンセットもちゃんとスケール感、ちゃんとあるし。まあ、なんて言うんですかね?無国籍な感じが受け入れられるかどうか?はちょっとひとまず置いておきましょう。まあ、すごくそこもがんばっているという風に思いますし。
あるいは、社会の仕組みとかに関しても、それなりに考えられてるっぽいと思うんですよね。たとえば、菜種油を、まあ燃料とかに使っているんですかね?で、やってるんだなとかわかるようになっている。これはいいんですけど。たとえばそこでですね、子役が出てきて、アルミンの役に、なんかよくわかんないもの、プーッて鳴るものを作って。『お兄ちゃん、壊れちゃった!』。で、抜いたらプーッて止まるんですけど。お前、こんぐらい出来んだろ!?っていう。
っていうかさ、そもそも、進みすぎるテクノロジーみたいなものに対するあれで、特定ナントカ法みたいなのでテクノロジーの進歩が抑制されているっていうか、抑圧されている社会っていうことらしいんだけど。それはいいよ。それ自体はいいんだけど、あのプーッて鳴るやつ、そんなテクノロジーいるの?あれ。よくわかんねーけど。何?しかも、それ。それは何に使う、何?とにかくそういうのも納得できなければ、そこでの子役の『はやく直してね、お兄ちゃん!』かなんか言って、手を振って。子役の、ものすごーく、ザ・子役なウソっぽい。このくだりで、『あーあ、出ちゃった・・・』みたいに思うし。
うーん。で、やっぱり、三浦春馬さんはかっこいいですよ。かっこいいんだけど、その三浦さん演じるエレンたちの会話がその後、続くんだけど。やっぱり大芝居と間の悪さが目立つ。たとえばですね、水原希子さん演じるミカサというね、ヒロインがいますよ。それが壁の近くに行った時に、クシュン!とこう、くしゃみをするわけですよ。で、そのエレンがマフラーを渡す。で、そのマフラーが、クライマックスシーンでちょっと伏線的に使われています。
ただ、その伏線が出てくるたびに、毎回、回想フラッシュバックみたいのをいちいち入れるのとか、ねえ。まあ、そういうのもいいけど。伏線なんだけど、そこで、クシュン!で、マフラーを渡すってだけの場面なのに、そこでなんか三浦春馬さん演じるエレンが、後ろで、ものすごい、なんちゅうの?間を取るんですよ。なんか知んないけど、そこでこう、変な顔して。で、渡すんだけど。『何?変質者?普通に渡せよ、そんなのさ。サッと。なんでここで間を取るの?キモいんだけど!』みたいなの、あったりして。
で、あとは会話シーンとかで、ひとつのシーンで2回、似たような静かな音楽がかかる。わかりますか?ポロロロン♪みたいな。で、後ろで会話していて。で、その音楽が止むんですよ。で、その後しばらくしたら、またその同じシーンで会話が続いていて。また、ポロローン♪みたいな、似たような曲が。やめれ!っていう。1シーンに1曲にしてくれ!みたいな。すっごいイライラするっていうのがね。これ、日本映画全体によく出てくるやつですけど。まあ、そんな感じで、なんか乗れねえなあ・・・みたいな。っていうか、本当にいる人に見えねえなと。
要は、たしかに現実にこういう人たちがこの世界の中では生きているんだっていう実感を、観客に僕は、このオープニングの諸々の大芝居だったり間の悪さとか、諸々が伝え損なっていると思うんですよ。で、そのまま巨人襲来っていうすごく大事なシーンに突入してしまうので、いくらそこでバイオレンス描写を頑張られても、なんかこう、要はまだ感情移入もなにもできてないっていうか、なんだかなと思っているままで。この世界の実在感みたいなのも、なんかなって飲み込めないままで来ちゃっているから全然、切実なものと感じないっていうか。残酷描写のがんばっている感とか容赦なさ感っていうのは評価できるけど、それが見ていて世界観。物語世界としての怖さっていうところに、なんかリンクしてない感じがするんですよね。うーん。
たとえばですね、さっき言った『炎628』オマージュな教会の中に人々がグワーッといて。その中で非常に惨劇が起こる。そのシーン自体はがんばってますよ。血ドバの見せ方とか、それはたしかにがんばってるけど。そこでさ、上からね、巨人がうわーって食っていると。うわっ、恐ろしい!ってなるじゃない。ここはいい。こう、切り返しで。したら、エレンがですね、背中を向けて、フラフラと無人のね、破壊された街を去っていくんですよ。その場面の終わりのショットなんだけど。あのさ、後ろにまだ巨人、結構いるんでしょ?この村はまだ、ぜんぜん安全じゃないよね?だから、そのあれをうわーっ!って見て。で、助けを求める人がまだ中にもいたりするのに、怖くてエレンは、みっともない、醜くもというか、情けなくも全力疾走で無様に逃げていくっていうぐらいであるべきなのに、こうやってフラフラ。虚脱した演技みたいな、記号的な去り方をして行ったりしてですね。そういうところで、後ろにいるんでしょ?なんか、危険度がわかんねーんだけど?みたいな風に見えてくるわけですよ。
緊迫感や緊張感を削ぐ、ゆるい演出
このようにですね、いちいち、なんて言うんですかね?場面本来の緊迫感とか危機感を削ぐような、ゆるいと言っていいんですかね?演出が目立つなという風に思いました。たとえばこれ、非常に誰もが指摘する部分でしょうけど。『巨人が寄ってきちゃうから、このへんでは音とか声とか出さないでね』って言われているのに、主人公のエレンが、さっき言った感情の流れ上ね、そこで彼が落ち込んで叫びたくなっているっていうのはわかりますよ。だけど、個人的感情に任せて、うわーっ!かなんか言っているわけ。えっ!?っていうさ。マジ!?って。で、そういう風に思っちゃうしね。
そういうところで、『なに?これ、どの程度、緊迫した場面!?そもそも、こいつらの自由行動は何だ?』って思うわけです。どんぐらい自由行動か?っていうと、その後、エレンさんにいわゆる戦争未亡人的な役柄。ヒアナっていう、水崎綾女さん。非常に色っぽい女優さんですよ。水崎綾女さんが迫るわけですね。おっぱいを触らせるわけですよ。で、『娘の父親になって』なんつって。このシーンね、たしかに本来の意図としては、おそらくだけど、いつ死ぬかわからないような身同士だからこそ・・・っていうのの哀感であるとか。あるいはその、死の反対物としての生。イコール性。セックス的なものであるとか。そういうものを際立たせる。わかりますよ。シーンの意図はわかります。
実際僕、『スターリングラード』のラブシーンを思い浮かべたりはしましたよ。みたいだなと。な、ことを狙っているのかな?と思いましたけど、実際の絵面はどうなっているか?っていうと、そのすぐ隣で、武田梨奈さん演じるリルだっけ?そのカップルがですね、その、いたし始めてるようにしか見えないわけですよ。実際、どういう意図で撮っているかしんないけど。要するに、横でセックスしている横で、『私たちもやりましょう』みたいな。なんか、ものすごい、『なに?乱交!?』みたいな。なんか、すごい単に『いい気なもんだな』ってエロシーンにしか見えなくなっちゃっていて。
で、要は、見ているうちにですね、画面上そういう風にしか見えないから。『えっ?いまこの場面って、俺、なにか見落としてるのかしんないけど。いまって、巨人はぜったいに来ないですみたいな、そういう時間なんだっけ?だから呑気にこいつら、各自いろんなところで、物陰で自由行動とかしてる状態なんだっけ?』みたいな。『俺がなんか、見落とした?』みたいな。そういうの、気になり出しちゃうわけですよ。したら、案の定ですね、そこにまた来ちゃうわけですよ。巨人が。さっき言った『サンダ対ガイラ』のオマージュ的な怪獣に至近距離から見られちゃっている!みたいなショックシーンが来て。
これ、絵面的にはたしかにショッキングでいいですよ。ああ、いいね!って思った。『サンダ対ガイラ』みたいで、いい!って思ったけど。あの、さっきのさ、いきなりお色気シーンにしか見えない場面も、そこで巨人がワーッ!って来るのも、まあスラッシャームービーだとすれば、『セックスしたら死ぬの法則か!』みたいな。いいけどさ。たださ、いつの間にか巨人がグワーッと来て包囲されてて・・・って言うんだけどさ、あの、見張りとかつけないの?この人たちは。ねえ。だから、要は『ここは巨人が来ないはずだから大丈夫』っていうんじゃない限りは、見張りとかつけないの?これ、バカなの?みたいな感じになっちゃって。当然の疑問が出てきちゃう。
で、そんなこんなであって。あるいは武田梨奈のカップル。先ほどね、横でいたし始めちゃってるけど。彼女たちのカップルに思い入れを十分にさせるような描写が別にないから。要するにただのバカップル的にしか描かれてないから。その後、彼女がですね、恋人のために。非常に、本来なら悲しい盛り上がる場面なんでしょうけど、彼女が取る行動が・・・うん、ただのひどい身勝手な女だよね。なおかつ、武田梨奈さんがね、蹴られたい女ナンバーワンじゃないですか。
武田梨奈さんがこんな甘えた役。戦場でさ、『こわーい』かなんか言っちゃう。あれ、ダメだよね。そうじゃなくて、彼女は彼女で戦士として覚悟を決めて来ているけど、でも、恋人とくっつきたいとか。そういう切実さがなくて、『こわーい』とか言ってるから、このバカップル!みたいになっているし。武田梨奈にこんな役やらせるなんて、アホか!みたいな。で、武田梨奈、恋人と死に別れてしまってから、そっからアクションが始まるんですよ。いきなり、なんかしんないけど。武田梨奈ならではっぽいアクションが始まるんだけど、いまさらこんなもん見せられても・・・みたいなね。なんかねって感じになっちゃう。
まあ、こういう風にですね、一事が万事、要はこういうシーン、こういう見せ場がやりたいとか。こういうオマージュをやりたいとか。あるいはキャラクターのこういう面を描きたいっていう作り手側の意図ありきで場面を並べたりした結果、話としてはおかしいですよっていうことがすごく目立つなー。で、それがノイズになって、全然なんか入れねえな、みたいな風に僕は感じましたね。
長谷川博己のシキシマ
特に原作だとリヴァイっていうね、キャラクターに当たる、クールで最強で訳ありっていうキャラクター。シキシマっていう役名になっています。今回は長谷川博己さんが演じております。で、今回の映画版ではですね、さっき言ったように主人公エレンの心情的追い込みっていうのが強められている。そこはすごくいいところだし、そこにこのシキシマっていうキャラクターが非常に大きな役割を果たしている。つまり、ストーリーの推進力であるとか転換っていうのにすごく重要な役割を果たしている、非常に重要なキャラクター。
特にその水原希子さん演じるミカサ。ちなみに水原希子さん演じるミカサは僕、今回の映画版、実写版ではいちばん、間違いない。普通によかったと思います。やっぱり、ちょっとフィクショナルな世界観、合いますよね。水原希子さん、ちょっと現実離れした感じ。非常にハマッているし、ちゃんと僕、なんならミカサに見えると思った。原作マンガの。そこは本当に素晴らしいと思いましたけど。ただそのミカサの関係において、シキシマというキャラクターね。言っちゃえば、こういうことですよ。機動戦士ガンダムにおけるシャアとララアみたいな関係ですよね。で、それをアムロが見て、『うわっ、なんだよ?ここ、デキてるのかよ?畜生!』みたいな。そんな感じだと思ってくださいよ。
で、それは別にいいんですよ。それは全然わかるし、いいんです。このキャラクターの置き場所みたいなのはわかるんだけど。作り手側の意図はわかるんだけど。そのさ、要はシキシマっていうキャラクターの言っちゃえば、まあ悪魔的な存在というか、誘惑者的な存在っていうのを表現するのに、それを際立てようとするあまり、そこで、この映画では演出でですね、リンゴをかじったり。ミカサ、水原希子さんにリンゴを後ろからかじらせたりっていうですね。
ちょっと、なんて言うんですか?メタファーっていうの、それ!?っていうぐらい、ベタっつーか、まあ正直、恥ずかしい、ベタな道具立てをしてくれるわけですね。誘惑者がリンゴを食べさせるって、ちょっとそれは・・・それはどうでしょう?みたいな。僕、恥ずかしいリンゴ使いっていう意味では、辻仁成監督の2001年の『フィラメント』という映画を思い出したくらいです。そのぐらい、きてんな!と思いましたけどね。これ、きてんぞ!
で、その場面の長谷川博己さんの、やっぱりセリフ回しが、さっき言った大芝居は全体、みんなそうなんだけど、更に大芝居度っていうか、一段また上がるというかですね。まあ、シャアをやっぱり意識してるんですかね?そういうテンションの、敢えての芝居の感じを含めてですね、そのリンゴとかを含めて、この長谷川博己さんが、本来なら巨人にいつ囲まれてもおかしくない状態だったらしいけど、『お前、ちょっとこっちに来い』っつって。いきなりこう、なんか嫌がらせ的な話をしだすみたいな場面。本当、ギリ、コントになっちゃっているっていうあたりだという風に私、思いましたね。はい。
他にもですね、たとえば、サンナギっていう力持ちキャラクターがいるんですけど。それが巨人を一本背負いする場面がある。まあこれ、これ自体無茶だなって思うけど。まあ、置いておこう。巨人を一本背負いする人がいてもいいけど、その前にこのサンナギっていう力持ちキャラが、うわーっ!うわーっ!みたいなことを言って、両手をこうやって動かす。かっこ悪!っていう。なんなの、これ!?だからその、とにかく全体にですね、人の使い方とか動かし方とかしゃべらせ方が、一言で言えば、やっぱりかっこ悪いんですよ。だから、すげーキツいんですよね。はい。
あとは、ここはそんなにあげつらいたくない部分ではあるけど、やっぱり立体機動。ウワーッて浮く仕掛けが、スパイダーマンっていうよりは、割となんか自由自在に空を上下左右に飛んでいるように見えちゃっているな。故に、立体機動という仕掛けとかに、なんか納得しづらい感じになっちゃっているなっていうのは、やっぱり否めないなという風に思いました。で、まあそんなことよりね、途中ね、さっきのサンナギっていうキャラクターが斧を持って、巨人の踵みたいなのをワーッ!て切って。で、倒れたところを倒すとか。あるいは、足をこう、グルグル巻きに紐みたいなのでして、倒したところを弱点のうなじを倒す。まあ、このグルグル巻きで倒して倒すは、きっと『スターウォーズ帝国の逆襲』のね、AT-ATのね、倒すところのオマージュなのかもしれないですけど。そう考えるとさ、別にこれ、立体機動じゃなくても殺し方、あるってことじゃん?みたいな。
たとえばさ、火器はね、いくら蘇っちゃっても、一旦は足が、肉が消えるんだから、足に向けて大砲を撃って、倒したところをやるとかさ。ねえ。全然できんじゃね?やり方、あるんじゃね?なんならこれ、イウォークだったら余裕で巨人、皆殺しじゃね?みたいな感じがしましたけどね。あと、これもね、すごい細かいところの疑問。全時代の遺物っていうのがそこの世界に残っているのはわかる。前時代っていうのはつまり、現実の我々の、おそらく現実社会の遺物。たとえば不発弾が残っている。まあ、『未来少年コナン』風のね、斜めに刺さった不発弾がありますよ。あれが後半で生きてくるのかな?きっとな。思うけど。
それはいいんだけどさ、あのさ、壁の途中にさ、ヘリコプターの残骸があるじゃん。それがその、過去の前時代の遺物だっていうのはいいけど、なんで壁の途中にあるの?壁ってだって、下から積んで作るんでしょ?なんで、遺物が上に乗っかってるの?なんで?これ、なんか説明あるの?これ。なーんてことを思ったりしましたけどね。はい。ま
あ、とにかくですね、後編に向けた伏線。要するに解かされてない謎。たとえば謎の男みたいなのが出てきたりするし。そのへんもどうなっていくか、わからない。ひょっとしたら後編で、見たら『ああ、前篇やっぱりよかった』って上方修正する可能性もゼロじゃないけで。僕は正直、今回前篇を見て、そういう細かい辻褄が後から合ったことで解消されるような部分が問題なんじゃない?って思うっていう気がしました。なのでやっぱり、樋口真嗣さんのですね、監督としての、特に人物に対する演出力というかですね、そこの問題。
だから、やっぱり『のぼうの城』型というか。なんなら、円谷英二と本多猪四郎のコンビのあり方というか。やっぱり、ドラマ部分は誰かに任すとかも全然ありなんじゃないかな?『のぼうの城』、全然そこは、そんなにキツくなかったわけだからさ、みたいな。思ったりもしましたけどね。ただまあ、実際に僕ですね、4回も見ているわけです。で、2度目以降の鑑賞の時に実際にそうだったんだけど、僕がいまあげつらったようなマイナスポイントに対して、もう覚悟ができた状態で2回目以降見たら、全然そのいい意味でがんばっている方がやっぱり際立ってくるんですよ。
ここはやっぱり工夫してるんだなとか。あ、ここはきっとこういう意図なんだろうけど、上手くいってないんだろうなとか。なんかね、すごく好意的に見れる感じになって。実際にそのポテンシャルはある作品だという風に思います。あと、やっぱりいいなと思うのは、ハリウッドアクション大作というかさ、そういうハリウッドSF大作みたいなものの真似にはなってないよね。
そこは、だからオリジナルな世界に行こうとしてるし。上手くいってないにしても、そこにやっぱりトライしようとする意思っていうのがちゃんと作品に昇華されているってところでは、たとえば『隠し砦の三悪人』のリメイクの、スターウォーズごっこをやれればいいんでしょ?っていうところの志からは、だいぶ進んでるじゃん!っていう感じで。僕はそこはすごく、やっぱり好意的に見ざるを得ないなっていう風に思った部分でもありました。こんだけ散々言っておいて、なんなんだ?っていう感じですけど。
劇場で見るべきリアルタイムの映画的挑戦
で、まあみなさんね、こういうリアルタイムの映画的挑戦というか、映画界の挑戦っていうのは、やっぱりリアルタイムで追いかけなければ意味がないっていうのはありますので。ぜひね、劇場でリアルタイムで見てください。あの、ちなみに、『不可能な巨人に挑戦するんだ!』みたいなことを町山さんがおっしゃってますけど。
そういうのは、わかりますよ。俺だって。だって俺、日本語でラップするってこと自体がそうだもん。不可能な巨人に僕、挑戦し続けてますよ。で、痛い目にあいまくってますよ。そんなもん。だから、全然わかりますから。ただ、それが上手く、がんばっていることとか、トライするっていう意志の、志の高さと、上手くいくかどうかは別だってことも、痛いほどわかってきて。それで20何年やってますから、全然わかりますよ。
なので、まあ後編に。後編もまあぜひ、やったら扱ってみたいという風に。9月19日公開でございますので。あ、ちょうどその頃に『Zアイランド』のソフトも出るというね。はい。
いろいろまた重なるということになっておりますので、ぜひぜひ。本当にこれ、リアルタイムで見なきゃ意味がないと思いますので。ぜひぜひ、リアルタイムの劇場でウォッチしてください!
<書き起こしおわり>
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