安住紳一郎 団塊ジュニア世代の功績と教育の難しさを語る

安住紳一郎『出演番組を見る際は自分自身を全力で応援する』 安住紳一郎の日曜天国

安住紳一郎さんがTBSラジオ『日曜天国』で2013年7月にしたトークの書き起こし。『ゲームと私』というテーマで送られてきたメールから、安住さんなど団塊ジュニア世代がテレビゲームの普及に大きな役割を果たした件や、教育の難しさなどについて話していました。

局アナ 安住紳一郎

(安住紳一郎)(メールを読む)『小学校の時に発売されたファミコンは私たちの遊びをガラッと変える衝撃の品でした』。そうでしたね。覚えてますよ。小学校3年生ぐらいかな?

(中澤有美子)そうですね。

(安住紳一郎)『ファミリーコンピュータ』という名前でね、発売されましたよね。(メールを読む)『どこに行ってもファミコン、ファミコン。当然持っていない私は肩身の狭い思いをしました。ある日、意を決し、私たち兄妹3人で母に「ファミコンを買ってください」とお願いをしました。並んで、土下座までしました。母の意思は固く、「よそはよそ。ウチはウチ」と取り付く島もありません』。よく言われましたね。『よそはよそ、ウチはウチ』って。ええ。

(中澤有美子)ねえ。『みんなって、誰?』とか言われましたよ。

(安住紳一郎)そうですよ。(メールを読む)『最後には、涙ながらに「お母さんはあなたたちの将来が心配だから買わないのよ」と言われました。結局買ってもらえず、土下座損でした。さらに最悪だったのは、母が面談かなにかの折にこの話を担任の先生に話をしてしまったことです。その母の信念と振る舞いにいたく感動した担任の先生は、あろうことか学級会で実名を出し、我が家のエピソードを語り、美談として仕立てあげられてしまいました。買ってもらえない上に、この屈辱。その反動は大きく、大人になってから念願だったDSとマリオを買った時は、睡眠時間を削ってゲームをクリアしてやりました』。

(中澤有美子)はい。

(安住紳一郎)(メールを読む)『ちなみに、何年か前にこの話を母にしたら、「ええ?そんなこと、あったっけ?忘れちゃった」と、のほほんと言われてしまい、また当時の屈辱が蘇ったことは言うまでもありません』。

(中澤有美子)わかるなー。

(安住紳一郎)39才。もうすぐ40才女性。そうです、そうです。同世代ですから、わかりますよ。そうでしたね。あの、最近の小学生のみなさんはたぶん3DSとかね、プレステとか、プレイステーション・ポータブルとかをごくごく当然のように買ってもらえますけども。私たちのこの団塊ジュニアの世代がね、親に『ゲーム1台は当然なんだ』という、そういう親との折衝をね、繰り返してきて打開されたということですからね。あの、感謝してほしいなと思いますよ。

(中澤有美子)(笑)。先人たちの苦労がね。

(安住紳一郎)はい。私たちの団塊ジュニアの世代が親の世代に負けて、『そうですね。ゲームは体に毒ですね』というような論調になっていたら、いまのような1人1台という時代はなかったですね。ええ。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)井戸の水を飲む時は、井戸を掘った人に感謝なさい!

(中澤有美子)(爆笑)

(安住紳一郎)本当ですよ。団塊ジュニアが切り開いた道でございますよ。小中学生のみなさん。そう。本当にそうだった。いまはたぶんね、まあ買わないと仲間はずれにされるんだろ?みたいなことで、1人1台みたいなことに。まあ、当然ね、それぞれ教育方針あると思いますけど。比較的、そうですよ。私たちの頃は本当に、ファミコンを買うっていうのはなんとなく不良になるっていう感じで。そうでしたよ。

(中澤有美子)(笑)。そうですね。

(安住紳一郎)またね、このお母さんの話もよくわかりますよね。自分ちであった自分の手柄をPTAの懇談会などで話したりするんですよね。親は親で自分をよく見せたいからね。『ウチはこういうやり方で、こういう風に乗り切りました』みたいなね。でも、子どもにしてみると、それは大変な屈辱で。

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)で、発表されちゃったり、学級通信に載ったりなんかして。そうでしたよね。ええ。『ウチはお菓子は一切、手作り以外のものは与えてないんです』みたいな。すると、なんかね、流行りものを与えられない子っていうような、そういうことになりますよね。

(中澤有美子)大人の世界の評価と、子どもの世界でのね、価値観、ぜんぜん違いますからね。

(安住紳一郎)違いますよ。『ウチは8時にかならず寝せてます』っていうのは親の自慢かもしれませんけど、子どもにしてみたら、『ウチはかならず8時に寝させられている』っていうのは、友達の間の中ではね、低く見られますよね。

(中澤有美子)そうなんですよ(笑)。

(安住紳一郎)『はぁ?』みたいな。『親に、そんなに?仕切られてんだ』みたいな。

(中澤有美子)低く見られる(笑)。

(安住紳一郎)低く見られますよ。本当に。ええ。『はぁ?自由裁量がないんだ。へー』なんつって。『ウチはね、自由な時間に寝ていいことになってるよ』『ふーん、いいなー』なんて。

(中澤有美子)そうですね(笑)。

(安住紳一郎)ええ。本当、そういう。ありますよね。

(中澤有美子)ありますね。

(安住紳一郎)あとは、教育の難しいところでございまして。反動がかならずあるんですよね。そのリバウンドまで計算しないと、親御のみなさん、難しい問題でございます。

(中澤有美子)親御のみなさん(笑)。

(安住紳一郎)私、子どもいませんけどもね。常に、40になっても子どもの目線から語れるという。

(中澤有美子)(爆笑)。そうそう。リバウンド、すごいですからね。

(安住紳一郎)リバウンド、すごいですよ。

(中澤有美子)上手く管理しすぎると。

(安住紳一郎)なんですかね?いわゆるその、手作りのもののドーナッツみたいなものとか、要するにキチッとね、門限が厳しくて、そして食べるものが決められてて、そしていわゆるちょっと体に悪そうな、というような。そういうようなお菓子とかはぜったい食べさせてもらえない。それから、男女交際もすごく厳しくて。見るテレビも決められてて。読む本も決められてて。行く学校も親に決められたっていう、すっごい育ちのいいお嬢さんが、25になって淫乱になってしまったケース、私、知ってますからね!

(中澤有美子)(笑)

(安住紳一郎)ごめんなさい。ちょっと言葉が乱暴で。時間がないもんですからストレートに伝えるために、近道をしてしまいましたので。言葉が乱暴になりましたけども。私はそれ・・・その人の話を聞いた時に、『ああーっ!』と思って。『やっぱり教育っていうのは200年かかるな!』なんて思ったんです。『難しい!』と思って。

(中澤有美子)ええ(笑)。

(安住紳一郎)80年なんかでは体現できないですからね。望む人物を育てるには200年かかるという。

(中澤有美子)そうなんですか?

(安住紳一郎)言ってました。ええ。同志社大学の創立者が。

(中澤有美子)おおー、そうか、そうか。

(安住紳一郎)ということですね。ええ。井戸の水を飲む時は、井戸を掘った人に感謝。それから、新島襄の言葉で、教育は200年の計であるという、この言葉を夏休みの小中学生諸君には贈りたいと思います。

(中澤有美子)(爆笑)

(安住紳一郎)夏休みじゃないか?

(中澤有美子)うん、これからね(笑)。

<書き起こしおわり>

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