菊地成孔さんがTBSラジオ『菊地成孔の粋な夜電波』で日本のラティーノカルチャーについて語っていました。
(菊地成孔)今回のプロダクツ(KILLER SMELLS TARAD1&2)を敢えてCDにしたのはもう本当に自信ありますよ。CDがほしくなる、歌詞カードが読みたくなるブツですよね。まあ、帯コピーもね、私が書いてますけどね。「死にてえヤツは死にやがれ。そのかわり、この盤を聴いてからだ」っていうのが帯コピーですからね。ハイ。
これはあの、ギャグでも何でもないです。本気ですよ。この盤を聴いてからにしてください。もうなんて言うかラテン・・・日本にはヒスパニックのカルチャーがなかったんです。長らく。なかったんですけど、もう日本にはヒスパニックのカルチャーがあるってことを認めるしかないんです。もうこれは受け入れるか、受け入れないかの二者択一を我々日本人は全員迫られているんですよね。もう地方都市は外国人労働者無しではウォークしませんし、実際そこで大変な混血がおこっているわけなんで、我々は地理的な構造によって少なくとも文化的な純血の幻想っていうのをずーっと守ってきた結構稀有な国の一つですよね。
ですが、なのでそういった歴史的な事情によって、日本におけるラテンっていうものの理解はそういう我々の純血っていう入れ物の上にラテンをのせたっていう形により、とにかくひたすら陽気で面白いみたいな理解で定着してきたんですけど・・・ラテンはもちろん陽気で面白いですよ。陽気で面白いですけど、陽気で面白いだけじゃないですよね。
ラティーノっていうものの文化は。ラティーノ文化っていうものは私が思うに他殺的な文化で、日本の国文学っていうのは自殺的な文化じゃないですか。
なので、日本っていうのはこう純血でこれたわけです。
こう純血文化ってうのがあって、たとえばアキバ文化とB-BOYがいて、たとえばDQNとか言われて、一種の文化的な対立構造があるかのように見えて、実際に対立化はしてないですよね。だけどもう、日本にはヒスパニックの文化があるんだってことを認めなければいけないということを私達にメッセージしてくる作品が、例えば映画だったら「サウダーヂ」だと思うんですよ。で、KILLER SMELLSのTARAD1っていうのは、2009年なのね。それで、2010年にね、昨日ちょうど私仕事でその原稿を書いていたんですけど、金原ひとみさんっていう小説家の方がいて、金原ひとみさんっていう方のね「憂鬱たち」っていうこれもまたかなりラテンポップな短篇集の解説を書いてまして・・・
で、金原さんは数少ないラティーノの文学者だと思うんですよ。でも、日本でデビューすると「心に傷を負った美少女」みたいなところに落とし込まれてしまうんですよね。そうすると金原さんはそういうところだけじゃないぞということがワサワサワサっとなってきて演算処理されてるんですけど。あんまり大した答えがでないっていうまま何年も経っちゃっているんですけど。金原さんはラテンだと思いますし、それが何より証拠には、2010年に織田作之助賞を取ってるんですよ。それは「TRIP TRAP」っていう短篇集で取っているんですけど、その中に「沼津」っていう短編があるんですよ。
まあ、あれ読めこれ読め、オレの本読めとは言いませんから、「沼津」は短いですし簡単に手に入りますから、私のこの番組がお好きでご愛顧いただき、WBO(悪くてバカで面白い)の話が大きっていう方は、ワリーことは言いませんので、金原さんのTRIP TRAPっていう短篇集の沼津を読んで下さい。あれはおそらく日本戦後っていうか国文学の歴史を全部見ても、最高峰のヤンキー小説なんですよ。
だけどあれが日本の国文学の読者がどういう風に読んだかまったく想像もつかないです。ただ我々HIPHOPなんかを愛している生物学的には純血、なれど産まれた時からラテンカルチャーを選択っていった人間たちが読むと、ビッチビチに飛んでくるわけですよ。金原さんからのメッセージが。スゴイ小説です。あの二人のヤンキーの女の子が朝沼津まで遊びに行って帰るまでのことを書いた小説なんですけど、あんなの読んだ事ないですよね。それが2010年。で、KILLER SMELLSが2009年、TARAD。2010年、金原ひとみの沼津。
2011年がSIMI LABのデビューと映画「サウダーヂ」。KILLER SMELLSのTARAD1・2の発売が2012年というような形でですね、もう逃げられないんですよ。この国にはヒスパニックのカルチャーがあるんだと、それは生物学的な純血とは関係ないんだという。ヒスパニックは純血と、2つその国にある、アメリカで言うと76-7年の状況ってうか・・・白人の純血だけだった、そしてアフロアメリカンの人も公民権を認めますよ、そしたらその枠の外にラティーノたちがいて、74・5・6年のフェスの映画・・・
たとえはSoul Powerっていう映画が有名ですけど、あれなんか見ると、アフロアメリカンが名誉国民であるのに対して、ラティーノはまだまだ気持ち悪い外側にいる非差別の人たちで、こいつらがアフロアメリカン、JBなんかをパワーで圧倒しているっていう様が映しだされているんですよね。それでからの今ですけどね。私はオバマがあそこらへんをどうやって裁くのかと思っていたら、なんにも裁かずに演説ばっかりして終わっちゃう可能性があったんで、ノーベル平和賞と演説だけで終わっちゃったんで、もうちょっとなんとかしてくれよと思ったんですけど、まあそれどころじゃない。
我が国で、ヒスパニックっていうカルチャーがあるんだってことをこのアルバム、そして自分のアルバムそして好きなものなどの連合によって蜂起して伝えたいという気持ちでいっぱいですね。一曲聴いてみましょうかね。
TARAD2の方から聴いてみましょうか。これはまあ、TARAD2からオンエアできる曲はこれしかないんですけどね、「Drive me nasty」。近田春夫さんが来た時に番組冒頭でかけた曲です。
これ、「ゴストーゾ」って言ってますけど、これはポルトガル語で「ごちそうさま」っていう意味ね。でこのごちそうさまっていうのはどこで使うかって言うと、まあそのプロスティテューションな方ね、お金で春をひさいでいる方々との性交の後に、「ゴストーゾ・ごちそうさん」っていうんだっていう叫びが入っています。まあ、日本語で歌われた中南米文学ですよ。
金原さんの話に戻りますけど、金原さんのAMEBIC(アミービック)っていう小説もそうで、AMEBICっていうのはアメーバ状にみんながひとつになってしまうっていう小説なんですが、KILLER SMELLSのアルバムはね、オリジナルアルバムはあらゆる場所に小さくまた大きく、KILLER SMELLS IS YOURSELVESって書いてあって、「お前らがKILLER SMELLSだ」っていうことが色んな形でメッセージされているんですね。このラテンの、ラティーノ文化の持っているどこまでも最終的に全員が混血するっていう意思ですよね。それがやっぱりスゴイって思いますし、この歌詞のその、「あたいはオマエのオヤジとまでゆったと売春婦に言われる」っていうね、書けないですこんなこと。でやっぱスゴイなと思いますよね。
<書き起こしおわり>