怒髪天 増子直純 ハードコアパンクバンド時代の思い出を語る

怒髪天 増子直純 ハードコアパンクバンド時代の思い出を語る たまむすび

怒髪天の増子直純さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。まだ怒髪天が札幌でハードコアパンクバンドをしていた頃の思い出を語っていました。

(玉袋筋太郎)いやー、25年ってね、このブレイクっていう。これはかなり熟成期間がありましたね。

(増子直純)ありましたね。これ、もう本当、低空飛行してることすら気づかないぐらい低かったですね。ほぼ、擦っていたっていう感じですね。

(玉袋筋太郎)ああ、地べたをね(笑)。底ズレですね。底ズレ。

(増子直純)もうほぼね、車ですね。

(玉袋・小林)(笑)

(増子直純)ほぼ陸路でしたね。これでも、元々はパンクバンドとして、怒髪天という
名前。ハードコアパンクバンドでしたからね。

(玉袋筋太郎)そうですよね。17才ですもんね。

(増子直純)もう世の中に噛みついてナンボみたいな。

(玉袋筋太郎)噛みつきましたでしょう。相当。

(増子直純)でも、結局それでやって、世の中に噛みついていて。そっからまた『お金ください』っていうのもおかしな話でね。だからバンドで食えるとは思ってなかったんだよ。ぜんぜん、バイトしながらやろうと思ってたんで。

(玉袋筋太郎)ねえ。まあその音楽に傾倒していくっていう、やっぱり影響があったわけですもんね。

影響を受けたもの

(増子直純)やっぱこれ、アナーキーですね。当時ね。中学・高校の時に聞いた。あれのおかげで道を外しましたね。

(玉袋筋太郎)道を外した(笑)。

(増子直純)外しましたね。ぜんぜん、もう。

(玉袋筋太郎)当時、暴走族とかそっちには行かなかったんですか?

(増子直純)そうです。元々はヤンキーですよ。元々はヤンキーなんですけど、そのパンクが出てきて。いわゆる、いまだとヒップホップかもしんないですけど。当時だとやっぱり、その地区のいちばん悪いやつがパンクバンドをやるという。もうもうもう、本当。

(玉袋筋太郎)17才でモヒカンとかしてたんですか?

(増子直純)してましたね。高校の時、モヒカンでしたね。

(玉袋筋太郎)気合入ってんなー!

(小林悠)頭、寒くないですか?モヒカンですから。

(増子直純)あんま変わんないですね。面積的にね。ただね、学校の先生がね、いわゆるパンクっていう概念がぜんぜんないので。日本にちゃんと入ってきてなかったので。学校の先生が『その髪型は不良なのかどうか?』っていう。

(玉袋・小林)(笑)

(増子直純)いわゆるパンチパーマとかリーゼントじゃなくて。『それ、インディアンなの?』っていうね。

(玉袋筋太郎)インディアン!いい!(笑)。

(増子直純)『それ、なに?どういうこと?先生、俺、わかんないんだけど』って言われて。もう、なんでもいいよと。

(玉袋筋太郎)たしかに当時、パンチパーマか、そっちでしょうね。パンチパーマの方が全盛ですからね。

(増子直純)そうそう。もううちの初代の、最初のドラム、パンチパーマでしたからね。パンチパーマに白塗りっていうね。『ハードコアパンチ』って言われてましたから。

(玉袋筋太郎)ハードコアパンチ!(笑)。

(増子直純)ハードコアパンクじゃなくて、ハードコアパンチっつってましたから。

(玉袋筋太郎)上手い!上手い!

(増子直純)すごかったですよ。当時は。

(玉袋筋太郎)いやー、でも北海道の中ではやっぱり異質だったんですか?

(増子直純)そうですね。何人もいなかったですね。ほぼ。本当にいなくて。最初、やっぱりパンクバンドを始める時に、『BURST CITY』っていう石井聰互監督の。ありまして。

(玉袋筋太郎) 『BURST CITY』!出ました!

(増子直純)あれがもう、パンクバンド同士の暴動の映画で。パンクバンドの世界はこういうものだと思って。まず、高校でバンドを作った時に、地元にあるパンクバンドね。まあ、2つぐらいしかなかったですよ。先輩のバンド。まあ、電話して。『もう今日で解散しろ』と。

(玉袋筋太郎)おおっ!潰しにかかりました!来た来た!

(増子直純)『邪魔だから』っつったら、『わかりました』ってね。当時ね、違う方面で俺の名前をみんな知ってましたからね。

(玉袋筋太郎)札幌バーストシティですよ。

(増子直純)すごい勘違いしてましたね。あんな世界、なかったです。

(玉袋筋太郎)(笑)

(増子直純)ただ俺が住みづらくなったっていうだけで。

(玉袋筋太郎)しょうがなく、上京するしかなかった。これがこれが!

(小林悠)ねえ。でも不良ぽいとは言え、ご両親とは仲良しだったんですもんね?

(増子直純)もう親に、だってぜんぜんね、楯突く、反抗する理由がないですからね。

ザ・昭和のオヤジ

(玉袋筋太郎)ザ・昭和のオヤジですよ。昭和のオヤジだったら、息子がね、モヒカンなんかにしたらこりゃ大変な・・・

(増子直純)いや、でも鼓膜もね、ビンタで両方破られてますしね。腕も折られてますよ。うちのオヤジには。

(玉袋筋太郎)すごいな(笑)。

(増子直純)もともとボクシングやってて。で、『もうお前ごとき、拳で叩くのはもったいない』って言われて。クリスタルの灰皿で頭ぶん殴られてましたね。すごかったですよ。

(玉袋筋太郎)きたー!

(増子直純)すごい血、出て。『これオヤジ、血、出てる』『当たり前だ。殴ったんだから』って言われて。『自分で悪いと思わねえのか?』って。で、やっぱり思ってるんで。そりゃあもう、筋通ってますよ。

(玉袋筋太郎)クリスタルの灰皿で殴られたって、いい話ですね!

(小林悠)いや、いい話かどうかわからないですけど。大変なお話ですね。

(玉袋筋太郎)クリスタルキングですよ。ある意味。

(小林悠)(笑)

(増子直純)『俺が嫌々働いて持ってきている金で食わしてもらっているうちは、俺にお前、文句なんか言うんじゃねーよ!』って言われたら、たしかにそうだなと。『自分の金で食えるようになってから、俺に文句言え。それをちゃんとメモしておけ!』って言われて。言いたいことを。

(玉袋筋太郎)(笑)

(増子直純)そんなのメモしているうちに、もうどうでもよくなっちゃう(笑)。ねえ。何年もたってますからね。

(玉袋筋太郎)最高ですねー!

<書き起こしおわり>

https://miyearnzzlabo.com/archives/27051

怒髪天 増子直純 アルバイトの思い出を語る
怒髪天の増子直純さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。さまざまなアルバイトを経験している増子さんが印象的だったアルバイトの思い出を話していました。 (玉袋筋太郎)でも、やっぱりその低空飛行。地べたを這っているから。その時は苦労して、アルバ...
怒髪天 増子直純 ヤンチャ伝説を語る
怒髪天の増子直純さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。本当か嘘かわからないような増子さんの様々なヤンチャな伝説について話していました。 (小林悠)で、そんな増子さんなんですけど、いろんなヤンチャ伝説があるそうで。これ、本当なのか嘘なのかわ...
怒髪天 増子直純と玉袋筋太郎 大好きな桃屋製品を語り合う
怒髪天の増子直純さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。食べるラー油のCMに出演していた増子さんが玉袋筋太郎さんとお気に入りの桃屋製品について語り合っていました。 (玉袋筋太郎)いやー、さあ、どれに行きましょうか? (小林悠)そんな伝説をい...
怒髪天 増子直純と玉袋筋太郎 西荻窪の名物飲食店を語る
怒髪天の増子直純さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。『戎』や『はつね』など、西荻窪の名物飲食店について話し合っていました。 (玉袋筋太郎)そこでですね、やっぱり飲んべえで?お酒。 (増子直純)いや、もう好きなんですけどね。弱いですよ。め...
タイトルとURLをコピーしました