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アボカズヒロが山寺宏一に語る DJを始めたきっかけと今後の活動

アボカズヒロが山寺宏一に語る 幼稚園DJの魅力 JFN
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DJのアボカズヒロさんがFM OSAKA『Keep on Smiling』に出演。DJを始めたきっかけや、今後のDJの活動、現在考えていることなどを語っていました。

(山寺宏一)『Keep on Smiling』、山寺宏一がお送りしています。さあ、本日のゲスト。先週に引き続き、DJのアボカズヒロさんです。よろしくお願いいたします。

(アボカズヒロ)今週もよろしくお願いいたします。

(山寺宏一)先週はね、子どもたちの前で、DJをいかにしてやるようになったか?っていうのを伺って。でもね、すごくその子どもたちの感性ね。本当の、本来持っているものを導き出すという話も伺いましたけれども。

アボカズヒロが山寺宏一に語る 幼稚園DJの魅力
DJのアボカズヒロさんがFM OSAKA『Keep on Smiling』に出演。アボさんのライフワークである幼稚園・保育園DJについて、山寺宏一さんに語っていました。

(アボカズヒロ)はい。

(山寺宏一)さあ、そんなDJになったいちばん最初のきっかけ。どうですか?青森時代からもう、そう思っていたわけですか?

(アボカズヒロ)そうです。青森時代ですね。いちばん最初にDJを志したのっていうのは、小学校2年生ぐらいなんですけど。

(山寺宏一)ええっ!?そんな早いんだ!

(アボカズヒロ)そう。小学校2年生の時に、テレビで見たんですよね。DJという存在をはじめて目の当たりにしたのが、たしかテレビだったはずで。あれはね、たしかダンス甲子園とか。バラエティー番組でダンスの番組とか、結構流行ってやってて。で、そうするとのっている人の後ろにDJがいるんですよね。そうしたら、なんかこう、踊っている人に目が行きがちじゃないですか。なんだけれども、後ろで司令塔のようにクールに操作している人がなんかかっこよく見えたんですよね。

(山寺宏一)そういうダンスってやっぱりHIPHOP系だったりするわけですか?やっぱりDJやるっていうと、HIPHOPが多いわけですよね?

(アボカズヒロ)その一方で、今度はなんか夜、ゴールデンのテレビとかつけてると、ジュリアナ東京とか、当時の風俗ですよね。いわゆるその、東京の風俗として。

(山寺宏一)青森のテレビ大好き少年のカズヒロ少年は(笑)。

(アボカズヒロ)そういうのを見て。そこにもなんかレコードプレイヤーを2・3台並べてなんかやっている人がいて。『あっ、なんかイケてる場にはかならずこの人がいるぞ』っていうことに気づくんですよね。

(山寺宏一)ターンテーブルとそんな機材みたいなのがあるぞと。

(アボカズヒロ)で、なんか本当にすごいその時に、それになろう!って思ったんですよ。どうすればなれるとか、なにも考えずに。

(山寺宏一)なりたい!って。

(アボカズヒロ)なりたい!っていう風にこう思って。でも、どうすればいいのか、わかんないですよね。わかんないから、まあそれはなりたい!っていう気持ちだけ残して。具体的な計画は頓挫していくんですけど。頓挫というか、ペンディングになっていくんですけど。そしたら、小学校3年生の時に僕はラジオのエアチェックが大好きだったんですよ。

(山寺宏一)はあはあ。

(アボカズヒロ)それで、要は小学生って早く寝るので。自分が寝ちゃっている後の世の中っていうのがどうなるのか?っていうのにすごい興味があったんですね。その好奇心で。デタラメにタイマー録音をして。

(山寺宏一)デタラメに!?

(アボカズヒロ)そうそう。夜中の時間をランダムにタイマー録音して。120分テープとかに録って。そしたら、電気グルーヴがラジオをやっていて。テクノのユニットの。その人たちが毎週DJの音楽を聞かせてくれたりとか。

(山寺宏一)石野卓球さんとピエール瀧さん。

(アボカズヒロ)そうですね。あまちゃんでもお馴染みの。が、今週のおすすめ曲みたいなのでかけてくれたりとか。

(山寺宏一)DJがプレイした音源をラジオでかけていた。こんなかっこいいのがあるぞと。自分たちもやっているから。

(アボカズヒロ)ぜんぜんなんかラジオでかかんないような。当時はぜんぜんラジオでかかんないような音楽をかけてくれてたのを聞いて。それでなんかしびれて。すごいテクノミュージックを聞いた時に小学生ながら『なんかマンガを聞いてるみたいだな』って思ったんですね。

(山寺宏一)マンガを聞いてるみたい?

(アボカズヒロ)画がないし、セリフもないけれど、いわゆるそのカートゥーンみたいな。シンセサイザーの音色とかがなんかこう、スラップスティック感だったりとか。マンガを読んでいるみたいな音楽だなって。

(山寺宏一)たしかに。効果音的なものとかね、音の使い方って遊び心があるから。楽しく感じたんですね。他の音楽よりも。

(アボカズヒロ)そうです。また歌詞とかがない分、なんかその自分のイメージに委ねられるところっていうのがすごく大きかったので。それでなんか、『うわっ、これは本当に素晴らしいものと出会ってしまったな』と思って。だからいちばん好きな音っていうのはなんかDJが作っているけども、ターンテーブルとかもさることながら、シンセサイザーを使って作っているらしいってことが、なんとなくその卓球さんの話とかからわかって。

(山寺宏一)はい。

(アボカズヒロ)で、それでシンセサイザー貯金を始めるんですよ。小学校3年生ぐらいから。

(山寺宏一)あ、それも小学校なんですね。まだね。

シンセサイザー貯金

(アボカズヒロ)そう、小3です。93年ぐらいの話ですね。だからちょうど21年前とかの話で。それでシンセサイザー貯金を始めて。月々のお小遣いが当時500円。500円のお小遣いと・・・

(山寺宏一)シンセサイザーまで遠そうだな(笑)。

(アボカズヒロ)遠いですよ。あと、お年玉とか。あと、誕生日プレゼントも・・・誕生日プレゼントだったかな?なんかのご褒美的なものとかも貯金の方に回してもらったこととかもあったりして。

(山寺宏一)いろいろ子どもの頃に工夫して。とにかく電気グルーヴに憧れて、シンセサイザーをまず買わねば!と。

(アボカズヒロ)そうですね。シンセサイザーとか、あとサンプラーっていう機械。

(山寺宏一)いろいろいるんですね。

(アボカズヒロ)いろいろいるってことがわかって。もう、がんばって、貯めに貯めてやっと14才の時にお金が貯まってですね。で、一式一気にドーン!みたいな感じでこう・・・

(山寺宏一)よく貯めたなー!でも、すごいですよ。小学校3年生で夢を持って。そこから貯金を始めて。だって14才までずいぶんありますよ。

(アボカズヒロ)ずいぶんあったんですよ。いや、よくもったなと思って。

(山寺宏一)だって10才くらいからでしょ?9才、10才から?

(アボカズヒロ)そうです。

(山寺宏一)5年かけて。

(アボカズヒロ)お金を貯めて。買った時のことをいまだに覚えてますよ。目の前にこうシンセサイザーとかがダーン!ってこう、あるんですよ。勉強部屋に。で、スタンドがないから、勉強机の引き出しをグッて開けて。そこにシンセサイザーをドン!って置いて。そのシンセサイザーを眺めながら、ちょっと僕、泣きましたね。

(山寺宏一)ああ、そう(笑)。いや、すごいな!大したもんだわ。

(アボカズヒロ)あとは、その5年間それを貯金するのに貯めてしまったのを使ってしまったので。もしこれをやってみて、あんまり楽しく感じなかったら俺の5年間はどうなっちゃうんだろう?って思って。

(山寺宏一)(笑)。そうだよね。上手くできないのは当たり前だけど、自分で楽しく思えなかったら。やーめた!ってなっちゃったらね。

(アボカズヒロ)ちょっとでも、大変でしたよ。頭の中で300曲くらいできてるんですよ。やっぱり小学校からそれまでの間には。

(山寺宏一)そうなんだ(笑)。音はいろいろ聞いてはいるわけだもんね。ずーっとね。

(アボカズヒロ)そうです。で、300曲くらいできてるんですけど。シンセサイザー目の前にしたら、『えっ?どうすれば頭の中に鳴ってるのができるの!?』って(笑)。

(山寺宏一)わかんない(笑)。

(アボカズヒロ)教えてくれる先生、いないし。

(山寺宏一)えっ?そこから独学で?

(アボカズヒロ)独学でトライ&エラーで。いまだにだから、いまだに再現できていないものとかいっぱいありますよ。あの当時のもので。当時の僕の頭の中のレアトラック集の中で、いまだに作り方がわからないものの方が多いぐらいで。

(山寺宏一)面白いなー。

(アボカズヒロ)そして、レコードをかけ始めて、ディスコとかクラブみたいなところに出入りし始めて、みたいな感じ。もちろん地元でですけどね。先輩みたいな人とかできて。

(山寺宏一)で、大学に入って本格的に?

(アボカズヒロ)そうですね。まあ、本格的には高校の時から本格的にやっていった・・・

(山寺宏一)だってね、クラブとかで回したりしてたんですよね?

(アボカズヒロ)ちょっとお手伝いフィーみたいな感じで、チラッと貰えたりとかもするぐらいはやってたんですけども。いわゆる、やっぱり大きなターニングポイントとして、やっぱり東北出身だとわかると思うんですけども。上京っていう・・・

(山寺宏一)そうですね。これはね、勇気がいることですよね。

(アボカズヒロ)本当です。本当、東京で生まれた方にはあんまり、この感じっていうのはなかなか伝わりづたいんですよね。

(山寺宏一)ほとんどね、それで生活できるという保証は・・・どっちかっていうと、その可能性が少ない方の道をね、お互い選んでますものね。うん。

(アボカズヒロ)で、家賃もかかるし。実家にも住むわけにもいかないっていうか、実家がそこにはないので。っていう、背水の陣みたいなところでこう・・・

(山寺宏一)ね。でもケツまくってね、覚悟を決めて上京して。でもそっからね、学生になるわけですものね。

(アボカズヒロ)そうですね。大学進学で出てきたんですけど。

(山寺宏一)芸大。

(アボカズヒロ)芸大に、そうですね。なんか新設された学科で。なんか物珍しい人を取ってくれる時期だったんですよ。

(山寺宏一)難関ですよ、芸大ってね。

(アボカズヒロ)そうらしいですね。

(山寺宏一)憧れのところですよ、ねえ。やっぱり。

(アボカズヒロ)ただ僕、あれなんですよ。他の大学、落ちたりしてるんですけど。なんか芸大に拾ってもらって。

(山寺宏一)あ、そうですか。芸術分野の中でいちばん難しいところに入っちゃったんですね。

(アボカズヒロ)そうですね。僕、日芸とか落ちちゃってるんですよね。勉強があまりにできなすぎて。

(山寺宏一)(笑)。それで東京芸大に受かっちゃってるという(笑)。なるほどー。

(中略)

(山寺宏一)さて、DJのアボさんにはですね、番組のゲストブックにサインをしていただきました。なんと書いていただいたのか、読んでください。

(アボカズヒロ)ええと、僕は『快』っていう。

(山寺宏一)『快』という一文字をいただきました。これはどういう意味で?

(アボカズヒロ)いや、なんかいろいろこう、音楽とかをやってると最終的にはここの境地に達するんじゃないか?って思って。やっぱりこう、すごい!とか偉い!とか全部超越して、人間最終的には何が求めているのかな?って思ったら、大きな意味で、やっぱりこう、気持ちいいとか、心地よいとか、そういう風な。たとえば人間関係とかでもやっぱりこの快っていう字が、いい関係、いい物事には常にこの快っていう字が裏にはあるんじゃないのかな?という風に思っていてですね。

(山寺宏一)なるほど。自分だけが気持ちいいって思うってことじゃなくて、人間関係においても。みんなが心地よい・・・

(アボカズヒロ)もうあらゆることに、そうですね。この快っていう字がある場っていうのがたぶんいい場なんじゃないかな?という風に思っていて。

(山寺宏一)アボさんはもちろんDJとして心地よい空間を、みんなに提供。多くの人に提供するのがお仕事と。

(アボカズヒロ)はい。

(山寺宏一)なんかね、子どもたちにDJとして音楽を聞かせることで有名になったアボさんですけども。いま、ずっと上の世代にことも考えてらっしゃるという?

(アボカズヒロ)上の世代っていうよりも、あらゆる世代のことを考えてますね。そう。だから僕の中では全ての、人は全て音楽を必要としてるところっていうのはきっとあるはずだなと思っていて。だからなんだろうな?町の定食屋ぐらいの感じで、町の選曲屋さんみたいに。そういう風な存在がいるような世の中っていうのになったらきっと、豊かな世の中になるんじゃないのかな?っていう。いろんな意味で。思っていてですね。だから、お祭りとかでDJしたりしてるんですよ。いま。結構。夏祭りとか。

(山寺宏一)そっか。まあ、いろんなDJっていうのがいていいし。でも、とんがっている世界とかいろんな最先端っていうのもあっていいけど。そっか。アボさんはそういう考えでいろんなことをやっているんですね。

(アボカズヒロ)そうです。けど、そこにとんがった人がいたら、面白いじゃないですか。

(山寺宏一)なるほど。なるほど。

(アボカズヒロ)かならず町に1人ぐらいいたじゃないですか。とんがりおじさんみたいな人。僕は結構そういう風なところにいきたいですね。

(山寺宏一)いろんなとんがりをね。

(アボカズヒロ)そうですね(笑)。

(山寺宏一)わかりました。これからも活躍、期待しております!

(アボカズヒロ)ありがとうございます。

(山寺宏一)本当に2週にわたり、楽しい話をありがとうございました。

(アボカズヒロ)はい。光栄でございました。ありがとうございます。

(山寺宏一)ゲストはDJのアボカズヒロさんでした。ありがとうございました。

(アボカズヒロ)ありがとうございました。

<書き起こしおわり>

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