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宇多丸 宮崎駿『風立ちぬ』を語る

宇多丸映画評論 宮崎駿『風立ちぬ』 宇多丸のウィークエンド・シャッフル
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宇多丸さんがTBSラジオ『タマフル』の映画評論コーナー『ムービーウォッチメン』で宮崎駿監督作品『風立ちぬ』を評論してました。

風立ちぬ [DVD]

(宇多丸)さあ、ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメンです。いま劇場で公開されている最新映画を毎週、私、シネマンディアス宇多丸がウォッチングして、その監視経過を報告します。今夜扱うのは、先週ムービーガチャマシーンを回して決まった、この映画!『風立ちぬ』。

ゼロ戦の設計者、堀越二郎と小説家の堀辰雄。実在の人物2人をモデルに、戦前の日本で飛行機造りに全てを捧げた青年の半生を追う劇場用オリジナル・アニメーション。監督は日本を代表するアニメーション映画監督、ご存知宮崎駿。主人公の青年、堀越二郎の声を演じるのはアニメーション監督の庵野秀明。などなどということでね、ちょっと今日ね、風立ちぬなのにオープニングで死ぬほど下らない話をし過ぎてしまいましたんで。

ということで、風立ちぬ、もう見ましたよというリスナーのみなさんからの監視報告、ウォッチメンのみなさんからの監視報告、いただいております。メールの量はありがとうございます!今年最多!番組史上でもトップクラスのメール量ということでございます。そして、みなさん、いわゆる『黒いメール』ですね。文字の量が非常に多い、要するに熱量が多いメールを送っていただき、しかもですね、素晴らしい感想・評論が多く、これをまとめて1冊の本にしても十分面白いのでは?というぐらい、素晴らしい内容が多いということでございます。ありがとうございます!

内訳は、絶賛、褒めるメールが6割ぐらいで、2割が否定派。残り2割が、モヤモヤしていて好きか嫌いか自分でもよく分からないというものでした。これ、よく分かります。私、初見の時は割とそんなテンションだったかもしれませんね。でも多様な意見・切り口があるということでございます。代表的なところ、紹介しましょう。

(中略)

(宇多丸)はい、みなさん、ということでありがとうございます。こういう風にいろんな切り口の感想が出るっていう時点で、この作品の価値というのが1つ、あるかもしれないですね。ちなみに、先に紹介しておきましょう。この番組、ディレクター小荒井さん、篠田麻里子さま大ファンのね、小荒井さんの感想。『結婚したくなりました』。ね、こういうのがあります。はい、じゃあ行ってみましょう。私、もうね、3回見てまいりましたしね、多分シネマハスラー含めてこの番組史上、いちばん資料とかを随分前から揃えまくって・・・そんなものは見る必要がない!っていう、山口百恵主演の『風立ちぬ』まで見てるっていうね。もう、酷いことになってますけど。

はい。で、大入りですよ。僕が見た時も。すっごい入ってました。当然のことながら!ってことですよね。内容は、はっきり言ってむしろ全く大衆向けじゃない。今回は特に。なのに大ヒット。ブランド力というのは確立されているという点で、宮崎駿監督作品はある意味、村上春樹の新作出ました!にちょっと通じる。内容は大衆向けじゃ全然ないんだけど・・・なんだけど、不思議なブランド力っていうか、国民的作家になって感がある。で、宮崎さん自身も、おそらくはそれに居心地悪さ、違和感を感じつつ。だって、宮崎さんは本来そういう、いわゆる現代の日本の、アニメばっか見てるような日本の大衆なんて、いちばん嫌いな人なわけだからと。

で、それに違和感を感じつつ、自分の信じる、言っちゃえば時流におもねらない、流されない、自分勝手な作品をどんどん作る。どんどん作品が自分勝手になっている。んだけど、立場的にはさらにヒットしちゃって、国民的作家の方に行っちゃうっていう。一種の因果なサイクルの中にいる作り手っていると思うんですけど。いまはね。その意味で、今回の風立ちぬは今までになく、はっきりとですね・・・もう、大衆の方は向いていないよと。「分からない人には分からなくて結構!」って、はっきりと作品で言っているという作品だと思って。

っていうか、ほとんどそれ自体がテーマとさえ、僕言っていいと思うんですね。分からない人には、分からなくていい。ちょうどこれ、主題歌で先ほど流れました、荒井由実さん、ユーミンの『ひこうき雲』。1973年の名曲、ひこうき雲の歌詞でも、強烈な部分で。『ほかの人には わからない』ってありますよね。『ほかの人には わからない』。まさにあの歌詞のように、ほかの人にはわからないアイデアとか、情熱とか、夢とか、発想。あるいは執念とか、愛し方。もっと言えば、生き方。その話っていうかね。

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『ひこうき雲』

なので、もう最初から他の人には分からないっていうスタンスの話なので、賛否が分かれるのは当然っていうか。要するに、他の人には分からない独自の生き方っていうところには、『正しくなさ』を含んだ物語なんですよね。ということです。正しくなさを語るところにこそ、フィクションの意義があるというのをね、この間、佐々木中さんも言ってましたけど。でね、中には、劇中では、『まあ、そこらへんのバカにはわかるまいが・・・』って、はっきり言ってるところもある。

たとえばですね、軍人たちの描写ですよね。軍人たち、会議でね、いろいろ注文をつけるんですよ。主人公の二郎に、こんな飛行機を作れ!っていうの。注文つけるんだけど、はっきり言って何言ってるか分からないから、『ナントカ!ナントカである!』って勇ましいけど、何言ってるか分かんないし、目線とかもどっち向いてるか分からなくて。自分たちでも、何言ってるか分かんないでしょ?みたいな、超バカにした描き方をしていると。要は、宮崎さんが、たとえば半東一利さんとの対談、『腰抜け愛国談義』って、NHKで部分的に話しているところを放送されましたけど、その中ではっきり言っていますけど。

要は、彼らの言いたいことなんか、描きたくなかったもんですから、ああいう、完全にノイズとして扱ったっていうこと。原作の、これ今回、モデルグラフィックスっていう雑誌でずっと連載されていた原作マンガがあるんですけどね。それではもっと酷いバカ扱いですからね。こんなこと、はっきり言ってますよ。『戦闘機乗りの言いなりに飛行機を造ると、酷いことになる。彼らはクルクル回りすぎて、クルクルパーになっているからだ』って(笑)。まあ、ふざけて、もちろんジョークで書いているんだけど、こんなこと書いてたりとかして。

つまり、そういう、分かるまいが・・・部分によっては、バカには分かるまい・・・みたいなことも言っている。そういう、一種言っちゃえば上から目線的に見える部分に、いままでの作品とか、宮崎さんのいろんな言動とかも、そういう部分ビンビンあるんだけど、今回ぐらいはっきりそれを打ち出されると、嫌だなと思う人が出てくるも、ムッとする人がいても当然だろうし。でも、問題はたぶん、それより遥か以前の問題として、この作品が舞台としている時代背景ですね。日中戦争、太平洋戦争について、最低限の知識っていうか常識がないと。

たとえばその、日本の戦争がどういう風になっていったとか、ゼロ戦っていうね、最終的に、この劇中では描かれないですけど。チラっとしか出てこないけど、その二郎が造ったゼロ戦。名機として世界的に有名になったけど、戦争の終わりのころにはあんまり役に立たなくなって、最終的には特攻に使われて、みたいなね。要するにボロボロの敗戦になっていったみたいなことを、最低限の歴史的な、まあここはこういう時期だよねっていうのがないと・・・たとえばラスト周辺で、すごく大胆な省略をしてるわけですよね。時代がバッ!っと飛ぶ。あそことか、全く何が何やら理解できる訳もないだろうし。そして、実際ね、観客の感想で終わってから、『で、(戦争は)どっちが勝ったの?』って言ってる若者がいるっていうし、たぶんそれは今どきはいるんだろうと思う。おそらく、普通に。

で、宮崎駿氏はそういう層は、ハナから相手にする気は勿論ないわけですよね。『このバカどもが!』って思ってますよ。親切にそんな人たちに説明を入れる気はハナからないんだけど、そういう層も含めて劇場に人が殺到するという、さっき言った皮肉なサイクルの中にいるため・・・だからその、首をひねっている人の中の、結構な数はそういうレベルで分からないっていう人もいるというようなザマだと。たとえばこの話ね、もっと分かりやすくすることだって、全然できましたよね。堀越二郎の話、やるんだったら、たとえばゼロ戦開発秘話みたいな感じで、それこそプロジェクトX風とかさ。もしくは『栄光なき天才たち』っていうね。栄光なき天才たち、漫画名作ね。私もリリックで引用しています。ちょっと栄光なき天才ニュアンスは、勿論この作品にも入ってますけど。

もっと分かりやすく、ゼロ戦っていうのはこういう所が優れた開発ポイントですよとか、そういう分かりやすい解説描写を入れてくことも、全然できましたよね。できたはずなんだけど、しかし、そもそも元のモデルグラフィックスで連載されていた原作マンガはですね、『妄想カムバック』っていうね、要するに雑想ノートっていう、宮崎さんが兵器趣味を満たすために、趣味的にやっていた連載の系譜で。もう毎回毎回、資料的価値はない!って宣言しているような作品なわけですよ。

つまり、堀越二郎という人の評伝的なことであるとか、あるいはゼロ戦開発史みたいなものを、正しく正確にやりたいわけではない。この、正しくなさをも含むみたいなのは、今回すごく大きいポイントかもしれませんね。で、それでゼロ戦を描くっていう時に、宮崎さんは兵器として活躍しました、みたいなことは絶対に描きたくない!っていう固い思いがあるわけです。つまり、兵器は好きだが戦争は心底憎んでるという矛盾に今回、立ち向かいましたっていうのがコンセプトだって、あちこちでおっしゃってるので。そもそも、ゼロ戦は描きたいが、その活躍は描きたくないって・・・この矛盾がまさに宮崎駿イズム、真骨頂だと思いますけど。

実際ですね、連載第一回目にマンガとは別にご本人のコメントが載っていて。これ、ちょっと長めだから引用しますとね、いきなり七試艦戦、要するに中盤で落ちちゃう、二郎がブリキのアヒルでしたって自嘲するあの飛行機、ありますね。そこを作る、二郎が実際に航空史で果たした役割の話から始めることもできたんだけど、それでやってみたら全く面白くないマンガになっちゃったと。なので、堀越二郎を支えていたのは、出てくるイタリアの設計のカプローニさんであるとか、先人たちの業績や夢であるというところから始めたという風に言っている。

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宮崎駿が考える堀越二郎

要するに、堀越二郎という人はですね、これは宮崎駿が考える堀越二郎ですよ。という人は、技術の集大成としての飛行機を造るんじゃなくて、なにか隠された動機で飛行機造りに取り組んでいたんじゃないかと僕は思っているわけです、と言っているわけです。で、その隠された動機っていうのは、やっぱり美しいものを造りたかったに違いないという、宮崎駿の、僕の考えた堀越二郎っていうことですね。ただし、堀越二郎というのは一雇われ人だから、この先どうするか?一回目の時点でモヤモヤしていて、どうなるか分かりません、みたいなこと言ってるぐらいで。まあ、趣味的な連載ですから。

ということで、とにかくですね、宮崎駿が考える、モノを造る人の内面・姿勢の話。だから史実が描きたいわけじゃないっていうことですね。で、史実をそのまま描きたいわけじゃない、そのまま描けばいいってもんじゃないっていうのはあちこちでもおっしゃってて。たとえば、さっきの『腰抜け愛国談義』という本の中でも、たとえば大正時代の電柱はこうなってましたよってインターネットで調べて指摘されても、そんな醜い形のものがお前は描きたいのか!?って言って(笑)。そんなこと言われても、考証しろ!って言われたから調べたのに・・・醜いものは描きたくない!みたいな、そういうことを言ってると。つまり、正しさとか合理性より美しさだろ!っていうのは、宮崎駿自身の考えでもあるってことですよね。っていうか、宮崎駿の考え方なんですよ。

そしてこれは言わずもがなのことすぎるのでね、いちいち言わなくてもいいかもしれないけど、その好きなものを追求した結果、たとえば飛行機を造ったら結果、それが兵器になり、負け戦になっていき・・・みたいな。要するに劇中の二郎が抱える様々な矛盾っていうのはですね、たとえば自分はすごく大衆というものに気をかけているけども、俺は所詮ブルジョワでインテリで、そういう人の、なんか『いい気なもんだ』っていう悩みかもしれん、っていうことであるとか。あるいは、その仕事と家庭のね、仕事を立てれば家庭が立たず・・・みたいなことであるとか。とにかく劇中で主人公の二郎が抱える様々な矛盾っていうのは、宮崎駿自身が抱える矛盾そのものであり。同時に現代の我々と言ってもいいかもしれませんね。

あの、ブルジョワ、ブルジョワっていうけど、現在の我々から見れば、この劇中で出てくる堀越二郎、要するに主要登場人物が全員ブルジョワなわけですけど。別にその暮らしぶりに、むしろ違和感ないっていうか。要するにたぶんその時代の大衆の暮らしぶり見たら、我々にとって全く馴染みのないものにむしろなっちゃうという意味で、むしろこっちの方が地続きのものであるっていうのもあると思います。とにかくですね、最初はただの趣味的な連載だったわけですよ。もう、これを長編映画化する気なんか全くなかったわけで。その、僕の考えた世界っていうので全く問題のない物語だったわけですね。これを長編映画化しよう!って、鈴木敏夫さん、ジブリのプロデューサーがまず、すごいですよね。またね。頭おかしいんじゃないか?って言ったらしいですけどね(笑)。それはまあ、当然だと思います。

で、たとえばこの『風立ちぬ』っていうタイトルにしてもね、もちろん堀辰雄という人の小説のタイトルですけど、これ言ってみれば、元祖難病ものっていうか、過去に何度も映画化されてたりするわけです。それがさっき言った、たとえば山口百恵・三浦友和コンビの風立ちぬがあったりするわけですね。元祖難病ものみたいな感じ。でも、このタイトルも最初から今やるみたいに堀辰雄と堀越二郎をミックスされた人物像を作るというよりは、やっぱり元の少なくともマンガの連載を、私今回揃えられる限りは揃えましたので、読む限りは、その『風立ちぬ いざ生きめやも』というね、ポール・ヴァレリーの詩の堀辰雄訳のテーマ的な部分っていうところで『風立ちぬ』っていうタイトルをつけた。心にいったん風を受けてしまったら、もうそれはやるしかない!みたいな。そっちに行くしかないだろう、っていうようなテーマ性から来てて。

堀辰雄の小説とのミックス、たとえば難病というか、薄幸の美少女がいて、とか。あるいはその美少女がサナトリウムを抜け出してきて、とか。これはまた別の『菜穂子』っていう、まさに登場人物の名前、菜穂子ですけど。『菜穂子』っていう小説から取られている。そういう小説世界とミックスするって部分は、たぶん後からね、あと付けで出てきたものなんじゃないかな?って思うんですよね。

あと、プラスその同時代、この話の同時代を生きた宮崎駿さんの父親像も混ぜているっていうのを、あちこちで言ってますよね。これはどういうことかと言うと、天下国家とは別の行動原理で生きていた日本人の姿っていうことらしいですよ。歴史で見ると戦争前の暗黒時代って思うかもしれないけど、オヤジに聞くと、いや結構いい時代だったとか、そんなことを言うと。そういう目から見た昭和史であり、日本人像であるということ。

で、その3者を、堀越二郎と、堀辰雄の小説のイズムと、お父さん像のイズムみたいなものを駿の頭の中でミックスしたキャラクターが今回の二郎なので。もう、こうなると史実とは関係ないっていうことですよね。特にこれはですね、今回の映画版で、原作マンガより映画版で非常に強調されている部分なんですけど、物語の二郎自身は自分では飛べない人なわけですよね。この、自分では飛べない人っていう部分で、たとえば庵野秀明さんの声をあてているという、これ賛否両論あるようですけど。僕は人柄の誠実さとか以前に、全くヒロイックに見えない、自ら飛行機を勇ましく駆るタイプじゃないっていうところで合っているよなって思いますよ。

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