玉袋筋太郎さんが2026年9月11日放送のTBSラジオ『えんがわ』で亡くなったグレート義太夫さんを追悼していました。
(玉袋筋太郎)やっぱり健康が第一ですよ。本当に。
(外山惠理)そうですね。
(玉袋筋太郎)私のお兄さんのグレート義太夫さんがね、突然お亡くなりになっちゃって。そうなんです。昨日、私もお別れに行ってきましたけどね。
(外山惠理)ねえ。「玉さん、どうしてるだろう?」と思いましたけど。
(玉袋筋太郎)やっぱりね、義太夫さんっていうのは結構お兄さんの中でもお笑いのことをすごい好きで。昔から東京の演芸とか大好きでさ。自分も最後、漫談とかやってたんだけど。まあね、俺たち浅草キッドのつたない漫才を理解してくれる身内の中の唯一の1人……2人しかいない。浅草キッドの漫才を認めてくれた人。その中の1人ですからね。だから新ネタとかさ、かけるじゃない? 漫才を。かつて俺、漫才師だったからね。うん。
(外山惠理)「かつて」じゃないですよ。
浅草キッドの漫才の理解者
(玉袋筋太郎)「かつて」ですよ。いいよ、「かつて」で。その時にやっぱり新ネタですごい練習するんだけど当日の舞台で一発勝負だからさ、不安なんですよ。で、舞台の日の前日の夜に義太夫さんちに電話をして。で、義太夫さんの前で2人で漫才をやって。ネタ見せをして。で、俺らは不安なんですよ。ウケるか、ウケないか。でも義太夫さんがガハハッ!って笑ってくれてさ。
「うん、もう大丈夫だ。これ、大丈夫だ」なんて言われると自信を持って。で、次の日、ネタおろしができたということなんですよね。だから本当に非常に感謝。普段でもいろいろ、家に招いてくれて。カレーパーティーをやってくれたりとかね。まあいろいろ本当お世話になった人でした。うん、ありがとうございました、義太夫さん。
(外山惠理)そうですか。
(玉袋筋太郎)そうなんですよ。
(外山惠理)そうだったんだ。
(玉袋筋太郎)理解者だったんだよな。数少ないね。そう。「漫才なんかやんなくていい。お前ら、俺たちの付き人をやれ!」とかさ、「ずっとやってればいいんだ」なんて言う人もいたらしいね。って作家が書いていた。「言え」って書いてた。
(外山惠理)書いてない(笑)。
(玉袋筋太郎)だけどさ、ねえ。義太夫さんも67歳ですよ。若すぎるよ。俺から一言、言ってやるよ。「喝!」っていうね。
(外山惠理)ああ、本当にね。
(玉袋筋太郎)張本さんも亡くなっちゃってね。


浅草キッドの漫才をずっと見守ってくれていた優しいグレート義太夫さん。玉さんもとても寂しいでしょうね……ご冥福をお祈りいたします。