石橋貴明「プロゴルファー・ジャンボ尾崎を作ったのは仰木彬」

石橋貴明「プロゴルファー・ジャンボ尾崎を作ったのは仰木彬」 石橋貴明のGATE7

石橋貴明さんが2024年6月16日放送のTBSラジオ『石橋貴明のGATE7』の中でジャンボ尾崎さんについてトーク。プロ野球選手だったジャンボ尾崎さんがプロゴルファーへ転向するきっかけを作ったのは仰木彬さんだと話していました。

(石橋貴明)当時、誰が一番怖かったんですか? 辻さんは。

(辻発彦)怖かった……いや、でもそういう「怖かった」っていうのはあんまり、なかったかな? みんな、田淵さんも優しかったし。片平さんでも大田さんでもみんな、優しかったし。

(石橋貴明)グランドでどうこうは言わない?

(辻発彦)文句とか、そういうのはないですよ。

(石橋貴明)ああ、そうですか。昔、ジャンボ尾崎さんが西鉄ライオンズ時代にテレテレテレテレ、外野を走ってたんだって。ジャンボさん、ピッチャーだったから。テレテレテレテレ走ってたら、西鉄ライオンズのセカンドって当時、仰木さんだったんです。仰木さんが「テメエ、テレテレ走ってんじゃねえよ! そんなテレテレ走ってるんだったら、野球をやめろ!」って言われて。ジャンボさん、それでガンッて落っこちちゃって。「もう野球、ダメだ……」って思って。当時は池永さんっていうすげえピッチャーがいて。「池永を見て、これはプロじゃ無理だと思った」って。

それで、合宿所のすぐ近くにゴルフの練習場があったんだって。それで「なんか面白そうだな」っつって、そこで打ち始めて。それでプロゴルファーになってジャンボさんはああやって大成功したんだけど。だからジャンボさんが大成功したのは仰木さんのおかげだっていう(笑)。

(辻発彦)アハハハハハハハハッ! へー!

(石橋貴明)だから仰木さんはジャンボさんと野茂英雄とイチローを作ったっていう(笑)。

(辻発彦)ああ、なるほど(笑)。

ジャンボ尾崎、野茂英雄、イチローを作った仰木彬

(石橋貴明)そういう先輩は、さすがにいなかったんですか?

(辻発彦)でも、そういうのを言うのもありだよね。やっぱりダメなことはダメって……当時、俺らの時代はありましたよ。だから若い選手にもやっぱりちゃんと走らなきゃって。やっぱり自分に厳しいし、みんなにも厳しかったから。だから俺もデーブ(大久保)に言ったことあるしね。

<書き起こしおわり>

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