吉田豪 ナインティナイン岡村隆史とダイノジ大谷ノブ彦を語る

吉田豪 ナインティナイン岡村隆史とダイノジ大谷ノブ彦を語る 上柳昌彦・松本秀夫 今夜もオトパラ!

吉田豪さんがニッポン放送『上柳昌彦・松本秀夫 今夜もオトパラ!』に出演。インタビューした岡村隆史さんと大谷ノブ彦さんの話をしていました。

(上柳昌彦)さあ、今日スポットを当てていただく有名人は・・・

(吉田豪)はいはい。最終化らしくね、ナイナイの岡村さんの話をしようかなと。

(上柳昌彦)あー、そうかそうか。

(吉田豪)ミスターオールナイトニッポンですよ。

(上柳昌彦)そうですよね。

(松本秀夫)いま、1人でね。

(上柳昌彦)いま、1人でやってらっしゃいます。はい。ではこの後、あの岡村隆史さんの素顔。吉田豪さんにたっぷりとお話を伺いましょう。

(CM明け)

ナインティナイン岡村隆史の素顔

(松本秀夫)プロインタビュアーの吉田豪さん。今日はナイナイの岡村さんの素顔を伺います。

(吉田豪)はい。ええとですね、いま出ています『新 お笑いラジオの時間』っていうムックで、ニッポン放送側の人たちを2人取材していまして。僕が。最新号で。それがダイノジの大谷さんとナイナイの岡村さんっていう。

(上柳昌彦)ああ、ああ。ほー。そうですか。

(吉田豪)で、岡村さんを取材するのは実は2回目で。1回目が2008年。『キング(KING)』っていう雑誌があったんですよ。

(上柳昌彦)キング?

(吉田豪)2年ぐらいで消滅した雑誌なんですけども。これ、珍しいパターンで。創刊の記者会見に僕も出ているっていう。

(上柳昌彦)ほー。関わっていたんですか。なんか、そういう。

(吉田豪)僕とリリー・フランキーさんが会見に出て。で、リリーさんがその時に言ったんですよ。『そんなね、創刊のこういうので俺らを呼ぶような雑誌がね、1年持つわけがない』って言ってたら、まあほぼ予言が当たった感じで(笑)。

(上柳昌彦)誰を対象にしていた・・・?

(吉田豪)誰だったかな?無茶だったんですよ。創刊号の表紙が王貞治っていうね。

(上柳昌彦)なんかよくわかんない(笑)。

(吉田豪)僕とかのハートは掴むけども、これが世間に届くのか否か?っていうね。

(上柳昌彦)王さんを持ってくる!?

(松本秀夫)キングですよね。ある意味ね。

(吉田豪)いや、たしかにキングなんですけど。

(上柳昌彦)世代的には割と上の世代を狙ってたんですかね?

(吉田豪)40代ぐらいの人を狙ったはずなんですけどね。無茶しましたね。あの、講談社が社運を賭けたって言ったんですけど、社運を賭けたまま、1年2年で終わったっていうね(笑)。

(上柳昌彦)講談社だったんですか。はー。

(吉田豪)そうです。そうです。で、岡村さん表紙の号が1回ありまして、そこで取材してたんですよ。

(上柳昌彦)ええ。

(吉田豪)岡村さん自身、実はあんまりパブリシティー関係以外、ほとんどインタビューを受けない人で。

(上柳昌彦)いやー、受けないですよね!

(吉田豪)ですよね。で、理由を聞いたら、『ぜんぜんやりたくない。なにか残そうという意欲がぜんぜんない』っていう。

(上柳昌彦)番組のゲストっていうのもないですよね。ほぼ、ないですよね。うん。僕もだから、本当にお会いしたことなんて、ミュージックソンでテリー伊藤さんとやった時にナイナイのお二人のミュージックソンだったので、スタジオでちょっと一緒にいてっていう。

(吉田豪)これだけどっちもニッポン放送長くやっているのにっていう。へー。

(上柳昌彦)他の番組にちょっとって、ほとんどないですよね。

(吉田豪)大谷さんとことはね、やってましたけど。

(上柳昌彦)あ、大谷さんはもう、行ったり来たりがあるけど。ないですよね。うん。

(吉田豪)で、キングっていうのはサラリーマンに向けている雑誌で。だからお笑いの世界はたけしさんやダウンタウンみたいな天才型が多いけども、岡村さんみたいな努力型は珍しいから、それならば目指せるのではないか?という企画だったんですよ。

(上柳昌彦)努力型なんですか、岡村さんは。

(吉田豪)そうですね。ということで会いに行ったら、話を聞いたらこれは誰も岡村さんにはなれないわっていうね(笑)。あの、努力のレベルが違うっていう。

(上柳昌彦)ほうほうほう。

(松本秀夫)周りの人でも、岡村さんになれるんじゃないかな?っていう・・・

(吉田豪)たけしや松本人志は無理でも、岡村さんなら・・・っていうような発想で編集部は考えたらしいんですけどね。

(上柳昌彦)努力でなれるかもしれないぞ、見たいな。

(吉田豪)無理です!っていう(笑)。

(上柳昌彦)無理?

(吉田豪)だから、まあわかりやすい例で言うと、あのめちゃイケのオファーシリーズで、エグザイルに混ざって踊ったりしている。

(上柳昌彦)あー、あれはもう、ねえ。

(吉田豪)そうです。あれについて聞いたら、『完璧に踊るのは実は簡単だ。練習すればいいだけのこと』っていう(笑)。『それが話題につながるだけのことで、練習すれば完璧に持っていくの部分で難しいことはないです』っていうね。それが難しいんですよ!っていう話じゃないですか。

(松本秀夫)だって完全にコンサートの中とかでもね、もう見分けつかないぐらいの。

(上柳昌彦)ライオンキングもやっているし、なんかあれもこれも完璧にやれますもんね。はー。それはもう、当たり前と。練習すればできると。

(吉田豪)『やればできることなんですよ』っていう。はい、キング、間違ってました!っていう(笑)。

(上柳昌彦)そういうのって、インタビューを受けている時の岡村さんっていうのは、声のトーンとかってどんな感じなんですか?

(吉田豪)基本、声は小さいですよね(笑)。

(上柳昌彦)ボソボソという感じなんですか。はー。

(吉田豪)でも、ラジオのテイストは近いかもしれないですけどね。まあでも、本当真面目ですよ。生真面目。で、特にそのね、休業前だったので。この頃は。ちょっと多少そういう匂いもあったりしながらの。

(上柳昌彦)もうじゃあ、映画の公開が・・・あれも映画の公開がね。主演の沖縄を舞台にした公開でものすごい・・・いろんなところ出ているなって思ったんですけど。その後ちょっとね。

(吉田豪)向いてない人なのに・・・っていう。

(上柳昌彦)向いてない。あ、向いてないで思ったけど、その時に唯一、放送上で話をしていて。『とにかくもう、いろんな人と酒を飲んだりするのはね、ちょっと辛い時もあってね・・・』っていう話でね。『いや、そうなんですか。どうするんですか?』って言ったら、『まあトイレ行って、洋式の便座をおろして、フタをして、その上にジーッと座って時がたつのを待つ』って。

(吉田豪)(笑)

(松本秀夫)ええーっ!?

(吉田豪)エスケープ。

(上柳昌彦)そんなんするんですか!?という。びっくりしたのをいまでも覚えてますね。

(吉田豪)危険なシグナル、出てますよね。その頃、リハビリは始まってたんですね。あんまりそういう交流なかった人がゴルフを始めたりとかの。ちょっとずつ、普通の人間になろうとはしていた頃だったんですけど。

(上柳昌彦)なるほどなー。そうかそうか。

(吉田豪)まあでも、屈折がすごいなと思ったのが、ライブも大阪でしかやっていなくて、DVDも出してないみたいな。なぜかと言えば、芸人や業界関係者が来て『まあまあだった』とか言われるのが嫌でっていう(笑)。

(松本秀夫)はー!そこまで考えてたんですね。

(吉田豪)そうそう。東京からのダメ出しを異常に恐れているっていう。もともと明るい少年だったのが、この世界入って暗くなって。さらに東京進出で完全に変わったって言われていて。まあでもたしかに、あの時期はわかるんですよね。大阪でアイドル扱いされているやつが出てきたっていうことで、同業者も結構潰しにかかるぐらいの。ナンボのもんじゃ感が絶対あって。

(上柳昌彦)オールナイトニッポンの初期の方のディレクターとか、かなり厳しく接していたから。かなり大喧嘩してますよっていう話はよく、されてますよね。

(吉田豪)その結果東京が大嫌いで、みんな敵だと思い、誰とも話したくないと心のシャッターを閉ざし・・・っていう。20代の頃は家で空気銃で粘土を撃ったりの毎日っていう。

(上柳昌彦)空気銃で粘土かー。ピシッ!ピシッ!ピシッ!

(松本秀夫)うわー、それは・・・たまってたんですね。

(吉田豪)たまってたんでしょうね。でも、元気になりましたね。本当に。そしてまあね、久しぶりに取材をして。

(松本秀夫)今年ですね。

(吉田豪)そうですね。1人でオールナイトをやることになってっていう。

(上柳昌彦)いま、40・・・?

(吉田豪)44ですね。僕と同い年なんです。

(上柳昌彦)おおー!そうかそうか。

(吉田豪)でも、なんだろうな?それこそ、東京に出てきた頃とか、浅草キッドと浅ヤンで一緒になって。結構厳しく当っていたわけですよ。ナンボのもんじゃ感で。浅草キッド側が。でも、当時の浅草キッド的なことを、普通にやっているっていうか。

(松本秀夫)岡村さんの方が?

(吉田豪)っていうポイントがあったんですよ。いろいろ話している時に、まあとにかくどうしようもない話ばっかになるんですよ。

(上柳昌彦)どうしようもない話?

(吉田豪)基本、風俗の話とかにどんどんなっていくわけですよ。

(上柳昌彦)ああー、そういう話、する方ですよね。

(吉田豪)あの、僕の持論があって。深夜ラジオが長く続く人っていうのは、子どもがいないことが多いっていう。それは他局のパターンでもそうで。伊集院光さんとか、爆笑問題さんとかもそうだし。で、ナイナイが1人になったのも、それなんじゃないか?っていう。

(松本秀夫)まあ、そうですね。矢部さんのところもやっぱり。

(吉田豪)そうそう。って話をしたら、『そういえば、松本人志さんもそんなことを言っていた』みたいな感じで。フリートークで子どもの話が中心になったりとかしちゃうのを・・・

(上柳昌彦)そうでしょうね。

(吉田豪)どうしても、身の回りの話だとそうなっちゃうじゃないですか。

(上柳昌彦)そう。周辺では面白いことが起きるのは、そういうところになりますからね。

(吉田豪)そう。それが新鮮で。でも、それがたぶんリスナーとの間のズレが出てっていう。

(松本秀夫)あー、そうかそうか。

(吉田豪)っていうような話をしていたら、『そういう意味では、大丈夫です。僕はぜんぜん大丈夫です、まだ!』っていう(笑)。そういう信用はすごいありますよね。とにかく44になっても、まだ風俗の話とかオナニーの話をしているのが楽しくてしょうがないっていう。

(上柳昌彦)そうなんだよな。楽しくてしてるわけですね。

(吉田豪)そうです。そうです。

(上柳昌彦)できる自分っていうのがうれしいんでしょうね。

(吉田豪)で、スポンサーでね、高須クリニックを自力でつけたじゃないですか。で、その結果ね、スペシャルウィークのゲストに高須院長を呼んだりとかしながら。で、なにをやろうとしてるかというと、包茎手術をプレゼントつけられないか?っていうのを企んで。でも、さすがにそういう医療行為をつけるのは難しいんじゃないか?みたいなことが。

(松本秀夫)ああ、それはかつてないでしょうね。

(吉田豪)ストップがかかりながらも、じゃあ、自分が包茎手術をするのはどうか?みたいな発想になっていくんですよ。『これはいままで、やった人がいるんですかね?放送とかで、包茎手術?』って言った時に、『浅草キッドさんが昔、やっていました』っていう。

(上柳昌彦)やってますよね!

(吉田豪)そうなんですよ(笑)。

(松本秀夫)放送の企画で。

(吉田豪)そうです。そうです。

(上柳昌彦)水道橋博士がやってるんですよね。

(吉田豪)だから、かつてそういう状態だったものが、岡村さんがこの年齢でそこにいるんですよ(笑)。

(松本秀夫)浅草キッドさん、かなり、もう少し若い時ですよね?

(吉田豪)そうです。そうです。それが面白いなっていう。

(上柳昌彦)そこで交わっていくわけだね。へー!そうか。

(吉田豪)で、なおかつそういう話をしていても、なんだろうな?子どもがいないとラジオが長続きする論にえらい感銘を受けてくれて。『ちょっとさっきの話、もう1回聞かせてくれます?なんか他に、なんか論、ないっすか?』みたいな感じで。次々と。『でも、たしかにそうやー!』って言って。『あの人もそうだ、あの人もそうだ』みたいな、いろんな話をして。

(上柳昌彦)福山さんもそうだしね。

(吉田豪)だから、福山さんがやめるのも、もしかしたらそういうのが関係してくるんじゃないか?っていう妄想になっていくんですよ。

(上柳昌彦)ああ、岡村さん的にはね。

(吉田豪)みたいな話で盛り上がった後で、『今日のこの話、ラジオとかでしてもいいですか?』みたいな感じで(笑)。『あ、ぜんぜん僕の話、著作権フリーなんでご自由にどうぞ』みたいな話になっていくんですけど。

(松本秀夫)じゃあ岡村さんともすごい意気投合というか、そういう深い話ができるという・・・

ダイノジ大谷ノブ彦の癖

(吉田豪)で、いい話なのが、このムック、その次がダイノジ大谷さんを僕が取材してるんですよね。で、大谷さんの取材のテーマっていうのが、大谷さんはナチュラルにいろんな人たちの話を、さも自分が発見したかのように思い込んで、結構公言することがよくあって。それで嫌われがちっていうのを、周りでいろいろ僕も実体験であったんで、それを大谷さん本人に直撃するっていう回だったんですよ。

(上柳昌彦)聞きましたねー!

(吉田豪)全部ぶつけて、大谷さんが『ええっ?そんなこと、あったかな?』って言いながら、いろいろ大谷さんを詰めていくっていう回で。って言いながらも、大谷さんがいろんな話をするんですよ。『エコーズの辻仁成のラジオが衝撃でさ。あの人は、ハガキのことをカードって言うんだよ。あれ、聞いてびっくりしてさ』みたいな話をしていたんですけど、この編集が起こしを送ってくるじゃないですか。その時に、『たいへんな事実が発覚しました』って言って。

(上柳昌彦)ええ。

(吉田豪)その人が創刊号で取材してたんですよ。大谷さんを。で、その人がインタビューの時に話したエピソードだったんですよ。

(上柳昌彦)(笑)

(松本秀夫)あ、ご本人が別に知ってたことじゃなくて。

(吉田豪)大谷さん、聞いてないんですよ(笑)。えっ、そうなんだ!って。すごいリアクションしてるんですよ。

(上柳昌彦)やっぱりそうなんじゃん!っていう話で(笑)。

(吉田豪)そう。で、『俺はね、辻仁成と言えば、「やっと会えたね」ってあのセリフが好きでさ』って、有名すぎるエピソードで返すっていうことしかしてなかったんですよ。で、それをオチに持ってくるっていう画期的な構成の方法にして(笑)。

(上柳昌彦)どういう反応でした?大谷さん。

(吉田豪)どうですかね?その後は知らないですけどね。でも、完璧だと思いましたよ。

(松本秀夫)大谷さんってでも、ゲストが入ってくると、いつも『はー!なるほどねー!』ってものすごく吸収してる感があるんで。

(吉田豪)吸収しすぎちゃうんですかね?(笑)。

(上柳昌彦)向こうに入りすぎちゃう。だから自分と他人の意見がもう、わかんなくなってきて。

(吉田豪)そこに悪意がないんですよ。ナチュラルなんですよ。あの人。

(上柳昌彦)本当にいいと思ってるんだね。

(吉田豪)言ってるうちに自分を洗脳していって、自分が思いついたようになっちゃうっていう。そして、聞いている人がモヤモヤするっていう(笑)。

(上柳・松本)(笑)

(吉田豪)『これ、誰か言ってたな、これ』って(笑)。そこが面白いんですけどね。あの人ね(笑)。

(上柳昌彦)なるほど。『聞いた話なんだけど・・・』って言わないんだね。自分のものになって。熱いんですよ、あの人。熱いんですよ。

(吉田豪)熱いです。どこかで、言い換え語ができてるんですよ。でも、いい話、いっぱいありますよ。だから、これようやくおおっぴらにできたような話もあって。大谷さんがちょっと先輩芸人をしくじって、大変な時期があったんですよ。10年ぐらい前に、それこそ死のうと思ってビルの屋上に行って・・・みたいなことをブログで書いて。

(上柳昌彦)おお、おお。

(吉田豪)ところがその死のうと思ってビルの屋上に行った顛末。問題の発端部分ぐらいまで書いちゃったから、当然事務所内で大問題になって。書いたブログが半分ぐらいに削除されていたんですよ。で、当然僕、これ最初に見た時点で、『これはヤバい』と思って、即保存して(笑)。

(松本秀夫)『これは消えるぞ!』と。

(吉田豪)そうそう。『これはこのまま残るわけないぞ!』と思ったら、案の定、ブログが半分ぐらいになったんで。その後、大谷さんに会った時に、『あれ、最高!』って言って。『むちゃくちゃ面白かったですよ。ぜったい、後々ネタになりますよ!』ってさんざんイジったんですよ。

(松本秀夫)(笑)

(吉田豪)そしたら、実は先輩芸人をしくじっているから、芸人仲間もイジれないんですよ。それ。すっごいデリケートな問題で、誰も踏み込めなかった時に僕が土足で踏み込んで。

(上柳昌彦)ドーン!ドーン!ドーン!

(吉田豪)『最高!』ってやったのが、すごいうれしかったらしくて。後に、とあるアイドルの子が悩んでいた時に、大谷さんに相談したら、『そういう時はね、吉田さんに相談したらいいよ。俺もね、ヤバかった時にね、吉田さんに励ましてもらったことがあったことがあんだよ』って言ってたって聞いて。で、突然その子が僕に連絡してきて。意味分かんないんですよ。僕、励ました記憶ゼロで。『励ましたっけなー?』って。

(上柳昌彦)励ましてはないよね。

(吉田豪)そうなんですよ。正確には、面白がったんですよ(笑)。ただそれが、そういう状況の中では、励ましになったっていうだけで。

(松本秀夫)ああー。

(上柳昌彦)熱い人なんですよ。

(吉田豪)熱く自分の中で話を入れ替えるんですよね。

(上柳昌彦)みんながデリケートな問題で触ってこなかった問題に踏み込んでくれた、すごくいい人になってるんですね。大谷くんの中では。

(松本秀夫)それ、1人じゃなくていろんな人に、もしかすると言っている可能性もありますよね。『そういう時は吉田さんに・・・』って。

(吉田豪)『なんでこの人が俺に突然電話してきたんだろう?』みたいなね。『意味がわかんないけど・・・』みたいな。

(松本秀夫)かもしれないですね。

(上柳昌彦)それを事前にちゃんと見逃さずに見て。

(松本秀夫)これは消されるぞ!と。

(上柳昌彦)保存している。

(吉田豪)ぜったいヤバいと思いましたもん。

(松本秀夫)その嗅覚がやっぱりすごいですね。

(上柳昌彦)これはヤバいぞっていうものを見つける、その嗅覚ですよね。これはね。面白い(笑)。

(吉田豪)いまとなっては、ネットのみでそれ探し出せないので、どんな文だったのでしょうか?とかツイッターで最近聞かれましたよ(笑)。

(松本秀夫)(笑)

(吉田豪)よくぞ保存しておいたっていうね(笑)。

<書き起こしおわり>

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