町山智浩『しあわせな選択』を語る

町山智浩『しあわせな選択』を語る こねくと

町山智浩さんが2026年2月24日放送のTBSラジオ『こねくと』の中で映画『しあわせな選択』について話していました。

※この記事は町山智浩さんの許可を得た上で、町山さんの発言のみを抜粋して構成、記事化しております。

(町山智浩)今日は来週3月6日金曜日から公開される映画『しあわせな選択』という韓国映画をご紹介します。この今、流れている曲を歌ってるのはイ・ビョンホンさんっていう韓国の俳優さんなんですけど。当時、日本でもすごい人気でしたね。イケメンでね。しかも、顔がいいだけじゃなくて筋肉もすごくてね。西島秀俊さんみたいな感じですぐ脱ぐ人でしたけど。

でもね、今回の映画『しあわせな選択』では彼、もう55歳になりましたんで。もう脱いでないです。まあなんというかね、不思議な渋みというかですね。中年独特の情けない感じが備わって。イ・ビョンホンさんは結構ね、遠藤憲一さんに似てますよ。今回の映画は。

元々似てるんですけど、目の下にこうたるみができたんで。遠藤憲一さんって顔が怖いじゃないですか。めちゃくちゃ。怖いけれども、なんか気の弱い役がめちゃくちゃ似合うじゃないですか。情けない感じの。イ・ビョンホンさんね、今回はもうエンケン化してました。

2000年代、イケメン四天王と言われていましたが今はエンケン化しつつあるというね。それが『しあわせな選択』で。言ってわかる通り、コメディですよ。で、監督はね、パク・チャヌクという韓国映画の巨匠ですね。この人は韓国映画のブレークスルーだった『JSA』という2000年の北朝鮮との軍事境界線をめぐるサスペンス映画で世界的に大ヒットして。その後、復讐三部作とか。『親切なクムジャさん』っていうのも良かったですね。あとは『お嬢さん』というね、LGBTの百合系のサスペンスですね。『お嬢さん』とか、あとは『別れる決心』というメロドラマとか。

そんな感じでこの人、ジャンルがバラバラなの。『渇き』っていう吸血鬼映画も撮ってるし。あとハリウッド映画の『イノセント・ガーデン』っていうのも撮ってたりして。まあ、あまりにも何でも撮りすぎる人がパク・チャヌクですけど。今回は完全なコメディです。

で、どういう話か?っていうとイ・ビョンホンさんが会社をクビになっちゃって。で、再就職しようとするんですけど、なかなかポストがないんですね。彼、管理職なんで。これ、管理職っていうのは転職しにくいんですよね。で、「同じように管理職で仕事を探しているライバルを全部殺せばいいや」っていうので、殺そうとするっていう話です(笑)。だからコメディなんですよ。

これね、『しあわせな選択』っていう日本語タイトルですけど。韓国語の原題は「他に方法がなかった、選択がなかった」っていう意味なんですよ。つまり「仕方がない」っていう意味です。逆にしてるんですね、日本語の方は。「仕方がない」だとこれ、お客さんは来ないもんね。日本語だと伝わりづらいですよね。

「仕方がない」

(町山智浩)で、その仕方がないって言葉は彼が会社をクビになる時に上司に言われた言葉なんですよ。経営者に。「仕方がないんだよ」って言われるんですけど。で、彼も「仕方がないんだ」って言いながら、ライバルを殺していくんですよ。でもね、さっき言ったみたいに彼、気の弱い男なんですよ。このイ・ビョンホンさん演じるマンスという主人公は。それまで、ただのサラリーマンですからね。管理職だけど。

で、まあビクビクしながら、おどおどしながらですね、ジタバタしながら「本当に殺せるの?」みたいなまあ、コメディですね。ただね、見ていてパク・チャヌク監督だからただのそういうお笑いずっこけ人殺し映画にしてないんですね。すごく韓国の現実、世界の現実を反映してるんですね。

それは『パラサイト』という映画が世界的に大ヒットしてアカデミー賞を取りましたけど。あれはソウルのひどい住宅事情がテーマでしたね。本当に半地下にしか住めないっていう現状があって。あれ、防空壕なんですけどね。で、今回は製紙工場、製紙業者、紙づくりの産業が大変な衰退しているってことが一つ、大きいテーマなんですよ。

このマンスというイ・ビョンホン扮する管理職の人は紙工場でずっと働いていて。ところがやっぱり産業規模がどんどん縮小されてるんで、人員削減を食らうというね、そこから始まるんですけど。今、紙って本当にもう大変な事態になってるんですよ。昔はほら、すごい紙を大量消費してたでしょう? 昔の、90年代までのテレビドラマとか見ると、とにかくオフィスではコピーばっかりしてて。コピーをするとこから始まって、会議になると全員にコピーを配ってって、やっていたでしょう? あれがなくなりました。あとは新聞がものすごい量だったでしょう。

それもなくなった。で、雑誌も本もなくなって。雑誌や新聞を売っていた駅の売店もなくなってね。だからもう紙が本当になくなっちゃったんですよ。もうペーパーレス文化になっちゃって。だからこれね、韓国の話なんですけど実は日本って世界一の紙産業の国だったんですよ。だって日本って住宅にも紙を使ってた国ですよ。障子紙とか、襖とか。

だから日本の紙産業の衰退がもう一番、大変なんですけど。この映画の中でも何度も日本企業の話は出てくるんですよ。とにかく、だから紙産業自体が少なくなっちゃったから、彼は転職しようとしても、ポストがないんですよ。工場管理の仕事だから。ところが、彼は紙作り以外、したくないんです。紙ってね、マニアの人がいっぱいいるんですよ。

紙ってすごい数のブランドがあるんですよ。いろんな紙があって。で、本を出した時、昔は装丁をする時に紙見本っていうのを出して。「どれがいいですか? この触り心地が……」とか言うんですよ。特に見返しっていうところがあって。表紙をめくったところのあの紙の触感が勝負なんですよね。でも、そういったものがどんどん滅びていって。でも彼はそういったものだけで25年働いてきて、そこに人生を全部賭けてるから。奥さんとかが「他に転職すりゃいいのに」って言うんですけど、それは絶対に嫌なんですよ。

で、同じポストがたまたま1個、あったからそこに応募してる人たちを探すんですよ。自分のライバルを。すると、みんなやっぱり紙職人でキャリア25年とか、そういう人ばっかりなんですよ。で、どれを殺そうか?ってことになってこの音楽がかかるんです。

この曲、「誰を殺そうか?」ってこのリストを作ってるところで流れるんですけど。この曲ね、「待ってろよ。今、行くからな」っていう歌詞なんですけど。「今、殺しに行きます」っていう、すごいシーンで笑っちゃうんですけど。それで気合を入れて行くんですが、行った時にその人がどういう人かってことで、その人の家のところで覗きをするんですよ。マンスくん、イ・ビョンホンは。そうすると、だんだんその人のことがわかってくると、ライバルのおじさんたちってみんな、紙に人生をかけた紙野郎ばっかりなんですよ。

で、彼らの言ってることとかを聞いてると自分と同じ紙オタクなんですよ、みんな。殺そうと思った人たちをどんどん好きになっちゃうの。もう他人事と思えなくて。しかも、どの人も奥さんに「いい加減にしなよ。紙とか、もう諦めなよ」って言われてるの。「頭、切り替えて」とか言われてるの。だからもうね、どんどんどんどん殺す相手に共感して、自分と他人の区別がつかなくなってくるんです。

ちなみにそのイ・ビョンホンの奥さんはあの『愛の不時着』のソン・イェジンさんですね。だからコメディ演技は抜群です。もういろいろと、夫婦のエッチなギャグもいっぱいありますが。要するに性的にね、非常に不安になってくるんですよ。男は仕事がダメになってくると。だから全員、それと結びついてるんですよ。

だから、なんていうの? 「俺は男だ! 仕事をするから!」っていう仕事人間的な価値観で生きてるから。だから仕事がなくなっちゃうと性的にも全然ダメになっちゃうんです。もう仕事しかないんですよ。だって奥さんの体とか触りながら「この感じはあのメーカーの何番の紙の……」とか言って触感、全部紙だから。この人は。

こんなの、すごく嫌だよね(笑)。そういうね、紙オタクたちの戦いなんですけど。ここでチョー・ヨンピルさんの『赤とんぼ』っていう曲がこの映画でかかるんですよ。

チョー・ヨンピルさんはご存知ですか? 『釜山港へ帰れ』っていう歌で日本でも大ヒットして、紅白歌合戦にも出てましたけど。この人、演歌歌手だと日本では思われてますけど、本当はロックの人なんですよ。で、この曲がね、すごく変で。演歌とロックがまぜこぜになっている『赤とんぼ』っていう曲なんですけど。途中で3曲ぐらい、別の曲が混ぜ合わさったような非常に不思議な、プログレッシブロックとかね、サイケデリックロックと言われるジャンルなんですけど。これをガンガンかけているんです。このライバルの、狙われてるおじさんが。

イ・ソンミンという名優が演じてるんですけど。この人がね、これをガンガンかけてるところに殺しに行くんですよ。ところが、ここで一番大事なのがこのイ・ソンミンさん扮する紙おやじが、これをものすごいオーディオセットで聴いてるんですよ。コンポーネントというやつなんですけど。オーディオっていうのも、なくなっちゃったじゃないですか。昔はコンポでそのパワーアンプ、プリアンプ、カセットデッキにレコードプレーヤーとスピーカーと全部、バラバラで買って100万円とかいうのをやってた世代があるんですよ。オーディオブームで。

で、この殺されるイ・ソンミンさんはそういう世代なんですよ。だから彼の仕事も終わっていくし、彼の趣味だったオーディオも過去のものになってるんですよ。切ない。何もかも終わっていくんですよ。というね、見ていて殺す方も殺される方もね、かわいそうで見てられないコメディなんですが。もう泣き笑いなんですけどね。で、これね、彼らは55歳だから結構、辛いんですよ。要するに完全に引退するまでに10年、あるんだもん。

あと10年あるのに、仕事がなくなっちゃった。今更、転職しろって言われてもできないよと。で、その10歳年上だったら良かったなっていうのは俺なんですよ。世代的にね。で、僕がやってた仕事っていうのは、出版ですよ。ずっと雑誌を作って。子供の頃から雑誌に憧れて、雑誌作って、出版して。それで今度は書く方に回って……ずっと出版でやってきたんですよ。40年ですよ、僕。彼ら、25年だけど俺、40年以上だよ。でも出版ってもう完全に滅びつつあるんですよ。

だから僕、週刊文春の連載も今度で終わるんですよ。まあ、もう終わりなんですね。もう20年ぐらい連載してますけど。でも、僕はほら、逃げ切っちゃったじゃん。この映画のイ・ビョンホンとか、彼らはまだ子供が学校に行ってるから。大学に行かせたりしなきゃなんないんだもん。だからお金が必要なのに、仕事がなくなっちゃった。

あと数年でAIが人間の仕事を大量に奪う

(町山智浩)でね、これね、すごくゾッとするんだけど。最近、AIとロボットがあと2、3年のうちに人間の仕事を奪うっていう発表というか、予想みたいなものが出ていて。すると、マーケティング、カスタマーサービス、プロジェクトマネージャー……管理職ですね。財務、会計、校正、塾の先生とか全部、なくなるって言われてるんですよ。2、3年で。さらにタクシー、トラック、バスの運転手さん、配達業務、倉庫の仕事、工場の仕事、全部消えるって言われてるんですよね。ロボットに取られて。

だからこれ、紙業界の話だけじゃなくて。もうほとんど全ての人に通じる話になってきていて。そもそも、ラジオやテレビもあんまりよくないしね。AIはアナウンサーの仕事に取って代わるなんて言われてるしね。で、もっと怖いのはね、あと2、3年のうちにAIが人間と同じかそれ以上の人格を持つって言われてるんですよ。

だから今のAIは命令したことを処理するじゃないですか。でも、これからはそうじゃなくて、人間と同じように人格を持っちゃうから、命令されなくても勝手に動いていくようになる。それをシンギュラリティっていうんですけど。あと数年以内にそれが起こるって言われてるんですよ。

一旦、そうなるとAIは自分で自分をどんどん進化させていくんで、もう人間を超えてどこまでいくか、わからないんですよ。でね、この映画はそこまでを見据えてるんです。もうすぐ、それが来るって言われていて、そうなったら人間は仕事をどれだけ奪われるんだ?っていうね。だからこの映画はね、そこまでをちらっと見せるんですよ。ちょっと怖いんですよ。

だから実は「おっさんがクビになっちゃう」って話じゃないんですよ。実は。人類そのものがクビになっちゃうかもしれないんで。まあでも、切り替えが速い人は生き残りますよ。切り替えが速い人は生き残るけど、大抵のおじさんたちはみんな自分の仕事にこだわって、切り替えられないから。こういう風にイ・ビョンホンみたいに自滅していくと思いますよ。というね、怖い話が『しあわせな選択』です。はい。

映画『しあわせな選択』

アメリカ流れ者『しあわせな選択』

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