漫画家・漫画研究家のみなもと太郎さんがTBSラジオ『タマフル』に再び出演。前回特集で途中で終了してしまったさいとう・たかを、そして手塚治虫の漫画界にもたらした真の功績についてたっぷりお話されていました。
(宇多丸)ただ前回ですね、こちらが用意した時間があまりにも短すぎたと。
(みなもと太郎)いやいや、こっちがマズかっただけです。
(宇多丸)いやいや、とんでもないですよ(笑)。リスナーのみなさんから「相手を誰だと思ってるんだ? みなもと先生だぞ!」と。要するにね、「幕末を描くのに戦国時代から始める人だぞ!」と。
(みなもと太郎)30年やってね(笑)。
(宇多丸)30年やっている。「『風雲児たち』を読み切りで書けと言っているようなものだぞ!」などなど、お叱りの数々、たくさん受けたため今夜は1時間。
(みなもと太郎)1時間ね。この前の倍ね。
(宇多丸)倍でございますけどね。ただ、焼け石に水なんでね。『風雲児たち』で言えばワイド版のまだ3、4巻目ぐらいだという感じで思っていただければ。
(みなもと太郎)(笑)
(宇多丸)なにしろですね、『レジェンドみなもと太郎再び降臨。手塚治虫とさいとう・たかをの真の功績について考える』って、もうすごい名前が並びすぎて。
(みなもと太郎)並びすぎてるけど、俺がそこまでできるかどうか。自信ない!
(宇多丸)いやいや、それはもう、大丈夫です。じっくり時間をかけていきましょう。はっきり、最初に言っておきますけど、今日で終わらなくていいです!
(みなもと太郎)そうですか。はい。ありがとうございます(笑)。
(宇多丸)そんな編集がいるか? というね(笑)。改めまして、みなもと太郎先生をご紹介させてください。1947年生まれ、現在69才。京都府京都市出身。1967年、『別冊りぼん 夏の号』ではなく……前回ね、歴史の訂正がなされました。『別冊りぼん 秋の号』でデビュー。代表作は『ホモホモセブン』。まさに先ほどね、メタ的なとかパロディー的な『デッドプール』もね、『ホモホモセブン』がなければ描かれていない……か、どうかは知りませんが。
(みなもと太郎)まあ、パロディーを本格的にやったのは、あれでした。
(宇多丸)間違いなく、『ホモホモセブン』です。それに影響を受けて様々な、それこそシリアスなタッチのギャグ漫画みたいなのもね。後の『がきデカ』しかり。
(みなもと太郎)アニメの方にずいぶん影響を与えたと思う。
(宇多丸)非常に大きな作品『ホモホモセブン』。そしてもちろん、先ほどから何度となく名前を出しております『風雲児たち』を描かれております。現役の人気漫画家でありながら、日本屈指の漫画研究者でもあるというね。
(みなもと太郎)漫画評論家ではなくて、研究家なのね。評論家だと、いろいろ文章を書かないといけないけど、研究家だったら漫画読んでりゃ研究してるんですと(笑)。言い訳が聞くんで。
(宇多丸)文献を掘り起こしたりとか。また先生自身もいろいろと本で、「どんどんどんどん新しい説がわかってくるから」っておっしゃってますもんね。研究家であると。
(みなもと太郎)そうです。
(宇多丸)1979年から連載が始まった幕末群像劇『風雲児たち』は連載開始から37年すぎて、いまなお連載中ということでございます。ご本人がレジェンドということでございます。でも、みなもと太郎特集ですよ、これはね。大きな意味での。
(みなもと太郎)はい、ありがとう(笑)。
(宇多丸)ということで、(前回の)さいとう・たかを特集。先生がさいとう・たかをさん、こういう風にちゃんと評価されていないんじゃないか? というあたり、語っていただいたんですが。今回は続編でございまして、主に3つのパートでお送りしたいと思います。パート1は、まず前回のあらすじ。
前回のおさらい
(みなもと太郎)そうですね。前回のことをちょっと言ってください。
(宇多丸)前回のあらすじをおさらいさせてください。そしてパート2。さいとう・たかをの真の功績について、まだ語ろうということで。前回、語りきれなかった部分。「オドリバッタ」とは何か? みなさん、暗号のようにね。オドリバッタって何だ? みたいなことになっていますからね。オドリバッタについて勉強したい人は、『まんが学特講』という、大塚英志さんとの本を読んでくださいなんて言ったら、これが売り切れてしまい、いまものすごいプレミアがAmazonでついてましたよ。これ。1万円、ついてましたよ。
(みなもと太郎)ええーっ?(笑)。
(宇多丸)1万。だからなかなかね、今夜改めてお話をうかがいたいというあたり。
(みなもと太郎)増刷してくれりゃいいんだよ(笑)。
(宇多丸)増刷。お願いします。角川学芸出版さん、お願いいたします。そしてパート3ということで、前回ね、まさかの。ある意味、一石を投じていただきました。手塚治虫が漫画界に本当に持ち込んだものはいったい何か? このような流れでお話をうかがいたいと思います。
(みなもと太郎)はい。
(宇多丸)ではさっそく、パート1。前回、通称”第一話”のおさらい。うかがっていきたいと思います。前回、どんな話をしたのか、改めておさらいしていきましょう。まず、さいとう・たかをは最もメジャーな漫画家の1人である。けど、みんなね、『ゴルゴ13』『ゴルゴ13』と。
(みなもと太郎)しか、知らないので。それではさいとう・たかをの本当の魅力はわからないよと。本当は貸本時代のをどんどん読んでもらいたいんだけど、それがいま手に入らないから困るなということを言いました。
(宇多丸)さらに、漫画家というもののあり方そのものを根本から変えたという方ですね。たとえば、アシスタントですね。いまやアシスタント制とかは、手塚治虫がアシスタントを雇っただけで批難されていた。
(みなもと太郎)はい。当時は。「それは漫画家のやるべきことではない」という非難をされていた。だけど、その時にすでにさいとう・たかをはみんなで合作しようというような姿勢だったので。これは全く、当時の仲間たちからも受け入れられなかった。ので、さいとう・たかをは自分でプロダクションを作っていくしかなかったという歴史があります。
(宇多丸)いまとなっては、もう全員がやっている。
(みなもと太郎)全員がやっていることですね。
(宇多丸)というシステムですもんね。でも、その全員がいまやっていることに対して、「あの時はすいませんでした!」みたいなこともされていないじゃないか、みたいなこともあるわけですね。
(みなもと太郎)そうですね。
(宇多丸)そして、ここがやはり大きかったですね。青年誌にオリジナル長編を持ち込んで掲載させたその『どぶの流れ』。1964年。24ページ。ここから日本で、長いページ数で描かれる青年向けストーリー漫画が始まったということですね。
(みなもと太郎)そうですね。少年ものにはあったんです。長いのは、いくらでも。「いくらでも」っていっても、そんなにはなかったんですけどね。まあ単行本1冊、2冊になるというのはあったわけです。
(宇多丸)要するに大人というか、ある程度の年齢以上の人が読む、大人漫画という。
(みなもと太郎)うん。それに我々、団塊の世代がちょうど育ってきたので。この連中を漫画から卒業させてしまうのはもったいないというのが、さいとう先生の気持ちにあったわけです。
(宇多丸)ああ、ある意味、そういうマーケットがあるものをみすみす……というような?
(みなもと太郎)そうです。だから、「いったいこういう漫画を読むのはどういう世代、立場の人ですか?」と、まず貸本屋時代に社長に聞いたところが、社長がキョトンとして、「そら、君。貸本屋に来る人に決まっとるやないか」と言って。で、その時にさいとう先生は「この世界、ガラ空きやんけ!」と。
(宇多丸)うんうん。全然客層なんかを分析していないし。
(みなもと太郎)分析していなければ。うん。だからやりようによっては、本当に大きな市場が拓けるというのがまず、頭にピーンと来たとおっしゃるんです。
(宇多丸)いいですね。この「この世界、ガラ空きやんけ!」って。いいですね。
(みなもと太郎)そう。「この世界、ガラ空きやんけ!」(笑)。河内のおっさんですからね。
この世界、ガラ空きやんけ!
(宇多丸)これ、僕も恥ずかしながら日本語ラップの自分なりのやり方を見つけた時に、「ガラ空きやんけ!」って思ったのをね。河内弁ではないですけど(笑)。
(みなもと太郎)なるほどね。はいはいはい。
(宇多丸)それをなんか重ねて……ぶしつけながらね。
(みなもと太郎)だから、「もう市場はうんと空いている。これは日本の大きな、映画産業を凌ぐものになると、その時にもう踏んだ」と言うんですけど。でも、そういう経営的な考え方を持つこと自体が、作家で誰もそんなのは一緒にやりたくないわけですよね。
(宇多丸)「不純」呼ばわりされているということですもんね。そして、漫画というのは子供の……大人になって読んでいるやつはちょっと変なやつぐらいの時に、まさにそれをやってのけたと。
(みなもと太郎)我々団塊の世代が大人になっていくから、これを逃す必要はない。この連中にどんどん読ませていってしまえば、市場はガンガン拡がるという発想で青年漫画というものを作った。それは『007』を『ボーイズライフ』で連載中に、たくさん仕事をしていたにもかかわらず、持ち込みをやったと。
(宇多丸)持ち込みですから、要するに「こういうものを載せろ」という風にプレゼンして、はたらきかけて。渋る編集部を説得して、それを載せたということですね。
(みなもと太郎)当時の大人の漫画雑誌界は8ページ連載がいちばん長編であって。10ページも20ページも割けるわけがないというのを、「50ページよこせ!」みたいなことを言ってやってみたら大当たりしたと。それで、もう明くる年から、どんどんそういう雑誌が。『漫画アクション』もそうだし、『プレコミ(プレイコミック)』『ヤンコミ(ヤングコミック)』。それから、もう明くる年には『ビッグコミック』が出て。明らかにそういう時代がスタートしたと。ほんの数年のことですよね。
(宇多丸)あっという間にそれがスタンダード化していったと。
(みなもと太郎)そうです。ただ、その時には、そういう長編を描ける人が貸本の世界にしかいなかったから。で、貸本世界はもう完全に潰れてしまっていて。腕は持っているけど、仕事をさせてもらえない人たちがたくさんいた。その人たちが第一期の青年誌を支えたわけですね。佐藤まさあきであるとか、平田弘史であるとか、小島剛夕であるとか。そういう人たちです。
(宇多丸)もしくは、たとえばさいとうさんの元で育った川崎のぼるさんであるとか。
(みなもと太郎)そうです。川崎のぼるさんは、子供っぽい主人公が描けたんです。劇画の中で。で、あるからいちばん最初に少年誌からのオファーが来たんです。さいとう先生より先に。
(宇多丸)ああー、相性がよかった。なるほど、なるほど。
(みなもと太郎)だからさいとう先生は描いてたんだけど、両方並行して描きますわね。で、貸本漫画の締め切りが迫っている時に、編集者が取りに来て。「いま、これ仕上げてからかかるから」って言ったら、「なんで貸本なんかを先にして、雑誌社を後回しするのは何事だ?」って言われたんで、カチーン! と来て。「ワシはこれで食っとるんじゃ! 出てけ!」みたいな(笑)。もう一発で喧嘩腰ですよ。で、それで雑誌進出が遅れたという話も聞きましたけどね。
(宇多丸)さいとう先生的には、「全然こっちのやっていることの方がオモロイんだ」っていう自負はあったんですね。
(みなもと太郎)自負はありますし。「なにも雑誌だからってこちら側が揉み手して『描かしておくんなはれ』と言う必要はないわい!」と。
(宇多丸)ビジネス的にちゃんとっていうのも、頭下げなくて済むようにっていうのもあるのかもしれないですね。
(みなもと太郎)うーん。だからそこらへんがね、さいとう先生自身も本当にそれでプロデューサーになってしまえばそれでよかったんだけど。結局は、絵の世界でも牽引力にならざるを得なかったでしょう? 要するに青年誌なら青年誌に合う絵柄というものがあるはずで。それを一生懸命考えて。もう最初に漫画を描きだした時には、手塚治虫風な絵じゃないとどこも引き取ってくれないから、手塚治虫風な絵であったけれども。まあリアルな話をするためには、ゴム人形の手塚タッチではダメだということで。ただ、その時にはなかったわけですよね。
(宇多丸)はいはい。
(みなもと太郎)絵物語はあった。絵物語の絵柄だと重すぎる。中間みたいなところで・……っていうので、1年、2年悩んでいた。その悩んでいた時が人生でいちばん苦しかったっておっしゃっていたから。
(宇多丸)そのあたりの模索の話はね、本題のパート2でうかがっていくかもしれませんけどね。
(みなもと太郎)「本題のパート2」って、いまパート2じゃないの?
(宇多丸)ああ、これいまね、おさらいを。まあ、いいんですよ。パート2とクロスフェードしてますけどもね。要は、ハードとソフトを同時に開発しているような感じですね。まさにね。
(みなもと太郎)そう。してしまって。「それは、ワシにとって痛恨やったんや」と。本人は。描けるやつがちゃんといて、それを束ねて……
(宇多丸)やってればよかったんだけど。
(みなもと太郎)「自分はプロデュースに専念すべきだったんだけど、それができなかったことが残念である」と。
(宇多丸)と、いうこところまでだいぶ踏み込んでうかがっておりますが。あと、まあ「かっこいい」っていう概念を作品の中に導入していったのはさいとう・たかをであるというような。
(みなもと太郎)そうなんですけど、それを本人が望んだかどうかはわからんのです。かっこいいは、もう頭から描けたとおっしゃるんでね。
(宇多丸)自分でスラスラ描けすぎて、つまらないというようなね。
(みなもと太郎)描けすぎて、つまらんと。
(宇多丸)というようなことまでおっしゃるぐらい、ということですね。あまりにも、かっこいいとか、十分それ自体に価値のあること。「面白い」とか。なかなかそういうのって、評論的に評価されづらい部分で。横山光輝しかり、というような話もうかがいましたね。あまりにも、横山光輝なんていうのは……無色透明のすごさなんだけれども。
(みなもと太郎)そうです。そうです。
(宇多丸)そこっていうのは、なかなか評価されづらいあたりなんていう話です。
(みなもと太郎)この話はしたっけ? 横山光輝にファンが「先生はいったい、作品を描く上でなにを心がけてられますか?」という質問をした話は前回……
(宇多丸)前回、してないです。してないです。
(みなもと太郎)その時に、横山光輝先生は「削ぎ落とすことを第一義に考える」と。だけど、普通の漫画家は違うんですよ。ここにいかに上乗せするか。
(宇多丸)「これを込めた」ということを。
(みなもと太郎)トッピングするか。それを一生懸命考えるんだけど。横山光輝先生はそれを逆に削ぎ落としていく。で、いちばん面白い話だけをストレートに読者に伝えたいと。
(宇多丸)もうエッセンスだけがガーンってあるような感じになると。
(みなもと太郎)そう。それが横山光輝先生のポリシーだったというのを聞いて。「ああ、それでああいう作品になっていくのか!」というのが。それを聞いたのは最近ですけどね。ファンクラブの代表の方から聞いたんですけど。
(宇多丸)故あるわけですね。あの、スルスル入れるし。
(みなもと太郎)そう。スルスル入れるし。
(宇多丸)逆に言えば、あまりにも引っかかりがないから……
(みなもと太郎)ないから、残らない。
(宇多丸)でも、それが凄みであると。
(みなもと太郎)それが凄みだと。
(宇多丸)そしてですね、前回出た話だと、さいとう・たかをの話をしている途中にですね、いわゆる手塚治虫の歴史的評価。あれ、いちばんドキドキした瞬間ですね。「『新宝島』で手塚治虫がなにを持ち込んだか?って、これは簡単に言えるでしょ?」「ドキーッ!」ってして。「ええと、ええと、ええと……『映画的表現を(漫画に)持ち込んだ』でしょうか?」と。ところが、「映画的表現を持ち込んだということで言えば、じゃあさいとう・たかをがその進化系というか、頂点ではないか? では、手塚治虫の先っぽにさいとう・たかをがいるんですか?」という、この問いかけでした。
(みなもと太郎)はい。すいません。
(宇多丸)「それは、おかしいだろう?」というようなことですね。つまりこれ、言い換えると「手塚治虫が漫画に映画的表現を持ち込んだ」っていう……
(みなもと太郎)という考え方が、もうすでに間違っているんじゃなかろうかと。
(宇多丸)この俗説が、まず。というあたりで前回はチーン……と。なりました(笑)。なんちゅう引っ張りだ!?っていうことですね(笑)。
(みなもと太郎)(笑)
(宇多丸)「さあ、その真相は……?」みたいなね(笑)。
(みなもと太郎)難しいなー(笑)。
(宇多丸)ということで、ここからがパート2でございます。お話をうかがってよろしいでしょうか? パート2です。「さいとう・たかをの真の功績について、まだ語ろう」ということでございます。
さいとう・たかをの真の功績をまだ語ろう
(みなもと太郎)ああ、まだ続くのね。はい。それは、どこのところに引っかかってられますか?
(宇多丸)そうですね。じゃあたとえば、先ほどチラリと出た、さいとう・たかをさんが劇画を青年誌に描くにあたって、ちょっと苦悩された数年間なんて話をおっしゃりましたけど。その間にどう調整していったか? という中で、僕が先生の本を読んで「ああ、面白いな」と思ったのが、要するに同時代の少女漫画とのパラレルな影響を……
(みなもと太郎)あっ、はいはい。だからあの時代の少年漫画の主人公っていうものは『月光仮面』にしろ、『赤胴鈴之助』にしろ、正義の味方なんだけど。
(宇多丸)『イガグリくん』とか、そういう。
(みなもと太郎)そう。正義の味方なんだけど。まあ、『イガグリくん』なんかは生活、割と入っています。もっと少年探偵みたいなのは。あるいは、『イガグリくん』でも電光投げで気絶をさせるとか。
(宇多丸)活劇的な要素の部分は。
(みなもと太郎)あるけれども、本人たちがどんな気持ちで戦っているのか?っていうのは、全くないわけですね。
(宇多丸)なんかもう、目が丸くて、ピカーンとしてて。
(みなもと太郎)そうそう。それでもう、「悪いやつらをやっつけろ!」というだけの世界なわけで。その時の心の機微みたいなものはないわけです。
(宇多丸)ほとんどもう、内面なんかはないようなキャラクターに見える。
(みなもと太郎)内面がないんです。で、内面しかないのが、少女漫画です。
(宇多丸)これは当時、リアルタイムでもそういうものだった?
(みなもと太郎)そうですね。クラスでお金持ちの同級生にいじめられて……というような。当時は貧乏話ですから、バレエのトウシューズに画鋲を入れられてというような話になるわけですけども。とにかく、悲しいわと。
(宇多丸)どう思っているか? という話。
(みなもと太郎)心の動きっていうものを描くのは少女漫画しかなかった。だからさいとう・たかをは男がなにを考えているか?っていう心の動きはやっぱり描きたいけれども、それはそういういま言ったような少年探偵の世界では描けない。「ひょっとしたら、ワシの行く道は少女漫画しかないのかもしれん」と考えた時代があったというわけですね。で、まあ何冊か描かれています。
(宇多丸)これ、当時……
(みなもと太郎)当時の貸本の『白鳥』とかいう本なんかに少女漫画を描かれています。ちばてつやタッチのね、河原で暮らしているおじいさんと少女と弟の心の交流みたいな話をさいとう・たかをが描いているって、驚くでしょう?
(宇多丸)さいとう・たかをと少女漫画って、いちばん遠いところに感じるけれど。
(みなもと太郎)いちばん遠いところにあるんです。で、これをお見せしますが。これは、京都マンガミュージアムが何周年記念かで作ったノートです。その表紙で、昔の漫画を並べた。で、私が見て、「あ、さいとう・たかをは向き合っているんだね」と。
(宇多丸)これは少年マガジンに載っていた『無用ノ介』ですね。
(みなもと太郎)で、こっちにさいとう・たかをの描いた少女漫画が。
(宇多丸)これ、さいとう・たかをなんですか? このかわいらしい、可憐な少女が。
(みなもと太郎)びっくりするでしょう? これ、さいとう・たかをなんです。要するに京都マンガミュージアムでそこにある昔の漫画をダーッと並べて。代表的であろうと並べてみたら、少年漫画と少女漫画、両方ともさいとう・たかをで向き合ってしまったことを……
(宇多丸)これ、偶然ですかね? 配置はね。
(みなもと太郎)私が言ったら、これを選んだ人が「どういう意味ですか?」って聞くから。
(宇多丸)あ、わかってなかった。つまり、これが、可憐な少女の方がさいとう・たかをの手によるものだとは、知らなかった?
(みなもと太郎)知らなかった。偶然、合わせてみたらさいとう・たかをの『無用ノ介』と、さいとう・たかをの少女漫画が2つ並んで。ど真ん中に『新宝島』があるという。
(宇多丸)これは……しかも、これをなにも考えずに配置したというのは、これはみなもと先生的には、もう……
(みなもと太郎)だから、私が見て「ああ、さいとう・たかをで括ったの?」って言ったら、「えっ、どういうことですか?」って選んだ人が聞くから(笑)。
(宇多丸)これ、でもなかなかその視点は、先生がおっしゃらない限りなかなか気づかないところですし。あと、この『まんが学特講』という本で僕も「ええっ?」と思ったのは、たとえば絵柄も……
(みなもと太郎)だからさいとう・たかをはちゃんと少女漫画で食えるだけの仕事をしているわけです。
(宇多丸)あ、そうですね。表紙をやれるぐらいの。
(みなもと太郎)これがやれて、中身はそういう話が描けたんだから。そこまで行ったんです。
(宇多丸)なんだけど、それをやっぱり男の方に持ちこみたかった。
(みなもと太郎)うん。もちろん男の方が描きたかったんだけど、当時はそういう心の機微を描くような少年漫画はなかったから。で、それはもちろん、さいとう・たかを自身が感じていたわけではない。
(宇多丸)ふんふん。
(みなもと太郎)石森章太郎も……石ノ森だけど。
(宇多丸)当時は石森。はい。
(みなもと太郎)石森章太郎もそれをいちばん悩んでいたから、『少年のためのマンガ家入門』という本に少女漫画を選んだわけ。
(宇多丸)『龍神沼』。はい。
太陽の強烈な光の中を龍が昇っていく誰かの写真を見ていたら、一番好きな漫画、石ノ森章太郎の「龍神沼」を思い出した。
都会の子が田舎で龍に出会う心がキュンとなる切ないファンタジー。いつか映画にしてくれないだろか。きっと素敵な映画になるのに。 pic.twitter.com/Z6JbCIxb— とし (@RabbitShijimi) 2012年11月17日
(みなもと太郎)あれで心の機微が描けている漫画っていうのは少女漫画しかなかったということを言っているわけですね。
(宇多丸)すごいですよね。『少年のための……』って当時ね、明るい主人公しかいないところに、少年に向けているのに、「お手本にしろ」と言ってるのは……
(みなもと太郎)少女漫画です。
(宇多丸)要は本人の理想の漫画像をそこに込めちゃったわけですね。うっかりね。ある意味。
(みなもと太郎)いや、うっかりじゃない。確信犯でやったんだと。
(宇多丸)これが漫画の進む道だというか。
(みなもと太郎)そう。そうです。で、逆に言うと「少年漫画じゃ、お手本はない」と言いきったぐらいのことですね。石森にしてみれば。
(宇多丸)そう考えるとやっぱりちばてつやって、その頃から少女漫画で……
(みなもと太郎)ちばてつやはすごいんです。ちばてつやはいま言っていた心の機微を、手塚治虫もできなかった心の機微っていうのがあるんです。「たいへんだー!」とか言って驚いたり、足を上げて走ったりすることは手塚治虫、得意だし。感情のやり取りもしますけど、その一瞬の、一秒間の何分の一の心の「えっ?」というようなところをやったのは、ちばてつやです。
(宇多丸)しかも、それを僕らが後年読むようなものに至るのが、もうできているわけですよね。最初から。
(みなもと太郎)そうです。そうです。
(宇多丸)あの、なんか言われた時に主人公が、それこそいまおっしゃった「えっ?」っていう。その一コマの「えっ?」って。この感じが。
(みなもと太郎)そうそう。あれはちばてつやからです。あれは、残念ながら『鉄腕アトム』なんかにはほとんどない。ないとは言いませんよ。あるんだけれども、それをカメラで目線誘導みたいなことでハッとさせる。あの微妙な間を編み出したのはちばてつやですね。
(宇多丸)なるほど。少女漫画界ではそういうのが発達していったと。ちなみにあと、さいとう先生。絵柄的にも少女漫画へ……
(みなもと太郎)だからその時には、もう本人は少女漫画をいつまでもやるつもりはそんなになかったでしょう。だもんで、挿絵画家の中一弥っていうついこの間、104才くらいで亡くなった挿絵画家の先生がいるんですけども。その人の絵がいちばん好きだった。で、やっぱりそれがお手本になった。それ以前に、日本画もさいとう・たかをは学んでいますんでね。
(宇多丸)ああー。それが一種、美しい男の絵というか。
(みなもと太郎)そう。美しい男。美男子。アラン・ドロンみたいな美男子。
(宇多丸)大人ですもんね。美男子っていうことはね。
(みなもと太郎)で、どう見てもアラン・ドロンみたいな美男子なのに、それを私がさいとう先生に見せたりすると、「これがワシ、いちばん嫌いなんや」とこう言うんですよ。さいとう先生はね。
(宇多丸)(笑)。それは照れじゃないんですか?
(みなもと太郎)照れでもないようなんです。ここまで美しいと、リアル感がないと。
(宇多丸)ああー。そっか。それでもうちょっと無骨にしようと。微調整が行われる。
(みなもと太郎)そうそう。そこらへんで『オドリバッタ(とび出す)』が出てきたんだと思うんだけど。
(宇多丸)あ、オドリバッタ。出てしまいました。じゃあせっかく出たんで、オドリバッタを。オドリバッタ、これはどういう?
(みなもと太郎)あの、今日は持ってこなかったけど。
(宇多丸)タイトルが面白くてね。ついつい……
(みなもと太郎)そうですね。『台風五郎』という探偵ものなら少しはイメージなさる方もいらっしゃると思いますけど。それが、本当に首が顔よりも太い。ゲンコには毛が生えている。
(宇多丸)顎がこんなにガッチリしていて。
(みなもと太郎)それが主人公になるというようなことはあり得なかったわけで。要するに、シュワルツネッガーの魅力ですね。シュワルツネッガーがまだ生まれてもいないような頃に、それを主人公にしたと。
オドリバッタの革新性
(宇多丸)これ、当時は考えられなかったことですかね?
(みなもと太郎)私ら貸本屋に通っている読者として見ると、どの本もこの本も少年剣士であり、少年探偵であり、かわいらしい12、3才の男の子が主人公で。『鉄腕アトム』もそうだし。(『鉄人28号』の)金田正太郎くんもそうだし。みんな、かわいらしい少年が主人公なのが少年漫画だったのに、その中にただ1人、シュワルツネッガーがボツン! といると。
(宇多丸)ねえ。ガチムチの兄ちゃんがね。
(みなもと太郎)「なんじゃ、これは!?」って。
(宇多丸)いや、角刈りだし。いま見ても「なんじゃ、こりゃ!?」だし、かなり違和感ありますし。ぶっちゃけ、なんかその筋の。そういうお趣味の方の本かな?って思っちゃう感じは。
(みなもと太郎)ああー、そっちの方にね。ああ、そうか。うん。それは少年読者としては気づかなかったけど。なるほど。だから男の匂いはブンブンと。
(宇多丸)男の匂いはブンブン。で、なおかつさっきの少女漫画で描いていた、要するに男の内面。で、この感じでってなると、なんか濃厚に……
(みなもと太郎)ただ、オドリバッタはそういう意味でちょっと早すぎたんだ。だからそんなに人気はイマイチだったんでしょう。オドリバッタは割に短命で引っこめてます。さいとう先生。
(宇多丸)ああ、ちょっと行きすぎちゃったと。
(みなもと太郎)うん。行きすぎちゃった。それで、いわゆる(石原)裕次郎っぽい、ハタチになるかならないかぐらいの台風五郎を主人公に。それが大ヒットしてさいとう・たかをの貸本劇画界におけるひとつの時代。ひとつの文化はその時にできたわけです。その時には、もうオドリバッタみたいなキャラクターは、脇役では出ますけど。主人公には結局せずじまいですね。
(宇多丸)ふんふん。そこでだんだんと、後の青年コミックになるような原型を調整を。
(みなもと太郎)原型はもう、その『台風五郎』でほとんどできてますけど。やっぱり、明朗路線なんですよ。『台風五郎』は。ところがその、読み切りの方だと『刑事』とか『ゴリマガ(ゴリラマガジン)』に載っけていた、いわゆる短編集と言われるやつですけど。4人の作家が描いて、4本載っけて130ページ内で収める。そうすれば、看板作家さえいれば、1人が1冊ずつ持っていれば3ヶ月かかるものを毎月出せるということですよね。まあ、雑誌路線の発想を貸本単行本で始めたわけです。日の丸文庫で『影』『街』というのがそういうのをスタートさせて、それが流行って。
(宇多丸)後の青年誌のある意味雛形のような。
(みなもと太郎)に、なるわけですね。そこに出てくる読み切りなんかは、もう完全に暗黒街のヤクザのおっちゃん殺し屋みたいな話がいっぱい描いてます。
(宇多丸)当時まだ、貸本を読んでいたのは、とはいえ少年たちなんですよね?
(みなもと太郎)少年たちですけれども、ボチボチ……
(宇多丸)卒業しきれない人たちが出てくる。
(みなもと太郎)ブルーカラー。要するに工場で働いて、銭湯に行って、帰りに……銭湯の前に貸本屋があるのがいちばん流行る。
(宇多丸)そのライフスタイルの流れがあったわけですね。
(みなもと太郎)そうです。貸本屋は芸能誌と雑誌に漫画があったわけだけど。その漫画が少年剣士みたいな漫画から、そのさいとう・たかをを頂点とするリアルな劇画がどんどんどんどん棚を占領していく時代が、こっちが中学を出て高校生になるあたりの時代ですね。ちょうど、だから団塊の世代が育っていくのに合わせたんですよ。
(宇多丸)なるほど。先ほどおっしゃっていた、少女漫画だけが描いていた内面っていうのを男が読む漫画にも持ちこんだ。男のキャラクターに持ちこんだ。そこでだから、暗号のように前回も言ってましたけども、「いいムードだ」っていう。なかなかこう、言語化しづらい「いいムードだ」問題。
「いいムードだ」問題
(みなもと太郎)(笑)。そこらへんまで行くと面倒くさいんだけども。話が。
(宇多丸)面倒くさいけども。ただ、要は男の内面を描く時に、そういうことを言う時に出てきた。
(みなもと太郎)そうです。そうです。フランス映画の霧が出てきて、いいムードだと思ったんでしょう。そういう画面を描いた時に「いいムードだ」というセリフをさいとう・たかをは1度か2度、使ったようなんです。私もそこらへんのやつは揃えていないので、すぐは出てこなかったんだけども。それをその、いろんなさいとう・たかをに取り憑かれて我も我もと描いた人たちが、みんなその「いいムードだ」というセリフを入れちゃうんですよ。
(宇多丸)さいとう・たかをフォロワーたちが「いいムードだ」を入れると。
(みなもと太郎)そうそうそう。永島慎二も入れている。
(宇多丸)「いいムードだ」が流行るって、なかなか想像がつかないけども……
(みなもと太郎)つかないけども。で、その投稿作家の作品のひとつが、これですね。『雨と夜と死』。立花時彦という人の投稿漫画ですけども。
(宇多丸)要はアマチュアの状態から投稿されているわけですね。一発目がもう、夜の街を歩く青年が、「いいムードだ…」。この「…」ですね。またね。「夜と…自動車か…ピンと来ない取り合わせだ」って。そのセリフにピンと来ないわ!っていう感じだけど。でも、そういうムードっていうか、男がなにか物思いにふけっているみたいなことがすでに斬新だった。かっこよかったってことですね。
(みなもと太郎)この投稿漫画の8ページか12ページかなんですが。この後半にある話の展開は原型がさいとう・たかをの『天国でオハヨウ』という話の中のラストシーン4ページとほとんど同じなんです。
(宇多丸)元ネタが。へー! まあ、ファンがそうやって。ああいう感じのが描きたいという。
(みなもと太郎)ここが全く同じです。読んでください。「この鍵をお前に…」って。
(宇多丸)「この鍵をお前にやる」って。金をやるやらないの話が。
(みなもと太郎)それが元がさいとう・たかをの『天国でオハヨウ』に出てくるセリフです。
(宇多丸)これ、元が『天国でオハヨウ』という?
(みなもと太郎)はい。『天国でオハヨウ』。読み切りの30ページほどなんですが。
(宇多丸)これ、完全にアラン・ドロンじゃないですか? 主人公。
(みなもと太郎)アラン・ドロンなんです。ところがその元絵を、当時奥さんであった山田節子さまの描かれたかわいらしい少年をもう一度自分なりに描いて。それで出した主人公が、いつもよりも甘い顔をしているんです。
(宇多丸)あの、まつ毛がね、ちょい長めというか。で、目もキラキラしてて。
(みなもと太郎)それは要するに、その元絵を描いたのは奥様の、要するに少女漫画家だったわけですね。で、それを取り入れることによって非常にいいムードだというか。
(宇多丸)なんか繊細なニュアンスが。
(みなもと太郎)はい。そうそう。が、混ざり合って。これで、私はさいとう・たかをはひとつの開眼があったと思うんです。
(宇多丸)つまり、内面描写しかり、主人公のキャラクターの絵柄の描写でありっていうところが、やはり。
(みなもと太郎)だからそこでやっぱり少女漫画とのつながりっていうのが、そこに大底に流れている。劇画工房を立ち上げた時、他のお二人さんは少女漫画には全く興味がなかった。
(宇多丸)佐藤まさあきさんとか、そういうのは違うと。
(みなもと太郎)そう。そうですね。
(宇多丸)なので、そこが大きな差となって。ある意味、後の時代のポピュラリティーというか。
(みなもと太郎)に、なっていったんだろうと。要するに、そういう甘さが入ることによって、一般的人気を勝ち得やすいです。
(宇多丸)これ、やっぱりさいとうさんの常にポピュラリティーをキープしている感じの秘訣かもしれないですね。これ、でもなかなか……
(みなもと太郎)だから、基本に少女漫画があったから、さいとう・たかをは幅広い人気を勝ち得た理由のひとつだと思います。で、それは川崎のぼるの場合は子供っぽい顔が描けたので、少年誌からのお呼びが先にあった。で、だから先に『巨人の星』で川崎のぼるがブレイクした。その後、『無用ノ介』で『少年マガジン』にさいとう・たかをが入ってきた時にファンレターが「さいとう先生は川崎のぼる先生のお弟子さんですか?」と(笑)。
(宇多丸)「チキショーッ! 逆だーっ!」っていう(笑)。「悔しい!」っていうことですね。でも、川崎のぼるさんもお弟子さんだけあって、たぶんちゃんとまつ毛も。
(みなもと太郎)もう全く同じです。
(宇多丸)やっぱりその出だしの部分に少女漫画的な諸々のテイストが、エッセンスが入ったことが大きかったと。
(みなもと太郎)ただ、そん時にやっぱり川崎のぼるさんとしては、なんかさいとう先生たちの目指しているものを裏切っているのかなという思いがあったような感じもあるんです。だもんで、自分の作品を「劇画」と絶対に、貸本時代から書かないんです。
(宇多丸)ああ、そうなんですか。
(みなもと太郎)わざわざ「漫画」と断りを入れているんです。
(宇多丸)そこは矜持なのかもしれないですね。
(みなもと太郎)何かがあるんだろうと思います。
(宇多丸)とはいえ、『巨人の星』だって、先ほどおっしゃっていた貧乏な家の子がウジウジするっていう少女漫画性ももちろん入っていますし。
(みなもと太郎)まあ、そら原作がそうなっているからっでもありますけど。
(宇多丸)あの人も、梶原一騎も本当はウジウジした……
(みなもと太郎)そうです。そうです。要するに、ウジウジしている人の方が乾いている人よりも……乾いているとやっぱり人気は、一般レベルで勝ち得られない。日本の浪花節好きの、ねえ。
(宇多丸)さいとう先生も本でポエムなんかを書かれていた、なんていうね。
(みなもと太郎)ポエムが大好きなんですって。
(宇多丸)それを聞くと、梶原一騎をすごい思い出してね。梶原一騎、あんな人なのに要はちょっとポエミーなところがあるというか。
(みなもと太郎)梶原一騎とさいとう・たかをで全く同じエピソードがありますが。子供の時に映画館で砦がどんどん切られていくのを見て泣いたというのが、さいとう・たかをと梶原一騎が同じことを言っています。
(宇多丸)天才すぎる!っていうね。へー!
(みなもと太郎)あの人たちもちゃんと家族はいるはずだと(笑)。
(宇多丸)ああー。やっぱりちょっと通じる……
(みなもと太郎)なんか、あったんでしょうね。でも、基本的にやっぱり違うから。さいとう・たかをと梶原一騎は組むことはしなかったですね。
(宇多丸)さいとう先生の方が、やっぱりもうちょっとドライな感じがしますけどね。
(みなもと太郎)そうですね。ええ。
(宇多丸)なるほど。さいとう・たかを論、グイグイ深いところにきましたが。
(みなもと太郎)もう、こんなところでいいんじゃないか?(笑)。
(宇多丸)前回、出ていただいた時にね、映画『竜二』の話を。
(みなもと太郎)要するに、自分はこの世界は描けすぎて嫌だ、嫌だ、嫌だというのと、『竜二』の自分はヤクザは本当は嫌だ、嫌だ、嫌だと言いながら、どうしても……
(宇多丸)楽になれちゃうのはそっちだけども。
(みなもと太郎)本当は少女漫画の世界、カタギの世界がやりたいんだけど、やってもどうしても上手くいかなくて、『ゴルゴ』に戻ってきてしまうこの悲しさ。
(宇多丸)ああー。本当のなりたい自分でないところで生きるしかない悲しさ、みたいなことですかね。それ、わかりませんよ! 『竜二』(笑)。
(みなもと太郎)(笑)
(宇多丸)そのキーワード(笑)。はい。ということで差し当たって、また後ほどさいとう・たかをさん、話に戻っても全然構いませんが。まだワイド版2、3巻目ですからね。一旦ここでCMに行かせていただいて、この後はいよいよ、では手塚治虫の真の評価というあたり、うかがっていきたいと思います。
(CM明け)
(宇多丸)TBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』、この時間は手塚治虫とさいとう・たかをの真の功績についていま、改めてちゃんと考える特集をお送りしております。お話をうかがっているのは『風雲児たち』で知られる漫画家、みなもと太郎先生です。
(みなもと太郎)はい。どうもすいません。
(宇多丸)非常に、気が付くと私も先生の薫陶を本などで受けすぎたせいか、ちょっとずいぶん突っ込んだ話をしている気がいたします。
(みなもと太郎)ちょっとラジオではね、難しいなというような。今日、思います。画がないのは辛いなっていう。
(宇多丸)でも、出てくる名前が本当にビッグネームなので、みなさんわかると思いますが。さあ、ここで前回、先生から一石を投じていただいたものを受けましてのパート3、行きたいと思います。手塚治虫が本当に漫画界に持ちこんだものとは、いったい何だったのか?
手塚治虫が本当に漫画界に持ちこんだもの
(みなもと太郎)これは、まだわかりません(笑)。
(宇多丸)研究の最中だと?
(みなもと太郎)はい。いま、研究している真っ最中です。っていうのは『新宝島』の評価が私の中ではわからなくなっちゃっているのはひとつは『新宝島』にしびれて……という人たちの声は、年下の人ばっかりなんです。
(宇多丸)年下?
(みなもと太郎)要するに、石森章太郎であり、『まんが道』のあれであり。「音が聞こえた」だの「動いて見えた」だの「これは映画だ」だの。さいとう・たかをも「これで紙で映画が作れると思った」とか。いくらでも『新宝島』の褒め言葉は腐るほどありますけれども、全部年下世代です。
(宇多丸)誰に対してですか? 年下とは。手塚先生?
(みなもと太郎)手塚先生の。ところが、年上の世代。すでに戦前からの漫画を知っている人たちは、誰一人、『新宝島』を褒めない。自信を持って持ちこんだ島田啓三先生には「これはひどい。漫画の邪道だ。こんなものが流行ったら、漫画界は大変なことになる。これは君だけにしておいてくれたまえ」と。戦前からストーリー漫画でもギャグコメディーでもきちんと描けていた新関健之介(新関青花)先生のところに持っていくと、「ああ、こんなデッサンのひどいのはもう、大阪の貸本ならともかく、東京じゃあ無理だよ」と言った。
(宇多丸)うーん。
(みなもと太郎)もうとにかく、年上世代からはクソミソに。で、いちばん尊敬をしていた横井福次郎先生も、「はっきり言わせてもらえば、子供だましです」ということを言うと。これはあまりにも、年上の作家は誰一人……まあ、近藤日出造さんなんかは漫画家扱いもしないような。さっき言った、前回から言っているように、「アシスタントも使うような、大阪から金を稼ぎに来ている」ぐらいのことしか言われていないし。
(宇多丸)これ、まあ非常に『新宝島』支持史観からすればですよ、つまり「古い世代だから新しい表現がわからなかったのだ」という……
(みなもと太郎)うん。で、片付けていいのかどうか? という。その微妙なところです。それを私は『ビランジ』という本にそのことをちょっと書いたんです。そしたら、その『ビランジ』を主催されている竹内オサム先生がですね、手塚研究の本を送ってくれたんですが。そこによると、手塚治虫が帰った後で、「いや、なかなかすごいやつだ」と(笑)。
(宇多丸)あ、要は面と向かってはクソミソに言ったけど、実は認めていた?
(みなもと太郎)要するに、もうそういう先生方はみんな亡くなっているから、遺族の人がそうおっしゃるんですよ。
(宇多丸)ほう。
(みなもと太郎)「『いや、手塚くんは大したもんだ。あれは次の時代を担うだろう』と言ってました」と。で、そこがどこまでその……
(宇多丸)うーん。これはちょっと難しいですね。
(みなもと太郎)難しいでしょ? だから私はいまとにかく、いま90才でまだ生きている人を一生懸命探してインタビューを試みている最中なんです。
(宇多丸)これだ。歴史だ。話を聞かないと。
(みなもと太郎)木下としろう先生(?)という方が現役でいらっしゃいます。もう90代でいまもアニメなんかも手がけている人ですが。その人に聞くと「『月世界紳士』で手塚治虫のことは知った。なかなか達者な人だなと思った」ということは聞きました。
(宇多丸)でも、「なかなか達者」レベルなんですね。
(みなもと太郎)そうなのよ。「革命的だ!」とワッと驚くあれがね。でも、島田啓三先生が「こんなものが流行ったら大変なことになる」というこの言い方は、「流行る危険があるぞ」と。
(宇多丸)(笑)。はいはい。ですよね。やっぱり革命の匂いを感じますよね。
(みなもと太郎)感じされる。
(宇多丸)っていうことは、やっぱりすげーんじゃねえの?っていう風に。
(みなもと太郎)ただ、その本人に面と向かっては口にしなかったのかもしれないなというような。で、この研究を読ませてもらって、だいぶわかってきたんですけど。手塚先生自身が、あっちで言うこととこっちで言うことがもうガラガラ変わるんだ。
(宇多丸)まあ時代がね。タイムスパンが長いから。
(みなもと太郎)も、ありますし。リップ・サービスというか。うーん。まあ当時から手塚”嘘”虫というような……(笑)。
(宇多丸)まあね、複雑な方ですからね。その複雑さがまたたまらんものがあるという。
手塚”嘘”虫
(みなもと太郎)で、この竹内オサム先生の『アーチストになるな』という表題の手塚治虫研究なんですけども。本当は手塚嘘虫研究というか。それを、本当はどうだったのか? というのを一生懸命掘り下げて研究している本なんです。それを読むと面白いです。
手塚治虫―アーチストになるな (ミネルヴァ日本評伝選) (竹内 オサム, ミネルヴァ書房) http://t.co/coyHQLci
— shikabane taro (@shikabane_taro) 2012年9月15日
(宇多丸)うんうん。
(みなもと太郎)だから、もう生い立ちから嘘をついているわけですよ。3つ、年上のサバを読んでね。大正末に生まれたことにしているけども、マズいことに16、7の時に終戦を迎えちゃったでしょう? そうすると、大正生まれだと絶対にこの時、もう赤紙が来てなきゃおかしい歳なのに、それをしないで。工場で働いているだけですんでいる。これがすでにおかしいのを、まあ上手にあちこちで言い訳をしながら。何十年も死ぬまでとにかく……時々は本音を吐いていることもあるんだけど。一応、死ぬまで騙し通したんですよ。手塚治虫は自分の年齢を。
(宇多丸)ふんふん。
(みなもと太郎)で、やっぱりひとつ嘘をつくとね、それを事するためには20も30もつかなきゃならなくなってくるし。本人が才能が有り余ってますから、悪気は全くないというのはよくわかるんです。だけど、後の人たちがもう……
(宇多丸)「困りますよ!」と。
(みなもと太郎)そうそうそう。ということばっかりが起きるし。これにもあったし、他の本にもあったし、読んだんだけど。「オサムシという虫がいるんですか?」とテレビ局のインタビュアーが聞くと。で、「ええ、もう。オサムシは大好きで。いまも飼っているんですよ。明日取材だったら、お見せしますよ」と言って、そしてその晩に帰ってきて、スタッフに「オサムシをいまから探せ!」と(笑)。
(宇多丸)うん。でも、オサムシなんてものは……「家に飼ってます」なんて言っちゃっているから。
(みなもと太郎)1日でとにかくそこらへんで。言っちゃっているから。空き地を必死で探して。オサムシがどんな虫かもわからないで。ちっちゃな虫ですよ。
(宇多丸)かわいがって飼うようなものでもないだろうっていう(笑)。
(みなもと太郎)(笑)。でもとにかく、明くる日のテレビ取材に間に合わせたというから。
(宇多丸)ああー。やっぱり基本的には喜んでほしい。サービス精神。
(みなもと太郎)そうなんです。だけどそれで迷惑を被る人はいっぱい出てるんです。
(宇多丸)なるほど。その『新宝島』から始まる……
(みなもと太郎)ああ、そうだそうだ。全然違う話をしたな(笑)。
(宇多丸)いや、いいんです。いいんです。いまね、シレーッと軌道修正しようとしてますけども(笑)。
(みなもと太郎)ああ、本当だ。もう時間ないじゃないか。
(宇多丸)そうなんですよ。「映画的表現を(漫画に)持ちこんだ」っていうのが間違いとは言わない、ぐらいですか?
(みなもと太郎)全然間違いではないです。視線誘導が全くそれまでと違って革命的だったんだという野口文雄さんの研究があります。それは私、正しいと思います。だからわざと、いわゆるコマを大きくしたり、小さくしたり、斜めにしたりというようなことはわざとしないで、視線誘導で読者を引きこんでいったというのが、本当はいちばん『新宝島』の功績だということは野口文雄さんという方がおっしゃっています。
(宇多丸)結構、単調に見えるコマ割りの中でも、全然動きが表現されてますもんね。手塚さんは。むしろ、実は。
(みなもと太郎)はい、そうなんです。なるほどな、というのはわかるけど。ただ、我々の世代は、もうちょっと後の手塚漫画であり劇画で育ってしまったので。で、劇画で育ってしまったけども、本当はいちばん最初に革命的なことをやったのは、やっぱり世界中誰も考えも及ばなかった大河漫画ですね。
(宇多丸)大河漫画。先ほど、ストーリーって言った時に、たとえば50ページ、20ページじゃなくて、もっと。『ジャングル大帝』とか。
世界初の大河漫画『ジャングル大帝』
(みなもと太郎)『ジャングル大帝』というものを。『ジャングル大帝』も最初は赤本で全3巻とか4巻で出すつもりだったようですけども。学童社から言われて『漫画少年』のあれで5年、7年連載して完結させました。ところが手塚治虫は、ここでもまた嘘虫が入るのか入らないのかわかんないんだけど、とんでもないポカをやります。
(宇多丸)ポカ。それは?
(みなもと太郎)ムーン山がいちばん最後のクライマックスシーンになるんですが。
(宇多丸)アフリカのね。舞台になりますよ。
(みなもと太郎)『ジャングル大帝』を読まれた方はご存知だと思いますけども。あそこで感動的な場面が次々と出ます。でも、ムーン山の頂上に登る理由は、なにもないんです。
(宇多丸)そうでしたっけ?
(みなもと太郎)はい(笑)。
(宇多丸)これ、読んで、クライマックスで衝撃的とも言っていいクライマックスですよね。で、涙しますよ。
(みなもと太郎)涙します。ところが、ムーン山に登る理由は、ムーン山にあるはずのムーンライトストーン。
(宇多丸)石を取りに行く。
(みなもと太郎)を、一応見本として。もう活動を終えたムーンライトストーンはプラス博士、マイナス博士は持っているんです。
(宇多丸)もう手にしていると。
(みなもと太郎)手にしてる。で、これが本当に活動している石なのかどうなのかを確かめんがために、ムーン山に登っていくんです。
(宇多丸)はー、そんな理屈でしたっけ? 石を探しに行くんだと思い込んでいた。そうでしたっけ? そうか。
(みなもと太郎)で、途中で懇意になったマンモスのおばさんがいるという。そのオフクロサンが、「あんたたちが行くところは命がけだよ。もう大地がいつも、年がら年中ひっきりなしに揺れ動いて。もう生きて帰れないようなところなんだけど、そこにあんたたちは行くのかい?」というのを警告してくれる。それに対して、「行くんだ」と言うんです。それで言っていながら、揺れ動く大地なんか全くないところで話は……
(宇多丸)「揺れ動く」っていうか、吹雪ですもんね。ただのね。
(みなもと太郎)ただの吹雪です。
(宇多丸)「あれーっ?」っていう。感動はしているけど。巧みな語り口でまんまと感動はしているけど、よく考えたらプロットはおかしいぞと。
(みなもと太郎)おかしいんです。全く、本当は行かねばならぬところに行ってないんです。
(宇多丸)はいはいはい。そうか。なので、手塚さんね、後から後から書き直しを。ジョージ・ルーカスばりに、こうね。
(みなもと太郎)はい。それがために書き直しをしたかったんだろうと私は推測するわけですが。要するに、最終巻が出ないんです。『漫画少年』で単行本を出しましたが、最終巻が出ないんです。これを、いわゆる漫画研究、ウィキペディアなんかでは「学童社倒産のために最終巻は出なかった」と書いてあるんだけども、完結してから学童社倒産までに3年半ぐらいあるんです。いくらでも出せるんです。でもそれを止めている。で、その後、光文社からもう一度、1巻目から出し直します。これが3巻まで、あと1巻で完結っていうところでピタッと止めるんです。
(宇多丸)やっぱり止まっちゃった。
(みなもと太郎)やっぱり止まっちゃう。こっちは小学生でしたから、続きが読みたくて読みたくてたまらないのに、読めない。読めたのは、ハタチをすぎてからです。
(宇多丸)すごい、それ(笑)。
(みなもと太郎)で、この間に、要するに連載開始から最終巻の『ジャングル大帝』サンデーコミックス第5巻が出るまでに17年が経過しました。この17年の間に、石森章太郎であり、白土三平であり、多くの人たちが大河漫画をもう描いちゃったわけです。
(宇多丸)なるほど。
(みなもと太郎)『忍者武芸帳』17巻バーン! 出ています。こっちにしてみれば、もう手塚漫画は古いと。
(宇多丸)ああ、思っちゃうような時代になっていたと。
(みなもと太郎)「いまでも、まだ『W3(ワンダースリー)』なんかを描いているのか? しゃべるウサギが出てきて、かわいらしい話を書いていて。もう手塚治虫なんか……」と思っていて、はじめて『ジャングル大帝』最終巻を読んで大感激するわけですね。「あっ、大河漫画を最初に描いた先生っていうのは、ここまでのものを描いていたのか! ということを知った時には、すでに大河漫画はいくらも出ているんです。日本の漫画界で。ここで、とんでもないことをした。でも、そこまでやって、なぜ手塚先生が出さなかったのか?
(宇多丸)うん。
(みなもと太郎)で、この『ジャングル大帝』が5巻まで出るのは、それはもうアニメになったから出さざるを得ないだろうとこちらも踏んだから。
(宇多丸)「今回は出るぞ!」と。
(みなもと太郎)「今回は出るぞ!」と思ったら、やっぱり出た。で、そこでやっぱり書き直しています。
(宇多丸)ああ、問題のプロットの穴を埋めた。
(みなもと太郎)問題のプロットを。で、「こんな風にグラグラ揺れたりするおっかないところに行くのかい?」とオフクロサンが言っていて、ここにそれまでの学童社版ではなかったコマが入っています。「ムーン山へ通じる安全なコースを知っているんです」という。
(宇多丸)ああー。安全なコースを行った結果、この目にあったという。
(みなもと太郎)でも、安全なコースに行くべきではないわけです。要するに、ムーンライトストーンがいま活動中の、大地を揺れ動かしている……
(宇多丸)うんうん。ああ、動いているかどうかを確認しに。そうか。
(みなもと太郎)確認しに行くのに。
(宇多丸)じゃあ、結局ダメだ(笑)。
(みなもと太郎)そう。ムーン山の途中で、自分たちが採取していた、もう活動を終えたムーンライトストーンが鉱脈になっているところを発見するんです。それは、両方にあるんです。学童社版でもあるんだけど。でも、それはもうすでに持っているものです。本当に大陸移動説がムーンライトストーンで……
(宇多丸)大陸移動を起こしたっていう話ですもんね。
(みなもと太郎)起こしたのだったら、それがいま、活動中のムーンライトストーンを見なければいけないのに。そこに行かずに、「安全なコースを知っているんです」というコマを入れて。
(宇多丸)要は、矛盾を消そうとして、また別の矛盾を生んでしまった。
(みなもと太郎)だけど、それだったらこっちの動かない、「おっかないところに行くかい?」の方を削る方がよっぽど簡単なのに、これは残している。
(宇多丸)このコマ、好きだったんじゃないですか? やっぱり。
(みなもと太郎)っていうか、書き直したかったんだ。だから、学童社がもう潰れそうになって、『ジャングル大帝』の最終巻を出してくれれば潰れないですんだかもしれないのでも、押さえた。光文社からの時も、7年間、8年間ずーっと押さえ続けた。書き直したかったんです。
(宇多丸)……先生、すいません。
(みなもと太郎)はい。
(宇多丸)そして、みなもと先生ファンのみなさん、すいません。ここで、2巻目終わりです。
(みなもと太郎)うわー……。
(宇多丸)(笑)。ということでございます。お知らせごとなどは一旦、最後にさせていただくという……
(みなもと太郎)困ったもんだなー……
(宇多丸)いや、またお呼びしますんで! これ、まだワイド版の頭のところなんで。まだ2巻目でした。まだ。お知らせごと、ちょっとのちほど、CM明けにうかがいますんで。ひとまず、レジェンドみなもと太郎先生の特集第2巻目、これにて終了とさせていただきます!
(中略)
(宇多丸)みなもと先生、すいませんでした。本当に。
(みなもと太郎)ああ、どうもです。すいません、もう、むちゃくちゃにしちゃって。話を(笑)。
(宇多丸)いや、もう最高です。最高です!
(みなもと太郎)まとまらない、まとまらない(笑)。
(宇多丸)ええと、この次はじゃあ、飲み屋で……
(みなもと太郎)ああ、はい(笑)。
(宇多丸)いやいや、番組にお招きしますんで。よろしくお願いします!
(みなもと太郎)ありがとうございます(笑)。
<書き起こしおわり>