ドンデコルテのお二人が2025年12月29日放送のTBSラジオ『パンサー向井の#ふらっと 』に出演。M-1グランプリ2025ファイナルで披露した名物おじさんネタに登場する「光って走る」の哲学的意味について話していました。
(向井慧)渡辺くんは最近、心動いたことでいうと?
(渡辺銀次)すごく我々のネタを分析される方が多くいらっしゃって。しかもそれを学問的、学術的にというか。「これは社会学だ」「いや、これは哲学だ」「これは文学だ」とか。「アートだ」とか言う人もいて。その「どうなんですか?」っていうのを俺にDMで送ってくるんですよ。
(向井慧)答え合わせをしたいと。
様々な分野から読み解きのDMが届く
(渡辺銀次)でも、こういうのってどの分野でもあんまり答えを言わない方がいいんじゃないかなと思うんですけど。まあ、返信はしてないんです。でも「一応、あるよ」っていう風には思うんです。
(向井慧)まあ、ちょっとネタ自体が哲学的にも見えるし、文学的にも見えるから。やっぱりそういうのに関心ある人たちが結構グッと来て?
(渡辺銀次)そうなんです。政治絡みのやつもありましたし。もういろんな人から「こういう意味ですよね?」っていうのが来るんですけど。その哲学の分野のやつで、ネタで「光って走る」っていうのがあったんですけど。「走るのは社会から、意味からの逸脱を象徴している」っていうので。
だから、これはネタでは言ってないですけど(自転車は)電動じゃダメなんですよ。自力じゃないとダメっていうのがあって。「光っていうのは自分が見えなくなるためにあって。見えなくなると自分という意味からも逸脱できるんです」っていう、ここまでがネタなんですけど。でも、これは「逸脱したいという自分の意識からは逃れられてないですよね?」っていう指摘があったりとか。
(小橋共作)うわー、すごい難しいこと、言ってくるじゃん?
(渡辺銀次)「デカルトの『我思う、故に我あり』ですよね? だからこれ、すごく残酷なことですね」みたいなことを送ってくださったんですけど……これにはまだ、続きがあって。これ、受けないから外したものなんですけど。僕は全ての意味を確信してるんですよ。あれで「自分から逸脱できる」っていうことを確信してるってことは自分の意味とか価値はすべて、100パーセント他者に依存してるっていうことなんですよ。あれ。
(小橋共作)うーん、もう……。
(向井慧)もうこれ以上は無理! もうこれ以上、深いところに行くと……でも、渡辺くんの中ではちゃんとあるのね?
(渡辺銀次)あるんです、はい。
(向井慧)自分の哲学というか。それを小橋くんは感じてた?
(小橋共作)まあ、感じてはいますね。もちろん。一応、「このネタはこういうのも有りなんじゃない?」みたいな提案は僕もするんですよ。でも、提案した時になんかすごい今みたいなことを言われて、「うーん、もういい、もういい」って(笑)。
(向井慧)でも、この深みがやっぱり面白いからね。
(滝沢カレン)理解できない(笑)。
ものすごく深いところまで考え込んでネタに落とし込んでいるドンデコルテ。いろいろと読み解き甲斐があるんですね。おもしろい!