町山智浩さんが2025年11月11日放送のTBSラジオ『こねくと』の中で『ブルーボーイ事件』について話していました。
※この記事は町山智浩さんの許可を得た上で、町山さんの発言のみを抜粋して構成、記事化しております。
(町山智浩)今日は今週、14日・金曜日に公開される日本映画『ブルーボーイ事件』という映画をご紹介します。音楽、どうぞ。
(町山智浩)これ、『サン・トワ・マミー』という歌で。1964年に日本で大ヒットしたフランスのシャンソンの日本語版なんですけども。今日、紹介する映画はその頃、1965年が舞台の映画です。これ、64年に日本で大ヒットした時はこの『サン・トワ・マミー』を歌ったのは越路吹雪さんという方だったんですけど。この人は宝塚の男役だった人です。で、その当時ですね、「コーちゃん」と呼ばれていて。当時、いわゆるそのLGBT。ゲイとかレズビアンの人たち両方からですね、圧倒的なカリスマだったんですよ。すごいかっこいい男役だったんですよ。それで今、流れてるバージョンは中村中さんという方が歌っているんです。中村中さん、ご存知ですか? 中村さんは紅白歌合戦に出た初めての出生時男子で女性として生きているトランスジェンダーの方ですね。で、彼女が今回、出演する映画なんですよ。『ブルーボーイ事件』っていうのは。
で、この『サン・トワ・マミー』も映画の中で歌われます。これはその頃、アンセムだったんですね。まあゲイやレズビアンの人たちの中でね。で、この『ブルーボーイ事件』って「ブルーボーイ」というのは当時ですね、ゲイボーイとも言われたんですが。ブルーボーイとも言われてたんですよ。そういう人たちが。ピーターさんとか、そうですね。これ、1965年にあった事件なんですが、実際は1964年にあった東京オリンピックがきっかけなんですけれども。
東京オリンピックをやる時、戦後そんなに時間が経ってないんで東京をとにかくきれいにしようとしてですね、それまで舗装されてなかった道路を舗装したり。ごちゃごちゃしたところとか、あるじゃないですか。屋台が出ていたり。そういうのを全部、撤去させたんですよ。見栄えだけ良くしようとしてね。外国の人が来るからって。その時に非常に一斉に摘発があったのが、いわゆるその道端で春をひさいでいる人たちだったんですね。
で、その時、その中に女装した男性とかですね、ブルーボーイと言われるような人たちがいたんですが。その人たちを起訴できないという問題が起こったそうです。その当時に。で、どうしてかというとその当時、その取り締まりをするための売春防止法という法律があって。その最初の第1条に「女子」という規定があったんですよ。だから、ブルーボーイの人はそれに該当しないから……戸籍上の性別とかがね。で、それで彼らを摘発できないからっていうことで警察がですね、その性的合手術。当時は性転換手術って言ったんですけれども。それを行うお医者さんを警察が起訴したんですよ。
だから、そういったものは社会、国家にとって非常に害だからっていうことを一種、劇場的に世間に広めるための起訴なんですね。一種のプロパガンダですね。で、それの裁判が始まって、その裁判に証人としてそのブルーボーイ、ゲイボーイと言われた人たち。トランスジェンダーの人たち。手術を受けた人たちとかね、そういった人たちが証人として裁判に出たという実話を基にしたフィクションがこの『ブルーボーイ事件』なんですよ。
これ、また非常に法的にややこしいんですけど一体じゃあ、何の罪でその医師、医者を起訴したか?っていうと当時はまたもう一つ、あんまりよくない法律で優生保護法というものがあったんですよ。これは今はないんですけど。別の名前に変わってますけれども。これはもともと、人工中絶手術を合法化するための法律だったんですけれども。その中に健康な母体とか男性の生殖を不能にする手術を行った場合、それは違反になるという記述があったんですね。
だからその性的合意手術を男性に対して行う場合は、その生殖機能を取っちゃうことになるんで、それは優生保護法違反であるということで起訴するんですよ。これ、ややこしいんですよ。前提の部分が今、ない法律だったりするのですごいややこしいんですけれども。ただ、この映画はそういう非常に難しいテーマの映画ではなくて、もっとすごく誰にでも関わってくるような問題を描いてるんですけども。
性適合手術を行った医者を起訴する
(町山智浩)これ、主人公はその医者じゃないんですよ。その裁判に駆り出される人たちなんですね。で、医者の弁護をする弁護士さんは元関ジャニの錦戸亮さんです。彼は非常に誠実な弁護士さんでですね、なんとかこれ、不当な起訴なんてね、お医者さんを守ろうとするんですが。ただ、証人になってくれる人がいないんですよ。当時、その手術を受けた人たちはやはり、それを隠して生活してるんですよ。中には大っぴらに生きてる人もいるんですけど、そういう人たちは普通の就職をしてないんですね。当時。就職、できないんですよ。
今現在はどうなのかわからないんですけど、就職の際に「女子募集」とか昔、書いてなかった? たぶんこれ、禁止になったはずですよ。男女の雇用平等に反するんで。ただ、当時ははっきりと「女子◯人募集」とか「男子△人募集」って形で男女別に募集してたんで、まず会社に入れなくなっちゃうんですよ。だから要するに、嘘をついて入ったりしなきゃならなくなるんですよ。だからまず、表に出てこないんですね。で、その手術を受けていることを公にしている人の場合には水商売だったりするんですけど。だから普通の就職はしにくいから。で、逆にまたそういう人たちは出てこないですね。
だから証人を見つけるのが大変になってくるという話なんですけれども。しかもですね、この当時は、今はもうないんですけど、ものすごい数の雑誌があったんですよ。雑誌とか新聞が大量にあって。1965年当時。だからこの裁判はなんていうか、三流雑誌がたかって大変だったんですよ。これはこの事件自体がすごく非常に下世話な興味を引いたんで。それでまあトップ屋って言われるような人たちとかがその証人たちを追及して、家族とかその職場とかに全部行っちゃうから、やっぱりプライバシーないので。インターネットがなかった時代に今、インターネットで行われているようなことを雑誌がやっていたんですよね。だから、やっぱり証人が出れない。っていうところの葛藤が描かれるんですけども。
そこでやっぱり「私はちゃんとこういったことに関して、私たちの人権のために証言する」っていう人も出てくるんですね。で、まず出てくるのがアー子さんというですね、まあショーパブみたいなゲイバーを経営しているママさんなんですけども。演じるのはイズミ・セクシーさんというね、ドラァグクイーンの方で。それで自分の権利と、あとこれが違法となってしまうとその後の人が手術ができなくなるかもしれないんでね。違法になると日本での性的合意手術が全部、禁止になっちゃう可能性があるから。で、「それは大変だから私はもう仲間を守るために裁判に出ます」っていうことで出ようとするんですけども。ところがもう1人、「そんなことしたってね、世の中っていうのは差別してるんだし、変わりゃしないわよ」っていうね、非常にリアリストとして出てくるママさんがいるんですが。それを中村中さんが演じてるんですよ。
で、上手いんだ。すげえ芝居が。これ、めっちゃくちゃ上手くて。最初、すげえ嫌な奴かなって思うんですよ。「そんなことしたってムダよ。みんな世間は私たちのことを差別してるんだから」って。でもね、まあいい人なんですよ。それもうまいんですね。やっぱりね、中村さん、めちゃくちゃ芝居が上手いんだ。
『虎に翼』でも出てってましたけどね。で、まあこの2人の葛藤があるんですけども……本当の主役は違うんですよ。そういうところで働いていなくて、ウエイトレスとして働いていて、好きな男性と一緒に暮らしているサチさんという人が出てきます。で、弁護士さんから「証人として出てください」と言われて。で、「つまり、どういうことなんですか?」「これはちゃんとした医療行為であるということを証言してほしいんだ」っていうことで。つまり「これは医療行為じゃないんだ」って検察側は言ってるわけですよ。なので「そうじゃなくて、これは医療行為であって、私はそれによって救われたんだということを証言してほしいんだ」と言ってサチさんを弁護士が証人として呼ぶんですけども。このサチさんを演じる方がですね、ご本人もトランスジェンダーの中川未悠さんっていう人なんですね。この人、完全に演技が初めてで。
だから結構それは「ああ、やっぱり演技、初めてなんだな」っていう感じではあるんですよ。ただ、この場合シチュエーション的に全く表に出ないで地道に暮らしてた人がいきなり、日本中が注目してる裁判の証人として引っ張り出されるっていう話なんで、素人でいいんですよ。その不安げな感じとか、どうしたらいいかっていう居場所のない感じとかが演技なのか本当なのか、見ているとよくわからなくなるんですよ。その辺のリアルさがあるんですが。ただ、その周りはもうそれこそ本当に上手い人ばっかりで固めてるんですけど。
中でもね、非常に上手かったのは検察官でこれを有罪にしようとする安井順平さんという俳優さんなんです。で、この人が要するにこういう性的合意術っていうのは禁止したいと思ってるんですよ。で、彼はトランスジェンダーってものが許せない。「社会が乱れる」という風に思っていて。だから彼自身は意地悪でやっているんじゃなくて、それが社会のためだと思って追求してくるんですね。で、なんでかというと「結婚して子供を作っていくっていうことは社会の基本なんだ。国家の基本なんだ。それが壊されちゃうから絶対に許せないんだ」って彼は言うんですよ。
で、その意見というのは今現在も飛び交ってる意見ですよね。今、トランスジェンダーの人たちを叩く人たちが日本でも、アメリカでもすごいんですよ。で、本来だったらそういった人、トランスジェンダーの人にも寄り添うはずだったようなフェミニストの人とか、下手をするとゲイやレズビアンの人までがトランスジェンダーを排除するという状況になっていて。一番すごい例は『ハリー・ポッター』シリーズの原作者のJ.K.ローリングですよね。あの人は「トランスジェンダーは女ではない」と言ってもう大変な問題になっていますけれども。
で、トランプ大統領もね、「民主党はすべての人間をトランスジェンダーにしようとしている」って演説で言ったりしていて。「お前、何を言ってるんだ?」って思いましたけど。何もわかってないんですね。ただ、「トランスジェンダーは許せない」って言ってる人たちはキリスト教徒の原理主義者の中にいるんでそれを言うだけで票が取れるんですよ。そういうところで今、すごい政治的案件になってるところで、政治問題としてこれがクローズアップされていっちゃうんですね。そういう非常にいろんな意味を込めた映画なんですけれども。で、この作品、監督自身もトランスジェンダーの方です。飯塚花笑さんっていう人で、この人は女性から男性になった方なんですけども。で、そういった問題をずっと映画化していたんですけど。
僕、ちょっとこの映画を見て驚いたのはこの監督の飯塚さん、90年生まれなんですね。この作品、1965年が舞台なんですごいその頃の映画を大量にこの監督、見ていると思うんですよ。で、その当時の雰囲気とかを……これ、低予算映画なんですけど。できる限りなんとか再現しようとしてるんですよ。で、まず映画のはじめに日活のマークが出るんですね。日活という映画会社がありますが。
当時は日活のもう絶頂期だったんですけど。65年は。「日活」っていうマークが最初に出てくる時に、その当時の昭和40年の日活のマークが出てくるんですね。それで、電話ボックスは当時、クリーム色で天井が赤いやつだったんですけど。僕が子供の頃はそうだったんですよ。そういうのが出てきたりして。ただ、一番驚いたのはさっき言った安井順平さん扮する検察官がいろいろ陳述とかがあった後、ポケットから小さい箱を出して。本当にちっちゃい箱ね。で、そこから手のひらにジャラジャラジャラって何かを出して、それを口に入れるんですよ。それで僕は「うわっ!」と思ったんですけど。これ、仁丹ですね。当時、結構みんな仁丹を食べてたんですよ。
だからこれをやっていて、僕は「うわっ! すげえ!」って思ったんです。「見たことないだろう?」と思ったですけど。監督、お母さんとかに聞いたかもしれないですけど。すごかったですね。あとデパートの包み紙とかも当時のものを再現してたりして。たぶん作ったんだと思うんですね。その辺でね、気合の入り方が結構すごいんでね。これは本気でやってると思いましたよ、僕。見ていて。
ただね、この映画で大きいテーマになってくるのが、その国家の問題とか社会の問題とかで「そういった人たちが増えると世間が乱れる。家族というものが壊れちゃう」っていう風に言って出てくる人たちがいっぱいいるんですが。これって別に社会とか家族の話じゃなくないか?っていう話なんですよ。
でもこれ、個人の生き方の話ですよ。じゃあ、性適合手術が一般化したらみんな、性適合手術を受けるのか?っていうと、さっきのトランプじゃないですけど、そうはならないから。関係ないからっていうね。ただ、それを国家の問題にしていくことのいびつさがわかるんですね。で、具体的に言っちゃうとトランスジェンダーの人っていうのはどんな調査をしても人口の1%に達しないんですよ。だから100人いたら1人、いるかいないかですね。それじゃあ社会は変えないですよ。で、それを徹底的に攻撃していくだけじゃなくて、日本でもアメリカでも政治を……大統領を決める理由にまでしてしまうという。そんな異常なことはないだろう。本当は何が大切なのかというと、その手術を受けた人が幸せになれるかどうかなんじゃないのか?っていうことなんですけど。
このね、サチさんっていう人はこれで証人として出たら、まず働いてるところでは女性として働いてるから、クビになっちゃいますよね。それに、一緒に暮らしたい男性……この頃、同性婚というのは今も日本では禁止ですけども。一緒に暮らしたいんだけれども、その両親は反対しますよね。で、近所の目もあるし。ということで、ものすごい犠牲が大きいんですよ。証言をしてしまったら。
で、しかもそこでまた弁護士、錦戸亮さんが「医師を無罪にするために君たちは『自分は同性愛者という性倒錯の病気なんだ』と言ってくれ」って言うんですよ。
これ、「病気を治療だってことにすれば無罪になるから」っていうことで。でも、病気じゃないよ!っていうことですよ。だからいろんなことがやっぱり理解されなくて、ぎこちなくて、うまくいかない感じのじれったさみたいなもの。それをトランスジェンダーじゃない人もわかるように当事者の人たちが描いて演じている映画がこの『ブルーボーイ事件』ですね。
これ、やっぱり当事者じゃなければどうしてもわからない、理解できない部分っていうものを教えてくれるのが映画なんで。映画は人の人生を生きることができる、シミュレーションなんでね。だから本当にこの『ブルーボーイ事件』っていうのは大きな意味のある映画だと思うんですけど。そうすると、ちょっと重そうに思うかもしれないですけど、そんなことはないです。
これ、キャスティング見るとわかるようにやっぱり楽しい映画になってます。なんと、このこの題材で、このテーマでちゃんとしたエンターテインメントになってますんで。本当にぜひご覧になって、楽しんで考えていただければと思います。