水道橋博士と玉袋筋太郎 浅草キッドの30年を振り返る

水道橋博士と玉袋筋太郎 浅草キッドの30年を振り返る たまむすび

浅草キッドの水道橋博士さんがTBSラジオ『たまむすび』にゲスト出演。玉袋筋太郎さんと30周年を迎える浅草キッドのこれまでを振り返っていました。

(安東弘樹)さっそく、ご紹介させていただきます。今日のゲスト、浅草キッドの水道橋博士です!

(水道橋博士)どうも、よろしくお願いします。元相棒です(笑)。

(安東弘樹)いやいやいや……

(玉袋筋太郎)どうもどうも(笑)。

(水道橋博士)この番組的には、「元相棒」っていうことになっているんで(笑)。

(安東弘樹)現相棒です。

(水道橋博士)いやいや、このアングルにどう乗っていいか?っていうのがね。問題としてはこれ、拾っていけばいいのか……もともと、でもその筋の話で言えば、この金曜日に俺が浮気していたわけですからね。

(玉袋筋太郎)浮気というと?

(水道橋博士)本当はコンビでやるべきところを、小島慶子と一緒に俺が金曜日に『キラ☆キラ』をやっていたから。

(安東・玉袋)ああー。

(水道橋博士)その後、ねえ。第二検索ワード「浅草キッド 不仲」って打たれるようになっているわけですから。

(安東・玉袋)(笑)

(玉袋筋太郎)出てくるんだよ。うん。

(水道橋博士)出てくるんですよ。

検索キーワード「浅草キッド 不仲」

(安東弘樹)でもね、たしかに気になるのは、いつものゲストより玉さんとゲストの距離が広い!

(玉袋筋太郎)広い。離れているんだ。これ。

(安東弘樹)これ、若干気になるんですけど。現相棒の浅草キッド 水道橋博士です。

(水道橋博士)っていうかね、まあまあ、月に何回かというかね。4、5日は会っていますからね。だからその、吉田豪が期待するほどの不仲ではないんでね。

吉田豪が期待するほど不仲ではない浅草キッド

(玉袋筋太郎)豪ちゃんがすぐ煽るんだよ、もう。毎回、豪ちゃんがさ。仲いいんだから。うちは。

(安東弘樹)ですよね。でないと、だってね、とっくの昔にっていうことになっていますもんね。

(玉袋筋太郎)よくネタにしてたもんな、俺たち。「Take2よりは仲がいい」って。

(水道橋博士)そうそう。だから「いま、Take3だ」とかね。

(玉袋筋太郎)言ってたんだよ。「ホンジャマカより仲がいい」とかね。そういうことを言ってたんだから。

(水道橋博士)男オセロとかね。そういうの、あるんですよ。

(玉袋筋太郎)いろいろあったんだから。そういうことを拾っていくんですから。浅草キッドは。なんでもネタにしますから。うちは。

(安東弘樹)それ以上、僕が広げない話ばっかり。あ、まずはすいません。博士にはお礼を申しあげたい。以前ね、『キラ☆キラ』のピンチヒッターの流れで、TENGAというものをですね……

(水道橋博士)2010年ですよね。だからお正月のお年賀TENGAっていうのを毎年、俺が配っていたんですよ。

(安東弘樹)いや、もうそれを大量に。その時は、ピンチヒッターの直後だったんですけど。大量のTENGAを私のアナウンスセンターの机の上に置いていただいて。「水道橋博士より」と。もう1週間で全て、使い果たしました。ありがとうございました。

(水道橋博士)それをね、ちゃんと使ったって言ってくれたの、たけしさん以来ですよ。

(安東弘樹)ああ、本当ですか?

(水道橋博士)たけしさんもめちゃめちゃ愛用したんですよ。

(安東弘樹)いやー、もうこれ、本当にありがたかったです。

(水道橋博士)でもあの時ね、持ってきた時、宮澤隆アナも持って帰ったんですよ。

(安東弘樹)ええっ、本当ですか?

(水道橋博士)ええ。あと、内山さんも持って帰ったしね。

(玉袋筋太郎)でも、それは「使った」と言わないわけですよ。

(水道橋博士)頑なに持って帰らなかったのが、荒川強啓さん。

(玉袋筋太郎)ああ、強啓さんね。『デイ・キャッチ!』しなかったわけだ。

(水道橋博士)しない。

(安東弘樹)キャッチしなかったんですね。

(水道橋博士)「きょうけい」は「強茎」!

(安東弘樹)茎だ!

(玉袋筋太郎)荒川強茎! デイ・キャッチ!

(水道橋博士)たよらずっていうね。

(安東弘樹)ああ、そっちなんですね。強いから、たよらない。僕は、たよりました!

(玉袋筋太郎)うれしいでしょう? 安東さん、本当にこう言ってくれるのよ。

(水道橋博士)いやいや、安東さん僕もね、いろいろ思い出があるんですよ。お二人ね、お風呂入って、いろいろしてましたけども。安東さんって『アッコにおまかせ!』に出てる時の衣装が、かならずスタイリストが……だいたい体格的に似てるんですよ。

(玉袋筋太郎)博士と。

(安東弘樹)ああー、はいはい。

(水道橋博士)肩幅とか。『アッコにおまかせ!』で着た衣装がかならず俺んところに回ってきていたの。

(安東弘樹)ええーっ、本当ですか?

(水道橋博士)そう。お下がりっていうか、使い回すわけじゃない。

(安東弘樹)衣装はね。当然、当然。

(水道橋博士)で、いつも、「クンクン……これ、安東さんの匂いだな」って。

(安東弘樹)本当ですか!?

(水道橋博士)本当ですよ。

(安東弘樹)知らなかったです、それは。

(玉袋筋太郎)それでカチンコチンしてたんだろう?

(水道橋博士)カチカチになってましたねー。あと、もうひとつ。井手らっきょさんが……

(玉袋筋太郎)言うな、それは!

(安東弘樹)(笑)

(水道橋博士)いっつもこの話をして。

(安東弘樹)あっ、井手らっきょさん。

(玉袋筋太郎)俺もだって井出さんとさ。そうだよ。井出さんが泣いてるんだよ。「もう俺はね、死を考えている……」「井出さん、どうしたんですか?」「俺はね、彼女を安東に取られた」って。まあ、そんなことはいいんだよ。

(水道橋博士)いや、俺の場合は、井出さんが草野球で。あの野球の井出さんがですね、立ち尽くしたまま、三球三振で1回もバットを振らなかった。あれだけバットを振り続けた男がですよ。バットマンと言われた男が、1回も振らずに。で、どうしたんだ?って言われている時に、ダンカンさんに「らっきょちゃん、どうしたの?」「恋の病なんです」っつって。その夜、井出さんを囲む会をダンカンさんがやって行った時、どれほど聞かされたか!

(玉袋筋太郎)そうだよなー!

(安東弘樹)そうなんですか?

(水道橋博士)アンディーの話を。

(安東弘樹)それ、僕側は別に問題ないんですけど、大丈夫なんですよね? そちら側的には……

(水道橋博士)まあ、iCloud的なね、鞘当てっていうんですかね? どういう三角関係かわかりませんけども。

(玉袋筋太郎)一門としては兄さんのね、そんなの……「俺、行きますからね、安東のところ!」っつってね。

(水道橋博士)っていう話があったっていう。まあ、過去ですよね。

(安東弘樹)いろんな縁があるんですね。

(水道橋博士)いま、誰の話をしているのか全くわからないと思いますけどね。

(安東弘樹)あの、検索すればもしかしたらわかるかもしれない。

(玉袋・博士)(笑)

水道橋博士のあらすじとその筋

(安東弘樹)えー、なんだっけ? あ、水道橋博士のあらすじとその筋をご紹介します。1962年、岡山県のお生まれで現在53才。

(水道橋博士)今年、54ですからね。

(安東弘樹)あ、もうちょっと僕、年齢近いと思っていましたけども。先輩なんですね。で、1986年にビートたけしさんに弟子入りし、浅草フランス座での修行を経て、翌年、漫才コンビ浅草キッドを結成。90年、テレビ朝日の人気番組『ザ・テレビ園芸』で10週勝ち抜きチャンピオンになったことを機に、数多くのテレビ、ラジオで活躍。また、ベストセラーとなかった『藝人春秋』『博士の異常な健康』『本業』など執筆活動も精力的に行っていらっしゃいます。漫才師であり、文筆家、コメンテーターと様々な顔を持つ水道橋博士。今日は浅草キッドとしておよそ4年ぶりのラジオ共演となります。

(玉袋筋太郎)はい!

(水道橋博士)そうですね。

(安東弘樹)そして、当番組『たまむすび』の調べによりますと、水道橋博士のその筋は……その1、思春期の暗黒時代にたけしさんと出会った筋。その2、弟子入りを断念。しかし、4年ぶりの出待ちでもうひとつの出会いがあった筋。その3、時給50円。浅草フランス座修行時代の筋。その4、漫画好きの政治家に美白の女王。浅草キッドの発掘力の筋。その5、いまこそ聞きたい浅草キッド30年の筋。以上、5本の筋です。

(水道橋博士)はいはい。もう昔話になりますからね。もうお互いはよくしゃべっているんだけど。新しい世代が次々に湧いてくるから。こういう、我々の話がニーズがあるっていうか。「へー、そんなことがあったんですか」って。特にね、ゆとり世代にはね。

(玉袋筋太郎)たけし軍団であるってことも、わかってねえもんな。

(水道橋博士)わかってないっていうもあって。

(安東弘樹)あ、そうか。たしかにそうかもしれないですね。

(玉袋筋太郎)もう30年だぜ。今年で、今月は6月だけど。6月にフランス座に行ったわけじゃん。30年前のね、いまごろ。

(水道橋博士)そうそう。

(安東弘樹)ちょうど30年なんですね。30年、同じ……でも、コンビも珍しくないですか。30年。

(水道橋博士)30年続けられるっていうのは、ある程度売れないと無理ですからね。

(安東弘樹)まず、大前提としてね。

(水道橋博士)売れて、そこからはでも、Wコロンみたいな場合もありますからね。

(玉袋筋太郎)(笑)。整わない! 整ったと思ったら、崩れちゃったっていうね。

(水道橋博士)っていうのもあるから。

(安東弘樹)実名、出すぎですよ。これ。

(水道橋博士)その危機感みたいなのはあるのかもしれないけど。まあ、それが崩れることはないですよ。30年やって。

神童だった小学生時代

(安東弘樹)でもね、そもそも思春期の暗黒時代っていうのがありますけども。小学生の頃は、ああ、優等生だったと。わかる!

(玉袋筋太郎)俺、だって会った時に、通信簿の話をして。俺が「通信簿は1と2しかねえ」っつったら、「信じられない! 俺、全部オール5だよ」って。

(水道橋博士)小4の時にオール5とってましたね。

(安東弘樹)もう、体育とかも含めてですよね?

(水道橋博士)小6の時に児童会長をやってました。

(玉袋筋太郎)ほら! 俺、そん時、小6の時なんか、俺、小学校退学になりそうになっていたからね。悪いことをして。

(安東弘樹)義務教育にもかかわらず。

(玉袋筋太郎)かかわらず。うん。

(水道橋博士)それで、すごい正義感でしたね。

(安東弘樹)じゃあ本当にもう完璧な……出木杉くんじゃないですか。

(水道橋博士)いや、出木杉くんですけども、その後、中学を越境入学で。国立大学の岡山大学教育学部附属中学校っていうところに行くんですよ。1時間かけて通学して。そこで、もういきなり落ちこぼれたんですよ。

(安東弘樹)あ、そんなものですか?

(水道橋博士)そう。

(玉袋筋太郎)いままでね、自分の学校で成績も一位だし。体育もできたから。そいで行ったら、もう自分は全然下だったと。

(水道橋博士)135番だったんですよ。貼りだすんです。230人中135番で。それでね、マラソンがあるんですけど。そのマラソンが俺、絶対に一位だと思っていたんですよ。4キロ走だったのかな? それで途中で走れなくなったりして。「なんだ、俺ってこんなに低い位置なんだ」っていうのを初めて知るんですよ。

(玉袋筋太郎)打ちのめされるわけですな。

(安東弘樹)上には上がいたと。

(水道橋博士)本当俺、「末は博士か大臣か」ってずーっと言われてましたからね。

(安東弘樹)本当に……まあ、博士にはなりましたけどね。

(水道橋博士)そうそうそう。(実家の)小野家ギャグとしてはかならず言われる。「本当に博士になって帰ってきたけど。その間は大変だったわ」って。そっから落ちこぼれた時はね。

(安東弘樹)ああ、でもわかんないですよ。この後、大臣もなくはないかもしれないですけどね。

(玉袋筋太郎)ああ、大臣。いいねえ。

(水道橋博士)そういう説も一時期ありましたけども。政界進出みたいなね。

(安東弘樹)はい。ちょっとその時はまたゲストに来ていただきたい。大臣になったときね。

(玉袋筋太郎)だけどいま思えばね、中学3年からのこの闇の時代をよく聞いたんですけど。やっぱりこれは暗黒時代だね。相棒。

(水道橋博士)暗黒時代です。まあ、学校もほとんど行けずに。早すぎたゆとり教育ですよ。1人自宅警備員。で、1年間留年してましたし。でもその間、ずーっと映画見たり雑誌を読んだり。そういうことをするようになったから、この世界に入るわけで。もしも、あそこで落ちこぼれていなかったら、俺自身はものすごく真面目な家系というか、ものすごく堅い家系だから。そのまま田舎で就職してますね。銀行かなにかに。

(安東弘樹)そういうことになりますね。

(水道橋博士)そうそう。だからこの浅草キッドを作ることもないし。

(玉袋筋太郎)しかしね、両親が悩んじゃったらしいんだよ。「このままじゃウチの息子はダメになる」っつって。

(水道橋博士)学校に行かないから。

(安東弘樹)そうでしょうね。神童だったのに。

(玉袋筋太郎)備前焼のところに入れられて(笑)。

(水道橋博士)そうそう。備前焼の窯元のところに連れて行かれて。「中学を卒業したら、ここで働きなさい」って。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)えっ、そんな道筋まで?

(水道橋博士)ありましたよ。あと、祈祷師ね。

(玉袋筋太郎)マジで?(笑)。

(安東弘樹)えっ? ご両親に連れて行かれたんですか?

(玉袋筋太郎)でも、心配でしょう。そりゃ。

(水道橋博士)心配ですよ。中学校の時に。

(玉袋筋太郎)自分が親になって考えるとな。やっぱり。

(水道橋博士)でもね、そのエリート中学から世に出る人が3人いるんですよ。ものすごく名前が知られた人が。

(安東弘樹)どなたですか?

(水道橋博士)元ブルーハーツ。いま、ザ・クロマニヨンズの甲本ヒロトです。1人が。そしてもう1人が、殺人医師。オウム真理教の中川智正。死刑囚ですよ。その3人が出てるっていうだけでも、『20世紀少年』ですよ。こんなの。

(安東弘樹)そうですよね。

(水道橋博士)「よげんの書」ですよね。

(安東弘樹)よげんの書(笑)。で、そっからたけしさんとの出会いっていうのはどういう風になっていくんですか?

ビートたけしに弟子入り志願

(水道橋博士)たけしさんとの出会いは僕、『オールナイトニッポン』を聞くようになって。それから、もうこの人のところに行かなきゃダメなんだっていう啓示を受けた後、その、大学に行くっていうのも全部口実なんですよね。で、この人の元に行こうと思って、勉強を始めて。それで、大学に受かって。そっから弟子志願を始めるんだけども、その弟子志願自体が、やっぱり怖くなっちゃって。で、飛び込めることがなく、4年間たって4年後に、いざみんな大学を卒業して就職するという時に、「俺は田舎に帰るのかな? 違うな」と思って、1人きりでたけしさんが羅生門っていう焼肉屋さんで、オールナイトニッポンの後にずっとそこで飲んでいたんですよ。

(安東弘樹)はい。

(水道橋博士)そこに行き始めたのがきっかけです。

(安東弘樹)なるほどね。

(玉袋筋太郎)しかしね、この人に会うために田舎を捨てて東京に出てくる。これ、オウムの中川智正と一緒ですよね。もともとは。やっていることは一緒なんですよね。

(安東弘樹)途中まではね。

(水道橋博士)これ、中川智正自体もね、当時その事件が起きた時。1996年か。その時に、ずーっとニュースで「逃亡している中川智正。34才、岡山県出身」って。「あれっ? 中川智正……34才? 水道橋博士こと小野正芳。34才、岡山県出身。待てよ……ケツじゃねえか?」って。「ケツ」っていうあだ名だったんですよ。中学校の同級生の。それで、共通の友人であったクボサワくん(仮名)っていう人に電話して。「ちょっと待って。テレビに映っている中川智正って、俺たちの友達のケツじゃねえのか?」っつったら、そのクボサワくんが「失礼なことを言うな! 中川智正はケツではない! 中川智正はヴォーディサットヴァ・ヴァジラ・ティッサ師だっ!」って。

(玉袋筋太郎)出た。ホーリーネームで言わないと(笑)。

(安東弘樹)(笑)

(水道橋博士)完全に在家信者だったっていうね。

(安東弘樹)あっ、そうなんですか! その共通の友人が。

(玉袋筋太郎)エリート校だな、おい。

(水道橋博士)そう。それで、「いま逃亡しているオウム犯をかくまってくれ」っていう話になって。言えないじゃない、それで。(自分の)住所とか。で、とっさに答えたのが、江頭のお家だったんですよ。

(玉袋筋太郎)江頭の住所な。

(安東弘樹)また、すごいな(笑)。

(水道橋博士)そう。泰山荘ケヤキの山っていうところなんですけども。そこに、まあオウムが行って……これもいろんな話があるんですけども。

(玉袋筋太郎)あるんだよ。江頭対オウムの十番勝負っつーのがあったんだよ。

(安東弘樹)ああー、なるほど! そこ、聞きたいけど今日は無理かな?

(水道橋博士)よく考えりゃ、ここはTBSだっていう……

(玉袋筋太郎)やめろっつーんだよ!(笑)。

(安東弘樹)まあ、でもね、たけしさんのおかげで明治大学にも入って。

(水道橋博士)それで、その30年前に通うようになる。羅生門に。その時に、玉袋筋太郎こと赤江祐一くんも、当時は僕からするとドラフト一位。もう芸名をもらっている高校生。有名な高校生ですよ。

(玉袋筋太郎)うん。まあ、そっからね、博士と。小野さんとはお付き合いが始まるんですよね。うん。だからまあ、5才離れているからね。弟子志願をやっている頃に、殿が帰った後にね、一緒にね、博士がアルバイトしていた新宿のワイシャツ屋で……

(水道橋博士)ワイシャツ屋でも一緒に働いてましたから。

(安東弘樹)ワイシャツ屋?

(玉袋筋太郎)ワイシャツ屋でオーダーワイシャツを作ってたんだよ。そこでな、なんか朝まで話していたりして。

(水道橋博士)フランドールね。で、うちに遊びに来たこともありますよ。それで、うちにある本棚を見て、「こんなに本、読むんですか?」っつって。当時、文化的植民って呼んでいたんだけど。

(玉袋筋太郎)「赤江くん、これ知ってるか? この本、読んでるか? 『噂の真相』。赤江くん、これ読まないとダメだぞ」「えっ、なんすか? 小野さん。この『噂の真相』って?」「お前、すごいことが書いてあるんだから。猪木VSブロディの裏の話とか。極真スキャンダルとか、これ」「ええーっ! 極真のスキャンダル!?」なんつってね。

(水道橋博士)そうそうそう。

(安東弘樹)あ、玉さんはその時、『噂の真相』を知らなかったんですか?

(玉袋筋太郎)僕なんかピュアですから。都会のシティーボーイですから。

(水道橋博士)『POPEYE』を読んでいるぐらいだから。

(玉袋筋太郎)うがったことなんか知らないんですから。そういうのは全部、博士から教わったんですよ。

(安東弘樹)ああー、そうなんですか。じゃあ、ある意味基礎ですね。いまの玉さんの。

(玉袋筋太郎)はい。

(水道橋博士)これを明治の……4日しか行ってないけど。基本、雑誌研究会にいましたからね。

(安東弘樹)雑誌研究会?

(玉袋筋太郎)「この本を読め」とか「この映画を見ろ」とか。

(水道橋博士)それこそね、裏物の洋ピンを。トレイシー・ローズを教えてあげてね。

(玉袋筋太郎)トレイシー・ローズ。そうなんですよ。

(水道橋博士)でも当時、俺としてはたけしさんの話をしている仲間って唯一なんですよ。だから本当は3人組なんだけれども。赤江くん自体も。その3人のやつら、たけしさんが元ツービートだっていうことすら知らないの。

(安東弘樹)えっ、えっ?

(玉袋筋太郎)知らないバカと一緒にいたの。

(水道橋博士)ただ、たけし軍団にあこがれて。たけし軍団は当時、人気絶頂ですよ。本当に。それで、テレビに出れるんじゃないか?っていうことで来ていたんですよ。高校生3人組っていう。

(玉袋筋太郎)俺のね、仲間。いたんだよ。

(水道橋博士)でも、赤江くんは詳しいんですよ。本当にたけしさんのことが好きで。それで2人で、「このまま、浅草フランス座に行こうぜ」って。「テレビに出るのは嫌だ」っつって。

(玉袋筋太郎)そう! そういうことを博士が言ってくるわけよ。高校生の俺に。「たけし軍団なんてキャーキャー言われたって、長持ちはしねえ。お前な、赤江くん。ドリフの坊やが何人いたと思う? あれだけ、5人いるけども、あの売れている人の下に何人の死体が埋まっていると思うんだ?」と。

(水道橋博士)「出てきたのは、すわしんじさんだけだ」って。

(玉袋筋太郎)「それだったら、俺たちは浅草フランス座で修行するしかない!」なんつってね。

自らの意思で浅草フランス座へ

(水道橋博士)で、2人だけで行こうとしてたんですよ。

(玉袋筋太郎)そうそうそう。

(安東弘樹)じゃあ、自らなんですね。

(水道橋博士)そうですよ。僕らは。

(安東弘樹)時給50円を自ら選んで。

(玉袋筋太郎)これが、フランス座。すごいよ。バブル真っ最中の中で。

(水道橋博士)そうそう。1986年に。

(玉袋筋太郎)苦しい生活ですよ、これ。

(安東弘樹)もう本当に日本がバブルに突入していった時ですね。86年っていうとね。

(水道橋博士)そこで日給1000円。たけしさんの時代と20年離れているけど、たけしさんが日給1000円で苦労したっていう話があるけど、当時も日給1000円しかもらえないのよ。ちゃんと、だけどそれは法律上もらっているはずなのに、その時の支配人さんが全部中抜きして。

(安東弘樹)中抜き!?

(玉袋筋太郎)その金で神奈川に家建てやがってよ。馬鹿野郎! 本当、岡山社長。

(安東弘樹)名前、出てきますねー! 岡山さんっていうんですね。

(水道橋博士)いやいや、それを恨んではいなんですよ。僕らは本当に、貧乏志願だったから。貧乏してみたいっていうので行ってみて。ただ、もう本当に食うや食わずやどころじゃなくて。もう、赤江くんなんかとにかくね……

(玉袋筋太郎)30キロぐらいまで体重が落ちちゃってさ。

(水道橋博士)あと、皮膚病にかかって大変なんですよ。

(安東弘樹)(笑)

(玉袋筋太郎)抵抗力がなくなっちゃったから。食べてねえから、疥癬っていう病気で。体じゅう……

(水道橋博士)それはね、ほとんどもうこの戦後、壊滅してるんですよ。疥癬っていうのは。

(玉袋筋太郎)あんまり体じゅう痒くて、掻いむしっちゃったから。「浅草のエレファントマン」って呼ばれちゃって。

(安東弘樹)皮膚がただれて(笑)。

(水道橋博士)踊り子さんが共演するのを嫌がったっていうね。

(玉袋筋太郎)「気持ち悪い」って。

(安東弘樹)ああ、皮膚が荒れちゃって。掻いちゃって。

(玉袋筋太郎)病院に行って診てもらったらさ、お医者さんが皮膚を切り取ってね。削ってやって。顕微鏡で見て、「すげーな、これ!」っつって。「戦後以来、いまどき犬もかからねえ。この病気は」って言われたんだから。

(水道橋博士)「図鑑でしか見たことがないんですよ、これは」って。

(安東弘樹)もう、標本みたいなのがあるわけですね。眼の前に。

(玉袋筋太郎)そう。「図鑑に載せるから写真を撮らせてくれ」っつって。俺、たぶん皮膚病の図鑑、載っていると思いますよ。

(水道橋博士)そう。っていうような漂流生活でしたね。

(玉袋筋太郎)生活だよな。だって2人でさ、回転寿司に行ってさ、1皿を2人で分けて食ってたり。

(安東弘樹)ああ、1貫ずつね。

(玉袋筋太郎)1貫ずつ食ったり。それで、5皿しか食えなかったもんな。

(水道橋博士)そう。パクパク弁当のイカフライがあるじゃないですか。イカフライ弁当。のり弁当の上に、イカフライが乗っている。そのイカフライを食べた途端、もう油っけがまるでないから。毛細血管まで油がスーッと染みて。「ああ……飛ぶ……」って言っていた。

(玉袋筋太郎)そういう状態ですよ。

(安東弘樹)はー! なかなかできない経験ですね。それはね。

(水道橋博士)できないですよ。

(玉袋筋太郎)まあ、それでね。だって俺なんかあの頃なんかまだ缶ビールのロング1本でベロベロになっていたんだけど。2人で夜さ、楽屋でテレビ見てさ。お笑い番組とかを見て、「この野郎、畜生!」なんつって、言ってるわけよ。「バカヤロー! なにがウッチャンナンチャンだ、この野郎!」なんてさ。言ってたね。

(安東弘樹)はー! 貧乏志願か。僕、幼少期は貧乏だったんで、全く貧乏志願どころか、抜けたいと思ってね。バイトとかしましたけども。

(水道橋博士)豪ちゃんのインタビューで読みましたよ。それね。

吉田豪 TBS安東弘樹アナの素顔を語る
吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で金曜日の新パーソナリティー、安東弘樹アナの知られざる素顔について話していました。 (玉袋筋太郎)さあ、じゃあ今回、豪ちゃん、その筋の話はなんと安東弘樹アナウンサーで。面と向かってやろうよ! (吉田...

(玉袋筋太郎)踊り子さんがスイトン作ってたもんね。

(水道橋博士)スイトンですよ。マジに。

(玉袋筋太郎)戦後かよ? 本当に。炊き出しかよ、この野郎!っていう。

(安東弘樹)小麦粉を練って、こう、塊を入れるやつですね?

(水道橋博士)俺なんかすげーかわいがられてましたからね。踊り子さんに。そうそう。「仲本くん」っていう名前でね。メガネをかけていたから。

(安東弘樹)ああ、仲本工事さんの仲本さんね。

(水道橋博士)そう。で、またスイトンが当時、「美味かった」とか言うじゃないですか。「あの時の味が忘れられない」って。マズいの!

(安東弘樹)(笑)

(水道橋博士)全然美味くないの。

(安東弘樹)まあ、味付けによるんでしょうけどね。

(水道橋博士)いやいやいや、そのね、昔のそんなことを思い出して、思い出話の中で「あの時の味が忘れられねえ」とか言うけど。二度と食べたくないよ。美味しくなかったなー!

(安東弘樹)どんなスイトン?

(玉袋筋太郎)楽屋、汚くて。ゴキブリだらけでな。あの時な。で、もうなんか食うものもねえからさ、ペットボトルの烏龍茶かなんか飲んでてさ。伊藤園が当時、ブラック烏龍茶って黒いペットボトルだったんだよ。それで、博士が朝、起きてさ。喉かわいたってブラック烏龍茶を飲んだらさ、「ウエーッ!」っつって(笑)。ゴキブリの……(笑)。

(安東弘樹)ええっ!

(水道橋博士)この中に埋まってるんですよ。『クリープショー』みたいになっちゃって。スティーブン・キングだ!っていう。

(安東弘樹)このペットボトルの中に……

(玉袋筋太郎)うじゃうじゃと。

(水道橋博士)そんなもんじゃないですよ。玉袋なんか勝手に飲んだくれて寝てるから。それで、そこの楽屋。布団部屋っていうところで寝てるんだけど、そこにはストーブっていうのは電気ストーブ1個しかないんです。その電気ストーブの横で寝ていて。それが倒れてね。

(玉袋筋太郎)で、安全ロックがない古いやつだったから。倒れても、ついたまま倒れちゃって。もう火事になりそうになって。

(水道橋博士)それで、俺たちが駆けつけた時に、頭半分焼けてたの。だから、もう5分遅れていたら、完全燃焼ですよ。深見千三郎と一緒ですよ、これ。本当に。

(玉袋筋太郎)(笑)。本当に。

(安東弘樹)ええーっ、よく間に合いましたね。髪の毛半分で。

(水道橋博士)あれはよくぞだよね。本当に。

(安東弘樹)いろんな紆余曲折があって。ただ、このね、浅草キッドと言えばいろんないままで功績と言いますか。漫画好きの政治家、美白の女王なんかを発掘。誰もが気がつかない魅力にね。

浅草キッドの発掘力

(玉袋筋太郎)鈴木その子さんなんてな、最初に「番組でなんかやりたいことないですか?」なんてディレクターに言われてさ。「いや、鈴木その子をテレビに出そうよ」っつって。

(水道橋博士)まだCMしか出てない頃だったから。

(安東弘樹)CMだけの頃ね。

(玉袋筋太郎)「なんだ、あの白さは?」っつって。で、オファー出してもらってね。で、出ていただくことになって、鈴木その子さんにライト。照明を当てるっつーのは俺たちのアイデア。

(水道橋博士)そうそう。それで最終的には紅白歌合戦の審査員までやりましたから。演出まで同じでしたよ。鈴木その子ライトを当てるっていう。

(安東弘樹)はいはいはい。

(玉袋筋太郎)まあまあ、いろいろありましたな。

(安東弘樹)そうか。麻生太郎さんもね、漫画好きっていうのもありましたけど。

(水道橋博士)麻生太郎さんの漫画好きの話でもいいんですか? 時間がないの?

(安東弘樹)いや、大丈夫ですか? あ、大丈夫みたいですよ。時間。

(水道橋博士)いやいや、麻生太郎さんって漫画好きっていうの、いまは知られているけど当時は知られていなくて。『アサ秘ジャーナル』っていう番組に出た時に、まあ『ゴルゴ13』のあれを用意していたんだけど。『ゴルゴ13』好きだっていうのはわかっていたんだけど、俺が「昔、麻生さんが相当若い頃に『文藝春秋』の中で、インタビュー記事で商工会議所会頭とかそんな頃ですよ。まだ政治家じゃない時に、ズラリと並んだ本棚の中に『きりひと讃歌』とか『奇子』だとかさ。手塚治虫の劇画とかを置いている、そういう若手実業家がいるってことで紹介されていたのを見たことがある気がするんですけど……」っつったら、「それは、俺だよ」っていう話になって。

(安東弘樹)ああ、はいはいはい。

(水道橋博士)そこからいかに漫画が好きか?って言うことを語りだして。その話が面白いって、『ビッグコミックオリジナル』にもう1回、インタビューをし直して。『ビッグコミックオリジナル』を今度、麻生さんが首相候補の時に、自分のホームページに英訳付きで入れて。それで、世界的な漫画好きだってことがわかるようになったと。

(安東弘樹)ああー、そういう経緯があったんですね。

(水道橋博士)それが最終的には、「みぞうゆう」とか読み出して。「漫画しか読んでねえからだ!」って。

(玉袋筋太郎)失脚にね。

(水道橋博士)そうそう。それは、我々が最初に火をつけたっていう話がある。

(安東弘樹)間違いなく、火をつけたことになりますね。でも、その『文藝春秋』の写真を思い出して言ったわけですもんね。博士が。

(水道橋博士)そうです。そうです。あれも現場でフッと思い出して言っただけですよ。

(玉袋筋太郎)なあ。うん。昔、読んでいたんだろうな。

(安東弘樹)麻生セメントのいろいろな仕事をされていた時でしょうね。

(水道橋博士)そうですね。政治家の前ね。

(安東弘樹)はー! いろんなことを発掘していますが。ちなみに、水道橋博士と玉さんについてもっと知りたい方は、浅草キッドの自伝的エッセイ『キッドのもと』が8月10日に文庫で発売されます。

(玉袋筋太郎)ああ、ゲラチェック、まだやってねえや。俺。

(水道橋博士)俺もまだしてないんですよ。

(安東弘樹)2010年に発売後、6年の時を経てついに文庫化。通勤中や休日のお供にぜひどうぞということなんですが。

(水道橋博士)はいはいはい。これ、超大物解説をやるって、解説の名前は言うなってさっき言われんで。

(安東弘樹)ああ、そうなんですか。6年の時を経て文庫化。ゲラチェックっていうことは、またちょっと直したりっていうのもあるんですか?

(水道橋博士)もう、する時間がないから。

(玉袋筋太郎)ないよな。もういいや。そのまま出しちゃおうぜ。

(水道橋博士)いやいや、赤江くんの文章、僕、大好きなんですよ。

(安東弘樹)赤江くん(笑)。そして、日本最大級のメールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』も絶賛配信中。毎月10日と25日。月2回発行で月額500円。毎回5万字を超える日記『博士の異常な日常』や、岡村靖幸さんとの対談『博士の愛した靖幸』など40人規模……

(水道橋博士)ああ、これ50人いきました。スーパー・ササダンゴマシンが50人目に。RAM RIDERさんが49人目に入って。TBSラジオ的なことを言えばね。

(安東弘樹)空前絶後のスケールでお届けしていますということで。

(水道橋博士)まあ、こんなの話せばキリがないですよね(笑)。

(玉袋筋太郎)キリがねえな。尺が足りねえな。

(安東弘樹)さあ、ということでまあ最後に、いまこそ聞きたい浅草キッドの30年なんですけども。30年ですよ。これまで、解散の危機って……まあ、「元浅草キッド」っておっしゃってますけども。実際にリアルに解散の危機って、感じたことあるんですか?

(玉袋筋太郎)どうだろうね?

(水道橋博士)それは本当、ないですね。結果的には。

(玉袋筋太郎)まあ、ないのかな。うん。

(水道橋博士)あるの?

(玉袋筋太郎)いや、ないよ。ないよ。

(水道橋博士)まあ、俺が何回か口にしたことはあるけどね。

(安東弘樹)それは冗談レベルで?

(水道橋博士)いや、怒ってそうなったことはあるけども。でも、それは2、3日で絶対に終わっているよね。

(安東弘樹)2、3日で終わる。本当に仲のいい夫婦の夫婦ゲンカレベルですね。

(玉袋筋太郎)だからね、まあ30周年だからね。まあ、しばらく漫才もやっていないので……

(水道橋博士)これがね、去年の5月5日からやってないんです。去年だっけ?

(玉袋筋太郎)一昨年。

(安東弘樹)一昨年?

(水道橋博士)うん。爆笑問題と時間を変えて同じ場所で。下北沢の本多劇場でやって。それ以来なんですよ。

(玉袋筋太郎)だから俺も「漫才師」って名乗っている以上ね、2年やっていないっていうのは結構こたえちゃってたんだよね。実際のところ。

(安東弘樹)それは、たしかにそうですね。

(玉袋筋太郎)でもまあ、その前にちょっと博士からね、お手紙をいただいて。「やろうぜ!」って話になったんで。だからもういまね、やる気満々で。

(水道橋博士)とにかく、赤江くんは忙しいんですよ。とにかく、東京にいないから。もう。

(安東弘樹)まあ、たしかに全国……っていうことは、いまの話を総合すると、そういったことが今後あると?

(水道橋博士)いや、あるって言っていいんじゃないですか。『キッドのもと』の発売記念でライブをやりましょう。

(玉袋筋太郎)やろうか。

(安東弘樹)おっ、ここで決まったみたいなことになっていますけども。目処はそれ、いつぐらいとか?

(玉袋筋太郎)まあ、8月にやるとさ、夏休みが潰れちゃうんだよね。

(水道橋博士)そうなんですよね。

(玉袋筋太郎)まあでも、やろうやろう。

(水道橋博士)やりますよ。

(安東弘樹)あっ、ありがとうございます。じゃあ個人的にさっきの話も興味あるんですけど。これ、完全に僕からの質問なんですけど。同じ女性を取りあったことはあるんですか?

(玉袋・博士)ありますよ。

(安東弘樹)あるんですか? いま、即答でしたね。2人とも。

(玉袋筋太郎)それは、結構解散の聞きでしたね(笑)。

(水道橋博士)うん。

(安東弘樹)差し支えなければ、誰を?

(水道橋博士)あのね、写真集を出しているようなすごいキレイな方を。

(玉袋筋太郎)女優さんでしたね。

(安東弘樹)ああー、女優さんで? この後、CMに入りますからその時に実名をうかがいたいと思います。

(水道橋博士)井手らっきょさんとアンディーとの共通の女性も調べてください。

(安東弘樹)あ、それはネットで調べてください。

(玉袋筋太郎)iCloudっていうことですね。

(安東弘樹)すぐわかります。

(水道橋博士)はい。

(安東弘樹)じゃあ、本日のゲストは水道橋博士さんでした。ありがとうございました!

(水道橋博士)早いなー。どうも、ありがとうございました。

(玉袋筋太郎)どうも、ありがとう!

<書き起こしおわり>

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