K DUB SHINE アメリカ留学と日本語でラップを始めたきっかけを語る

K DUB SHINE バラいろダンディ 室井佑月とのバトルを振り返る たまむすび

K DUB SHINEさんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。アメリカ留学の際の思い出と、日本語でラップを始めたきっかけについて話していました。

いや、でも中学時代から、そのね、グレて行くと。当時はツッパリブームだったりしたしね。

(K DUB SHINE)そうですね。もう横浜銀蝿になりたいみたいな。

(玉袋筋太郎)横浜銀蝿、憧れました?

(K DUB SHINE)学校行かなくってロックンロールとかみたいなの、いいですね。

(玉袋筋太郎)ああー。ねえ。

(小林悠)場合によってはロックンロールの道を歩んでいた可能性も?

(K DUB SHINE)あと5、6年早く生まれたら、たぶんロックンロール!みたいな感じになったかな?と思いますけど。

(小林悠)それがいま、ヒップホップっていう方向に行ったのは、やっぱり留学が大きかったわけですか?

(玉袋筋太郎)これなのよ。

アメリカ留学のきっかけ

(K DUB SHINE)ええと、渋谷だったんで。結構輸入レコード屋さんとか、割と大学生とかがそういう、ちょっとこう、おしゃれな人たちが多くて。で、洋楽なんかを割と早く聞き始めていて。で、その中にブラックミュージックとかヒップホップがあって。そいで、そういうのがあってアメリカに行きたいなっていう思いが。

(小林悠)あ、じゃあやっぱり音楽の影響があって、留学に行ってみたいなっていう気持ちにつながったんですね。

(K DUB SHINE)だと思いますね。

(玉袋筋太郎)1人だもんね。だって、留学。

(K DUB SHINE)そうですね。あとまあ、日本で入った高校が、全然相性が合わなくて。思いっきり教師にぶっ飛ばされて、不登校になっちゃったんです。

(玉袋筋太郎)あーあ。アメリカの方が水が合ったみたいな?

(K DUB SHINE)そうですね。教師に撃たれることもないし。

(玉袋筋太郎)(笑)。しかしね、すごいよ。単身アメリカに行っちゃうってことは。

(小林悠)そうですよ。住まいはどうしてたんですか?留学先で。

(K DUB SHINE)ええと、最初はホームステイです。そんな立派なもんじゃなくて、交換留学で試験を受けて。で、一応点数クリアして、ちょっと奨学金みたいなのが出たっていう感じなんで。そんなリッチで贅沢な海外暮らしみたいなのとは全然違う。

(玉袋筋太郎)全然違う。ホームシックとか、まあね、ベタだけど。

(K DUB SHINE)はい。結構ね、それで手紙をいっぱい書く癖がついて。友達とか親に、いつもより素直な手紙を書いたりとか。

(玉袋筋太郎)かー!海外文通クラブですよ。あったんだから。昔、そういうのが。

(K DUB SHINE)いまだったらね、もうメールですぐ。SNSで友達とパーティーしてるのもすぐ、親に見られちゃいますもんね。

(玉袋筋太郎)で、アメリカで恋愛っていうのは、最初にしたのは?

(K DUB SHINE)なんかね、ありましたよ。まあ、同じクラスのちょっと優しい子とかに。

(玉袋筋太郎)えっ、いいなー!

(K DUB SHINE)なんか、声かけてくれたとか。『あの部屋はどこにあるのよ』って教えてくれたってだけで、もうなんかちょっと、恋心が芽生えてましたね。

(玉袋筋太郎)ああー。ついこうやってね、向こうの学生さんっていうのは、性がすごい開放されてるんじゃないか?って勝手なイメージがあるから。そっちの方で、すごいいいことをしてたんじゃねーか?って思って。

ベスト・キッドブーム

(K DUB SHINE)(笑)。留学生だから、ちょっと面白がられるというか。なんだろう?特にその時、『ベスト・キッド』の映画が大ブームで。で、向こうのケーブルテレビだと毎日、それを何回も放送しているわけですよ。で、それをみんな見ているから、俺を見ると、本名貢太っていうんですけど。『コウタサーン!コウタサーン!』みたいな。『さん』をつけてくれたりして。

(玉袋筋太郎)パット・モリタみたいな。ミヤギ老人みたいな。

(K DUB SHINE)そう。それでこっちも、『ワックスON!ワックスOFF!』みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)そのドラマに習って。

(K DUB SHINE)そういうことをやると、ちょっと人気者になれたりしたこともあって(笑)。

(玉袋筋太郎)でも、日本人の扱いっつーのはどうだったんですか?実際。

(K DUB SHINE)まあ正直、チャイニーズもジャパニーズもわかんないような人もいっぱいいたし。それこそ子供に、小学生みたいなやつに人種差別的発言を投げかけられたこともあって。『この野郎!』って横でこう、小突きましたけどね。

(玉袋筋太郎)(笑)。すごいよ、やっぱ。なかなか行けるもんじゃないよ。そこでまた、このラップと出会うんでしょ?

(K DUB SHINE)はいはい。

(小林悠)その留学中に、『なんで日本語でラップをしないのか?』と言われたって経験があったんですか。

(K DUB SHINE)そうですね。まあ、最初はだから、日本語文法的にも、英語のラップと比べると、語尾で韻を踏むとか不可能だなと思っていて。日本語の可能性として。で、英語で真似をしてこう、ラップをしたりしてたんですけども。結局向こうのラッパーもラップっていうのは割と自分の周りのやつとか地元の地域の人たちに伝えたいメッセージが強いんで。まあ、僕アメリカに行っても完全にアウェイじゃないですか。

(玉袋筋太郎)はいはい。

(K DUB SHINE)で、自分の中でも、日本に向けてなんかやれるといいなとは思いつつ、仕方ないから英語でラップの真似事みたいなのをしていたら、やっぱ現地のよくわかっている黒人の人が『お前、そのラップ、英語もいいけど、日本語で何でやらないんだ?日本のやつらに聞かせたいこと、ないのか?』って言われて。『いや、あるはあるんだけど、ちょっといろいろハードルが高いな』っていうようなことをその時は言っていたんですけど。

(玉袋筋太郎)うんうん。

日本語でのラップを試行錯誤

(K DUB SHINE)で、それで割と、自分なりに『できるかもな、できるかもな』って思いつつ、考えているうちに、ちょっと文法というか。たとえば日本だったら、俳句にしても和歌とかにしても、体言止めみたいなのが当たり前じゃないですか。そういうのを使えば、日本語でもできるんじゃないか?っていうようなのを、試行錯誤しながらやっていて。で、それをちょっと向こうの『日本語でやれ』って言った友達にラップを聞かせたら、『何を言ってるかわかんないけど、いいと思うよ』って言われて。

(玉袋・小林)おおー!

(K DUB SHINE)で、ちょっと自信がついて、そのままなんかムキになってずーっと雛型みたいなのを作ることに割とこう、1年ぐらいずっと費やしましたね。

(玉袋筋太郎)いやー、すごいじゃない。

(K DUB SHINE)でも完全にその時、オタクで。もう友達とかとも、特にアメリカにいる日本人たちにも、『あいつは黒人が好きだから』みたいな。ヒップホップばかり聞いていて。で、『日本人より黒人が好きだから』みたいな感じでちょっと仲間はずれにされて。

(玉袋筋太郎)(笑)

(K DUB SHINE)もういいやと思って、俺も1人でコツコツコツコツやってたのが、いま役に立ったかな?とか思ってますけども。

(玉袋筋太郎)すごいねー。先駆けなんだから。道なき道を行くんですから。

(小林悠)でも、意外と誰も思いつかないものなんですね。ラップを日本語でやるってことは。

(K DUB SHINE)うーん。やっている人もいたんですけど、なんかそれは英語のラップの醍醐味みたいなのが上手く伝わってなくて。『○○がー、○○はー』みたいな感じの、平仮名だけで韻を踏むみたいなところが、ちょっとそれじゃないんじゃないかな?って思っていたんですよ。

(小林悠)ちょっとイケてないかな?っていう印象があったんですか。

(K DUB SHINE)その時はね。

<書き起こしおわり>
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