電気グルーヴのお二人が2026年9月24日放送のJ-WAVE『GRAND MARQUEE』に出演。デビューしてすぐ、マンチェスターで『FLASH PAPA』をレコーディングした際の模様を話していました。
(セレイナ・アン)今日の『GRAND MARQUEE』はテクノの魅力に迫るテクノサーズデー・ザ・ファイナルということで。今日はファイナルにふさわしいこちらのお二人をお迎えしました。電気グルーヴ、石野卓球さん、ピエール瀧さんです。
(石野卓球)こんにちは。
(ピエール瀧)こんにちは。よろしくお願いします。ピエール瀧です。
(タカノシンヤ)お願いします! いやー、嬉しいです。お会いできて。
(ピエール瀧)どうもどうも。
(セレイナ・アン)お二人揃ってJ-WAVEに来られるってことはありますか?
(石野卓球)基本、瀧が全部の放送局に出入り禁止なんで。
(タカノシンヤ)アハハハハハハハハッ! そんなことはないです(笑)。
(ピエール瀧)さっきポケットのものを全部、出されましたもん。
(セレイナ・アン)そんな、そんな(笑)。
(タカノシンヤ)セキュリティに何かチェックみたいなのは……(笑)。まあでも、だいぶお久しぶりっていう。
(ピエール瀧)そうですね。
(石野卓球)すごい久しぶりに来ました。
(タカノシンヤ)番組的にも9月いっぱいで終了ということで。最後にこのレジェンドのお二人をお呼びできて嬉しいですし。
(石野卓球)ありがとうございます。光栄です。
(タカノシンヤ)僕も中学からずっともう多大なる影響を受けて育ってきてる男なので。
(ピエール瀧)なんか、すいません(笑)。
(石野卓球)ご迷惑をかけて。
(ピエール瀧)人によっては恨みがある人とか、いるんで(笑)。
(セレイナ・アン)いやいやいやいやいやいや(笑)。はい、ということで今日は日本のテクノムーブメントを牽引してきた電気グルーヴのお二人にテクノをテーマにとことんお話を伺っていきたいなと思っております。
(石野卓球)はい。
(セレイナ・アン)まずですね、ここから電気グルーヴとテクノを軸に日本、そして世界にどんなインパクトを与えてきたのか。三つのポイントから振り返っていきます。まず、ひとつ目のポイントはこちら。「電気グルーヴ、デビュー」。1991年、電気グルーヴがメジャーデビュー。で、デビューした91年頃は80年代半ばにデトロイトでテクノというジャンルが生まれてまだ間もない時代だったわけですね。これ、結成された頃から自分たちはテクノをやるんだっていう意識みたいなものはありましたか?
(石野卓球)いや、それは別に特になくてですね、それ以前にテクノというか、僕たちはシンセサイザーを使った音楽が好きだったので。だからどちらかというと、うちらがデビューの頃ってテクノとかっていうよりハウスとかっていう感じだったよね?
(ピエール瀧)デビューぐらいの頃はテクノっていう単語が一番、使われてなかったかもしれないです。
(石野卓球)ジュリアナとかが流行っていた頃ですよ。
(タカノシンヤ)ああ、あの頃ですね。
(石野卓球)これ、20世紀の話ですよ?
(ピエール瀧)本当だね。
(タカノシンヤ)結構、デビュー当時はラップグループっていう印象も……。
(石野卓球)ラップ……まあ、そうですね。ラッパーだと思っていたことはないんですけど。
(ピエール瀧)ラップの曲もあったんでっていう感じですかね。
(タカノシンヤ)このダンスミュージックとしてのテクノっていうのはそこからどれくらい広がってったんでしょうか?
(ピエール瀧)うーん、まあ……。
(石野卓球)田中角栄?
(ピエール瀧)違う違う。お前さ、「まあ」で言っちゃったらもう本当、なんでもありになっちゃうからね?(笑)。
(タカノシンヤ)聞けるのかと思ったのに。がっかり(笑)。
(ピエール瀧)(田中角栄のものまねで)「まあ、そのー……」。
(一同)アハハハハハハハハッ!
(ピエール瀧)一応ね(笑)。
(石野卓球)やってくれるんですよ。瀧くん、優しいから。
(セレイナ・アン)ありがとうございます(笑)。
(ピエール瀧)まあテクノ……だからね、クラブシーンとかそういうダンスシーンとかと密接なんでしょうけれども。まあうちらはそことはちょっと距離があるというか。そこのど真ん中にいたわけではないので。
(石野卓球)でもジュリアナとかが流行ってた頃だから、ジュリアナテクノとか、あったじゃないですか。「タランタランタラン、タッタッ♪」って。
(ピエール瀧)アゲアゲっぽいね。
(石野卓球)当時、テクノって一般的にはそっちだったんじゃないですか。日本ではね。
(ピエール瀧)デステクノとか言われてたんでね。
(タカノシンヤ)そうなんですね。
(石野卓球)とにかくでも30年以上前の話なんで、あんまり覚えてないですけど(笑)。
(セレイナ・アン)で、デビューアルバム『FLASH PAPA』なんですけれども。いきなりマンチェスターでレコーディングをされてらっしゃいますよね。これ、1枚目からマンチェスターっていうのはどういった経緯があったんですか?
(石野卓球)これね、当時ね、円が結構高かったんですよ。今と違って。で、日本の国内のメジャーなスタジオで録るより海外で録った方が安く済んだんですよ。
(セレイナ・アン)えっ、本当なんですか?
(石野卓球)いや、本当です、本当です。
(タカノシンヤ)今から考えたら、信じられないですね。
円高で日本で録るより海外で録る方が安かった
(石野卓球)で、まあそのマンチェスターのスタジオっつっても日本で使ってるような最先端のスタジオっていうわけでもなかったんですけど。まあ、日本だとインディーバンドとかぐらいが使うようなスタジオだったんですけど。でも、それでね、2ヶ月ぐらい行ってたんですけど、すごいいい経験でした。
(ピエール瀧)あとレコード会社が「お前たちがやってるような音楽だと日本でどうのこうのっていうよりかはそっちの海外とのスタジオとかでやった方が合ってるんじゃないの?」っていうことで。それでマンチェスターに行った感じかな?
(タカノシンヤ)当時でいうとマッドチェスター後期の時代というか。
(ピエール瀧)ハッピー・マンデーズって感じで。
(石野卓球)街中どこ行ってもハッピー・マンデーズが流れていて。それで「明日、日本に帰る」っていう日にマンチェスターのG-MEXっていうでっかいアリーナがあるんですけど。そこでそのハッピー・マンデーズのライブ見て帰ったっていう。
(ピエール瀧)いい思い出です。
(石野卓球)いや、本当に。あの頃の瀧くんはもういないですけど。
(ピエール瀧)残念ながらね、お亡くなりになられて……。
(石野卓球)自分の口から(笑)。
(セレイナ・アン)いやいやいや……でもやっぱりこの初めてのアルバム制作がいきなり海外っていうのは振り返ってみてどういう感覚ですか?
(石野卓球)もう右も左も……それこそ右も左もわかんないどころか僕、海外旅行自体が初めてだし。飛行機乗ったのもその時が初めてだったんですよ。
(セレイナ・アン)ええっ? じゃあパスポートを取ったのも初めてぐらい?
(石野卓球)もちろんです、もちろんです。靴を履いたのもその時が初めてで。
(セレイナ・アン)すごい飛びましたけど(笑)。
(石野卓球)そうそう。それで、ねえ。現地集合だったんだよね。
(ピエール瀧)そうですね。だからディレクターはもう行ってるんで。「お前たちだけで来い」っていうんで。
(石野卓球)で、行って、もう早速着いたその日に服屋に行って。まず、その地元に馴染む服を買いました(笑)。
(セレイナ・アン)どんなお洋服だったんですか?
(石野卓球)その頃はだからバギーパンツとか流行ってたんで。いわゆるマッドマッドチェスターの。もう持ってきた服を全部捨てて。そこで初めて靴も買って。
(タカノシンヤ)ああ、初めて靴も買ったんですね(笑)。
(ピエール瀧)でもまあその……(田中角栄のものまねで)まあ……(笑)。当時、マンチェスターのクラブみたいなやつとかも。
(石野卓球)ハシエンダね。
(ピエール瀧)そうそう。ハシエンダもあったし。小さいクラブとか、そういうところのやつもあったんで。まあレコーディングが終わって、そういうところに行ったりとかして。現地のそういうの見て「ああ、この感じなのね」っていうのは体感できたのはすごい良かったですけどね。
(石野卓球)昼間はスタジオで制作をやって。で、夜はそのクラブに行ってっていう感じだったんで。
(セレイナ・アン)へー。じゃあ、寝ていない?
(石野卓球)いや、もちろん寝てますよ。17年間で30分間だけ。
(セレイナ・アン)ショートスリーパーすぎる!(笑)。
(ピエール瀧)トータルで30分っていう(笑)。
(セレイナ・アン)毎日30分じゃなくて?(笑)。
(ピエール瀧)年に2分ないっていう(笑)。
デビューしたばかりのアーティストをマンチェスターでレコーディングさせるなんて、今では全然考えられないことですよねー。円高、すごい!
