ピエール瀧が語る 忘れられない先生との思い出

ピエール瀧さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で、保育園時代の忘れられない先生との思い出について語っていました。


(赤江珠緒)瀧さんもそういう忘れられない先生っていないですか?

(ピエール瀧)忘れられない先生ですか。えー、でも僕ね、忘れられない先生って保育園の時の先生がいて。女の先生なんですけども。すごく厳しい先生だったんですよ。保育園児なんですけど、たとえばハンカチを忘れると、『ハンカチ、忘れたの!?』。バーン!ってビンタ。

(赤江珠緒)ええっ!?

(ピエール瀧)マジですよ。マジ。

(赤江珠緒)保育園児に?

(ピエール瀧)『なにしてんの?持ってくるはずでしょ!』。ピチャンッ!ってビンタなんですけども。それをやるとすごい暴力的な先生に思えるじゃないですか。でも、放課後ね、僕、両親が働いてましたから。母親、看護婦ですから。あんまり家にいないじゃないですか。夕方とか。そん時に、いつまでも残っているわけですよ。いなくちゃいけないから。要は、園に僕しかいないっていう状態が結構長く続くんですけど。

(赤江珠緒)そうなんですか。

(ピエール瀧)何日も。

(赤江珠緒)瀧少年、結構こじんまり待っているみたいな。

(ピエール瀧)そうそう。でもその間、ずーっと先生、一緒に遊んでくれて。で、晩御飯だって出前とると、カニサラダをちょっとわけてくれたりとか(笑)。

(赤江珠緒)えっ?ええっ!?

(ピエール瀧)っていう。すごいマンツーマンなんですよ。で、すごい厳しいんだけど、すごい優しくて。僕も大好きで。ピシャッとやられるんだけど、それは自分が悪いじゃないですか。だって。まあ、それはそうだよなっていうのがあって。で、すごい大好きで。卒園してからも、すごいかわいがってくれて。

(赤江珠緒)普通、卒園しちゃったらね、あんまり幼稚園は立ち寄らなかったりしますけど。

(ピエール瀧)で、小学校行ってる時も、たとえば夏休みとかになると、『まあちゃん』って呼ばれてたんですけど。正則ですから。

(赤江珠緒)まあちゃん。

(ピエール瀧)『まあちゃん、もしあれだったら、友達何人かで映画に連れてったげる』って、映画連れてってくれたりとか。すごいかわいがってくれた先生で。

(赤江珠緒)あ、それはいいですね!

(ピエール瀧)で、すごい大好きな先生だったんですけど。映画に行くっていうのが割と定番になってきまして。何回か連れて行ってもらって。で、ある時見に行った映画で、僕が『これ面白そうだから、これ見たい!』って言って見た映画が『デス・レース2000年』っていう(笑)。

(赤江珠緒)なにそれ?

(ピエール瀧)とんでもない映画なんですよ。改造車でバンバン、レースをするんですけど。路上で。公道で。勝手に。しかも。レースをするんですけど。途中に人を跳ね飛ばして行くと、点が入るっていう。

(赤江珠緒)ちょっと!(笑)。

(ピエール瀧)とんでもない映画なんです。それを見終わった時に、最後出てきて、先生が俺と友達もう1人ぐらいいたかな?に向かって、『まあちゃん、○○君、ごめんね』って言ったのが、映画を見に行く会の最後の回だったっていうのを、いま急に思い出しました。その話で(笑)。

(赤江珠緒)それはよかった。急に古いところね、フッと思い出すこと、ありますからね。まあちゃんに。

(ピエール瀧)そうなの。その先生、でもいろいろ教わりましたよ。そのカニサラダっていう食べ物があるとか。あと、『まあちゃん、こっそり教えてあげるね』って言って、牛乳瓶をね。放課後なんで、こっそりくれるわけですよ。『これ、残っている牛乳、1本あげるね』なんつって。

(赤江珠緒)ガラスに入った瓶の。

(ピエール瀧)そう。ポーンと開けて。『まあちゃん、これ内緒だけどね、牛乳を一口飲んだ後、ここにヤクルトを半分くらい入れて混ぜると美味しいのよ』って言われて、『えー、本当に?』なんつって(笑)。飲んで、『おいしー!』なんてことを言ってね。毎日、だから先生とマンツーマンで。

(赤江珠緒)秘密の時間があるみたいな感じでね。

(ピエール瀧)そうそうそう。

(赤江珠緒)ああ、いい思い出ですね。それはね。

(ピエール瀧)まあ、体も弱かったものですから。幼稚園児のころは。

(赤江珠緒)ぜんぜん思えない(笑)。どうしてこうなったか。

(ピエール瀧)そうなんですね。みんなゲラゲラ笑うんですけど。それ聞くと。ものすごい病弱な子どもだったんで。そこも込みでね、かわいがってくれたんですけどもね。本当に。

(赤江珠緒)そうですか。いやー、面白いな。

(ピエール瀧)その先生がいちばんかな?覚えているので言うと。

<書き起こしおわり>



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吉田豪が語る 骨法・堀辺正史師範伝説

プロインタビュアーの吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で、骨法の堀辺正史師範に取材して確認した昭和プロレス・バラエティー番組の裏側を語っていました。

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(赤江珠緒)今日、豪さんが取り上げるのが骨法の堀辺正史師範ということですが。なんか大吉先生が骨法っていうたびになんか、クスッて。

(博多大吉)いや、これはもうプロレスファンならね。ちょっと長めのプロレスファンなら・・・

(吉田豪)そうですね。10年以上好きなプロレスファンとかだったら、そこに来るか!ってなる。

(博多大吉)まあね、今日豪さんが持ってきている本、めっちゃ懐かしいですもん。うわー、懐かしい!

(吉田豪)これはまあ、基本です。当時、みんな持っていた感じ。『ザ・喧嘩学』『喧嘩芸骨法』というね。

(赤江珠緒)豪さん、3時から理研のね、会見が始まってね、大事な時間なんですが、大丈夫?うちは骨法で大丈夫ですか?

(吉田豪)これで戦えるのか?っていう話ですけど。

(博多大吉)大丈夫です!我々には骨法がある!

(赤江珠緒)骨法がありますか。

(吉田豪)大吉さんがね、(番組)CMで言ってたじゃないですか。『豪さんのことだから、たぶんレスリングどんたくの話をしてくれるはずだ』って。そんなニーズのない話を僕がするわけないじゃないですか。よりニーズのある話をね。

(赤江珠緒)骨法が。

(博多大吉)ニーズ、いまあるんですか?

(吉田豪)骨法のニーズ、相当ありますよ!面白いですから。たぶんご存知でない方も相当多いと思いますので、わかりやすく説明しますよ。骨法というのは、町山さんが90年ごろに『Theゴジラcomic』っていうゴジラの漫画を出してるんですね。編集して。その中で、風忍先生っていうダイナミックプロの方がいるんですけど、その人が書いている漫画っていうのが、骨法の達人がゴジラを素手で倒すっていう漫画なんですよ。

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(赤江珠緒)

(吉田豪)つまり、ゴジラを倒せるぐらいの格闘技が骨法なんです。

(赤江珠緒)おー!すごいですね。

(吉田豪)すごいんですよ。でもまあ、ミステリーが多い感じで。骨法に関しては。まあちょっと表立っている話をいま言いますと、1941年生まれ、現在72才の堀辺正史師範が、骨法の創始者を名乗っていまして。骨法っていうのは流派がいくつかあって、その起源も諸説あるんですけど、堀辺先生曰く、骨法は奈良時代の武人、大伴古麻呂より伝わる日本独自の拳法で、骨法の師範で東條英機のボディーガードを務めた父からその技を一子相伝で相伝されて。骨法司家の第52代を襲名し、伝統的骨法の修行の傍ら、喧嘩・他流試合に明け暮れた日々の中から、実践的な格闘技術を習得。古流の骨法を改革したというね。

(赤江珠緒)すごい歴史上の人がバンバン出てきて。

(博多大吉)52代よ。

(赤江珠緒)第52代。

(吉田豪)本とか読むとブラジルでカポエラと戦ったりとか、すごいいろんな話が出てくるんですけど。極真の大山倍達総裁の、そういうバックボーンがミステリーなのに近い感じで。このへんは正直、よくわからないっていう。よくわからない。で、こういうところが嘘なんじゃないか?って叩く人もいるんですけど、それを超えた凄みがある人っていうか。この人自身が本当に面白いんですよ。

(赤江珠緒)あの、お写真でてますけど、もうすでに面白いですね。師範らしい。

(吉田豪)昔はもっとすごいワイルドな感じで。

(赤江珠緒)ああ、髪の毛がロングな感じで。おひげもたくわえてね。

(博多大吉)ひげがね、だいぶ特徴的なんですけど。

(吉田豪)そうです。1976年に骨法道場を創設しまして。いま、もうね、東中野名物ですけど。これがアントニオ猪木をはじめ、グレート・カブキ、武藤敬司、獣神サンダーライガー、船木誠勝など数多くの名プロレスラーたちを指導して。で、僕がBUBKAの4月号、先月号ですね。インタビューしたんですけど、まあ面白い。

(博多大吉)お元気でした?

(吉田豪)お元気でした。まあ、プロレスファン的には週刊プロレスっていう雑誌が爆発的に売れてた頃にターザン山本っていう編集長と毎週対談してた人なんですよ。

(博多大吉)毎週、記事が載ってたんですよ。この方の。

(吉田豪)なんで?っていう。レスラーでもなんでもないのにっていう。で、その後骨法っていう格闘技が総合格闘技に打って出て、ちょっと惨敗とかして、その後いま、整体とか思想の人みたいな感じになってるんですけど。堀辺先生は。そもそも、その堀辺先生。武道の世界で生きる人たちはプロレスとは一線を引く場合が多いわけですよ。基本、批判するんですけど。

(赤江珠緒)あ、そうなんですね。

(吉田豪)堀辺さんが画期的なのが、一時、猪木さんが旗揚げした新日本プロレスの内部にまで入り込んでたんですよ。

(博多大吉)えっ?堀辺さんって内部にいたの?

(吉田豪)内部の人です。インサイダーです。実は。

(博多大吉)僕はもう、正直週刊プロレスで知ったんで。

(吉田豪)あの、それぐらいの印象だったと思うんですけど、実は結構深く入り込んでいる人で。もともと、グレート・カブキさんとかザ・コブラさんとか、そういう人に技を教えてて。猪木さんに技を教えたら、そのプロレスの話をするうちに、プロレスのアイデア。企画のことを相談されるようになったと。

(赤江珠緒)えっ?プロレスのアイデアや企画まで?

(吉田豪)そうなんですよ。要は、過激な仕掛け人と呼ばれた新間寿さんっていう人がいたんですけど。その人が抜けたちょうど後だったんですよね。たぶん外側で、なんか頭の良さそうな人っていうのがいなくて。じゃあちょっとあなた、会議とか出ませんか?みたいな感じで参加するようになったと。

(博多大吉)まあ極端な話で言うと、モハメド・アリと戦おうとか、そういう企画ですよ。

(吉田豪)そういうプランを考えるような役割が、なぜか堀辺さんに回ってきた時期があったっていう。

(赤江珠緒)すごく重要な役割ですよね。へー。

(吉田豪)堀辺さん自身は、世の中にはプロレスには筋書きがあるんだから、そんなもの大人が見てもしかたがないんじゃないか?っていうね、プロレス否定論もあったけど、プロレスについては子どもの頃、力道山が空手チョップでデカい外国人をバッタバッタと倒していくのに爽快感を覚えて。だんだん年がいって社会と人間とに関係に興味が出てくると、力道山っていうのはプロレスラーだけども、社会を動かすことのできた人物なんだというところで、自分にとっては大きな存在になったと。で、プロレスを見て世の中が元気になって、国民がそれで活力を得て、明日また会社でいい仕事ができるんであればいいという考えになって。で、当時の新日本には社会に活力を与えられるだけのポテンシャルがあったっていうことなんですけど。

(博多大吉)まあ、テレビもね、ちゃんとゴールデンでやってましたし。毎週。

(吉田豪)面白いんですよ。『プロレスを通じて、大衆心理とはなにか?とか、世の中が変革するときには、大衆のこういう気持ちをこういう形で取り入れなければ社会なんて倒すことはできないだろうし、権力なんかぶっ壊すことはできないなって学んだ』って言っていて。そういう思想的な活動をやっていた人なんで、『クーデターのために研究してたんですか?』って言ったら、『そうそうそう』って言って(笑)。そういうような人です。

(赤江珠緒)すごく壮大な理念がね、お有りですね。

(博多大吉)血気盛んですよ。

(吉田豪)そんな人がプロレスの会議に参加したらどうなるか?っていう話なんですよ。で、まず参加して誕生したプロレスラーっていうのが、海賊男なんですよ。

(博多大吉)マジっすか!?これ。もー、なにしてくれるんですか!

(赤江珠緒)なに?なに?海賊男っていうプロレスラーの方?

(吉田豪)80年代の末期ぐらいですかね?海賊男っていうのが出てきた時があったんですよ。いろいろ選手が大量離脱した後に、海賊風の衣装に頭にターバン巻いて、ジェイソンのようにアイスホッケーのゴールキーパーマスクをして、杖持参して凶器として使うという。最初は87年のはじめにアメリカ遠征中だった武藤敬司さんがそのホッケーマスクの男に襲撃されて。その後、新日本の事務所に海賊ビリー・ガスパーと称する人物から、日本を襲撃するという内容の文章が届き、その後、その矛先は猪木さんに変わっていったりしたんですけど。謎の選手で、毎回動きや体格が違ったりとか・・・(笑)。よくわからない。



(赤江珠緒)そうなんですか?そのへんは、キチンと統一してなくていいんですか?

(吉田豪)してなくて。『あれ?今回の動き、○○っぽいな』とかいろいろ、みんなで読むのが流行ったりとか(笑)。

(博多大吉)で、正直、結構スベりましたよね。海賊男。

(吉田豪)スベりました。この時期ぐらいから、新日本プロレス。暴動が起きたりとか結構・・・

(博多大吉)おかしなことになるんですよ。

(吉田豪)迷走期です。いわゆるプロレスの(笑)。

(赤江珠緒)試行錯誤の中で。

(吉田豪)試行錯誤してた時の、試行錯誤の中の1人です。堀辺さんが。

(博多大吉)いや、本当ね、新日本をダメにした・・・ダメにしたってあれやけど。

(吉田豪)大丈夫なのか?って、みんな思っていた頃ですよね。

(博多大吉)で、本当、僕も当時学生で。九州スポーツで、武藤が海賊に襲われたっていう記事を読んで、これはダメだ!と。

(吉田豪)(笑)。ストロングマシンまではいいとして。

(博多大吉)いいとして。こっから先は地獄だぞ!と思ったら、本当に地獄がはじまったんですよ。結構ね、大きな大会で。

(吉田豪)まあ、ゴールデンタイムがなくなったりとかしていく流れですよ。こういう迷走期。

(赤江珠緒)堀辺師範、大丈夫ですか?

(吉田豪)まあ、堀辺師範のせいじゃないんですよ。猪木さんのせいなんですよ。聞いてみると。もともとだからこれも、一緒に会議してた時に、猪木さんの会長室で海外のどっかに海賊の幽霊が出るらしいとかそんな話してた時に、電話が鳴って猪木さんが3メートルぐらい歩いている時に足を引きずってたんですよ。で、戻る時も足引きずってたんで、堀辺先生が『どうしたんですか?』って聞いたら、猪木さんが『いや、足引きずっているなにかが出てきたら、面白い』ってことで、海賊男を作ろう!っていう(笑)。

(赤江珠緒)(笑)

(吉田豪)だから、杖持ってっていう感じでっていうね。

(赤江珠緒)会議って割とシンプルな感じで(笑)。

(吉田豪)シンプルなんですよ(笑)。で、主に猪木さんのプランがどんどん進んでいっちゃうような感じで。

(博多大吉)いや、本当いまでこそ笑えますけど、当時本当に笑えなかったですよ。海賊男。

(吉田豪)当時聞いたら怒っていたでしょうね。ふざけんな!っていう。

(博多大吉)だってビッグマッチの最後に出てきて、本当わけのわかんないことをやって帰って行って。

(吉田豪)手錠を持って出てきて、手錠で選手同士をつなぐんだったらともかく、手錠を違うところにつないじゃって、試合がグチャグチャになるっていう。

(博多大吉)試合ができなくなって、そのままゴングが鳴って、『本日はご来場、ありがとうございました』みたいになって。

(吉田豪)それ、後で聞いたら単なるミスだったっていう(笑)。そんなようなデタラメが起きていた頃です。

(博多大吉)はー。海賊男にも堀辺師範は絡んでいた。

(吉田豪)さらには、ビッグバン・ベイダーの誕生にも絡んでいてっていう。

(赤江珠緒)ビッグバン・ベイダー?

(吉田豪)そうなんですよ。会議には堀辺先生の関係で、骨法の漫画を書いたりしていた永井豪先生。あの、永井豪先生、結構骨法に入り込んでまして、バイオレンスジャックっていう代表作にも骨法が出てきたりとか。骨法漫画も書いています。そういう中で、会議の中で猪木さんが『ブラジルみたいなジャングルの中には驚くようなゴリラみたいなやつらがいる』っていう話をしていて。そこから、『だったらゴリラみたいなとんでもない人間を作ってしまえ』っていう話になって。そしたら永井豪先生が、『そういうのだったら僕が描けます』って。じゃあそれ作っちゃおう!ってことでベイダーが出てきたって(笑)。ゴリラだったんですね。

(博多大吉)最初はゴリラ?

(赤江珠緒)割と猪木さんの伝聞の話からどんどん広がっていくんですね。

(博多大吉)うわー、懐かしいね。このビッグバン・ベイダーのテーマ。ベイダーについては?

(吉田豪)はい。大吉さんが紹介してくれると。

(博多大吉)ざっくり言いますけど、ちょっとね、色モンっちゃ色モンで。最初、こんで大丈夫かね?ってなって、たしかに1・2年は大丈夫じゃなかったんですけど。

(赤江珠緒)ちょっとあの、サタンみたいな感じですよね。かぶりものをしてね。

(博多大吉)だからマスクマンであって、その上に鎧着た感じで入場してきて。もちろん、試合中は鎧外すんですけど。

(吉田豪)そもそもだって、たけしプロレス軍団っていうビートたけしさんの刺客として出てきてるから。まあ、色ものだったですよ。最初は。お前、できんのか?って。



(博多大吉)これもね、シャレにならんくらい暴動が起きたんですよ。

(吉田豪)これも新日本の暴動史のひとつですね(笑)。

(赤江珠緒)ファンたちに受け入れられない。

(博多大吉)やっぱり当時は、リングにタレントが上がることが許されなかった時代で。素人が上がった時点で・・・

(吉田豪)リングを汚すな!っていう。

(博多大吉)物が飛んでくる時代に、たけしさんが軍団をたくさん引き連れてやってきて。『こいつと戦え!』って出てきたのが、鎧着た、見たこともない変なやつで。こいつがまた、猪木さんに勝っちゃったんですよ。2分ちょっとくらいで。で、なんだこれは!?みたいな感じで。

(吉田豪)そう。で、大暴動ですよ(笑)。

(博多大吉)その暴動に参加してたのが、玉袋(筋太郎)さんだったっていう(笑)。そういう話もあるんですけどね。

(赤江珠緒)(笑)

(博多大吉)でも、結果的に90年代いちばん良かった外国人レスラーになったんですけど。まあ、ちょっと誕生は難産でしたよね。

(吉田豪)ところがその誕生の裏話も衝撃で。僕、前にちょっと堀辺さんから聞いたことがあったんですよ。『ベイダーは上半身だけで予算がなくなったっていう説を聞いたことがあるんですけど』っていう。そしたら、『そうです!』ってあっさりと答えて。どういうことかっていうと、当初の予定では全部ロボットみたいになっていて、人間が中に入って操作する予定だったらしいんですよ。

(博多大吉)えっ?ベイダー?

(吉田豪)巨大なロボット。猪木さんの、ところがベイダー構想は新日本内部の全員の承諾を得られなくって。賛成する人だけで、少ない予算で始めたのが上半身だけのベイダーっていう(笑)。

(赤江珠緒)(笑)。見切り発進。

(吉田豪)見切り発車です。

(博多大吉)もし、ここでみんなが全員賛同してたら、ベイダーって丸々ロボットだった?

(吉田豪)3メートル、4メートル級のロボットが生まれていたはずなんですよ。

(博多大吉)それと猪木さんは戦う?

(吉田豪)戦う(笑)。

(博多大吉)これはもう、末期。本当、末期ですよ。

(吉田豪)実現しなくて良かったんですよ。

(博多大吉)良かったんですよ。逆に。いや、だってプロレスでもなんでもないでしょ?

(吉田豪)昔のドリフのジャンボマックスみたいなのが出てきて、というね。

(博多大吉)ジャンボマックスとやる!って。

(赤江珠緒)そうか。だから胸までの、お腹が出ている感じの。

(吉田豪)肩からプシュー!ってね、煙が出たりしてたんですけど。で、その暴動に発展した時に客席がいろんなものが飛んでくる中、堀辺先生がリングサイドにいたんですよ。で、大会のパンフレットで頭を守っていたっていう(笑)。

(赤江・大吉)(笑)

(博多大吉)ここは守っておかないとって(笑)。

(吉田豪)あぶないあぶないって(笑)。面白がってたみたいですよ。なんかすごいことになってるなーって(笑)。

(博多大吉)いやいや、こっからだってね、会場ずっと使えなくなったりとか。そうなったんですよ。

(赤江珠緒)なんか堀辺先生、グッチャグチャになってきてるじゃないですか。

(吉田豪)堀辺さんが悪いっていうか、猪木さんが悪いんですよ。堀辺さんは猪木さんの話を『面白い!』って言ってただけですよ。

(博多大吉)本当、いまになって明かされる真実ですよね。猪木さんが海賊男もベイダーもか。

(吉田豪)さらには、ドン・中矢・ニールセンにキレた事件っていうのがありまして。このドン・中矢・ニールセンっていうのを説明からしなきゃいけないんですけど。前田日明との伝説の名勝負がありまして。それによって前田日明が格闘王と呼ばれるようになり。そのドン・中矢・ニールセンっていうキックボクサーなんですけどね。その後、佐竹雅昭さんとか藤原組長とか、いろんな人と戦って、たぶん日本トップクラスに有名なキックの選手として大きくなった人がいるんですけど。その人と、89年に永井豪先生原作の獣神ライガーとのタイアップ企画で、大吉先生とも親交が深い、当時獣神ライガーですね。デビューしたわけですけど。そのライガーになる前の山田恵一選手。

(博多大吉)あ、もう言っちゃった(笑)。

(吉田豪)まあね。リヴァプールの風になったね、人とニールセンの試合が。異種格闘技戦が行われたんですけど。リングサイドで見てた堀辺先生が本気で怒っていた事件がありまして。

(赤江珠緒)どうして?ものをぶつけられて笑っている先生が。

(吉田豪)今回は許さいない!って。それは何に対して怒っていたのか聞いたら、異種格闘技戦とは言っても、まあプロレスだから。ところが、堀辺先生から見たドンは、結果はこうなるんだから・・・っていうことで安心しきって戦っていると。自分のかっこよさを引き出すために山田を道具にして、踏み台にして自分の人気だけを得ようとしてるっていうことで。つまり、相手に対するリスペクトがあまりにもない!っていうことで、TKOでドンが勝った直後、リングサイドから堀辺先生がドンに対し、『俺と戦え!』と吠えたっていう(笑)。

(赤江珠緒)ええっ!?

(博多大吉)これ、見ました。私も。映像かな?写真かな?ちゃんと載っていた。めっちゃ怒ってた。堀辺先生。堀辺師範。

(吉田豪)俺とやれ!っていう(笑)。

(博多大吉)次は俺だ!って。

(赤江珠緒)そんなに怒っちゃって。熱くなって。

(吉田豪)堀辺先生、短気なんですよ。ものすごく。社会のルールをしっかり守ることを日頃から心がけてるんだけど、ある水位を超えた時にはもうダメって言ってて。スイッチが入っちゃう人で。実はものすごいスイッチが入った事件があって。今回の取材、実はそれの確認もテーマだったんですよ。プロレスに関わっていたころの話プラス、堀辺先生マジギレエピソードっていう。実は、スーパージョッキーによく出てたんですよ。

(博多大吉)はい。出られてました。

(吉田豪)ガンバルマンのコーナーで。いろんな空手の先生とか。ジャズ空手の先生とか出てたじゃないですか。あの中で、堀辺先生実は何度か出てまして。その時に、ビートたけしにキレたことがあるっていう。

(赤江珠緒)えっ?あの番組出てて、たけしさんに?

(吉田豪)そうです。という伝説を実はたけし軍団サイドからも聞いていたりしたんで。1回、ちゃんと聞いてみたいと思って、確認したんです。いろんな謎が解けました。スーパージョッキーから出演のオファーがあった時に、3回断ったらしいんですよ。それでも、どうしてもってことで出ることになったんですけど。楽屋で1時間待っても2時間待っても5時間待っても出番が来なくて。

(赤江珠緒)5時間は長いですね。

(吉田豪)で、スタッフから『すいません、今日はこれで終わりです』って言われて、その日呼ばれていたゲストも、『まあしょうがないな』って帰ろうとしてたんですけど。堀辺先生は芸能人じゃないから、『なんだそれ!?』ってことでスイッチが入って。でも下っ端の人間を相手にしても弱いものいじめになるだけだから、たけしを呼べ!と。当時のたけしさんはちょうど講談社を襲撃した後だったんですよ。だから堀辺さんはたけしさんに対して、『お前だって自分の人格を傷つけられたら講談社に乗り込むだろう?今日は俺が傷つけられたから、お前を許さんよ』って言って・・・

(赤江珠緒)かっこいい!

(吉田豪)控室でたけしさんのスネを蹴りだしたんですよ(笑)。

(赤江珠緒)そこはちょっとどうかな?って思うんですけど。

(吉田豪)蹴りながら、『許さん!』って言って(笑)。さらには、堀辺先生の奥さん。百子局長っていう人がいるんですけど。その人もハイヒールで蹴りだしたらしくて。まあ、ハイヒール百子(モモコ)って呼ばれてたっていう(笑)。

(博多大吉)うまいこと言ってる場合じゃないですよ。

(吉田豪)控室にアニマル浜口その他いろんな人たちがいて。『いつアニマルが来るか?と思って構えながらいたんだけど、あいつらは誰もこなかった。あいつらは誰も助けないんだ!』って言ってて。だからそういうことをやって。

(赤江珠緒)(笑)。なるほど。筋は通しなさいという方なんですね。

(吉田豪)でも、まあ大問題じゃないですか。ところがすごいのが、後日お詫びとして日テレサイドから、『テレビの時間30分差し上げますから、自由に使ってください』って言われて、そういう手打ちをして、ロケにガンバルマンが来て、番組収録と。それで手打ちまでだったらわかるんですよ。さらにつながるんですよ。その後、テレビ局からまた電話があって、『もうビートたけしとはやりたくない』って堀辺さんが言ったら、『たけしさんには内緒にするから、スーパージョッキーに出てくれ』って言って。堀辺先生が出てきたら、たけしさんがビビると。そこをカメラに収めたいっていう。

(赤江珠緒)はー!

(吉田豪)っていうか、あり得ないじゃないですか。こんだけガチでモメてる人を、テレビで生放送で出して、たけしさんがビビってる!わーっ!っていう。ないですよね!

(博多大吉)しかもたけしさんがメインの番組ですよ。

(吉田豪)昭和のバラエティー、あり得ないですよ。

(赤江珠緒)あー、そっか。そういう。本気ですもんね。

(吉田豪)本気です。いろんな謎が解けたんですよ。僕、浅草キッドが骨法道場でボロボロにされるっていう話、聞いたことがあったんですけど、『あ、この手打ちのエピソードだ!』っていうのがつながって。で、もう1個、僕噂で聞いたことがあったのが、スーパージョッキーの生放送中に堀辺先生がたけしさんに立ち関節。立ったまま関節技を極めて、そのまま離さなくて放送事故みたいになったっていう噂を聞いたことがあったんですよ。それ聞いたら、『そうそう。それです』って言ってて(笑)。

(赤江珠緒)ええっ!?

(吉田豪)普通だったら、たけし軍団の人たちが技かけられるのに、『たけし、お前出てこい』ってやって、そのまま技かけてっていう。

(博多大吉)で、まあ別に笑いもなく?ただ、関節を極められて終わりという。

(吉田豪)そこ、笑い起きないですよね。たぶん、ただテレビのスタッフ側は笑ってたんでしょうね。それが恐ろしいと思って。昭和のバラエティー、怖えー!

(赤江珠緒)本当の因縁のある人がね。

(吉田豪)面白いで呼んじゃうっていうね(笑)。あり得ないと思いました。

(博多大吉)それができた時代。

(赤江珠緒)そうか。骨法。覚えました。すごくインパクトがありますね。堀辺先生。堀辺先生はじゃあ、いまでも。これ、72才で、いまのお写真ですか?若いですもんね。

(吉田豪)いまは小林よしのり先生とかと一緒に、そういう思想的な活動をされている感じですね。

(博多大吉)そっち方面に。インター下りられた感じですね。

(赤江珠緒)日本を案じてとかそういう感じで。

(吉田豪)日本を案じたりとか、AKBにどんどん夢中になっていく小林よしのり先生を案じたりとかしながら(笑)。

(赤江珠緒)(爆笑)

(博多大吉)いろんな人がいろんな形で案じてる。

(吉田豪)かつて、毎週対談していたターザン山本がどんどん堕ちていくのを案じたりとか。いろんなところを案じてますけど。

(博多大吉)本当ね、週刊プロレスに、本当の武術とはこうだ!っていう連載をずーっとなさっていて。ターザン山本さんとね、対談する感じで。で、すごい幻想が膨らむわけです。骨法って地球上でいちばんすごい格闘技なんだ!で、いちどね、実際試合があったんですけど。ちょっとあの・・・想像と違ったというか。

(赤江珠緒)あ、そうなんですか。

(吉田豪)最初のは幻想的な感じで面白かったんです。太鼓を叩きながら、三角の構えとか、特殊な構えをしながらの。なんだろうな?あれはあれで有りだと思ったんですけど、やっぱりバーリトゥードにアクセスして、惨敗しちゃったのが大きかったですね。

(博多大吉)骨法だけでやっている分には、ちょっと変わった型というか。2人でこの、糸巻き巻きみたいな感じで。手を合わせていくとか。なんか斬新。これ、斬新すぎやしないか?みたいな感じだったですけどね。でもいまも、骨法。あるんですよね。

(吉田豪)ありますあります。東中野で。

(赤江珠緒)もう後継ぎの方、いらっしゃるんですか?

(吉田豪)整体で本当、盛んになってまして。整体術を学ぶ方々がいっぱい来てますよ。

(赤江珠緒)へー。でも大吉先生。プロレスファンとして、この歴史の本当、舞台裏というのを知ることが出来て。

(博多大吉)プロレスファンとしては本当、ほろ苦い思い出。昔の(笑)。

(吉田豪)ほろ苦い思い出の裏を知ったっていう。謎が解けた感じ。

(博多大吉)まあまあ、いろんな謎が解けました。

(赤江珠緒)(笑)。ありがとうございました。

<書き起こしおわり>

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玉袋筋太郎が語る 電気グルーヴ・浅草キッド初めての飲み会の思い出

玉袋筋太郎さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で、20数年前に浅草キッドと電気グルーヴがはじめて飲み会した際のエピソードを語っていました。


(玉袋筋太郎)でも電気グルーヴと初めて飲み会やったというね。浅草キッドと4人で、いまから20年ぐらい前かな?

(小林悠)えっ?そんなにたちますか?どんな感じでした?

(玉袋筋太郎)一緒にさ、巣鴨のちょっと悪いところ、遊びに行っちゃって。みんなで。それ終わってから、巣鴨の焼肉屋で飲んで、それから新宿二丁目繰り出して。歌うたえるところで。まあこっちもさ、初対面だしさ。向こうも初対面じゃん。なんかこう、どうしたらいいかわからねーんだけど。やっぱちょっとこう、つっぱらなきゃいけねーんだっていう気持ちもあるんだよね。楽しいんだけど。

(小林悠)はい。

(玉袋筋太郎)そいでさ、こっちの伝家の宝刀をいつ抜くか?っていう感じなんだよ。向こうもそうなんだけど。

(小林悠)ん?

(玉袋筋太郎)電気グルーヴがさ、卓球がさ、カラオケ。『イヨマンテの夜』を歌い出したんだよ。『イーヨマンテー♪』。

(小林悠)それ、なんですか?(笑)。

(玉袋筋太郎)イヨマンテの夜って歌があるんだよ。それを歌いながら、あいつら!先に伝家の宝刀。フリチンになって歌い出したんだ!

(小林悠)ちょっとー!

(玉袋筋太郎)そいで、あっ!畜生!電グルに負けられねー!って。俺たちも裸になって、フリチンだ!っつって。

(小林悠)それが伝家の宝刀ですか!?

(玉袋筋太郎)そうそう。『浅草キッドより脱ぐの早かったか!悔しい、博士!』なんつって。『俺たちも脱ぐぞ!』なんつって。『負けられねー!脱糞だ!』なんつって。

(小林悠)こらっ!

(玉袋筋太郎)まあ、そっから仲良くなったっつーね。あれも忘れられない飲み会だったね。

(小林悠)いまどきの大学生もそんなこと、しないですよ!

(玉袋筋太郎)若かったんだって。20何年前の話だから。

(小林悠)もー、元気ですねー!私は酔っ払って、みのさんに自分の汚れたズボンを拭いてもらったってことがありましたね(笑)。みのもんたさんに。

(玉袋筋太郎)(笑)。情けねー。すっごい・・・朝ズバッ!

(小林悠)お醤油こぼしたんで、みのさんに拭いてもらったっていう(笑)。懐かしいですね。

(玉袋筋太郎)うれしいじゃないの。そうそうそう。

<書き起こしおわり>

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