荻上チキ 実写版『美女と野獣』を語る

菊地成孔『美女と野獣』エマ・ワトソンの素晴らしさを語る 荻上チキSession22

荻上チキさんがTBSラジオ『荻上チキSession-22』の中でエマ・ワトソン主演の実写版『美女と野獣』についてトーク。アニメ版と比較しながら、今回の実写版について話していました。

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(荻上チキ)僕と南部さんは先週の水曜に一緒に映画を見に行きましたね。

(南部広美)ああ、そうですね。『美女と野獣』を。

(荻上チキ)『美女と野獣(Beauty and the Beast)』。もともとディズニーのアニメーション映画で『美女と野獣』があったわけですけども。まあ、それが今度実写化されて。エマ・ワトソン主演で。

(南部広美)エマ・ワトソンちゃんが。もう『ハリー・ポッター』で最初に彼女に触れているので、「うわー、もう立派な……」って。もう、なんかこうおばあちゃん目線っていうか(笑)。勝手にね、目を細めるっていう状態でしたけど。美しさにね。

(荻上チキ)うん。まあ、そうですね。でも、芯の通った強さみたいなもの。彼女自身がフェミニストとしていろんな発言をしていくっていうのももちろんそうなんですけど、やっぱりいろんな演技をへていった中で自分の特異なあり方っていうのを自己肯定しながら生きていくっていうのをどの時代においても実践するんだっていうような、そんな役回りじゃないですか。『美女と野獣』というのは。

(南部広美)そうですね。

(荻上チキ)ベルという、すごくかわいいとされるんだけども、でも「あの子は変わり者だ」と。なぜならば、夢想家だ。本が好きだ。あんな変わったやつ、いるかと。

(南部広美)まあ当時の時代背景からするとねっていうところがありね。

(荻上チキ)で、マッチョな男性に惹かれるということもないし。あの人、本当に普通と違うねっていう感じで思われていたベルが主人公で。で、魔法というか呪いをかけられた野獣。もともとこれは王子様なんだけど、醜い姿になった野獣と長く暮らしていく中で、最初は人質みたいな感じでとられて、長く暮らしていく中で両者の関係性とか気持ちが変わっていくっていうのがストーリーなわけですよ。

(南部広美)心のふれあいが。

基本的なストーリーはアニメ版を踏襲

(荻上チキ)で、まあ基本的なストーリーはアニメバージョン。約30年ほど前に出されたアニメバージョンをかなり踏襲しているんだけど、細かな表現とかが諸々違っていて。そうした表現の違いとかもすごく楽しめましたね。

(南部広美)うん。「いまになっている」っていう感じでした。

(荻上チキ)もうそれは、言うまでもないことですけども、やっぱり僕、前情報無しで行ったんですよ。ほとんど。今回がどんな映画か?って。で、オープニングでベルが登場してきて。で、街を歩きながら……。

(南部広美)ミュージカル形式で、歌でね。

(荻上チキ)そうそう。図書館に行くっていうシーンを見て、「ああ、ちゃんと実写もミュージカルなんだ」っていうのですっごい安心して。やっぱり元々の曲もとても素晴らしい曲なんですよね。「とってもみんなからは『変わり者だ』と言われるけども、私はその狭い価値観にとらわれたくない」っていうところから出発していって。で、それはどんどんどんどんいろんなもの……たとえば女らしさ、男らしさであるとか、あるいは「いまの時代を生きるならばそんな知識は女にはいらないでしょ?」っていうようなことを言われることに対して「いや、そうだろうか?」っていう風に思うとか。あるいは「醜さっていうものを誰が決めるのか?」とか。そうしたものとかがいろいろ違ってね、面白かったです。

(南部広美)うん。

(荻上チキ)アニメ原作だと、ベルは左利きなんですけども。まあ、エマ・ワトソンが演じるから右利きになっていたりとか。

(南部広美)そこまで見ていましたか(笑)。すごいな。

(荻上チキ)うんうん。「あ、左利きだ」って思って。食事をするシーンで、左手でこうスプーンを使ってスープを飲んでいるシーンがあって。

(南部広美)アニメでね。

(荻上チキ)そうそう。アニメで。で、野獣が違う食べ方をしているから、その食べ方にちょっと寄せた食べ方をして2人で間を取るというシーンがあるわけですよ。で、原作アニメだと最初の食事のシーン、次の食事のシーン、そして3回目の食事のシーンみたいな、3度の反復を繰り返すことによって2人の距離が縮まっていくというのが表されるんですね。

(南部広美)ふんふんふん。

(荻上チキ)最初は食事に誘うんだけども、ベルが頑なに拒むっていうところから出発をするわけですよ。だけど、まあ反復を経て最後は2人のそれぞれの食べ方の間を取った食べ方を実践するというシーンがあるじゃないですか。つまり、覚えてます?

(南部広美)アニメの話でしょ?

(荻上チキ)アニメでもそうだし、実写でもそうでした。

(南部広美)3度の反復……スープの飲み方のところはすごい印象的でした。

(荻上チキ)そうですね。3度目ということになるわけですね。実写の方であそこが3度目にあたるかはさておき。あ、でも3度目かな? そんなに厳密に、今回批評をしようと思って見てないんであれなんですけども、ちゃんと反復に意味を持たせてましたね。

(南部広美)ふんふん。

(荻上チキ)で、原作との違いというのであれば、30年間の変化ということで。それこそ「いろんな生き方があるよね」であるとか、「いろんな人種の人がいるよね」とか。たとえば原作の段階ではいろんな表現にチャレンジをして、ディズニーのその後の「ルネッサンス」と言われた時代があって。『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』。この三部作がそれまでの『白雪姫』『シンデレラ』『眠れる森の美女』。これらのディズニーの古典から比べて「守られる女性」っていう像をまずは変え、それから『アラジン』などによって「人種も多様である」ということを示し、それから女性がよりアクティブに、それから気高いもの同士の恋愛というものも塗り替えていったっていうのが80年代、90年代のプリンセス像だったわけだと。

(南部広美)なるほど。

(荻上チキ)で、それを『アナ雪』とかいろんなものがさらに塗り替えていった以降に『美女と野獣』というのが今回、位置づけられているので。まあ当たり前のように人種多様性、それから性的指向の多様性。それから若干ルッキズムがより批判対象になっているというか。要は、見た目中心主義みたいなものっていうのを塗り替える。だから、エンディングの順番がアニメと実写版でちょっとズレているんですよ。

(南部広美)エンディングの順番?

エンディングの順番

(荻上チキ)エンディングのある行為。もうディズニーのプリンセス物と言ったらあの行為だよねっていう行為があるわけですよ。あるじゃないですか。白雪姫がなぜ生き返るのか? とか、いろいろあるじゃないですか。眠れる森の美女がなぜ、目を覚ますのか? とか。諸々あるプリンセスとプリンスのあの行為があるわけですよ。その行為の順番とか、位置づけとかを見ると、「あ、意図的にこういう風にしているのかな? あるいは、30年をへて、そういった順番になることでより、意味を持たせられているのかな?」っていう風に思ったりするので。

(南部広美)ほー!

(荻上チキ)ちょっとそのあたり、本当にラストシーンだから、ぜひ見比べてほしいなと思いますね。でも、シンプルにね、曲がよりダイナミックになっていたり。

(南部広美)もう画面に圧倒されました。なんか。夢の世界じゃないですか。お城が舞台だったりするので。だから、部屋の作りとか。

(荻上チキ)あと、憎い演出。ディズニーと言ったら最初に「テーテーテーレー、テーテーテー♪」ってカメラアングルがザーッと森から引いていって、城を映してバーンバーン!って花火が上がっていって、ディズニーの映画ですよっていうシーンがあるんだけど、それが実写になっていて。なおかつ、その城がそのまま映画にスーッと行く様とかも含めて、いまの表現とかもすごいなという風に思うわけですよね。

(南部広美)うんうん。

(荻上チキ)まあ、いい映画でした。『ウィークエンド・シャッフル』で宇多丸さんが「あえて、自分が批評するまでもないだろう。誰かがやるから」っていうことでガチャガチャ(ムービーガチャ)を他ので回していたんですよ。だったらちょっとだけ僕が触ろうかなと思って、触れました。まあ、よかったですね。

(南部広美)とっても!

<書き起こしおわり>
https://miyearnzzlabo.com/archives/43286

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