プチ鹿島と加藤弘士 思い出のプロ野球外国人選手を語る

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プチ鹿島さんがTBSラジオ『プチ鹿島のスポーツ紙大将』の中で思い出のプロ野球外国人選手についてトーク。リスナーからの投稿メールをもとに、あれこれおしゃべりしていました。


(山田美幸)さて、番組では今回は初めてメールを募集しております。昨日からメール、みなさんからいただいているんですが、引き続き番組内でもメールをみなさんからいただきたいと思います。今日のテーマなんですが、あなたの思い出の外国人選手を送ってください。

(プチ鹿島)もうね、いいじゃないですか。思い出の外国人選手ですよ。

(山田美幸)はい。「あの選手は忘れられません」、「あの選手のあのプレーに泣きました」、など自由に書いてくださって結構です。

(プチ鹿島)そうです。まあ大ネタでも結構ですし、「こんな人、知ってる?」っていうのでもいいですね。僕、王天上(フランク・オーテンジオ)とか……いましたでしょう? 南海ホークス。

(加藤弘士)ああ、いましたねー。王天上。

(山田美幸)王天上?

(プチ鹿島)はい。当時王貞治さんが現役の時に王さんに負けるなっていうので、当て字で「王天上」。外国の方ですよ。で、そういう選手がいたんです。

王天上


(山田美幸)ああ、そうなんですか!

(加藤弘士)あの音がいいんですよね。ペピトーンとかね。

(プチ鹿島)ペピトーン! いいですね。

(加藤弘士)ミヤーンとかね。

(プチ鹿島)ミヤーン! いいです。大洋ホエールズね。


(山田美幸)すごいな! いろんな名前が出てきますけどね。

(プチ鹿島)たまに全日本プロレスの外国人選手が交じる場合もありますね。僕らの場合だとね。

(加藤弘士)はい。気をつけないと……

(中略)

(山田美幸)さあ、今日は思い出の外国人選手をみなさんにメールで送っていただいております。鹿島さんにとってプロ野球の外国人選手とは、どんな存在になるんですか?

(プチ鹿島)なんなんだろう? もう、身近にいる……ポケット怪獣みたいなの、あったじゃないですか。ああいう親しみを持つ存在ですよね。

(山田美幸)親しみを持つ存在。

(プチ鹿島)だって80年代なんかすごかったですから。どの球団も。なんか、ものすごくメールが来ているみたいなんで。ご紹介しましょうか。

(山田美幸)ご紹介してまいります。まずは東京都世田谷区にお住まいの方。(メールを読む)「思い出の外国人選手、私は元阪神のオマリー選手です。野球はもちろんなんですが、オマリーの歌う『六甲おろし』が破壊的に音痴で、あれは衝撃的でした」ということで……

オマリー

(プチ鹿島)オマリーは、そうですよね。あのパフォーマンスも、あれぐらいからやっぱりね、ヒーローインタビュー面白くなりましたもんね。

(加藤弘士)そうですね。かつね、野球レコード業界でもね、やっぱりリーブラザーズの『ベイスボール・ブギ』とかいろいろ名曲がありますけども。



(プチ鹿島)うんうん。

(加藤弘士)破壊力から言うと、このオマリーさんが歌う『六甲おろし』。

(プチ鹿島)あれはすごかった。ジャイアン級ですよね。まあ、ジャイアンの歌は聞いたことないですけど。

(加藤弘士)タイガースですけど、ジャイアンですね。これね。



(プチ鹿島)そうです。ヘルメットが小さいんですよね。

(加藤弘士)でもバッティングはシュアでしたからね。

(プチ鹿島)オマリーね、いいですね。いいですよ。はい。

(山田美幸)続いては、栃木県の42才の方からいただきました。(メールを読む)「ダントツ一位で、ルー・ミンスー(呂明賜)です。当時のジャイアンツの監督が長嶋さんだったらスーパースターになっていたと思います。投手出身の藤田さんでは、あの逸材を理解できなかったのだなと思います」。

呂明賜

(加藤弘士)なんか瞬間最大風速っていうんですかね? すごかったですよね。いきなりこう、来て。

(プチ鹿島)ちょうどあれ、87年とか8年ですよね。

(加藤弘士)87年がホーナーで88年が呂明賜でしたかね。

(プチ鹿島)で、当時、外国人枠が2人で限りがあって。巨人にはクロマティとガリクソンがもう盤石だったんですね。で、クロマティがケガをして二軍から上がってきたのが呂明賜だったんです。僕、いろいろ野球の雑誌を読むと呂明賜が来日する前から「台湾にとんでもない強肩強打のキャッチャーがいる」って、ワクワクしていたんですよ。で、それを巨人が獲って。ただ、一軍には来ないから、二軍でずっとじゃないですか。で、僕は地元が長野なんですけど、巨人の二軍の試合が来たわけですよ。もう、呂明賜見たさに行きましたもんね!

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(山田美幸)すごい!

(プチ鹿島)で、その3日後に一軍に上がったんです。

(山田美幸)その時はどうだったんですか?

(プチ鹿島)もういきなり初打席ホームランでデビューですよ。

(加藤弘士)またね、フォロースルーがこうね、すっごい豪快な打撃フォームで。


(プチ鹿島)なんか直線でスタンドに飛び込んでいくんですよね。だから僕、当時……週刊ベースボールにも書いてあったんですけど、2週連続で表紙を飾る人って当時はいなかったんですって。だけどそれを呂明賜がその掟を破って。それぐらいのフィーバーだったですよね。

(加藤弘士)はい。

(プチ鹿島)覚えているのが、当時の『夜のヒットスタジオ・デラックス』でオープニングで七夕のコーナーがあって。タレントさんたちが短冊に願いを書くんですよ。で、当時すでに飛ぶ鳥を落とす勢いだったとんねるずさん。石橋貴明さんが「呂明賜になりたい」って書いたんですよ。みんなの憧れ、呂明賜!

(加藤弘士)石橋貴明さんは高校時代の夢が「報知新聞の巨人担当記者」っていうのもあったんですけども。

(プチ鹿島)(笑)

(加藤弘士)そっから「呂明賜になりたい」になったんですね!

(プチ鹿島)でも当時、もうスーパースターですよ。それぐらいの勢いがあったんですよ。

(加藤弘士)『嵐のマッチョマン』がね。

(プチ鹿島)ただ、なんかバッティングフォームがいろいろ直されちゃって、器用にしようとしたら……

(加藤弘士)コンパクトになったら持ち味が……みたいな。ちなみに、いまちょっと私の先輩の記者がね、先日台湾に行ってきまして。来月ですけども、呂明賜があの時を振り返るっていう連載を10回、今度スポーツ報知でやりますので。

(プチ鹿島)待ってくださいよ。マジで!?

(加藤弘士)はい。本人に会ってインタビューしてきましたんで。

(プチ鹿島)うわー!

(加藤弘士)もうこれね、呂明賜ファンの方、ぜひ楽しみにしてください。

(プチ鹿島)これは懐かしいですね! 呂明賜独占インタビューですか?

(加藤弘士)独占インタビューです。はい。

(プチ鹿島)(笑)。ありがとうございます。じゃあ次、どんどん行きましょうか。

(山田美幸)(メールを読む)「加藤さんにも同意いただけるんじゃないかと思うんですが2012年から2013年に西武に在籍したクリス・カーターです」。

クリス・カーター

(加藤弘士)あっ、カーター! 僕は今日はね、カーターTシャツで来てるんですよ、実は。

(プチ鹿島)出た! 本当だ!

(加藤弘士)クリス・カーター。そうなんですよ。

(山田美幸)この方はね、(メールを読む)「仲間を鼓舞するスピーチ、雄叫びをあげてのガッツポーズ、上原浩治並に強烈なハイファイブなど、グラウンドでは熱い選手でしたが、電車で会うとファンが『ハイ、カーター!』と声をかけると『ハイ、マイフレンド!』と返された日には誰だってその選手を愛さずにはいられませんでした」ということで……

(加藤弘士)電車で通っていたからね! はい。あのね、スタンフォード大学で人間生物学を専攻したという超インテリなんですよ。で、なかなか膝の故障と戦いながらだったんですけども、ただいまでも思い出します。2012年の8月23日。県営大宮球場。キャプテン栗山が離脱してですね、ライオンズが二連敗で。すごいピンチにあったんですよ。そんな時にね、試合前に渡辺久信監督が「ちょっとカーター、なんか一言スピーチでもしてくれ」って言ったら、「勝者と敗者の間にはわずか1センチの差しかない。今日はチャンピオンのように戦おう! チャンピオンは諦めないんだ!」ってチームを鼓舞したんですね。そしたらみんな、「ウォーッ!」って盛り上がって、そこからチームが息を吹き返したと言うですね。


(プチ鹿島)すごい! なんですか、その名スピーチ。

(加藤弘士)その名スピーチがこのTシャツになってですね。

(プチ鹿島)はー! 『インディペンデンス・デイ』的なね。カーター大統領の方かと思いましたけどね(笑)。

(山田美幸)「Champions Never Give Up」って書いてあります。

(プチ鹿島)すごい!

(加藤弘士)という、僕にとっては忘れられない。

(プチ鹿島)それがTシャツになっているんですよね。

(加藤弘士)そうなんですよ。

(山田美幸)その思い出の一枚を今日は着てきてくださったんですね。そしてカーターも一度は解雇されたそうなんですよね。引退して就職まで決めながら、日本の独立リーグで現役復帰して。

(加藤弘士)そう。石川の。

(プチ鹿島)独立リーグっていま、熱いんですよね。

(加藤弘士)でね、これもやっぱりカーターは「日本でもう1回、ライオンズに戻りたい。もう1回、あの応援団の中で試合をしたいんだ」っていうことで、石川で、独立リーグでハングリーに牙を研いでいたところをライオンズがまた調査して。チームの起爆剤としてカーターが必要だっていうのをね。私、それをスクープしたんですよ。

(プチ鹿島)スクープですか。

(加藤弘士)「西武 カーター再獲得」っていうのを。そしたらね、ヤフートップになって、検索ワードの一位に「クリス・カーター」が来たんですよ。

(プチ鹿島)クリス・カーター、来ましたか! これは記者冥利に尽きますね。

(加藤弘士)記者冥利に尽きる。いちばん僕、記者をやっていてうれしかった瞬間ですね。

(プチ鹿島)はー!

(山田美幸)それだけライオンズ愛にあふれた選手だったんですね。

(加藤弘士)ナイスガイでした。

(山田美幸)この方も西武プリンスドームに行く時はかならずカーターTシャツを着ていくそうですよ。お揃いですね。

(加藤弘士)(笑)

(プチ鹿島)グッズが大化けしていく様って面白いですよね。野球とか、野球以外でもそうですけどね。

(加藤弘士)だから僕はカーターを通じて、それまでは「助っ人、助っ人」って言っていたんですけども。助っ人じゃなくてね、本当にチームの中核をなすものを。お雇い外国人じゃないんだぞっていうことをカーターを通じて知ったっていう……

(プチ鹿島)「助っ人」だとね、なんか別枠ってなっちゃいますもんね。

(山田美幸)という鹿島さんも今日はドラゴンズTシャツじゃないですか。

(プチ鹿島)ビシエドです。

(加藤弘士)ビシエドTシャツ!

(プチ鹿島)ビシエド、今年出だしよかったですよね!

(加藤弘士)すごかったですよ。すごいの獲ったなって思いましたけどね。

(プチ鹿島)そうですよ。で、この間ナゴヤドームで中日・広島戦を見にたんですけどね。ビシエドTシャツを着ていったら、いま、いなかったんですけどね。

(加藤弘士)(笑)

(プチ鹿島)ちょっとこの機会だから聞きたいんですけど。この間、『Session-22』でセ・リーグをわいわい語るっていうのがあったじゃないですか。

(加藤弘士)DeNAとかね、ヤクルトとか。

(プチ鹿島)加藤さんが仕切って。でね、聞いていてすごく楽しかったんですけど、ひとつ気になったのが中日の話題が一切出なかったんですよ。

(加藤弘士)(笑)。たまたまではあるんですけどね。

(プチ鹿島)中日はいま、どうなっているんですか?

(加藤弘士)やっぱりなかなかね、いまややもすると各球団、フロントを含めてみんなで……

(プチ鹿島)落合GMとかがどうなるとか……気のせいかもしれないですけど、スポーツ報知が報じる中日の内紛ってすごく嬉しそうなんですけど。気のせいですか?

(加藤弘士)いやいや(笑)。たしかに、アクセス数とか常に一位なんですよね。

(プチ鹿島)やっぱり落合GM、白井オーナー。で、次期監督って。

(加藤弘士)キャラがみんな濃くて、キャラが立っていて。で、やっぱりもともとが中日新聞社ですから。普段はずっと取材をしていた方ですよね。やっぱり、取材をされるとひとつの恍惚感というのか……

(プチ鹿島)ああ、オーナーが?

(加藤弘士)やっぱり、割とリップ・サービスをしちゃうようなところもあるんですかね?

(プチ鹿島)だからそれ、よくナベツネさんも言いますよね。ナベツネさんってもともと記者だったから、ずっと張り付いていたから。どんなに酔っ払っても記者が待っていると余計なことを言うんですよ(笑)。

(加藤弘士)まあまあまあ(笑)。とは言えないですけど、まあひとつ……

(プチ鹿島)まあまあ、しゃべる。取材拒否はしないという。中日がね、だからね、なんかスポーツ新聞で読む中日情報がいま熱いんですよ。

(加藤弘士)あとはやっぱりね、私、スポーツ報知。ジャイアンツの報道の人間だから言いますけどね。やっぱり中日が強くないとね、セ・リーグは面白くないですよ。

(プチ鹿島)やっぱりこれだけみんな気になるっていうのは、落合中日ってすごかったじゃないですか。

(加藤弘士)不気味でね。

(プチ鹿島)すごかった。で、そんなにリラックスして試合を見れない。緊張感のある ……映画でも疲れる映画と面白い映画ってありますけど。疲れて最高な試合ですよね。

(加藤弘士)やっぱりうちの記者なんかも中日に負けるのがいちばん悔しくて。中日に勝つのがいちばんうれしかったっていうね。

(プチ鹿島)今日の仙ペン、仙道(学)さんが書いてましたね。「落合中日に勝つのがいちばんうれしかったし、負けるのがいちばん悔しかった」。そういうの、ありますよね。

(加藤弘士)そういう存在でね。なにをやってくるかわからないような不気味さっていうのがね。

(プチ鹿島)いやー、これ盛り上がるな。しばらく。

(山田美幸)盛り上げてくださいね。紙面で。みなさんの思い出の外国人選手、この後もどんどんご紹介してまいりたいと思います。

(中略)

(山田美幸)(メールを読む)「ホークスに2年だけ所属していたグーリンという投手が思い出深いです。不思議なフォームから繰り出される遅い遅いストレートと変化球で打者を翻弄していく様が見ていてとても痛快でした」。

(プチ鹿島)はー! それはソフトバンクの頃ですかね? ちょっと待って下さい……南海からありますからね。

(加藤弘士)ダイエーからソフトバンクの04、05ですかね。

グーリン



(プチ鹿島)グーリンをいま、探しています。

(山田美幸)では、分かり次第お願いします。(メールを読む)「ファイターズファンの俺はターメル・スレッジ選手を挙げたいと思います」。

(加藤弘士)スレッジハンマー!

(プチ鹿島)来ましたよ!

(山田美幸)「……2009年のクライマックスシリーズで楽天の福盛投手から打った逆転サヨナラ満塁ホームラン、お釣りなしが忘れられません」。

ターメル・スレッジ



(加藤弘士)当時ね、私楽天の野村番記者で。「福盛の21球」っつって、いまだに語り継がれてますね。

(プチ鹿島)福盛の21球(笑)。

(加藤弘士)僕、だって楽天の勝ち原稿を半分ぐらい書いてましたからね。全部書き直しですよ。

(山田美幸)そういうの、書いちゃいけないんですよ。

(加藤弘士)準備するとロクなことがないっていうね。スレッジには教えてもらいました。

(プチ鹿島)日ハムはそういう長距離打者、たまにすごいのが出てきますけども。ソレイタ、ウィンタース。いいじゃないですか。

(加藤弘士)ソレイタなんか活躍した時には「ソレイタ、恐れ入った」っていうね、見出しが立ち上がりましたからね。

(プチ鹿島)オヤジジャーナル系のね、スポーツ新聞、大好き。そんな見出し。

(加藤弘士)「そんな、アホーナー」みたいなね。

(プチ鹿島)あ、ホーナー。

(加藤弘士)ファイターズ、いいですよ。

(プチ鹿島)ファイターズ、いいですよね

(山田美幸)(メールを読む)「私の思い出の外国人選手は広島のアイルランドです。デッドボールに鬼のように真っ赤になって激昂し、ピッチャーを追い回し、帽子が脱げてハゲ頭が露出するコントみたいなシーンをすごく覚えています」って。

アイルランド 乱闘


※5:30からスタートします

(プチ鹿島)いいですねえ。アイルランド。

(加藤弘士)いい外国人選手でしたよね。

(プチ鹿島)83年からいました。これ。この後にランスですよね。

(加藤弘士)そうですね。純血時代を経て、ランス、ジョンソン時代になるんですよね。

(プチ鹿島)ライトルっていうのも僕ね、覚えているんですよ。野球を好きになり始めた頃にね。外野手でライトルっていうのがいたんです。

(加藤弘士)カープはやっぱり獲り方が上手いんですよね。

(プチ鹿島)ケサダっていう名前も覚えていますね。

(山田美幸)(メールを読む)「私の思い出の外国人選手は元阪神のムーアです。ムーアは先発ピッチャーとして2000年代に活躍した選手ですが、実は打撃の方でもかなり打ち、8番藤本が送りバント、9番ムーアがタイムリーを打つシーンもよくありました」。

(プチ鹿島)(笑)

ムーア バッティング



(加藤弘士)いまね、8番小林が送りバントして9番菅野が打つっていう。まあ、ムーアは先取りしていましたね。それを。

(プチ鹿島)ムーア、いいなー! 阪神もやっぱり、それこそバッキーからの外国人投手の伝統、ありますよね。

(加藤弘士)ねえ。ゲイル、キーオ。

(プチ鹿島)メイっていうのもいましたね。メイ、好きだったですね。僕ね。

(山田美幸)続いてまいりましょう。(メールを読む)「思い出のというか、インパクトの大きかった外国人選手は巨人のガルベス投手です。96年のメークドラマに貢献するなど成績面での活躍もすごかったですが、なんといっても99年甲子園で起こした大乱闘はいまでも鮮明に覚えています。あの温和な長嶋監督がめちゃくちゃ怖い顔をしていたり、審判に向かってものすごいボールを投げちゃったり。吉原選手が出血しちゃったり。『これってテレビ放送していいの?』と思うレベルの大事件。『巨人軍は紳士たれ』なチームにとって、今後こういう選手は出てこないだろうなと思っています」。

(プチ鹿島)あれ、ガルベスがすごかったのは鳴り物入りで来たわけじゃないんですよね。あれ、練習生かなんかで、キャンプでテストを経て入ったんですよ。で、投げさせてみたらものすごい主軸になったんですね。

(加藤弘士)そうですね。エース格でしたからね。

(プチ鹿島)そうそうそう。

(加藤弘士)ただ、やっぱりあの騒動はね、覚えてますね。

(プチ鹿島)甲子園でね。(審判に向かってボールを)投げて。あの時のコントロールは悪かったんですよね。

ガルベス 乱闘



(加藤弘士)(笑)

(山田美幸)次に行きましょう。(メールを読む)「私の思い出の助っ人外国人選手は大洋ホエールズのレイノルズ選手です。レイノルズ選手は私が田舎から上京してプロ野球を観戦し始めた時に最初に衝撃を受けた選手で、守っては強肩、俊足にシュアな打撃と三拍子揃っていましてかっこいいな! とひと目でファンになりました」。

レイノルズ


(加藤弘士)いいですね。この頃はレイノルズとかブラッグスとかローズとかね。みんな百発百中でいい選手がいましたね。

(プチ鹿島)すごい。ブラックスの打撃フォームってかっこよかったでしょう? スラーッとして。それが、『もしドラ』っていう映画、あったじゃないですか。『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』っていう。

(加藤弘士)岩崎夏海先生の。

(プチ鹿島)前田敦子さんが実写でやったんですけど。で、女子マネージャー役だったんです。で、前田敦子さんのバッティングフォームを見たら、ブラックスそっくりだったんです。

(加藤弘士)ブラックスそっくり(笑)。

(プチ鹿島)ちょっと映画館で泣きそうになりましたよ。「ブラックス、ここにいたよ!」っていう。本当にね、堂々としたバッティングフォームでしたよ。

(加藤弘士)さすがね、センターを務めているだけありますね。

(プチ鹿島)いま上手いこと言った! いま上手いこと言った!

(加藤弘士)流してください(笑)。

(山田美幸)(メールを読む)「ヤクルトにいた外国人選手で思い出すのは92、93年の優勝に貢献したジャック・ハウエル。シーズン当初はダメかな? と感じていたんですが、大活躍。本塁打王と首位打者獲得でシーズンMVP。顔はケビン・コスナーに似ていたのと、応援団の応援マーチが好きでした」。

ハウエル



(山田美幸)あと、この方は88年のダグ・デシンセイも。

(加藤弘士)デシンセイ! 東京ドーム公式戦第一号ね。

(山田美幸)はい。(メールを読む)「……公式戦第一号のホームランを打った際に実況アナが『さすが大リーグは強~い!』と絶叫していたのを思い出します」という。

デシンセイ



(プチ鹿島)まだ「大リーグ」って言っていたころですね。

(加藤弘士)ホーナーの翌年なんですね。デシンセイはね。東京ドーム元年だったんで。デシンセイとハーパーは。

(プチ鹿島)アイケルバーガーとかいましたよね。開幕戦で暴投して負けた投手。

(加藤弘士)名前もいいんですよね。アイケルバーガーっていうね。

(プチ鹿島)ヤクルトの外国人スカウトっていうのはやっぱりすごいですよね。

(加藤弘士)そうですね。ホーナーを獲ってきた中島国章さんがね……

(プチ鹿島)去年、本を出されているんですね。『プロ野球 最強の助っ人論』。『なぜヤクルトの外国人選手は”アタリ”が多いのか?』っていうのがサブタイトルでついているんですけど。面白かったのは性格を調査するっていうのもあるんですが、奥さんを見るっていうのも書いてあるんですよね。いろんなポイントの中で。奥さんがやっぱりどんな環境でも楽しめそうなストロングワイフかどうか。やっぱり本人がやる気満々で異国、外国に行って、奥さんが「なんだよ……」とか言っていたら、やっぱり仕事に影響するから。奥さんがノリがいいか、協力的かっていうのもすごい面談でチェックするんですって。

(加藤弘士)いやー、まさにマイコラス。マイコラス、最たる例ですよ!

(プチ鹿島)まあ、あれは想定外でしたけどね(笑)。まさか奥さんの映画の記者会見にマイコラスが出るとは思わなかったですね。あれね。

(山田美幸)ということで、思い出の外国人選手。みなさんから送っていただきましたメールをご紹介させえていただきました。本当にたくさんのメールをお送りいただき、ありがとうございました。

(鹿島・加藤)ありがとうございました。

(中略)

(プチ鹿島)ありがたいことにメールをいただいております。斎藤文彦さんという方から……

(加藤弘士)週プロでコラムを書いていた、あの?

(プチ鹿島)いま、いろいろ週プロを辞めた後にフリーになられてどんどん本を出されているカリスマライターです。斎藤文彦さんが「思い出の外国人選手はじゃじゃ馬ペピトーン。ヤクルト・アトムズ。この選手のニックネームで”じゃじゃ馬”という単語に興味を覚え、自分もじゃじゃ馬になろう。じゃじゃ馬と呼ばれるようになりたいと思いました」と。

じゃじゃ馬ペピトーン


(加藤弘士)はー!

(プチ鹿島)でね、このさっきの中島国章さん。ヤクルトのスカウトをずっと担当された方が本を出しているんですけど。そこで最悪の外国人選手っていうのでペピトーンを挙げているっていう(笑)。

(加藤弘士)(笑)

(プチ鹿島)だからもちろん、じゃじゃ馬って言うぐらいだから言うことを聞かないんですって。で、プライドも高いし日本をナメてきて、でもやっぱり能力はすごいから、とんでもないプレーをするから。そこを含めてじゃじゃ馬と呼んだんでしょう。

(加藤弘士)だからやっぱりね、優良外国人ってそれはそれでいいんですけど、そうでない破天荒な選手たちを楽しむっていうのも、これまたプロ野球のひとつの妙味なんですよね。

(プチ鹿島)近鉄系で多いですけどね。「ロッカーが汚い!」って言って帰っちゃったりね。

(加藤弘士)ああー、いましたねー。

(山田美幸)本当ですか?

(プチ鹿島)いますよ、いますよ。

(加藤弘士)そういう意味で、フランシスコを楽しめたっていうのは僕らもね。

(プチ鹿島)フランシスコは僕、好きなんです。ちょっとこれ、外国人特集、収まりきらないんで。またやりたいですよね(笑)。

(加藤弘士)(笑)

(山田美幸)そうですよね(笑)。ということで、あっという間の1時間でした。

(プチ鹿島)あっ、もう終わり?

(加藤弘士)ちょっと待って! 荻上(チキ)さんに言って、外国人選手特集、お願いしましょうよ。

<書き起こしおわり>

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