毒蝮三太夫 「ジジイ、ババア」と言い始めたきっかけを語る

毒蝮三太夫 「ジジイ、ババア」と言い始めたきっかけを語る ジェーン・スー 生活は踊る

毒蝮三太夫さんがTBSラジオ『ジェーン・スー生活は踊る』の中でリスナーからの質問に回答。「ジジイ、ババア」と言い始めたきっかけについて話していました。

シルバー川柳特別編 ババァ川柳

(ジェーン・スー)そういうね、最初の頃の放送について、メールが来てるんです。「僕は番組を聞いていていつも不思議に思うんですが、いまでは当たり前になっている『ジジイ、ババア』というのは放送当初から言っていたのでしょうか? 『ジジイ、ババア』と言って怒られたこと、なかったですか?」ということで。

(毒蝮三太夫)あの、最初にスタジオで相手をしてくださったのは近石真介さんっていう、いまでも俺より3つか4つ上なんだけどお元気なんですよ。近石さんなんだけど、俺のおふくろが死んだ時に……(昭和)48年に死んだのね。だからおふくろが75、6で死んでるんですよ。その時に俺、30いくつだから、70の人でもおばあさんに見えるじゃないですか。それでその人に会ったら、その人がいやに元気だったんだ。「うちの狸ババアは死んだけど、このババアは元気だな!」って言ったのが最初じゃないかな?って(近石さんが)言ってくれるんだけど……

(ジェーン・スー)そうなんだ!

(毒蝮三太夫)その方がわかりやすいよね。だけど俺は下町の俺の同級生やなんかが、「お前、しゃべり方、普段のお前のしゃべり方と違うじゃねえか」って言われたのよ。それもあるね。

(ジェーン・スー)ラジオだといつものマムシさんが出てないよっていう感じだったんですね?

初期ミュージックプレゼント

(毒蝮三太夫)いやいや、最初は俺、「今日はいいお天気ですね。それでは1曲おかけしましょう」って……

(小笠原亘)またまた!

(毒蝮三太夫)いや、そうよ。

(ジェーン・スー)今度、それでやってくださいよ!

(毒蝮三太夫)そうよ。だって俺、マイクを持つ手が震えていたっていうぐら上がってるんだもん。

(ジェーン・スー)あらー、初々しい時代が……

(毒蝮三太夫)いや、当時はそうですよ。生放送っていうのは。で、相手だって生放送に慣れてないから、ビクビクしてんだよ。だから当時の録音を時々聞いたことがあるけど、面白くもなんともないよ。

(ジェーン・スー)真面目な中継?

(毒蝮三太夫)普通の……要するにね、いまはレポーターって当たり前だよね? それから、スタジオはパーソナリティーって言うけど、その当時はそんな言葉、ないよ。

(ジェーン・スー)司会とかですか?

(毒蝮三太夫)まあ、パーソナリティーがかろうじてあったぐらいかな? それで俺はスタジオの近石さんが本店の役。本店のオーナー、店長。で、「今日は御用聞きはどこに行ったかな?」っていう。だから俺は御用聞きよ。

(ジェーン・スー)なるほど、なるほど。

(毒蝮三太夫)「こんちは! 今日はご注文、ありますか?」って聞きに行ったわけ。それで要するに47年前なんていうのはみなさん、携帯電話もないわ、それからカセットもないわ。お家で仕事をしている人はもうラジオをかけながら仕事している人が多い。工場の人はラジオを聞きながら仕事をしている人も、聞けない人もいらっしゃる。で、TBSへは来られないから、だったら俺が出かけて行こうっていうんで。それで、(曲を)おかけしますよって、ミュージックをプレゼントしますよっていうんで、『ミュージックプレゼント』というタイトルがついたのよ。

(ジェーン・スー)なるほど!

(毒蝮三太夫)そこでみなさんに聞かせてあげますと。聞きたいレコードを持っていない時代だから。

(ジェーン・スー)ねえ。メールだ、FAXだっていう時代でもないですから。マムシさんが直接行って、リクエストを聞いて。

(毒蝮三太夫)それでみなさん、曲がかかっている間にみんなで聞いていたんだ。

(ジェーン・スー)うーん!

(毒蝮三太夫)いま、誰も聞かなくなっちゃった(笑)。

(ジェーン・スー)(笑)。いま、マムシさん目当てになっている。

(毒蝮三太夫)それで、もう本当に悪いんだけどね、その間に俺がしゃべっていたりなんだりさ。それで曲が終わる頃に、「じゃあ、リクエスト!」って言っちゃったりね。だから、亘やなんかに悪いなと思ってんだよ、本当に。スーちゃんにもね。だから、できるだけ曲を大事にしたいんだけども、時間がなくて。それでそこでしゃべっている人は一期一会で。その時間しか会えないわけだから。そのレコードはまた後でも聞きなさいよ! みたいな。だけどやっぱり、あのレコードが流れることによって話のリズムがそこで膨らんだり。それから、運転している人は一息ついたりっていうことがあって。それで、3曲流していたのよ。

(ジェーン・スー)最初の頃は。

(毒蝮三太夫)最初は30分あったから。CMがあるから、28分くらいね。28分をだんだん切り売りしているうちに短くなっちゃって、いまみたくなっちゃった(笑)。

(小笠原亘)3曲いくってすごいですね。

(毒蝮三太夫)で、現場で2曲流して、スタジオの近石さんがお手紙を読んで1曲流して……って。

(ジェーン・スー)その時は現場の人たちはみんな神妙な面持ちで聞いていたんですね。曲を。

(毒蝮三太夫)そうそう。それでリクエストした人は、誰かがしゃべっていると「私、聞いてるんだから。黙って!」って言う、そんな時代があったよ。

(ジェーン・スー)へー!

(毒蝮三太夫)いまはもう、みんなワーワー言ってるから、誰も聞いてない。だから、そういうラジオを聞いている人は聞いてるんだけどね。まあ現場は俺がいるから。みんな、俺としゃべりたいとか、俺と会いたいっていう人で。だけど、俺あとで録音を聞いたりなんかすると、「ああ、いい曲がかかってるな!」と思う時があるよ。

(ジェーン・スー)うんうん。

(毒蝮三太夫)で、やっぱり曲に思い出があっていまかけているわけだから。結婚式とか、死んじゃったお父さんが好きだった歌だったとか。いま、会えないあの人はこの歌が好きだったけど、あの人に贈りたいとかだってあるじゃない? あの人の好きな歌って。だから、そういう意味でもっともっとちゃんとかけないといけないなって。なるべくそうやっているんだけど、話すこともとっても大事な時間だから。だからいま、そのせめぎあいで。だから、亘さんには随分苦労をかけている。

(小笠原亘)いやいやいや(笑)。

(ジェーン・スー)あの「『愛してる』って言ってやれ」はいつぐらいから始まったんですか?

「愛してるよ」と言わせる

(毒蝮三太夫)あれはね、あれは……400年ぐらい前だな(笑)。

(ジェーン・スー)(笑)

(毒蝮三太夫)あのね、これも20年ぐらい前だな。最初、そんなこと言う暇もないし。日本人って言わないじゃないですか。

(ジェーン・スー)そうですね。

(毒蝮三太夫)ましてや、当時の70、80の人はカミさんの名前も言わないよ。

(ジェーン・スー)ねえ。いまでも「ちょっと、いいよ」って言う人いらっしゃるんで。びっくりしますよね。

(毒蝮三太夫)「言ったことない」っていう人が多いんだよ。

(ジェーン・スー)はー!

(毒蝮三太夫)明治、大正生まれの人はほとんど言ったことがないよ。

(ジェーン・スー)奥様のお名前を?

(毒蝮三太夫)うん。で、奥さんも「旦那の名前は?」って聞いたら、「忘れちゃった」とかね。

(ジェーン・スー)ねえ。いらっしゃいますもんね。

(毒蝮三太夫)いたよね。だからね、そういう時代だから、それはそれでよかったのよ。だけど俺、考えてみたら、これはね、ラジオで言われたり、人から聞いたりなんかしたら、とっても直接言われなくてもうれしいんじゃないかな?って。だったら日本人は「言わぬが花」という時代じゃないんじゃないか? 言った方がいい。いくら近い奥さんでも、「ありがとう」とか「君がいないと寂しいよ」とか。夜に「おやすみなさい」とか「いただきます」とか。なんかいろんなことはもう口に出して言う時代。年寄りは、あえて言った方がいい。

(ジェーン・スー)あれで助かっている人、たくさんいますよね。マムシさんに言わされたっていうテイで、いつもの感謝を伝えたりとか。

(毒蝮三太夫)そうそう。いつも40年間、奥さんに一言も言わなかったとか。それで言ったとかね。

(ジェーン・スー)泣いちゃうんじゃないの?(笑)。

(小笠原亘)マムシさんは毎日、奥様に「愛してるよ」って言ってるってことですか?

(毒蝮三太夫)それがね、なかなか言えないの(笑)。

(ジェーン・スー)なにやってるんですか!(笑)。

(毒蝮三太夫)だから、ラジオとかテレビに出た時にうまいこといってるよ(笑)。

(ジェーン・スー)(笑)

(毒蝮三太夫)だけどほら、うちのに暑中見舞いを書いたりなんかしてね。それで、たとえばね、亘の奥さんはなんて名前?

(小笠原亘)かおり(笑)。

(毒蝮三太夫)かおり。かおりね。「かおりさん!」って言うじゃない。で、「名前は?」っつったら、「小笠原です」って言うじゃない。したら、「いやいや、下の名前だよ。なんていうの?」「かおりです」「かおりさんっていうの?」って言ったら、顔がポーッとね、赤くなるよ。70、80のお年寄りのおばあさんが。

(ジェーン・スー)そうなんだ。だからみんな、下の名前で紹介してるんですね。

(毒蝮三太夫)そうなの。

(ジェーン・スー)妙にあそこだけ、少女っぽいですもんね。皆さんね。

(毒蝮三太夫)そうだろ? 男もさ、「ウチのカミさん、名前を言った時に……」って。いま亘だって「かおり」って言った時のあの初々しい顔(笑)。

(小笠原亘)ラジオでよかった(笑)。

(ジェーン・スー)じゃあ、亘さん。亘さんはここで言ってもらわないとね。これはね。

(小笠原亘)うちはもう、毎日言ってるから。もうそんなの……

(毒蝮三太夫)じゃあ、改めて言えよ。「かおり、いつもありがとうね。愛してるよ」って。ほら、早く。ほら!

(小笠原亘)かおり、いつもありがとう(笑)。

(毒蝮三太夫)笑いながら言ってるんじゃないんだ!(笑)。

(ジェーン・スー)(笑)

(毒蝮三太夫)いや、だからこれね、奥さんっていう人はまたラジオとかテレビでね、3クッションで言われるとこれがまた効果があるんだ。直に言われるよりも。直で言われてもいいんだけどね。直じゃなくて、婉曲に言われるとこれがまたいいんだ。というようなことをね、俺はなんとなく悟ったんだろうね。20年ぐらい前に。それで、「言え!」っつって。それで、言わないで曲がかかっちゃうじゃないですか。終わっちゃうじゃない。で、最後の時に「名前、言ったよ、こいつ。もう1回、言え」っつったら言う時、あるじゃない?

(ジェーン・スー)あります、あります。

(毒蝮三太夫)スーちゃんが「言わないで終わっちゃった」って思っているから。それでフォローで言うんですよ。「いま、ラジオはかかってないから言っていいよ」って言うと、「そう? かずみっていうのよ(笑)」なんつって。そいで俺が本番で、「かずみさんがお送りしました!」「あら~!」なんつって。で、放送が終わる。

(ジェーン・スー)(笑)

(毒蝮三太夫)だから、「ラジオがかかってないよ」とか「いまマイク入ってないよ」っていうと、向こうも気を許して。でも、本当に言ってほしくないことは言っちゃいけませんよ。それがルールですよ。たとえば、「私は保釈中の身だから。いま、名前は言えない」とかね。

(ジェーン・スー)なるほどね。執行猶予中の人とかね。

(小笠原亘)そんなこと、ないですよね? いままで。

(毒蝮三太夫)いやいや、あった。あった。

(ジェーン・スー)いろんな人がいるからさ。

(毒蝮三太夫)だって47年やってるから。あのね、「マムシさんよお……」って言うんだよね。放送が終わって。「えっ、なに?」っつったら、「いや、俺よお、一昨日出てきたんだよ」って。だから、檻の中から出てきたのね。檻の中っつったって、熊じゃないよ(笑)。

(ジェーン・スー)(笑)

(毒蝮三太夫)鉄格子だよ。ねえ。刑務所から出てきて。「ああ、そうですか」「いや、なあ。刑務所の中でよ、おめーの放送が流れるんだよ」「ええっ? 本当?」っつったらね、「収監されている人間がよ、あのコーナーを流せ!ってみんなで言ってね、流してもらってんだよ。だから、聞いてんだよ。ずーっと聞いてたよ、お前」って。それはさ、本番じゃなくてよかったよ(笑)。

(小笠原亘)そうかー……

(毒蝮三太夫)やっぱりその方のね、プライバシーもあるし。それから、やっぱりそれはある意味ではラジオには出ないっていう話をしてくれているわけでは。そういう点で、そういう話もありましたよ。

<書き起こしおわり>

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