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松尾潔 永六輔と大橋巨泉を追悼する

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松尾潔さんがNHK FM『松尾潔のメロウな夜』の中で亡くなった永六輔さんと大橋巨泉さんを追悼。松尾さんが選曲した曲を捧げていました。


(松尾潔)さて、まずお届けするお知らせ……これは本当に悲しい知らせですね。永六輔さんと大橋巨泉さんというね、僕にとってはもう本当、音楽的な影響を与えてくれた2人の昭和一桁生まれの男性がお亡くなりになりました。先月のことです。永六輔に関してましては、僕はいろんな偶然が重なりましてね。まだ小学生の低学年のころに一度お目にかかることがありまして。それから30年ぐらい間をおいて、そうですね。この10年弱ぐらいですかね。何度かご一緒させていただいたり。

中でも印象的だったのは、2年前にデューク・エイセス。活動60周年という節目のそのタイミングでプロデュースという、本当に僕にとっては光栄な機会をいただきまして。それでその時に、「ぜひに」ということで永六輔さんのオリジナルで知られます『生きるものの歌』。この『生きるものの歌』をデューク・エイセスでレコーディングいたしました。で、その時に永さんご自身に語りを入れてもらったんですね。まあ、いまとなっては最初で最後の一緒のレコーディングだったんですが、なにより永六輔さんの音楽的な功績を考えますとね、永さんと同じ空間で同じ曲を一緒に作ることができたというのは、本当に僕は幸せだったと思いますね。

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デューク・エイセス『生きるものの歌』(語り:永六輔)



そして永さんと同世代ですね。永さんが1933年。昭和8年生まれ。そして昭和9年生まれ……まあ、学年で言うとお二人は一緒なんですね。大橋巨泉さん。この大橋巨泉さんもお亡くなりになりました。これも先月のこと。それぞれ7月7日、7月12日。お二人は星になりました。大きな大きな星ですね。巨泉さんについてもこの番組でお話したことが1度だけあります。2010年の3月の終わりにこの番組は始まりましたけども、2回目の放送でヘレン・メリル(Helen Merrill)の『You’d Be Nice to Come Home To』という曲をご紹介しました。

クリフォード・ブラウン(Clifford Brown)との共演であまりにも有名なジャズ・スタンダードですが。まあ第二次大戦前、1943年にできた曲ですけども、それが1950年代にヘレン・メリルのバージョンで広く世に知られることになった。日本で知られることになった。これは本当、本国アメリカよりも日本で特に愛されたということで、ジャズファンの間では語り草になっているんですが。その時の邦題をつけたのが当時、ジャズ評論の世界にいらした大橋巨泉さんですね。『You’d Be Nice to Come Home To』。これはもう、第二次世界大戦の戦地にいる兵士が故郷を思う歌で、「あなたの待つところに帰れたら、どんなにうれしいだろう、素敵なことだろう」っていうのが本来の意味なんですけども……巨泉さんは『帰ってくれたらうれしいわ』って言うね。男の人を待つ女の人の心情みたいに訳しちゃったんですね。

で、後に巨泉さんご本人が「あれは間違っていた」っていう風におっしゃっていたんですけども、なかなかどうして。この天下の誤訳。こちらの方がロマンチックじゃない?っていうような……当時、この日本語タイトルのイメージに引き寄せられるようにして、ヘレン・メリルの歌が愛されたということは事実として残っていますからね。そういったムードをすくい上げるのが大変達者。そしてそこに言葉を与える、言語化するっていことに長けた人だったんだなという気がいたします。永さん、大橋巨泉さん、お二人に通じる、言葉の人であり、行動の人であったと。本当に僕も、彼らの背中を見ながら、これから音楽の道を歩んでいきたいと思いますが。

では2曲、続けてご紹介したいと思います。まず、これは永さんに捧げる曲。名コンビ、中村八大さんとのなんと言っても1曲となれば、『上を向いて歩こう(Sukiyaki)』という曲が思い出されるわけなんですが。この『Sukiyaki』をルワンダの男性シンガー、コルネイユ(Corneille)。まあ、ルワンダというかカナダのケベック州モントリオールで活躍している、本当にフランス語圏でスーパースターですね。コルネイユとレコーディングした『Sukiyaki Lonely Nights』。2009年のレコーディング作品。そしてもう1曲。ヘレン・メリルとクリフォード・ブラウンの名演です。『You’d Be Nice to Come Home To(帰ってくれたらうれしいわ)』。2曲続けてどうぞ。

Corneille『Sukiyaki Lonely Nights』


Helen Merrill with Clifford Brown『You’d Be So Nice To Come Home To』



先月7月に相次いで亡くなられた2人の大きな大きな存在。永六輔さんと大橋巨泉さん。お二人に捧げる意味を込めて聞いていただきました。コルネイユ『Sukiyaki Lonely Nights』。ヘレン・メリルとクリフォード・ブラウン『You’d Be Nice to Come Home To』。巨泉さんに言わせると『帰ってくれたらうれしいわ』でした。この2曲、永さんと巨泉さんは仲がよかったわけですけども、この2曲も実はご縁があります。というのは、ご存知のように『Sukiyaki(上を向いて歩こう)』っていうのは日本の曲というかアジアの曲として唯一のアメリカチャートナンバーワンになった曲ですね。その坂本九さんのバージョン、1963年にナンバーワンになった時に、それまで3週連続かな? 1位だったティーンエージャーシンガーのレスリー・ゴア(Lesley Gore)の『It’s My Party』っていう。『涙のパーティー』っていう邦題がついていますけども。『It’s My Party』を蹴落としての1位だったんですね。



で、そのレスリー・ゴアの曲のプロデューサーとしてはじめてのナンバーワンヒットに酔いしれていたのが当時30才になったプロデューサー、クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)でした。で、クインシー・ジョーンズにとってポップス畑のヒットとして超初期の作品になるんですね。まあ後に、マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)の『Thriller』で名実ともに世界一レコードを売ったプロデューサーということになるわけです。そのクインシー・ジョーンズ、もともと出自がジャズであることはよく知られた話ですけども。ヘレン・メリルとクリフォード・ブラウンのこのアルバム、あまりにも有名な『Helen Merrill with Clifford Brown』。1955年にリリースされていますけども。レコーディングが54年の暮れのこと。



プロデューサーといいますか、アレンジャーとしてアルバムで冴えまくっていたのがクインシー・ジョーンズ。時に21才でありました。ヘレン・メリルもクリフォード・ブラウンもみんな20代。ただ、名トランペッターのクリフォード・ブラウンは56年に交通事故で亡くなってしまいますから、このクインシーを加えたトリオというのはもう再現することはありません。そういう歴史のいたずらのようなことがあるんですけども。そのクインシー・ジョーンズと永六輔、中村八大。みなさん同世代ですよ。クインシー・ジョーンズと永さんは同じ1933年生まれ。一瞬交錯したんですね。アメリカのチャートの、しかもてっぺんで。本当にね、50年以上経ったいま、こうやって話してもスリリングなお話です。

<書き起こしおわり>

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