堀込高樹の悩み相談『東京への断ち切れない未練(46才男性)』

堀込高樹が語る『自分の好きな音楽を子供と一緒に楽しむ方法』 ジェーン・スー 相談は踊る

KIRINJIの堀込高樹さんがTBSラジオ『ジェーン・スー 相談は踊る』に出演。46才男性からの相談『地元に戻って働き、家庭もあるが東京への未練が断ち切れない』に対して回答していました。

(ジェーン・スー)続いての相談に行きましょう。46才男性の方からです。ちょっと長いメールなんで、私が読ませていただきますが、よろしくお願いします。

(堀込高樹)はい。

(ジェーン・スー)(相談メールを読む)『はじめまして。自分のこれから、もしくはいまの生き方、それとスーさんに対しての思いに対して相談したいと思います。私の住んでいるところはTBSラジオが放送されていない田舎ですので、つい最近までスーさんの存在を知らずに暮らしてきました。スーさんを知ったきっかけは土岐麻子さんのアルバム「Bittersweet」です。ずっと前から土岐さんのファンでしたので、今回のアルバムも配信と同時に購入。夏に地元で行われたライブにも行き、終了後の握手をしたいがために再度アルバムを購入しました。きっちり握手をして、「ああ、やっぱり都会の女の人はいいな」と大満足・・・』(笑)。

(堀込高樹)そういう、満足?(笑)。

(ジェーン・スー)(相談メールを読む)『帰宅後、土岐さんがライブのMCで語っていた今回のアルバムのコンセプトプロデューサー、ジェーン・スーという名前が頭に残っていたのでググッてみました。イメージでは父がアメリカ人、母が中国人の中国系ハーフ。スラリとした体型。日本の女優さんで言うとりょうさんのようなイメージでしたが、本物のスーさんを見てほぼ一目惚れ。等身大のポスターがあれば即買いしたいぐらいです』。

(堀込高樹)(笑)

(ジェーン・スー)すごいですね。父も母も日本人なのに全くスラリとしてない体型の私に一目惚れですか。ありがとうございます。(相談メールを読む)『むしろ、りょうさんのようであったなら、これから語られる悩みも表面化しなかったのでは?と思います。で、悩みの本題です。私は、大学が東京でした。4年間、渋谷に住み、都会を満喫。性格的にも東京が合っていたと思います。が、就職に失敗し、未練を残したまま故郷へ戻りました。その後、いろんな経験、仕事をして、いまでは地元で知り合った奥さんと子供2人。仕事は自営で裕福なとは言わないまでも、これを不幸せと言ったらバチが当たるような生活をしております。ただ、数年前から「もしかして、俺の人生ってこれで終わり?若い頃、夢見ていたものとか、したかったこととかってどこに置いてきた?」という典型的なミッドライフ・クライシス状態になりました』。

(堀込高樹)うん。

(ジェーン・スー)(相談メールを読む)『ただ、そんな思いも軽い風邪のようなものと日々の暮らしや仕事の忙しさの間に忘れるだろうと思っていた時にスーさんのことを知りました。スーさんから語られる東京の話。私のいない東京で暮らしていたスーさん。宇多丸さんたちとの交友関係。そして、いちばん大きいのがスーさんの言葉でいうところの1D。ワン・ダイレクション現象。つまり、辛い時に聞いていた「Drifter」のキリンジの高樹さんが、数年後に自分のラジオのテーマ曲を書いてくれるという奇跡。私もメジャーデビュー以来のキリンジファンですので、それがどれだけすごいことか、実感できていると思います。その奇跡が、まず私の中に強く刺さりました。そして、いまの仕事も、いや、大学卒業後してきた全てのことが、東京でやりたかったことのカウンターとしてやってきたのではないか?と思うようになりました。農業に従事したり、文系にもかかわらず大工として生計を立ててきたことも、全て当て付けだったと。学生時代に自分のしてきたことやキャラとも正反対のことをしてきて、それら全て自分への仕返しにつもりだったのかも・・・』。ああ、なるほど。

(堀込高樹)うん。

(ジェーン・スー)(相談メールを読む)『東京にいたからといって、スーさんのような人になり得たなんて思わないですが、いまになって何かをごまかし続けていたのでは?という思いは膨らんでいます。奥さんもいて、子供もいて、なにをいまさら、ハタチの若者のようなことを・・・と自分でも重々わかっております。土岐さんの「地下鉄のシンデレラ」のように、田舎から次から次へと降りてくる夢見るシンデレラの果てとわかっていても、東京への思い、そしてその象徴としてのスーさんへの思いが止まらなくなっております。46にもなって、東京に行って何ができる、何がしたいかも見えないまま、でも知らず知らず、パソコンを前に東京地域のハローワークを検索している自分がいます。一体、この思いはどうしたらいいのか?というのが私の相談です。何卒、よろしくお願いします』ということで。

(堀込高樹)うん。

(ジェーン・スー)いやー、46才。

(堀込高樹)同級生ですね。僕の。

相談者は堀込高樹と同い年

(ジェーン・スー)そうか。同い年ですね。

(堀込高樹)ああ、あの時に渋谷に住んでいたのね。

(ジェーン・スー)大学時代っていうのは、まさに90年代半ばぐらいですかね?

(堀込高樹)ですかね?楽しかったでしょうね。渋谷に住んでいたら。

(ジェーン・スー)渋谷系っていう時代が目の前にあった時ですからね。

(堀込高樹)蕎麦屋でもレコードを売っていた時代ですからね。

(ジェーン・スー)そんなことがあったんでしたっけ!?

(堀込高樹)(笑)。蕎麦屋さんでもレコードが、エサ箱が置いてあって。隅っこに。

(ジェーン・スー)ええーっ!?掘れるよと。

(堀込高樹)掘れるよっていう時代でしたけどね。

(ジェーン・スー)すごい。本当にもう、BONNIE PINKのCDをiTunesじゃないけど・・・あ、それはもうちょっと先か。iTunesとかできたのはもうちょっと先でしたっけ。

(堀込高樹)ぜんぜん先ですね。

(ジェーン・スー)もっと先ですよね。そうそう。BONNIE PINKとかがワーッと出てきて。キリンジもいた。ホフディランがいて。サニーデイ・サービスがいて、みたいな。まあ、いますけどね。みなさん、どちらも。キリンジと同様、がんばってらっしゃるわけですが。その時の東京・・・渋谷に住んだら、そりゃあ・・・

(堀込高樹)ねえ。CISCO、FRISCOみたいな感じだったんだろうね。

(ジェーン・スー)そうですよね。うわー、ちょっとしたボーダー着てたんでしょうね。

(堀込高樹)(笑)

(ジェーン・スー)セントジェームスにお金を払っていたんでしょうね。

(堀込高樹)ねえ。土岐さんとかは好きだとか。キリンジも聞くっていう方なんで、たぶんそういう方。

(ジェーン・スー)っていうことはカジヒデキも聞いてたってことですよね。たぶん。

(堀込高樹)ねえ。僕、この間カジくんに会いましたけどね。まあ、『カジさん』と言ってしまいましたけどね。

(ジェーン・スー)『あ、カジさん』って?

(堀込高樹)『カジくん』とは言えなかったですね。先輩なんで。まあ、そんな話はあれですけども。

相談者と電話をつなぐ

(ジェーン・スー)そんな相談者さんと実は電話がつながっているということで。こんばんは。

(相談者)こんばんは。

(堀込高樹)こんばんは。よろしくお願いします。

(ジェーン・スー)よろしくお願いします。

(相談者)よろしくお願いします。

(ジェーン・スー)なんと、KIRINJIの堀込高樹さんとお電話で話せてますよ。

(相談者)はい、すごいなんか緊張しているし・・・

(堀込高樹)あ、堀込です。よろしくお願いします。

(相談者)こちらこそ、よろしくお願いします。

(ジェーン・スー)46才。自分でもミッドライフ・クライシスのような状態だとわかってはいるが、もしかしたら東京から帰ってきて、地元でやっていたことっていうのは自分への仕返しのつもりだったのかも?と。このあたり、詳しく聞かせてもらってもいいですか?

(相談者)そうですね。まあ、東京はすごい好きだったんですけど、ちょっと就職で失敗して。なんか、そのまま東京にいなかったことがまず問題だったとは思うんですけども。そのまま帰ってきて、その仕返しっていうか、見返してやるぞ的なものがやっぱりどっか心にあったせいか、いまメールに書いたような生活をし。で、それでずっと、結局20代はそういう東京ではできないことをしてやる!みたいなことでずっと暮らしていたんですけども。

(ジェーン・スー)はい。

(相談者)けど、30代になって結婚もして子供もできれば、そんなことはちょっと忘れていて暮らしていたっていうか。まあ、『これが僕の人生なのかな?』とか思って、普通に暮らしていたんですけど。ここに来て、たまたま土岐さんのアルバムを聞いて、スーさんを知って・・・

(ジェーン・スー)ありがとうございます。

(相談者)この流れで、なんて言うか、『あれ?東京、俺、すっごい好きだったのに、なんでこんなに離れてしまって・・・』って。けど、いまさら、すごい好きだったことに気づいてしまった。で、さっきちょっとスタッフの方とお話しした時も、僕は地方出身者で東京に行って。で、東京からまた離れたんですけども。スーさんの書いた東京生まれの方が地方出身者から授かる恩恵と浴びる毒っていうことも読んだんですけども。

(ジェーン・スー)ありがとうございます。

(相談者)逆に、地方出身者が東京から離れてそこから授かる恩恵と浴びる毒って考えた時に、東京っていうのはもう完璧な絶対王者で。そこから浴びる毒っていうのに対して僕はものすごく反発して。いまでも、『この野郎!』っていっつも思っているんだけど。けど、なんかすごい本当は好きな人がいる。それが、イコール東京なんですけど。すっごい好きな人がいるのに、なんかその人に対してはぜんぜん照れがあったり、嫌味みたいなものがあって。そこにはグッと、それこそプロポーズやら、何もできてないのに・・・

(ジェーン・スー)うん。

(堀込高樹)あえて、違う子と付き合っちゃうみたいなことをずっとやっていたなっていうことに気づいたっていうのかな?これ、じゃあ俺、それに気づいた時に、もう1回東京にどういう、ここからアプローチするの?これ、どうしたらいいんだろう?いまさら、『いまでも好きでした』とかって言って東京に戻るっていっても、もちろん家族もいるし。そんなことにもならない。まあ、『ならない』って言っても、この思いは・・・じゃあこのまま、ごまかし続けていくのか?じゃあ、これで70、80とかになって死んでいって。この俺のしたかったこと、東京への思いってどうしたらいいんだろう?っていうのが、ずっとこう、グッと来ちゃったんですよね。

(ジェーン・スー)東京で何がしたかったとかっていうことではない。『東京にいる』っていうことの意味なんですかね?

(相談者)そうですね。東京でしたかったこと・・・本当、いまとなってはスーさんへの思いとか、冗談みたいに書かさせていただいてますけど。

(ジェーン・スー)じょ、冗談なのかい(笑)。

(堀込高樹)(笑)

(相談者)ぜんぜん冗談じゃないですよ。冗談じゃないですけど、そこを、なんせ、じゃあ俺、それこそスーさんとはどうして知り合わなかったんだろう?それは、東京にいなかったから。

(ジェーン・スー)ああ、そうか!

(相談者)キリンジの最後のライブに行けなかったんだろう?それも、東京にいなかったから。何もかも、東京にいない。で、東京にははっきり言って、まあ地方出身者の人が言ってもあれなんですけど。全てがそこにあるって僕はやっぱり思うんですよね。それはわかっているっていうか。これが、1回も東京に出たことがなければ、『ああ、東京。都会ね』っていうだけで済んでいたところなんですけど。ある意味、それこそ渋谷なんかに住んでいて。東京には全部ある。それを全部わかっている。けど、なにもしてこなかった。で、そこに対してディスの気持ちだけで動いてきた。けど、いまそれに気づいたけど、もう何もできないや・・・っていうのが、こっからどうしよう?っていうところですね。

(堀込高樹)うーん・・・

(ジェーン・スー)ぜんぜん違う仕事。その、大工をやったり農業をやったりとか。逆に東京ではできないようなことをやっていらっしゃったんですよね。いままで。

(相談者)そうです。はい。

(ジェーン・スー)そうかー・・・同い年の男性として、高樹さん、いかがですか?

(堀込高樹)そうね。あのー・・・なんか具体的にこうしたいっていうのがないのに東京にもし、いまからっていうのは現実的じゃないよね?きっとね。

(相談者)そう、ですね。はい。

(堀込高樹)その、ちょっと自分の話になってしまうけど、いま自分がこうやってミュージシャンとしてやっているけど。これって、なんて言うのかな?やりたいようにやって、こうしたい、ああしたいって言って、それが上手く行ってこうなっているわけじゃなくて。なんか、いろんな外枠から外堀を埋められていって、いまこうなっているっていう感じなんです。あれもダメだった、これもダメだった、でも、これだけできたとかね。つまりその、ああいう風にしたかったからこうなっているわけじゃなくて、なんかものの弾みで、できなかったからいまこうなっているっていう感じが自分の感覚としてすごくあって。

(相談者)はい。

(堀込高樹)で、なんかその、そういうもんなんじゃないのかな?って僕は思っていて。たとえば結婚にしても、すごく結婚に対して憧れがあったわけじゃなくて。なんか、タイミングで結婚してしまって。すごく子供がほしいってわけじゃなかったけど、はずみでできてしまって、みたいな感じでこう、自分の意志で動いていたっていう感じよりも、いつの間にかそうなっていた。そうさせられたっていう気持ちがどこかにあって。

(相談者)ええ。

(堀込高樹)なんか、つまりその、意思を貫くっていうことだけが幸せになるっていうことと違うんじゃないか?っていう気が自分はしていて。自分のやりたいことをやる。夢を叶えるっていうことだけが自立した人生を送るっていうこととは違うんじゃないか?っていう気が、46になって最近、思うんです。自分のこれまでを振り返って。だから、なんか・・・上手く言えないけど、家族を大事にしてくださいとしか僕には言えないんだけど。うーん・・・

(相談者)そうですか。

(ジェーン・スー)たぶん、高樹さんがおっしゃっているのって、いま自分が手にしているものっていうのは決して何かが取れなかったことの第二位だったとか三番手だったってことではなくて。その時の自分のできる最上のことだったっていうことの積み重ねがこうなったってことですよね?

(堀込高樹)うん。

(ジェーン・スー)あの、お気持ちとしては相談者さんの気持ち、私もすごくよくわかってですね。私は東京生まれ東京育ちなんですけど、大学時代に1年、アメリカに留学してるんです。で、やっぱりあそこに残り続けなかったことで、うわーっ!ってなるのね。いまだにあります。『お前、なに言ってるんだ?』っていう話だと思うんですけど。あの、私にとっては故郷が東京になってしまうので、東京に対する思い入れっていうのはやっぱりちょっと、相談者さんとは違うんですね。

(相談者)はい。

ジェーン・スーのアメリカへの思い

(ジェーン・スー)ただその、留学をしたアメリカであまりにも楽しくて。『私、この国なら生きててもいいー!』みたいになって。『残りたい』って言ったんですよ。親に。でも、『日本の大学を卒業しろ、とにかく』って。で、自分で払えないじゃないですか。アメリカの大学の学費って。高いから。

(相談者)はい。

(ジェーン・スー)で、編入した学校で奨学金とかもできないから、帰ってきて、結局そのまま就職しちゃったんです。でも、あのままいたら、私、ぜんぜんまた違う人生で楽しかったろうなっていうのをね、いまだに、ブワーッ!ってこう、後ろからなんだろう?知らない人に肩を掴まれて揺さぶられるような恐怖がありますね。

(相談者)そう。わかります。

(ジェーン・スー)うん。なんか、ガクガクガクッ!ってやられたような。あと、やっぱりポワーンと見ていたアメリカの映画とかで、ホワーンってただストーリーを追っていただけなのに、ちょっとなんか自分の記憶なり琴線なりに引っかかるところがあった時に、『うわっ、もしかしたら私、こういう生活してたかもしれないのに!』みたいな思いがすっごいします。で、たぶんそれをずっと抱えていくんだろうなと思いながら。旅行に行ったらいいと思いますよ。東京に。

(相談者)ああ、たとえば二泊三日とかでも構わないから、そういうことを・・・

(ジェーン・スー)そうです。三日だと足りないと思うんで。家族に土下座してですね、30万ぐらい渡して。自分は安宿でもいいから、渋谷に一週間、泊まってみてもいいと思いますよ。それで、冷静に考えてみた時に、いま、自分が持っているものと持っていないものと、どっちがいいっていうことではないと思うんですけど。『あ、持っているものもそんなに悪いもんじゃないな』と。

(相談者)はい。

(ジェーン・スー)こっちが手に入らなかったからと言って、不幸なことがあったわけではないなっていう風に思ったら、できると思うんですけどね。

(相談者)はい。わかります。

(ジェーン・スー)あと、いまおっしゃった話は、逆にその、東京に1回出て行った人間が地方に戻ってきたことによって地元から浴びる毒と恩恵と・・・みたいな話って、あんまり私、文章としては見たことがないので。まとめてみてはいかがでしょう?

(相談者)わかりました。

(ジェーン・スー)まとめてみて、ネットとかブログとか、出してみる。あの、出版社に送ったりすると、担当者の当たり外れがあるので。そのへんはネットがいちばん公平だと思うので。出してみたりしたら、それがバズッたりして、気がついたらここに座って、目の前に『今日の代行MCは堀込高樹さんです!』って言ってるかもしれないですから。

(堀込高樹)(笑)

(ジェーン・スー)第二の倉本聰になるかもしれないしね。

(相談者)はい。

(ジェーン・スー)大丈夫です。あの、いま持っているものはそんなにね、悪いものなわけでもないですよ。

(堀込高樹)うん。そうです。

(ジェーン・スー)取り逃しがあるわけでもないと思うので。

(相談者)はい。

(ジェーン・スー)お電話、ありがとうございました。

(相談者)こちらこそ、ありがとうございました。

<書き起こしおわり>

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