吉田豪と玉袋筋太郎 福山雅治を語る

吉田豪と玉袋筋太郎 福山雅治を語る たまむすび

吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。吹石一恵さんとの結婚を発表したばかりの福山雅治さんについて、玉袋筋太郎さんと語り合っていました。

(吉田豪)その筋の話!

(小林悠)毎月第一金曜日はプロインタビュアーの吉田豪さんをお迎えして、吉田さんがこれまでインタビューしてきた一筋縄ではいかない有名人の様々なその筋の話を聞いていくコーナーです。改めて、よろしくお願いします。

(吉田豪)押忍。よろしくお願いします。

(玉袋筋太郎)よろしく。豪ちゃん、やっぱ福山雅治は撃ちぬいてくるね!

(吉田・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)参ったよ!

(吉田豪)撃ちぬかれた側としてね。

(玉袋筋太郎)側として。うん。

吉田豪も玉袋筋太郎も福山雅治に撃ち抜かれる

(小林悠)撃ちぬかれたことは、お二人とも否定はしない?

(吉田豪)そうですね。

(玉袋筋太郎)ねえ。しないよね。

(吉田豪)まあ、なんだろう?卑怯っていうとあれですけど。そこに来るか!?っていうことをやってきますよ。

(玉袋筋太郎)だから、さっき言った熊本のね、ナンバーワンのお店みたいな。『ええっ?いきなりそこ、来る!?』みたいな。

(吉田・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)うん。ええーっ!?って。

(吉田豪)とんでもないサービスが(笑)。

(玉袋筋太郎)それを受けるぐらい、撃ちぬかれちゃうわけですよ。こうやって。バーン!って。

(小林悠)そんなにすごいんですね。

(吉田豪)即尺くらいの勢いで来ますよね。本当に。

(玉袋筋太郎)即尺!

(吉田豪)早いんですよ。一発目から、そこ来る!?っていうの、ありますよ。

(玉袋筋太郎)即尺即ベッドみたいな。おおっ!?っていう。こりゃ参っちゃう。

(小林悠)なにを言ってるんですか(笑)。

(玉袋筋太郎)たとえ話ですから。たとえですから。

(小林悠)それだけすごい、福山雅治さんのその筋ですね。わかりました。では、福山雅治さんのあらすじとその筋を改めてご紹介しましょう。1969年、長崎県のお生まれで現在46才になる福山雅治さん。1990年。『追憶の雨の中』でシンガーソングライターとしてデビュー後、93年にはドラマ『ひとつ屋根の下』で、ちぃ兄ちゃんを演じ、一躍人気者となります。その翌年、シングル『IT’S ONLY LOVE』で自身初の100万枚セールスを記録。以降、『桜坂』や『虹』、『HELLO』、『家族になろうよ』、『誕生日には真白な百合を』など、数々のヒットソングを世に送り出す一方で、俳優、ラジオパーソナリティー、カメラマンと幅広い分野で活躍されています。そして今週月曜日には、女優 吹石一恵さんとご結婚。言わずと知れた、日本を代表するビッグアーティスト。それが福山雅治さんです。

(玉袋筋太郎)これ聞いただけで、もう勝てないじゃない。

(吉田豪)勝てる要素、ゼロですよね。

(玉袋筋太郎)ゼロだよね。これ。勝てる要素、この時点でゼロだから。

福山雅治のその筋

(小林悠)負けを認めるの、早いですね。そして吉田豪さんの取材によりますと、福山雅治さんのその筋は、その1。『バス停の君』と呼ばれたヤンキー時代を経て、母のためにサラリーマン生活を始めるが・・・の筋。その2。売れない当時、憧れのエッセイ漫画に出るも顔が描かれていなかった悲劇の筋。その3。歌手デビュー時のキャッチフレーズは『田舎もんばい』。雑誌インタビューで一言『不良になれ』の筋。

(玉袋筋太郎)うん。

(小林悠)その4。ついやっちゃったドラマデビュー。『ひとつ屋根の下』でブレイクしたからこそ、あの曲ができた筋。その5。根がマイナー志向で疑り深く、調子に乗れない体質の筋。その6。自虐的な下ネタはサービス精神。抱かれたい男は辛いよの筋。その7。自宅では詞を書き、酒を飲み、全裸で風呂掃除の筋と、以上7本の筋がございます。

(玉袋筋太郎)うん!なんだろうね?やっぱり、すごいよね。

(吉田豪)(笑)。しみじみと。

(玉袋筋太郎)しみじみと。2才しか違わないんだから。46才ですよ。

(小林悠)そうなんですよね。

(玉袋筋太郎)46才でさ、いまいちばんの春を迎えているわけでしょ?俺なんか46ん時さ、尿酸値とか気にしてたもん。

(吉田・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)気にしないもんなー。気にしてんのかもしれないけど。

(小林悠)お酒、お好きですもんね。

(吉田豪)相当飲んでますね。

(玉袋筋太郎)でも豪ちゃんだって、やっぱり俺たち、アウトローが好きだったりするわけだから。やっぱり福山雅治さんの存在っつーのはさ、『なんだ、いけ好かねえやつじゃねえのか?』って思ってたって部分もなかった?

(吉田豪)まあ、住む世界は完全に別だって。

(玉袋筋太郎)別だよね。

(吉田豪)接点はないだろうって思ってたんですけど。僕の師匠がリリー・フランキーさんで。リリーさんの親友なんですよね。

(玉袋筋太郎)ほら!ここなんだよ。

(小林悠)いつから親友なんですか?

(吉田豪)いつからなのかな?でも、相当・・・結構早い段階ですかね。なんかすっかり仲良くなって。事務所も抜きでどんどん2人で。なんか10日に1回ぐらい飲んでいるようになって。で、リリーさんから聞いてたんですよ。『福山くんが豪に会いたがっている』って。

(玉袋・小林)(笑)

(吉田豪)まず、その意味がわかんないじゃないですか。『福山くんが豪に会いたがっている』って(笑)。で、リリーさんとの対談の司会で最初に接点ができたんですよ。で、呼ばれて第一声がいきなり握手を求めてきて。『豪さん、紙プロ、ずっと読んでましたよ』って。紙プロっていうのは紙のプロレスっていう僕がぺーぺーの時にやっていた雑誌で。

(玉袋筋太郎)うん!

(吉田豪)で、『ずーっと僕はね、リリーさんのことを尊敬したことは1回もなかったんですけど、豪さんの師匠だって聞いてはじめて尊敬したんですよ』って。

(玉袋筋太郎)もうそんな!3カウント入ってるよ、もう(笑)。

(吉田豪)そう。ずーっと、『僕、いろんなタレントさんのことを「あの人、どういう人ですか?」ってリリーさんに聞いたことは1回もないんですけど、「豪さんってどういう人ですか?」っていうのは何度も聞いたんですよ』みたいな。

(玉袋筋太郎)かぁーっ!

(小林悠)いやー、もうしびれますね。

(吉田豪)即尺じゃないですか。本当に(笑)。来たわ、いきなり!っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。『俺、風呂入ってないんだけど!?』みたいな(笑)。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)そんな状況だよ、本当に。

(小林悠)それぐらいの、ね。

(吉田豪)もうタップするしかないっていうね。

(玉袋筋太郎)タップだよ。それは、もう。

(吉田豪)秒殺されますよ。その直後に今度、向こうの指名でインタビューまでたのまれて、みたいな。

(玉袋筋太郎)指名入っちゃったんだ。

(吉田豪)『吉田豪さんにやってほしいんで』っていう。

(小林悠)そこで終わらせないのがすごいですね。今回の玉さんのDVDもそうですけど。

(玉袋筋太郎)DVD、送ってくれたんだよ。うれしいよ、これ。うん。

(吉田豪)で、ちなみに僕、当時の担当編集がいたんですよ。雑誌の。で、それのすごい絡まれたんですよ。そいつ、やっぱりサブカル側だから。『豪さんは変わってしまった。昔だったらこんな福山雅治がどうこうとかね、言わなかった。もう、ひどい!』って言って。すっごい絡まれたんですよ。酔っ払って。

(玉袋筋太郎)魂を売ったと。

(吉田豪)そうそう。『なんすか?福山雅治に指名されたとか、調子に乗って!』みたいな感じで(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)『いや、違うんだよ。俺はあったことを話しただけで』『いや、許せない』って言ってたのが、そいつ、ライターもやっていて。福山雅治が怖いのが、その後、SPA!でそのライターを指名するんですよ。

(小林悠)そしたら、やはり?

(吉田豪)メロメロに(笑)。

(一同)(笑)

(吉田豪)『豪さん、すいませんでした!』って。

(玉袋筋太郎)そりゃそうだよ!みんな、そうなるんだよ!

(吉田豪)そういう人なんですよ。

(小林悠)みんな恋におちてしまう。

(吉田豪)ことごとく倒していきますよ(笑)。恐ろしいですね。

(玉袋筋太郎)それが嫌味じゃなく、サラッとできるのがやっぱり福山さんのね。

(吉田豪)『あなたと話してみたかったんですよ』みたいなことをね、普通に言う人です。

(玉袋筋太郎)だって生まれ育ちっつーんだってさ、やっぱり面白いわけじゃないですか。

(吉田豪)はい。筋、行きましょうね。

(玉袋筋太郎)行こうよ。

(小林悠)モテモテだった話でしょうか。

(玉袋筋太郎)『バス停の君』と言われたヤンキー時代を経て。

『バス停の君』と言われたヤンキー時代

(吉田豪)『バス停の君』としてすごい昔からモテてたっていうのは有名なんですけど。その当時、いかにワルだったか?っていうのがまずあるんですね。リリーさんと意気投合したのも、『東京タワー』を読んで、まず『えっ、これぜんぜん普通じゃん?』って思ったらしいんですよ。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)あれって、お父さんがロクに仕事もしない、ろくでもない九州の話なんですけど。ねえ。福山さんも九州出身で、全く同じっていうね。デタラメな父親がいて、工場が多くて、みんな労働者っていうね。風俗があり、博打があり、みんな酒飲みになる。それが当然だと思っていて。お父さんが高2の時に亡くなっているんですけど、表向き、不動産屋だったんですが、博徒でお酒ばっかり飲んでいるっていうね。

(玉袋筋太郎)ほー!

(吉田豪)自然とパチンコ、酒、バイク、バンドみたいな生き方になって。ねえ。九州流に言うと、本当、ボボのやり方を目の前で教えるような家庭で育つんですよ。

(玉袋筋太郎)これですよ!ボボしょいボボしょいですよ、本当に。いや、だけどね、結構さ、俺の中では不良自慢しちゃうやつってあんまり、『なんだよ、不良自慢しちゃってよ。周りは真面目にやっているやつもいたのに・・・』って。つっぱってねーから。俺。だからこう、岸谷五朗とかあんまり好きじゃないんだけど。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)でも、彼の場合、それがね、あんまり感じられないんだよね。

(吉田豪)そうなんですよね。そんな全面に出さないですもんね。

(小林悠)あんまりイメージ、なかったです。

(吉田豪)小学校から空手やっていて、腕っぷしが強くてとか、知らないじゃないですか。あんまり外に広まっていない。友達と一緒になって他のクラスの子とケンカしたりとか、授業を友達とボイコットとかして・・・みたいな。ねえ。あまりいまは言えないでしょうけど、万引きグループなども自ら主催とか(笑)。

(玉袋筋太郎)これだよ!万引きグループですよ。

(小林悠)まあまあ、時効なのかなんなのか。

(玉袋筋太郎)時効ですよ。俺だって、サラ金やってたんだよ。小学校の時に。

(吉田豪)(笑)。やってましたね。

(小林悠)小学校でね。すごいですよね。興行を開いたり。

(玉袋筋太郎)で、工業高校に入ったんだよね。

(吉田豪)そうなんですね。で、入ったものの、男臭さに嫌気がさして、毎日辞めることばかり考えて。退学になるために暴力行為はたらくんですけど、退学にはならず。で、学校に行かずに布団の中にいると、枕元でお母さんが泣いていたりとか。そんな時期にファンクラブが作られて、『バス停の君』と呼ばれてたんですよ。ただのワルだったのにっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。いやー、呼ばれてみてーな。自転車通学だったからな。俺。

(小林悠)自転車の君(笑)。

(吉田豪)そう。初体験もヤンキー仲間と飲んでいる時に、みんなでワーッと盛り上がってとか。そっち側の人ですよ。

(小林悠)あ、そんなことまで。

(玉袋筋太郎)そこらへんをカミングアウトできるっていうところが素敵だよね。うん。

(小林悠)隠さないんですね。

(吉田豪)で、お兄さんも自衛隊に入隊してて、お父さんも亡くなっているから、お母さんを残して東京に行けないから、母親を安心させるために就職っていうね。

(小林悠)あ、地元でですか?

福山雅治のサラリーマン時代

(吉田豪)地元で就職。徒歩5分のね、電気会社の営業職に就いたんですが、仕事に身が入らなくて。営業で会社を出ると、海岸に車を停めて、毎日、文化放送の『吉田照美のやる気MANMAN!』を聞いていたという。

(玉袋筋太郎)やるMANを聞いていたから、じゃあ、理想の女性は小俣さんみたいなね。

(吉田豪)(笑)。声のかわいい人。

(玉袋筋太郎)そうそうそう。仕事の一線を越えられる人(笑)。

(吉田豪)(笑)。越えてましたね!

(玉袋筋太郎)大変だよ、これ。ああ、でもそういう時代。でも、オールナイトも聞いてたんだよね?学生時代。

(吉田豪)基本、だからAMラジオ好きなんで。東京に出てからもラジオばっかり聞いてて。だからこの人がまた卑怯なのが、他局ですけどニッポン放送の、それこそいろんな人の番組に出るたびに『昔、聞いてましたよ』が入るわけですよ(笑)。

(小林悠)ああー。でも、事実ですからね。

(吉田豪)事実ですからね。

(玉袋筋太郎)事実なんだよな。

(吉田豪)上ちゃん(上柳昌彦)はそれでコロリといかれたっていうね(笑)。

吉田豪が語る 福山雅治の素顔
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(玉袋筋太郎)上ちゃん、やられたか!転がされたか(笑)。転がされるだろうな、そりゃ。

(吉田豪)されますよね。

(玉袋筋太郎)だって上ちゃんのオールナイトなんか、二部だからね。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)月曜日の二部だから!俺も聞いてるじゃねーか!っていう(笑)。俺なんか、イベントも行ってるじゃねーか!っていう。

(小林悠)大好きじゃないですか(笑)。

(玉袋筋太郎)そうなんだけど。いや、でも素晴らしい!

(吉田豪)ちなみに営業時代は、やっぱりちょっとストレスたまっていたみたいで。町のスナックで酔っ払って、記憶がなくなり、気がつくと家で。会社に行くためにメガネをかけたら、メガネが素通しになっていて。手は血だらけ。なんだろう?と思って会社に行ったら、一緒に飲んだ先輩が『お前、大丈夫だったか?昨日、運転代行の車にいきなりキレかかって、中から降りてきたチンピラにボコボコにされとったぞ』っていうようなね。そんな人だったと。

(玉袋筋太郎)これ、福山くんのエピソードじゃないもんね。これ。どう考えたって。

(吉田豪)玉さんですよね(笑)。

(玉袋筋太郎)俺!俺だよ!俺の、トレースしてんじゃねーのか?

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)トレースはないんだけど。だけどそういったことがね、あったっていうのが全く感じられないもん。うん。

(吉田豪)そして四ヶ月でサラリーマンを辞めて上京すると。18才で。

(玉袋筋太郎)これ、やっぱ九州から上京する人はエネルギーが違うから。俺、そう思ってるのよ。やっぱ。西の方から来る人っていうのは、やっぱこう、エネルギーが違うんだよ。ギラギラ持ってくるんじゃないか?っていうね。その時の、福山さんってのはどこに住んだんだろうね?最初。

(小林悠)上京してからは。

(吉田豪)そうですね。まず、上京して昭島ですかね。

(玉袋筋太郎)昭島?

(吉田豪)福生の横田基地の近くにある材木屋でバイトをしてたんですけどね。

(玉袋筋太郎)材木屋ですよ。

(小林悠)なんで材木屋さんなんですか?

(吉田豪)でも福生とかに惹かれるのは、完全にロックだからですよ。

(玉袋筋太郎)ああー!

(吉田豪)もともと地元でね、めんたいロックとかが好きで。モッズとかARBのカバーバンドをやっていた人で。そうなんですよ。で、音楽をやりたくて東京に出てきて、そういうことをやりたいのに、手違いですよね。完全に。オーディションでアミューズの『10ムービーズオーディション』っていう88年の。サザンの事務所っていうだけの認識で受けてみたら、当然これ、俳優のオーディションなんですよ。これ(笑)。

(玉袋筋太郎)うん。いや、だけどここまでの人生を聞いたら、江頭と変わってないんだよな。九州から出てきて。

(小林悠)本当ですか?

(玉袋筋太郎)そうだよ。めんたいロックが好きで、東京に出てきて、ちょっと人前に出てみたいからオーディションを受けたって。それがアミューズか大川興業かの差だよ。

(吉田豪)だいぶ違いますね。

(玉袋筋太郎)どっちかだったんだよ。これ、な。

(小林悠)(笑)。道の分かれ目ですね。

(玉袋筋太郎)いや、だけどそれが俳優か。

(吉田豪)だから、オーディションの面接では材木屋だったんで。『特技は材木担ぎ』と答えて。泉谷さんの『春夏秋冬』をギターの弾き語りで披露と。

(玉袋筋太郎)ほら!エガちゃんも大川興業のオーディションで、やっていた仕事の洗剤を売っている実演をやったっていう。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)それで合格になったっていう話だけど。まあ、いいや。そんなことは。

(吉田豪)まあ、比較的近いです(笑)。仕事のアピールね。

(玉袋筋太郎)アピール。そう(笑)。

(吉田豪)で、合格して。映画『ほんの5g』で俳優デビューを果たすんですけど。デビュー当時、福山さん、いしかわじゅん先生のエッセイ漫画の『フロムK』っていうのがあるんですけど。それに出てるんですよ。当時。いしかわ先生がその映画に出てたんで。

(玉袋筋太郎)うん。

いしかわじゅんの漫画『フロムK』に出る

(吉田豪)エキストラで出てたんで、現場で偶然会った福山さんのことを『福山雅治(新人)』として紹介。で、福山さんは映画に出る前から『フロムK』を読んでいて。現場でいちばん話したかった人もいしかわじゅん先生で。で、『漫画に出してください。田舎の友達に自慢しますから』と言って。

(玉袋筋太郎)かーっ!

(吉田豪)ところが出来上がった漫画では、セリフ付きなのに福山さんの顔の部分が空白。で、『アミューズさんも福山くんだけちゃんと顔の写っている写真がなかったので、資料写真でも急いで送ってね』と書かれていて、っていう雑な扱いだったんですよ。

(玉袋筋太郎)雑だよな!でも、そこでやっぱり、いしかわじゅんさんを知っていたっていうか、読んでいたっていうところも強みだよね。

(吉田豪)そうなんですよ。だから『僕、ちょっとね、失礼なんですけど、いしかわじゅんさんとか吉田豪さんとかが好きな、比較的ちょっとマイナー的な趣味の持ち主で』って(笑)。

(玉袋筋太郎)くくられちゃってるんだ(笑)。豪ちゃん、くくられちゃって。いいね!

(小林悠)ストライクゾーンが広いんでしょうね。すごい。

(吉田豪)で、その2週間後になんとか顔も書かれたんですが、出てきたのは2コマのみで。しかも、89年発売の単行本では注釈で『福山くんはたしかロック方面の人だったような気がする。その後、あんまり見ないけどどうしているだろうか?連絡をくれ』と書かれる始末っていうね。

(玉袋筋太郎)これはいしかわじゅんさんに見る目がなかったのか、どうなんだろうね?そんなことはねーんだろうけど。

(小林悠)だって、漫画に登場する時点で相当すごい話のような気もするんですけどね。

(玉袋筋太郎)そうだよな。無名だもんな。

(吉田豪)で、その年、88年ですね。新宿のライブハウスで東京での初ライブを行うが観客はゼロっていうね。

(小林悠)ゼロ・・・

(吉田豪)で、実はこの時期に最近聞いた話だと、氏神一番さんと知り合っているんですよね。

(玉袋筋太郎)この頃?嫌なのと知り合ったな、それ!

(吉田豪)まだ19才の時の福山雅治さんが、当時、氏神さんが泥酔して。渋谷のゴミ捨て場で酔いつぶれていたらしいんですよ。そこで、福山雅治が声をかけてきて。『僕、実はアミューズに受かって。19才で俳優やってるんですよ』みたいな感じで。まだぜんぜん売れる前の。で、『お酒でも飲みましょう』って言って、捨てられている氏神さんを拾って。しかも、素顔の氏神さんですよ?氏神さんもまだちゃんとカブキロックスになる前ぐらいの時期に拾って。で、背中でおぶってくれて、みたいな。すげーいい人だったっていう(笑)。

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(小林悠)やだ、もー!

(玉袋筋太郎)ちょっと!お江戸ですよ!まさにこれ!お江戸が空に飛ぶよ。

(吉田豪)ブレイク前からいい人だったっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)ブレイク前からか!

(小林悠)作られたものじゃないことがもう、わかってきましたよね。

(玉袋筋太郎)わかってきたな!

(吉田豪)で、もっと言うと、昔いいとも!で僕が衝撃を受けた、タモリさんになんでこんな話をするんだ?っていう。しかも、昼から。あの、『ゴミ捨て場に女が捨てられていたんで、拾って帰りました』っていうエピソードを話していたんですけど。

(小林悠)なんですか、それ?

(吉田豪)ゴミ捨て場に捨てられている人を、よく拾う人だったんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)もともとそういう片鱗があったんですね。

(吉田豪)もともと(笑)。

(玉袋筋太郎)そうだったんだよ。家、ゴミ屋敷かもしんねーよ。すごい家で。これは、人のこの、スッと距離の入り方が上手いんだろうな。

(吉田豪)なかなか氏神一番、拾わないですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)拾わないよ!

(吉田豪)落ちてても(笑)。いまでも、メイクしてても拾わないですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)拾わないよ!産廃だよ、あれ。埋めちゃえばいいんだから。あれ、本当。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)うん。それぐらいの人間ですよ。でも、歌手デビュー。ライブやってゼロだったとかね。こういったこともあるんだな、おい。

(小林悠)そうですよ。あの福山さんでもあっても。

(吉田豪)はい。そして3ですね。

歌手デビュー時のキャッチフレーズ『田舎もんばい』

(玉袋筋太郎)これ。キャッチフレーズね。歌手デビューの。『田舎もんばい』と。で、雑誌インタビューで一言。『不良になれ』。ここはちょっと恥ずかしかったって?

(吉田豪)恥ずかしいですね(笑)。

(玉袋筋太郎)っていうところ、あるよね。

(吉田豪)だからまだちょっとめんたいロックを引きずっていて。デビューもARBの白浜久さんで。そっちの路線で、マイナー志向だから『メジャーはカスだ!』って反発心があったんですけど。まあ、売れない。そして売れなかったらホストになろうと思っていたんですけど。らしいんですよ。それだけど、19才は全然モテないし、曲もできない。

(玉袋筋太郎)ああ、だからこの頃はまだホストクラブがさ、昭和のホストクラブ的なところだったんだろうな。いまみたいなホストクラブじゃない雰囲気だよ。夜の帝王とか。

(吉田豪)ホールとかやらない頃。

(玉袋筋太郎)コールなし。ダンスしたりとか、そういった感じじゃない?

(小林悠)社交ダンスとかある。)

(玉袋筋太郎)そうそう。はいはいはい。

(吉田豪)だからまだ迷走期なんですよ。硬派なライブなんで、最初はMCもしてなかったんですよね。

(小林悠)それは何ですか?MCをするのはちょっと、チャラチャラしてるから、みたいなイメージがあったんですかね?

(吉田豪)そうそうそう。めんたいの人たち、やってないですよって話で。ところが、デビューライブを見に来たアミューズの社長の大里さんに『この野郎!なんでしゃべんねーんだ?ヒット曲もないのにしゃべらないの、おかしいだろ?ヒットが出るまで、しゃべり続けろ!』って怒られて。だんだんあのトークが磨かれて。で、最近は『お前、いつまでしゃべってんだ?話が長いんだよ!』って怒られるようになったという。

(玉袋筋太郎)(爆笑)。いい!そうだよなー。

(吉田豪)そんな頃、90年4月のオリコンに初登場したんですよ。福山さんが。その時に、まあ変わった扱いですよね。『踊っちゃいけないから、ウォークマンは聞きながら歩けないというユニークな21才』という肩書で出てきて。で、最後の締めで『不良になれ』って言ってて。本人に聞いたら、『これはもう北方謙三さんを意識して「ソープに行け」って言おうとしたんですよ』みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)ここで北方謙三イズムが入ってるんだからさ!

(吉田豪)まだ、だから九州の不良の血が残っている時期ですねっていうかね。で、なぜならだって当時の愛読書で書いてあったのが『ヤングオート』と『ムー』って書いてあったんですよ。『ヤングオート』は僕も読んでましたけど、ただの暴走族雑誌ですからね(笑)。『たいまんぶるうす』とか書いてある。

(玉袋筋太郎)ロケットカウルの表紙だもん。これ!そういうの、読んでたんだよなー。

(吉田豪)で、このままじゃいけないってなっていくわけですね。

(玉袋筋太郎)だけどそれで『ひとつ屋根の下』でね、ブレイクっつーんだからさ。

(小林悠)これがブレイクのきっかけですもんね。

(吉田豪)だからまあ、その後何度もドラマの仕事が入ったんですが、あくまでもミュージシャンが夢だったから拒否してたと。でもだんだん売れない状況で事務所に対して申し訳ない気持ちになってきた時に、91年10月から始まったドラマ『あしたがあるから』に、尊敬するARBの石橋凌さんが出演するっていう理由で。これも白浜久さんに相談してテレビドラマに出ていると。

(玉袋筋太郎)ほー!もうARB様々だね。こりゃ。

(吉田豪)そうですね。本人曰く、『だから口説かれるとやらせちゃう女の気持ちってこういうことなのかな?音楽で求められてない時期だったから、つい股を開いちゃった。やっちゃった』っていうような(笑)。

(小林悠)いやいやいや(笑)。

(玉袋筋太郎)この下ネタだよねー!

(吉田豪)要所要所で入れてきますからね。『そうしたら、どんどん求められるようになった』っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。それも辛いよな。下ネタもな。うん。ハードル上がっちゃうんだけど。でも、福山くんのは面白いわ。たしかに。

(吉田豪)で、93年にドラマ『ひとつ屋根の下』のちぃ兄ちゃん役でヒット。人気に火がついて。ところがまあね、それはそれでマズいと思ったらしいんですね。

(玉袋筋太郎)なんでなんだろうな?

『ひとつ屋根の下』のヒット後

(吉田豪)芝居が有名になりすぎて、歌が追いついてないっていう。まあ、90年代初頭の当時、役者ロックと呼ばれるジャンルがあって。織田裕二さんとか江口洋介さんとか吉田栄作さんとかね。そういう枠になっているような感じだったから、なんとか音楽もヒットしなきゃ!とプレッシャーで。そして初期のヒット曲『MELODY』が生まれ、紅白に初出場という。

(玉袋筋太郎)これ、吉田栄作もやってたもんな。江口洋介も織田裕二もな。

(吉田豪)織田裕二さん、意外と地味にやってますよね(笑)。

(玉袋筋太郎)やってんだよ。でも、やっぱ恥ずかしい。気恥ずかしくなるんだよね。こっちが。

(小林悠)どっちかって言うと、俳優さんがメインっていうか。

(玉袋筋太郎)っていうかいい男がさ、そんなことやったって・・・っていうのがあるんだよ。こっちはね。

(吉田豪)織田裕二のジョージ・マイケルのカバーとか、最高ですよ。

(玉袋筋太郎)これがまた!カバー!

(吉田豪)意味ありげな選曲(笑)。

(玉袋筋太郎)上手いね!上手いね!ワム!だね、おい!だけどこのね、そうやって紅白歌合戦に出ても、その5の筋で、やっぱり根がマイナー志向で疑り深く、調子に乗れない体質の筋っていうのがね。

(吉田豪)そうなんですよね。94年に『IT’S ONLY LOVE』で初めてオリコン1位になった時も、うれしかったし驚いたけど、根っから疑り深い体質であるんで、『ここからだな』と考えて。全く調子に乗れないらしいんですよ。様々な記録。それこそね、いろんな物を作ってきてますけども。

(玉袋筋太郎)そうでしょう?

(吉田豪)どうしても、調子に乗れない。たとえばかっこいい男ランキングとかで1位になっても、全部嘘だと思っているっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)これ!そんな・・・

(吉田豪)『うちの事務所、そんな力あったっけ?』みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)なんだ、そりゃ?アミューズさんでしょ?あるでしょ!おそらく。オフィス北野よりは。

(吉田・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)業界的には。そこだよね。

福山雅治が自信を持てない理由

(吉田豪)で、本人にも言ったんですよ。『そこまで自信が持てないのって、三國連太郎さんにタイプ、近いんじゃないですか?』って言ったんです。三國連太郎さんっていうのもすごい自信がなくて。あれだけベテランになっても、本当に台本とか死ぬほど読み込んで、台本を真っ黒にしないと自信が持てない人で。理由、なんでか?っていうと、三國さん本人にも僕、言ったんですけど。あの、下半身のコンプレックスが相当あるらしいんですよ。

(玉袋筋太郎)おおー!

(小林悠)あ、三國さんが?・

(吉田豪)そうなんですよ。あの、ね。非常に皮をかぶった感じの(笑)。で、非常にあれだったんですよ。短小包茎早漏と自分で公言していた人で。『そのせいで僕はね、自信がないんです。物事に』っていう(笑)。

(小林悠)(笑)

(吉田豪)って言ったら、『まさに!』っていう感じで。『僕も、そうなんですよ』って。

(玉袋筋太郎)ましゃに!

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)ましゃに!カミングアウトっつーのは、すごいね、これは。

(小林悠)それ、言う必要ないのにね。そこまで言ってくださるっていうのは・・・

(吉田豪)まあ、言う必要がないことを言うのが福山さんなんですよ。

(玉袋筋太郎)わかる!それ、わかる。誰かに見つけられて、ワーッ!って言われるんだったら、言われる前に自分で言っちまえ!っていうのがあるわけですよ。

(小林悠)だって見つけられるシチュエーション、ないのに(笑)。

(吉田豪)連れションもしないですからね。

(玉袋筋太郎)連れションされたらさ、『あっ!』っつって。言われちゃう前に自分で言った方が楽にはなるよ。それは。

(吉田豪)それがだから、6にもつながるやつですね。自虐的な下ネタはサービス精神っていう。

(玉袋筋太郎)なんかな。これなんだよな。

自虐的な下ネタ

(吉田豪)下ネタ、ガンガン言ってね。まあ、同じ事務所で言うと桑田佳祐さんと並んで下ネタの帝王と呼ばれているけど。まあ、彼の話術に影響を与えたのは笑福亭鶴光さんなんですよね。

(玉袋筋太郎)『乳頭の色は?』って。

(吉田豪)そうなんですよ。鶴光さんのオールナイトニッポンをずーっと愛聴していて。尊敬していて。その結果、自分で学んだ下ネタのテーマっていうのが、『良くも悪くも自分に酔えない性分なんで、いつも不安だから余計なことを言ったりやったりする。だから、こういうのも自虐でなきゃいけない』っていうね。

(玉袋筋太郎)ほー!自虐だよな。

(吉田豪)調子に乗ったような、『だから誰とヤッたみたいなものは考えられない。そういうことを下ネタとして言う人間は』っていう。

(玉袋筋太郎)自虐がいいってんだよ。だけどさ、自虐じゃねーとさ。そりゃ福山くんがだよ、そんな短くなくてだよ。皮、かぶってなくてすごいのを持っていたらさ、嫌んなっちゃうもんね。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)いるんだよ。そういうバカヤローが。うん。なんつーんだろうな?

(吉田豪)なんですか?

(玉袋筋太郎)タイプと言ったら、なんて言うんだろうな?バカに限ってデカかったりするんだよ!

(吉田豪)(笑)

(小林悠)知りませんよ!

(玉袋筋太郎)いや、本当。本当。多いんだよ。『こいつ、この野郎・・・いいものぶら下げやがって!バカのくせに!』っていう。うん。で、そこがやっぱ福山くんっつーのはすごい。支持を得たよね。男にとって。

(吉田豪)そうなんですよ。だから信用できると思うポイントってそういうところじゃないですか。インタビューとかしてても、だいたい余計なスイッチ入るの、こういうエピソードばっかなんですよ。だからたぶんね、恵比寿マスカッツが復活することになっていちばん喜んでいるのは福山さんだろうっていうぐらいに、『おねがい!マスカット』とか、ああいうの大好きで。ずっと見てて。

(小林悠)ご覧になってたんですってね。

(吉田豪)あれに熱くなっていて。おぎやはぎに嫉妬したりとか、ずっとしてたんですよ。『なんすか、あれ!?仲良くして、Rioと!』みたいな(笑)。本気で怒っている人でしたからね。プレイボーイのグラビアを見て激怒とか。『なんすか、あのグラビア!?俺が撮りたい!』みたいな。

(小林悠)ええ~っ!?

(玉袋筋太郎)マスカッツ。そうなんだよ!で、そこで、もうちょっとね、やっぱり熟女系が好きだとか。そう言ってくれたらもっと好きになるよ。『やっぱり身体の線が崩れてきた女が好きなんです、僕は』っつってくれたらいいけど。まあ、吹石さんだからね。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)結婚直後は言わないと思うな。当分封印かな?下ネタは。うん。

(小林悠)ラジオもね、お辞めになっちゃいましたからね。

(玉袋筋太郎)で、やっぱね、気になるのは私生活なんですよ。だって俺、たぶんね、すごい広い家に住んでると思うんです。滝があったりとか。

(小林悠)私、ものがないと思います。

(玉袋筋太郎)ああ、そう?いやいや、パルテノン神殿みてーなところに住んでると思うよ。俺は。だけど、そうでもねえんだよな?

自宅での生活

(吉田豪)そうなんです。基本、自宅では詞を書いているか、曲を作っているか、酒を飲んでいるかっていうね。まあ、お酒の話ばっかりですよ。話を聞いてると。親戚のおじいさんがご飯に日本酒を入れて、酒漬けみたいな感じで飲んでいるような環境で育ったから、たいへんな酒好き。

(玉袋筋太郎)酒好き。

(吉田豪)まあ、ね。あまり表立っていま言いづらいですけど、小学校の頃から友達の家で飲んで。酒が弱い=ケンカも弱い=人として弱いっていううような環境で育ったので。

(玉袋筋太郎)それも梶原イズムもあるよね。いや、だけどさ、俺会った時、朝早かったけど酒の匂いとかしなかったしね。やっぱりそういうのはコンディション。

(吉田豪)きれいに抜いてるんですかね?

(玉袋筋太郎)残してこないんだよ。俺と違うところだ。それは。

(吉田豪)(笑)。酒の匂い、プンプンさせながら仕事するっていう。

(玉袋筋太郎)一緒だもん。言ってることは。でも、酒の匂いがしてるとか、あるんだよ。

(吉田豪)そうですよ。酒と格闘技が好きって、ほぼ同じじゃないですか。

(玉袋筋太郎)一緒なんだよ。でも、飲んでいる酒の種類が違うんだろうな。結構いいウィスキー飲んでるから。

(吉田豪)そうですね。最初の対談の時も、帰り道に15万円のボトルを買ってましたね。

(小林悠)ええっ!?どこで買うんですか?酒屋さんですか?

(吉田豪)対談場所が結構その、大変なシガーバーみたいなところで。お酒を、結構高いの置いているところだったんで。

(玉袋筋太郎)だからさ、そこが違うのよ。やっぱ俺は取っ手が付いているような焼酎しか飲まなかったから。そっちも行かなきゃダメなのよ!

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)ウィスキーの、ハイランド地方だとかスペイサイドとか。そういうことを語っているわけだよ。

(小林悠)おしゃれですよね。

(玉袋筋太郎)シャレオツだ。でも家で・・・俺ね、やっぱ驚いたのが、要するにお金がいっぱい入ってきても、結局ね、『このお金があってもこれぐらいの東京は家しか買えねえのか』とか彼が思っていたりとかさ。要するに車とかにさ、興味がさ・・・

(吉田豪)ぜんぜんないですね。

(玉袋筋太郎)普通だったら車、毎月スーパーカー買ってると思うな。俺。買い続けたのはギターだけだっていうのが、また憎たらしい!

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)買う?だってそりゃたしかにそうなんだよ。福山雅治がロールスロイスのファントムの長いの乗って出てきたら、そりゃ、やっぱりそうじゃん!って話になっちゃうんだもん。

(吉田豪)いくらチンコ小さいって言ったところでね(笑)。

(玉袋筋太郎)言ったところでさ。車がデカいんだもん、それ。車っつーのはやっぱりチンポの象徴だからね。

(吉田豪)そうです。そうです。

(玉袋筋太郎)そういうことだからさ。

(小林悠)(笑)。今日、自由すぎます(笑)。

(玉袋筋太郎)それをね、ギターを買い続けるってところが、かっこよかったりするよな!

(吉田豪)で、みみっちい話、しますからね。自宅では毎回風呂掃除を全裸で行っていて。それもだから全裸のままT字のワイパーを使って、壁とか床とかを全部キレイに水切りして。

(小林悠)ええっ!?

(玉袋筋太郎)ちょっと待って。それ、俺と一緒だよ!

(小林悠)本当ですか!?

(吉田豪)そうなんですか?

(玉袋筋太郎)あのスケッパーで。スケッパーっつーんだけど、シャーッてやるの。

(小林悠)玉さんもやってるんですか?

(玉袋筋太郎)やってるよ!あれで、水はけ。うん。

(小林悠)(笑)。結構似てますね。

(吉田豪)『月に1回、まとめて風呂掃除するよりは、毎日3分そうやってやることを続けている』みたいな感じの。

(玉袋筋太郎)あらー。

(小林悠)そこらへんの考え方も結構、玉さんに似てますね。

(玉袋筋太郎)1日5分の拭き掃除だけでいいんですよ。

(吉田・小林)(笑)

(玉袋筋太郎)雑巾1枚だけでいいんです。あれば。そこは合うな。いや、だけど何だろう?コンプリートファイターだね!

(吉田豪)ですね。そりゃね、そんだけ警戒していた玉さんも会えば一発やられますよ。

(玉袋筋太郎)一発で決められたもんなー!チョークスリーパー、スーッと入ってきて。もう。

(吉田豪)独身最後の仕事、一緒だったんですか?

(玉袋筋太郎)独身最後の仕事だよ。俺だもん。パートナー。その次の日があれだからね。吹石さん、だから俺、すげー本当、吹石一恵に嫉妬視点だよね。いま。日本中のどの女性よりも。

(吉田豪)そして怖いのが、こうやって話すと、『豪さん、この前のあれ、ポッドキャストで聞きましたよ』とか、来るんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)何人かいるな!福山雅治、3人ぐらいいるんじゃねーか?クローン人間。

(吉田豪)雑誌とかも異様にチェックしてるんですよ。

(小林悠)よく、そんなお時間ありますよね。お忙しいのに。

(吉田豪)メイクとかする時に、だから用意する雑誌とか、スタッフに相当言ってるんですよね。だから、相当な週刊誌とかいろんな月刊誌とかを一気に読んで・・・っていう。美容院でもこんなに揃ってねーわ!っていうレベルの。

(小林悠)女性用の雑誌とかもお読みになってるんですって?

(吉田豪)相当読んでますね。

(玉袋筋太郎)じゃあ、俺の読んでいる『月刊相撲』とか『実話時代』とかも読んでるかもしれねえな。

(吉田豪)ヤクザ雑誌はわからないですけどね(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(吉田豪)好きかもしれないですけどね。世界としては(笑)。

(玉袋筋太郎)これ、好きだとは言えないよな。

(小林悠)もう今後の展開がかなり気になります。

(玉袋筋太郎)いやー、すっげーおもしろかったー。

(小林悠)ねえ。ご結婚されてまた、いろいろ変わることもあるんでしょうか。ましゃは。

(玉袋筋太郎)そうだよね。菅官房長官に『子供を産めよ殖やせよ』みたいなことを言われたんだから。

(小林悠)また1個、ニュースがそれで出てますから。

(吉田豪)ねえ。それで独身のリリーさんに影響を与える可能性が出るかどうかですね。

(玉袋筋太郎)おっ!これが面白いねー!

(小林悠)ちょっと、日本の社会全体に影響を与えてますからね。株価とか。

(吉田豪)一緒に飲んでいた友達がね、飲まなくなる可能性、ありますから。一緒にね(笑)。

(玉袋筋太郎)そうだよ。結婚するとね、急に飲まなくなるやつとか、いるからね。付き合いが悪くなったりとかね。風俗行かなくなったり。相棒だ、それ。

(吉田豪)(笑)

(小林悠)いいじゃないですか。

(玉袋筋太郎)さあさあさあ・・・

(告知部分省略)

(玉袋筋太郎)いや、豪ちゃん、『宇宙戦艦ヤマトをつくった男』。西崎の本、面白い!

(吉田豪)最高でしたね!名著!

(玉袋筋太郎)ありゃ名著だったよ!

(吉田豪)みなさん、是非読みましょう!

(玉袋筋太郎)絶対読んでほしい!

(吉田豪)最高です!

(小林悠)改めて、タイトルはなんですか?

(玉袋筋太郎)『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』。

(吉田豪)前回のね、富野さんの話の時にちょろっと出てきた伝説のアニメ界の詐欺師の人の話です。

吉田豪 富野由悠季インタビューを語る
吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。『機動戦士ガンダム』などの監督で知られる富野由悠季さんにインタビューした際の話をしていました。 (玉袋筋太郎)さあさあ、どっから行こうかね?豪ちゃん。 (小林悠)1(の筋)から行きますか?どうし...

(玉袋筋太郎)いやいや、もう最高だったな!あの本な。

(吉田豪)詐欺づくしでしたね(笑)。

(玉袋筋太郎)その話もまた、豪ちゃんしたいから。また来てくれよ。

(吉田豪)はいはい。

(玉袋筋太郎)ありがとうございました。

(小林悠)次回は11月6日ですね。吉田豪さん、ありがとうございました。

(吉田豪)はい。どもー。

<書き起こしおわり>

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