吉田豪 山本太郎の素顔を語る

吉田豪 山本太郎の素顔を語る 小島慶子キラ☆キラ

吉田豪さんがTBSラジオ『小島慶子キラ☆キラ』で2011年12月にしたトークの書き起こし。2002年に俳優・山本太郎さんを取材した際の模様を話していました。

ひとり舞台 脱原発-闘う役者の真実-

(小島慶子)今日は俳優の山本太郎さんにインタビューした時のお話と。

(吉田豪)まあ、だいぶ前の話なんですけどね。はいはい。1974年生まれで現在37才。まあ、3月の震災以降、Twitterで原発関連の発言をしたりで、それが原因で予定されていたドラマを降板。で、5月には『事務所に迷惑をかけるわけにはいかない』という理由から、事務所を辞めてフリーになって。脱原発を訴える署名活動とかで最近、かなり話題になっている方なんですが。

(小島慶子)はい。

(吉田豪)まあ2002年に僕、ダ・カーポでインタビューしてるんですよ。『夜を賭けて』という映画のプロモーションで。で、読みなおしてみたらすごい面白かったんでね。この話でもしてみようかなという。まあ、本当に異常にテンションが高いんですよ。あの人。取材時のテンションも尋常じゃなかったんですけどね。で、そのテンションの高さは子どもの頃からで。山本さん曰く、『普通の人とは違って体の中でハイテンションになる物質が作られている。そういう機関があると思う』って言っているような人で。

(ピエール瀧)(笑)。格闘家向きだよね。それね。

(吉田豪)ですね(笑)。痛み感じないタイプっていう。子どもの頃の話だけでむちゃくちゃで。3才くらいで車にひかれても、親に怒られると思ってそのまま歩き出したっていう。

(小島慶子)ええーっ?

(吉田豪)まあ、それぐらい親が怖かったっていう。『信号青の時のみ、しかも右見て
左見て右見て』っていうのを徹底的に言われていたのに、それを無視してしまったっていうことで。『車にひかれたことよりも、親に怒られる!どうしよう?どうしよう?とドキドキしている間に体はもう治っていた。自然治癒力』っていう。

(小島慶子)えっ?そんなはずないでしょ?(笑)。

(吉田豪)怖い怖い!っていうのがもう・・・『痛くないです!』って言いはったみたいな(笑)。

(小島慶子)そんな・・・

『元気が出るテレビ』のダンス甲子園でデビュー

(吉田豪)まあ、そんな人がテレビデビューが、お馴染み『元気が出るテレビ』の『ダンス甲子園』だったわけですけど。あれも本人曰く、なりゆきなんですよね。

(小島慶子)そうなんだ。

(吉田豪)ええ。山本さん、元気が出るテレビ、見てなかったんですよ。見てなかったんですが、学校で周りのみんなが『ダンス甲子園にテンションの高い奴らが出ている。特に、いまきた加藤がすごい!尊敬するわ、あいつら』ぐらいのことを言っていて。まあ、いまきた加藤、たしかにすごかったんですけど。山本さん、それが気に入らなかったんですよ。

(小島慶子)うん。

(吉田豪)本人、まあね、学校ではずば抜けてテンション高い存在で。みんながそこまで言うのなら・・・っていうんでダンス甲子園を見てみたら、みんなが言うほどじゃない。お前ら、なに見てんねん?普段俺のこと見てんのに、何を言うてんねん?ということで。

(小島慶子)(笑)。俺を見ろ!って思ったんだ。

(吉田豪)激怒。俺を見てんのに、なんであれで騒ぐ?っていう。

(ピエール瀧)いままで俺のどこを見ていたんだ!?と。

(小島慶子)プライドがね。そうなんだね。

(吉田豪)で、みんなに分からしたろ!と思ってハガキ書いて。つまり、芸能界に入って有名になってやろうとかじゃなくて、あいつらよりも俺の方がテンションが高い!ということを教えてやるっていう。それだけの理由で、出たんですよ。テンション勝負で。

(小島慶子)そうなんですか(笑)。

(吉田豪)そしたらまあ、メロリンQというね、海パン1丁で乳首とかをつまみながら踊る異常なテンション芸で大ブレイクしたわけですけど。まあ、最初のチーム名は『アジャ・コング&戸塚ヨットスクールズ』っていうね。

(ピエール瀧)(笑)

(吉田豪)まあ、山本さん曰く、『戸塚ヨットスクールズはチーム名というよりも、家のこと』って言っていて。まあ、母子家庭でお母さんがすごい厳しかったんですよ。で、なにか悪さする度に、『戸塚入れんで。戸塚にもう電話したから』って言われていて。最初はビビッてたけど、何度も言われるうちに、これは脅し文句やなと悟って、まあその名前を使うようになったっていうことなんですが。

(小島慶子)ふーん。

(吉田豪)その時のテーマ曲は、イギリスのヘビーメタルバンド、ジューダス・プリーストの『Painkiller』だったんですけどね。

(吉田豪)まあ、ジューダス・プリーストっていうのはね、ボーカルがかなりハードゲイな人なことで知られるバンドなんですが。『どうしてこの曲だったんですか?』って聞いたら、『勢いで見せるっていう意味ではあれぐらいスピード感がある曲で。それでいて、歌詞とかを読んでも「イカれ取るな、こいつら!」みたいな。そんなイカれ具合もマッチしていた』っていうことで。

(小島慶子)そうなんだ。

(吉田豪)たしかにものすごいインパクトで。ただまあ、インパクトありすぎたせいで本人曰く、『だから僕の目標はデビュー作を超えること』って言っていて(笑)。

(小島・瀧)(笑)

(吉田豪)まあ、いくつになっても『メロリンQ』と言われるという。

(小島慶子)そうね。でも、強烈でしたもんね。やっぱり印象が。

『僕の目標はデビュー作を超えること』

(吉田豪)強烈でしたよっていう。ただ、本人曰く、『ダンス甲子園は楽しかったのは最初の2、3回だけで、あとはちょっと義務的な感じだった』って言っていて。要は『制作サイドから「またたのむよ。今週もね、Qを!」みたいなこと言われると、反骨精神たっぷりだから困らしたろうかな?ぐらいのことを思う。別にギャラもらっているわけじゃないし、もらえるものって言ったらマズい○○○の・・・あっ、これ言うたらアカンわ』っつって。要は、いつも出されるのは、とあるところのハンバーグ弁当で。

(小島慶子)ああ。

(吉田豪)山本さん曰く、『子どもはハンバーグ好きだっていうのはわかるけれど、毎回ハンバーグ弁当かよ!みたいな』っていう。ノーギャラで弁当だけ食わされていただけらしいんですよ。

(小島慶子)そうなの!へー!

(ピエール瀧)あいつら、ハンバーグさえやっておけば、なんでもやるから!みたいな。

(吉田豪)そう(笑)。ガキだから!っていう(笑)。

(小島慶子)『やった!テレビに出られてハンバーグもらえる!』って来るだろうと。

(ピエール瀧)ハクション大魔王じゃないんだから。

(吉田豪)そうそう(笑)。

(小島慶子)ひどいね!

(吉田豪)しかも、だってビデオとかになって、それも売れてたんですよ。大ベストセラーですよ。

(小島慶子)でも、ぜんぜん本人たちには入らなかった?

(吉田豪)入るわけもなく。潰れかけていた制作会社が立ち直って、社員全員にボーナスが出たらしいんですけど。その話を聞いたら、『いまだったらそれで潤った人たちがいるなら、幸せ配達人みたいな。そういう楽しみ方ができる余裕もありますけど、当時は俺、ハンバーグ弁当やぞ!みたいな』っていう。当たり前ですよ(笑)。

(小島慶子)ねえ、そりゃそうだ。

(吉田豪)『俺たち労働者を無視して!みたいな、大人の汚い世界を見てしまった』っていう。まあでもそれでね、そのまま本当、芸能界に入り。で、16才で俳優デビューをするわけですよ。元気が出るテレビに出ている時に東映からオーディションの話があって。さらには歌手デビューもしたんですが。

(小島慶子)へー!

(吉田豪)それは山本さんの本意ではなかったんですよね。本人曰く、『事務所が当座のお金に困って・・・っていう感じで。わかんないですけど。でも、どうせやるんだったらパンクをやりたい!』っていうことで、それまで書き留めていた言葉みたいなのを歌詞にしたらしいんですよ。それが、『お前の家の裏庭に地雷を埋めてやる ぶっ飛びやがれ この野郎』みたいな。で、それを『どうですか?』って出したら、『うん、お話にならないです』って言われたって(笑)。当たり前ですよね(笑)。

(小島慶子)そんな歌詞・・・

(吉田豪)で、山本さんとしては、『じゃあ一体なにをやるわけ?』って言ったら、『君は黙って俺たちの言うとおりにしていれば売れるから』って言われて。だからもう本人、全くやる気がなかったと。で、レコーディングの時は普通ヘッドホンをつけるんですが、当時山本さん髪の毛を立てていたから、『髪の毛がつぶれるの嫌だから、イヤホンにしてください』って言って。『山本くん、イヤホンで録ってもいいけど、歌っていうのは一生録り直しがきかないいよ?髪は水につけたらまた立つじゃないか』って言われても、『嫌やからイヤホンにしてください』っていうね。

(小島慶子)うん。

(吉田豪)そんな感じで完成したアルバムのタイトルが、『悪い大人に騙されて』っていうね。

(ピエール瀧)すごいね、ジャケット、これ。

(小島慶子)ジャケットが・・・

(吉田豪)ふんどし1丁ですね。

(小島慶子)なんか、なんでバリの踊りをしている人たちの手前で、赤いふんどし1丁で・・・

(吉田豪)まあ、後のウルルン出演につながる感じのジャケですけどね。

(小島慶子)拳を天に突き上げた。山本さんが。

タイトルとURLをコピーしました