平井堅が語る サザンオールスターズのストーカー時代の話

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平井堅さんがTBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』に出演。自身の原点を3つ挙げた平井さん。学生時代にサザンオールスターズをストーカーしていた時代のことなどを話していました。


(安住紳一郎)さあ、それでは戻りまして、シンガーソングライター平井堅さんの原点。紹介しましょう。その1 ザ・ベストテンの記憶。その2 サザンオールスターズのストーカー その3 ニューヨークで挫折。以上の3本です。ザ・ベストテンの記憶?

(平井堅)はい。あ、もうベストテン世代で。物心ついた時からベストテンやってたんで。それに出たいっていうのが夢の始まりで。木曜日の夜9時TBSのために生きていたっていうぐらい。小学校の時とか。あんまり、学校も好きじゃなくて。本当にそれが楽しみで毎日過ごしていて。あの回転扉から出たいっていうので歌手になりたいなと思ったんです。

(安住紳一郎)そうですか。

(平井堅)もうベストテンがなかったら、たぶん歌手になりたいと思ってなかったと思いますね。

(安住紳一郎)そのころ夢中になっていた歌手は誰ですか?

(平井堅)はね、ええと、明確に意識したのは松田聖子さんですね。やっぱり小学校3年生の時に、80年にデビューされて。で、サザンとかが『勝手にシンドバッド』が小学校1年生ぐらいで。その時はまだ、ぼんやりしてたんですよね。記憶が。好きだったんですけど。でも、明確に意識して好きになったのは松田聖子さんですね。

(安住紳一郎)そうですか。私も『青い珊瑚礁』を飛行機から降りてきて歌った時はなんか・・・

(平井堅)でも安住さんはその時は小学校1年生くらいですよね?

(安住紳一郎)小学校1年生くらいで。たぶんその後の映像を見てるんだと思うんですけど。かっこよかったなーっていうか。なんか、ありますね。

(平井堅)そうですよね。あの、久米さんと黒柳さんの間に挟まれたいなって思ったんですよね。

(安住紳一郎)そうですか。

(平井堅)それ以来、ずっと歌手になりたいなっていう思いがずっと持続したっていうか。はい。

(安住紳一郎)小学生ぐらいの時から、やっぱり歌は自信がありましたか?

(平井堅)あのね、歌ったこともなかったし、そういうことを人に言ったこともなかったんですけど。心の中でずっと、歌ったらきっと上手いんだろうなってこう、井の中の蛙ですよね。歌ってもいないのに、心の中ですごい根拠の無い自信があって。ちっちゃい頃はね。夢見がちに。その後、どんどん挫折はするんですけど。

(安住紳一郎)はー!

(平井堅)きっとみんなそんな妄想があって、たぶんなられると思うんですけどね。

(安住紳一郎)なるほど。あんまり人前で他の人には『歌手になりたい』とかは・・・

(平井堅)全く言わなくて。大学に入って、三重だったんですけど、三重を後にして、誰も自分のことを知らないところで、初めてこう『歌手になる!』ってみんなに言って。そっからオーディションとかを受け始めて。だから18からですね。

(安住紳一郎)ああ、そうですか。

(平井堅)それまではぜんぜん、言ってもバカにされると思って、言えなかったですね。

(安住紳一郎)自分の本当の夢って人に言うとバカにされると思って、ちょっと隠しておくという。

(平井堅)そうですね。だから『なりたい職業:教師』とか書いてましたよ。嘘で。『歌手』って書いて消して、『教師』とか書いてましたね。学生時代は。

(安住紳一郎)結構あれですね。内向きな感じですね。

(平井堅)うん。18ぐらいまでは内向きでしたね。はい。大学ぐらいからバーッと。やっとなんか好きなことに向かってこう、行動し始めたっていう感じです。

(安住紳一郎)そうですか。さあ、そして続いてですけども。サザンオールスターズのストーカー。これは、じゃあ横浜に出てきてから?

(平井堅)ええと、サザンはですね、もちろんベストテン等々でもちろん好きだったんですけど。明確にガツン!と来たのがですね、僕が小学校5年生だったと思うんですけど。『ふぞろいの林檎たち』。

(安住紳一郎)あっ、またTBSですね。

(平井堅)っていうドラマがありまして。それが大好きで。姉が6つ上にいるんですけど。大学のキャンパスライフを描いたドラマで。姉がその時、高校3年生とかで。なんか大学生活にあこがれて見てたんですね。で、お姉ちゃん子だったんで、姉と一緒に見てて。で、まあ劇中主題歌、全部サザンの歌がいっぱい流れるんですよ。それからですね。ハマって。もう、ちょっとおかしくなっちゃって。好きすぎて。サザンオールスターズが。で、もちろんファンクラブに入り。そっからサザンのコピーバンドとかを始め。でも、すぐに立ち消えるんですけど。で、その後、後々ストーカーになっていくという・・・

(安住・中澤)(笑)

(平井堅)横浜の大学に進学したので、まあ東京に近くなる。桑田さんの自宅にも近くなるということで。そっからストーキングを始めるんですね。はい。

(安住・中澤)(笑)

(平井堅)やっちゃダメですよ。みなさん。

(安住紳一郎)どういうことをやってたんですか?

(平井堅)あの、まあ横浜だったんで、茅ヶ崎じゃないですか。だからこう、まあご実家は行かなかったですけど、なんかね、なんか近いからこう、好き好き言ってると情報が入ってくるんですよね。で、なんかこう、桑田さん・・・ご本人にもお伝えしましたけど、桑田さんのご親族の内々のイベントみたいなのに潜入。潜り込んで入って。息子さんと写真を撮ったりとか。

(安住・中澤)(爆笑)

(平井堅)あとこう、ご自宅を突き止めて、門柱に自分のデモテープを置いて。それが20年たって、2年前に出てきて。桑田さんと一緒に聞いたんですけど。そのテープを。

(安住紳一郎)平井堅カセットテープ事件ですね。これが有名な。

(平井堅)そうですね。

(安住紳一郎)すごいですよね。これも。

(平井堅)もうちょっと、おかしかったですね。当時は。『コーラスに雇ってください』って書いて。手紙と。で、その門柱に置いたんですけど。なんか出てきて。

(安住紳一郎)自分で自分の歌ったものを録音して、桑田さんのご自宅の門柱の上にのっけて・・・

(平井堅)逃げてきたんですね。

(安住・中澤)(笑)

(平井堅)でも6時間くらい家の前で立ってたんですけど。そしたらなんかこう、地下からワーッて車が出てきたんですよ。豪邸の。ほんで、『うわー!本人かも!?』と思ってバーッてダッシュで逃げたんですね。怖くて。ハタチだったんですけど。その時。その話もまあ、ご本人にしましたけど。『それ、俺だったのかな?わかんねーな』って言ってましたけど。

(安住紳一郎)門柱の上っていうのは、あれですか?石でできているような?

(平井堅)そう。なんか門柱。そうそう。で、『桑田』っていう標識もないから。もちろんですよね。わかんないんだけど、友達。知り合いが『ぜったい、たぶんそこだよ』って言われて。地図を書いてくださって。某所のね。で、その地図をたよりに言ったら、まあ明らかに豪邸だったんで。きっとここだろうと思って、門柱の上にのっけて。ピンポンとかをするのもな・・・と思って。

(安住紳一郎)まあ、出てきてもし話できたら、コーラスとして?

(平井堅)『雇ってください』って書いて。『桑田佳祐様 原由子様』って書いて。『コーナーに雇ってください 平井堅』って書いて、デモテープと。そしたら出てきたんですよ。20年たって。

(中澤有美子)へー!

(安住紳一郎)そうなんですよね。私もこの話を聞いて驚きましたけども。

(平井堅)僕がいちばんびっくりしました。

(中澤有美子)取っておいてくださったんですね。

(平井堅)あのね、お手伝いさんが大掃除をして。そしたら、出てきたんですって。倉庫から。

(安住紳一郎)それで、桑田さんのラジオかなにかで・・・

(平井堅)一緒に聞いたんですよね。お優しくて。スタジオ行って。もうテープが切れてたんですね。20年前、劣化してて。で、それをスタジオでつないで。で、『一緒に聞こう』っつって。その曲を聞いて。それで一緒にサザンの曲をデュエットして。桑田さんのラジオで。だからもう、当時の自分がその未来を想像したら、もう失禁ですよ。本当に。

(安住紳一郎)(笑)。失神でいいじゃないですか。なんで失禁にするんですか?(笑)。

(平井堅)いや、もっとすごいかなと思って。

(中澤有美子)わかるなー。

(安住紳一郎)でも、あれですよね。よく取っておいてくださったっていうのもありますし。ものすごい記録を打ち立てたいまとなっては、平井堅さん、サザンオールスターズ。この2人のアーティストが・・・

(平井堅)いやいや、そんなとんでもない。いや、だからいま、なんかすごい優しくしてくださって。なんか、メールとかのやり取りをしてるんですけど。もうなんか、どっかでこんなことしてちゃいけないなっていう。やっぱり憧れは憧れのままでね。なんか、よくないなと思いながらも、まあうれしくてね。こう、してしまいますけども。

(安住紳一郎)平井堅さんがもしね、アーティストにならず、違う道に進んでいたら、もうそのカセットテープはね、ほとんどもうなんか、わけのわからないものになっている(笑)。

(平井堅)そうですね、きっと。

(安住紳一郎)さあ、そして最後ですけども。ニューヨークで挫折。

(平井堅)なんでこれを選んで(笑)。はいはい。あの、いまから10年ちょい前。2003年ごろに、ちょっとこのお仕事が辛くなって。マネージャーさんに『ちょっと休みたい』って言ったら、『ニューヨーク好きだから3ヶ月だけ休みをあげるから、行って来い』って言われて、3ヶ月だけニューヨークに住んでたんですけど。で、英語がすごい好きで。英語を勉強しようと思って英語学校に行ってたんですけど。そこでまあ、英語に挫折したっていうことですね。ざっくり言うと。

(安住紳一郎)(笑)。英語に挫折した。

(平井堅)なんか、未来予想図はすぐペラペラになれると思ってたんですよ。でもなんかね、要するに才能がなかったんですね。語学センスが。まったくなくて。ぜんぜん上達しなかったんですね。毎日通ってたんですけど。そのフラストレーションも含め。いろんな英語のアクセントに馴染むために、毎回先生が違うんですね。個人レッスンだったんですけど。で、一生懸命録音して。家に帰ったらそれを聞いて復習して、みたいなことをしてたんですね。で、ある嫌な感じの先生がいて。録音したら、まず『止めろ』って言われたんですよ。その時に。

(安住紳一郎)あっ、そのクラスで出している録音機を。

(平井堅)はい。『なぜ録音するんだ?』って言われて。きっとその、変に悪用されるのが嫌だったのか、理由がわからないんですけど。それで、僕もいろいろフラストレーションが溜まっていたのか、ワーッとなって。普段はワーッてならないんですけど。で、『なぜ録音してはダメなんですか?』って聞いたんですよ。『無意味だから』って言われて。『なんで無意味なんですか?』って聞いたら、『目的はなんだ?』って言われて。それで『英語を上達したいから、会話して聞き取れなかったことをあとで復習して、何度か聞き返すために』って言ったら、『そんなことしても上達しねーよ』って言われて。

(安住紳一郎)はあ。

(平井堅)ほんでもう、すごい怒りとなんとも言えない悔しさで涙がボロボロボロボロ出てきて。ウワーッて激昂して、その先生に言ったんですよ。『お前は生まれた時から母国語が英語で。なんの努力もなく英語をしゃべれるかもしれないけども。こちとら日本語、普通にしゃべれるぜ。お前、しゃべってみろ!日本語!』みたいな。『その気持を第一言語が英語のお前になにがわかるんだ!?』みたいなことをブワーッて言って。で、なんか涙がすごいボロボロ出てきて。

(安住紳一郎)へー!

(平井堅)っていうね、なんか口論になって。

(安住紳一郎)それ、英語で平井さん、言ったんですか?

(平井堅)そうです。

(安住紳一郎)結構しゃべれてますね(笑)。

(平井堅)だから怒りってすごいですよね。で、なんかいまも英語を勉強してる。好きなんですけど。英語をしゃべれないことになんでこんなにコンプレックスを感じるんだろう?ってこととかが嫌になって。翌日、辞めました。その学校を(笑)。

(安住紳一郎)(笑)

(平井堅)でも、英語はいまだに好きなんですけどね。勉強はしてるんですけどね。

(安住紳一郎)ねえ。せっかく録音して家に帰って復習しようとして。まじめにやってるのに。お前の感覚で説教たれるなよっていう話ですよね。

(平井堅)そうなんですよね。そう。その先生がね。いまだに顔を思い出すと、腹が立ちますね。

(安住紳一郎)2003年で、大きな古時計大ヒットして。平井さん、結構いいお年ですもんね。だってね。

(平井堅)いいお年ですよ。もう分別ついたいいお年で。

(安住紳一郎)いいお年で、ヒゲをたくわえて、顔の濃い平井さんが突然立ってね、こう、英語がちょっと上達しないんでものすごい怒こってるみたいなね(笑)。

(平井堅)そう。悔しくてね。

(安住紳一郎)そうですよね。いや、でも大人になっても悔しいもんは悔しいですよね。

<書き起こしおわり>

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