Base Ball Bear小出祐介が語る NUMBER GIRLと『青春』

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Base Ball Bearの小出祐介さんがTBSラジオ『タマフル』に出演。バンドNUMBER GIRLの歴史と、自身の青春時代をクロスさせて語っていました。


(宇多丸)『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』、今夜はBase Ball Bearの小出祐介さんをお招きして、『自分のアルバムが出るのになんですが、改めてNUMBER GIRLについて語ろう特集』をお送りします。小出祐介さんの作文がね。『僕とNUMBER GIRL』。始まるということで。ちょっと、お願いしますよ。

(小出祐介)はい。ええとですね、今回NUMBER GIRLについて分析してみようと思ったんですけど、どうしても身の上話を引き剥がせなかったと。なんで、まあ作文というか、作文的な感じで、今回はNUMBER GIRLの歴史と僕、小出祐介の歴史をですね、クロスオーバーさせて(笑)。ちょっとね、振り返っていこうかなという風に思っています。ちなみに、NUMBER GIRLについてなんですけども、来月、他局なんですけど、向井さんご自身で今回のリマスター盤の発売記念に際して、1ヶ月ぐらいかけてしゃべるらしいんで。そっち聞いてください。はい。

(宇多丸)詳しくはね。

(小出祐介)そっち聞いた方が早いということで。じゃあまず、はじまりなんですけど1995年ですね。NUMBER GIRLが福岡で結成されました。メンバーは向井秀徳、田渕ひさ子、中尾憲太郎、アヒト・イナザワの4名なんですけど。ライブハウスでバイトをしながら、バンドを組みたいと思っていた向井さんがメンバーに連絡して誘った。バンドに誘ったらしいんですけど。実はね、後から聞くと、周りのバンドですごく上手かった人たちっていうのを集めたというか。スターバンド的なニュアンスだったらしいんですよ。

(宇多丸)あー、そうなんだ。なんか自然発生的に友達同士でやったグループというよりは、意図的に組んだ。

(小出祐介)そうです。もうスターバンドだったらしくて、向井さんが誘った形でメンバーを集めたと。で、この時の福岡のライブシーンというか、働いていたライブハウスですね。に、椎名林檎さんとかも出入りしていて。で、向井さんがPAやっていたりとか。

(宇多丸)へー!

(小出祐介)で、スタジオの予約を中尾さんがやっていたりとか。田渕ひさ子さんは椎名さんのライバルバンドのギターだったりとか。っていう、実はそういうシーンがあった。

(宇多丸)シャ乱Qが元々別のグループだったみたいな。

(小出祐介)みたいなことがあったという話ですね。で、その頃の、一方僕は・・・小学校5年生ですね。

(宇多丸)これは、どう?小学校5年。音楽は?

(小出祐介)やってないです。ぜんぜん。バスケットボールやってました。11才ですね。で、この時の僕の最大のトピックスといえば、夕方受験をしていたので。

(宇多丸)中学受験ね。

(小出祐介)そう。塾に行くのにご飯を食べながら、エヴァンゲリオンを見ていたんですよ。で、それが僕とエヴァンゲリオンの出会いで。まあ、夕方の最初の放送ってことですね。元々特撮好きだったのもあって、まあウルトラマンっぽいな、みたいなところから好きになってったんだと思うんですね。ちなみになんですけど、エヴァンゲリオンは僕の中でね、NUMBER GIRLもそうなんですけど、三大・好きすぎるから語りたくないの内の1個なんですね。

小出祐介の三大・好きすぎるから語りたくないもの

(宇多丸)えっ、ちょっと待って。NUMBER GIRL、エヴァンゲリオン、あと1個はなに?

(小出祐介)乙葉です。

(宇多丸)えっ!?

(小出祐介)(笑)

(宇多丸)ちょっと待って・・・意外なところ、来たよ!なんかこう、違うところから来て。あ、乙葉さん。藤井隆さんの奥さんの乙葉さん?

(小出祐介)そうです。

(宇多丸)これ、実はね、乙葉さん特集も考えているんですけど。これ、ヤバいじゃん。これ、コイちゃん呼ばないわけには・・・

(小出祐介)あ、タイムリーですね。

(宇多丸)うん。本人、来てもらうか?みたいな話ですよ。

(小出祐介)マジか、ヤバいな・・・

(宇多丸)それ、マズい?

(小出祐介)死ぬ。

(宇多丸)(笑)。いまも、CMの間中『ウェーッ!』って言ってたのに。そりゃヤバいね。

(小出祐介)そうなんですよ。実はね。そういう、三大・・・

(宇多丸)エヴァ、NUMBER GIRLときて。なんかQuick Japan的な流れがあるじゃない。乙葉さんって来ると思わなかったから。

(小出祐介)もう本当、結婚すると思ってたんです。僕。乙葉さんと(笑)。まあまあ、そんなね、3つのうちの1つのエヴァンゲリオンとこの時に出会いましたよということでございました。そして1997年。NUMBER GIRLがファーストインディーズアルバムですね。『SCHOOL GIRL BYE BYE』ですね。リリースいたしました。インディーズアルバムでこそあるんですけど、NUMBER GIRLのライブ。最後まで必須レパートリーになっているような名曲がたくさん入っているようなアルバムでした。たとえば『omoide in my head』だったりとか、『IGGY POP FAN CLUB』だったりっていう曲が入っていて。あ、いまこれ流れてきましたね。これ、『omoide in my head』ですけど。



(宇多丸)うん。

(小出祐介)あの、当時はまだギターポップ的な鳴り方をしているというか、音の佇まいだったと思うんですけど。で、でもこの頃からこの出音がもう完全にNUMBER GIRLなんですね。もう仕上がっているんですよ。

(宇多丸)それは具体的に説明すると?

(小出祐介)まあ、このなんて言うんですかね?ギターのサウンドだったりとか、ドラムが暴れまくっていたりとか。で、女の子のギターなのに弾きまくってるとか。あと、日本一すごいダウンピッキングのベース、中尾憲太郎っていう姿がもうここにあったりとか。っていうのがもう、見て取れるアルバムだなと思っております。そして・・・

(宇多丸)97ね。ええと、ちょっと待って。95の時点で小5の小出少年はNUMBER GIRL聞いてないんだよね。

(小出祐介)まだ聞いてない。交差してないです。別々です。福岡と東京の話です。

(宇多丸)了解了解。場所は知らねーけど(笑)。で、この時は?

(小出祐介)で、僕13才なんですけど、中1ですね。で、私立中学に受験して入りました。で、これが僕にとって最大の転機なんですよ。ある意味、ここに入っていなかったら僕、NUMBER GIRLにきっと出会ってなかったというか。

(宇多丸)中学に入って、出会った。それはなんで出会ったんですか?

(小出祐介)いや、まだ出会ってないんですけど。あの、中学に入ったこと自体がきっかけなんです。っていうのも、僕はバスケやってたんですけど。だから、バスケやりたくて選んだ学校なんですよ。

(宇多丸)そんなスラムダンクみたいな。

(小出祐介)まさにそうです。スラムダンク世代なんですけど。で、まあそこそこ上手かったし、部の感じでもすごく良くて。いい感じだったんですね。で、バスケ部ですごい仲良かった連中っていうのが、結局クラスでもスクールカースト上位の連中だったんですよ。だから、その彼らと仲良くしていることで結果的にスクールカースト、クラスでもピラミッドのてっぺんにいたんですね。なんですけど、それが秋口になって、なにがきっかけだったのか、いまでもしっくり来てないんですけど。急に、その部活で仲良かった連中から無視されるんですね。

(宇多丸)あー・・・

(小出祐介)で、結果クラスでもみんな誰とも俺としゃべってくれないみたいな。完全孤立みたいな。

(宇多丸)マジで?それは・・・ひでーけど、まあ、あるね。なんか中学ぐらいの時ってね。

(小出祐介)そうなんですよ。だから中1の夏過ぎ、秋口あたりなんで。そっから残りの半年間、もう地獄みたいな。誰もしゃべってくれないみたいな時期で。

(宇多丸)ああ、そう。それは辛いわ。

(小出祐介)で、結局部活も辞めちゃったんですよ。そんなあれで。で、それでやることがなくなっちゃったから、僕、ギターを始めたんですよ。で、ウチの親父が元々フォーク世代で。バンドやってたんで、家にアコースティック・ギターがあって。それでギターを始めるっていう。

(宇多丸)それはお父さんにちょっと習ったり?

(小出祐介)あ、しました。

(宇多丸)これがあれだ。そのバスケ部との事件が後に、あれだね。俺らスタジオに一緒にいる時に、『じゃあ、誰が殺したいか話しようぜ!』っていう。あれだ。

(小出祐介)そうですよ。『誰が殺したいか』の話になって、出てくるのはだいたいこの時の連中ですよ(笑)。

(宇多丸)(笑)。ねー。本当に殺しませんからね(笑)。

(小出祐介)気持ち的にね。

(宇多丸)気持ちの話です。はいはい。これが97。

(小出祐介)っていうことがありましたね。で、まあそれがきっかけで結局音楽を聞くようになって。で、ロックを聞くようになって。

(宇多丸)それ、なんかそこで友達が、でなくて。自分で、もうしょうがないから雑誌とか読んで、みたいな?

(小出祐介)もう完全に1人だったんで、僕、1人で音楽聞いてたんで。

(宇多丸)情報源はなんだったんですか?

(小出祐介)雑誌でしたけど。で、僕その時聞いてたの、ハードロックだったんですよ。で、ディープ・パープルがいちばん好きで。で、リッチー・ブラックモアっていうギタリストになりたいと思って。で、部屋にリッチー・ブラックモアのポスター貼ったりとか。『Player』っていうちょっと渋い雑誌読んだりとかして。もうどんどん孤立していくっていう(笑)。

(宇多丸)ちょっと13才っていう感じじゃないもんね。

(小出祐介)まあまあ、っていう13才でしたね。そして翌年。98年。この年、NUMBER GIRLが上京してきます。きっかけはですね、東芝EMIの加茂啓太郎という人がいまして。で、その人がレコ屋でポップに『ズボンズを食った』って書いてあったらしくて。ズボンズっていう、まあバンドなんですけど。そのポップに惹かれて、『SCHOOL GIRL BYE BYE』を聞いたっていう。

(宇多丸)『食った』っていうのは、なんかのイベントかなんかで?

(小出祐介)そこもね、情報あやふやらしいんですけど。『なんかズボンズを食ったらしいよ』みたいな。

(宇多丸)なんか、そのMCバトルみたいなさ、話あるのかな?って。まあでも売りとして、『あのズボンズを超えた!』みたいな。

(小出祐介)みたいなポップが書いてあったので、気になって視聴もせずに買ったと。で、それを聞いて、一発目で、omoide in my headのド頭のイントロを聞いて、『あ、このバンド違げーな』と思ったと。で、それがきっかけで、後にディレクターになる吉田さんが福岡に行って、向井さんと飲んだりとかして。で、『東京にちょっとライブ来たりとかしてよ』みたいな話になっていって。で、その後に上京につながっていくっていうことらしいんですけど。で、『この時のライブ、どうだったんですか?』みたいな話をちょっと加茂さんに聞いたんですね。で、聞いたら、お客さんとしてはコアファンみたいな。すごいロック好きのコアファンみたいな人が20人、30人いるぐらいだったらしいんですけど。ライブを見に来た媒体とか、関係者の人たちがもう軒並み絶賛だったらしくて。

(宇多丸)うんうん。

(小出祐介)『あ、もうこのバンド、ヤバい』じゃないですけど。『あ、これ来た!』みたいな様子を常にされていたと。『この後、ライブもハシゴしなきゃいけないんで、ちょっと何曲か見て出ます』みたいなことを言っていた人が、『もうすごすぎて、最後まで見ちゃいました』とか。

(宇多丸)いいなー!そんな出だし、いいなー!

(小出祐介)っていう、まあすごい・・・まあ、そこで初めて関係者の方たちも見る人がほとんどだったんだけど・・・

(宇多丸)俺らなんか、やっている最中に出てかれたことばっかりですよ!いいなー!

(小出祐介)(笑)。関係者の方に。まあ、そんな伝説の幕開けだったと。やっぱりまあ、加茂さんも言ってましたけど、スターバンドだったっていうのもあって。

(宇多丸)技術的にもすごい。

(小出祐介)すごい上手かったし。曲もまあ、すごいし。あと、佇まいのオーラというか。

(宇多丸)向井さんという方ね、ご存知ない方にいうと、なんて言うか、ちょっと年の割には不思議な・・・なんつーんですかね?

(小出祐介)そうなんですよ。僕、ずっとだから向井さんのことを本当、40才ぐらいだとずーっと思っていたぐらいなんですけど。

(宇多丸)なんかその、落ち着いた感じもあるし。メガネして。なんかこう、この時代のどこにこの人はいたんだろう?じゃないけど。どっから来たんだ、この人は?っていう感じ、ありますよね。まあ、そんな感じ。98。

(小出祐介)で、僕もですね、14才です。この時、中2になって、ウチのギターの湯浅と出会いまして。で、OASISのコピーバンドをやることになりました。で、その中でやっとバンドのメンバーの影響で邦楽ロックを聞くようになったりとかして。で、それでたくさん。当時、97年、98年ってたくさん。その新時代に突入していった時期だったんですよ。

(宇多丸)そうですね。だからいわゆるハイスタとかさ、そういうのもありますしね。

(小出祐介)まあたとえば、くるりだったりとか。Dragon Ashだったりとか。斉藤和義さん 中村一義さんとか。が、出てきたのもまさにこの時期だったっていうので、僕も日本のロックシーンをだんだん聞き始めた頃という感じで。そして、99年。NUMBER GIRL、とうとう東芝EMIよりメジャーデビューしました。で、ファーストシングル『透明少女』をリリースした後、メジャーファーストアルバム『SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT』。今回、リマスターされてますね。が、リリースになりました。で、もうその時から、もうやっぱり他のバンドとはぜんぜん違ったらしくて。当時、加茂さんっていうA&Rをやられていた・・・

(宇多丸)もう、伝説のね。いろんな人を手がけている。もう並べていったら笑うしかない、伝説のA&Rです。

(小出祐介)で、その加茂さんが、それまでたくさんディレクターとしてもいろんなアーティストを担当してきたけど、こういうやり方初めてだったなということがたくさんあったと。たとえば、いまだとそんな珍しくないですけど、事務所に入らなかったんですよ。で、もう完全に自分たちでやって。あと、加茂さんがマネージャー的なことをやって、みたいな感じだったと。あと、そのメジャー的なことだったりとか、いわゆる、メジャーっぽいことを。

(宇多丸)プロモーションとかで、あれかな?『カウントダウンTVをご覧のみなさん、こんにちは!ライムスターでーす』みたいな。

(小出祐介)とかってことも、基本的にはお願いしてやる感じではなかった。だからもう、気に入ったら使ってください、みたいな感じでのプロモーションだったんだけど、やっぱり音がすごいから、どんどん仕事が来たと。っていうことだったらしいんですけど。で、あとはたとえば、メジャーのアーティストだったらプロデューサーつけて、いいスタジオでいいエンジニアで、みたいなことが普通なんですけど。この透明少女っていう曲も、最初は東芝EMI。当時溜池に自社ビルがあったんですけど。そこの最上階に『3スタ』っていう伝説のスタジオがあったんですよ。ここ、もう名スタジオで。卓とかもビンテージの古い卓で。それ、後々ビル解体する時に山下達郎さんが何チャンネルか買い取ったっていう逸話があるぐらいのスタジオなんですけど。

(宇多丸)へー。

(小出祐介)で、そこで最初録ったんですけど。要は、音がキレイだったのかわかんないですけど。

(宇多丸)良すぎるっていうやつね。

(小出祐介)なんか気に入らなかったっていうことで、これ結局、ボツにしちゃうんですよ。で、ボツにして、その後地元福岡の、日に3万円だったかな?3万円のスタジオで6日間でファーストアルバム全部録っちゃったと。っていうような(笑)。で、むちゃくちゃに思えたんだけど、音を聞いたら、たしかにこっちの方がテイクいいってなるし。じゃあ、これで行こう!ってことになったってことらしいんですけど。で、その間にもPVを向井さんが監督したりとか。あと、スタイリストとかヘアメイクも、最後までつけなかったと。全部衣装も自前だし。ひさ子さんなんか、常にスッピンだったらしいんですね。だからまあ、基本的にそういうのもいらないです、みたいな感じで。

(宇多丸)僕、当時ビデオがとにかく異様なビデオで。なんだこれ!?ってすごい印象がありますね。

(小出祐介)それね、向井さんが監督してたんですよ、実は(笑)。

(宇多丸)だからびっくりした。ビデオ見てて。

(小出祐介)でも要は、自分の中から出てくるものを、自分の手で最後まで形にするっていうことだったのかな?って思うんですけど。で、この後、99年末にライブアルバム『シブヤROCK TRANSFORMED状態』っていうライブアルバムが出るんですけど。2枚目のアルバムがライブアルバムなんですよ。

(宇多丸)うんうん。それも、そうだね。型破りだね。たしかに。

(小出祐介)これも結構おかしくて。インディー時代の曲と、メジャーのファーストしかないのに、もうライブ盤出すって。これ、いまじゃなかなかないことなんですけど。それぐらい、ライブを聞かせるべきバンドだという風になってたんじゃないかなと。で、その頃。僕、15才です。いよいよNUMBER GIRLに出会いました。なんでか?っていうとですね、ウチのギターの湯浅がCSで音楽番組をいろいろ録った。ケーブルテレビとか音楽番組を録ったビデオを何本も持っていて。で、それを僕に貸してくれたんですよ。僕、当時家でケーブルが見れなかったんで、それでいろいろ情報を得てたんですけど。そん中に、RISING SUN ROCK FESTIVAL 99。1999年のフェスの映像があって。そこで、透明少女を演奏しているNUMBER GIRLの映像を見て、なんだこれ!?となったんです。



(宇多丸)うん。

(小出祐介)で、その最初の印象っていうのが、すごい青空をバックに、透明少女を演奏してるんですけど。まあ、なんか僕の知っている青空じゃないなというか。もうなんか、風景が違って見えたというか。

(宇多丸)普通のね、爽やかな草原の中でやるから。RISING SUNは。そういうんじゃなく見えたと。

(小出祐介)なんか、なんて言うんですかね?刺すような青空というか。とんがった青空というか。コントラストが強めの青空というか。実際に見るとそうじゃなかったと思うんですけど。

(宇多丸)でも、自分の中ではそういう風に。

(小出祐介)見えたっていうので、すごい好きになって。それからすぐCD買ったりとかしましたね。で、まあ当時あとは関係ない話ですけど。平成ガメラ3があったりとか。後は・・・

(宇多丸)3ね。3だね、だから。

(小出祐介)あとは、『LOVE & POP』ですね。庵野秀明さんの。

(宇多丸)ああ、でも時代感。時代感。

(小出祐介)時代感っていう意味で、すごい一致してるなって思ったんですよ。っていうのは、渋谷で女子高生が出てきて、みたいな映像っていうのと、NUMBER GIRLのファーストの曲は特に映像がリンクするとか。それはやっぱり向井さんが当時東京に出てきて、『東京と自分』みたいなのを曲にしていたから・・・

(宇多丸)あー、でも東京と自分っていうとさ、たとえば、それこそさっきシャ乱Qって言ったけどさ、『シングルベッド』とかさ。長渕剛さんとかあるけどさ。なんか、それと。なんだろう?うまく言葉に出来ねーぞ!でも、その『LOVE & POPとかガメラ3の時代です』って言われると、ピンと来る!

(小出祐介)(笑)。そうでしょう?なんか、あの一致する感じがあるんですよ。NUMBER GIRL。

(宇多丸)なんかヒリヒリしたというか、なんだろうね?

(小出祐介)なんか、井の頭線の駅のところがまだビルを建てている途中だったりとか。なんか、あの景色がちょっと見えてくるような気がしますけどね。ファースト聞いてると。

(宇多丸)いいね。なんか立ち上がってくる景色。

(小出祐介)そして、2000年です。NUMBER GIRL、セカンドアルバム『SAPPUKEI』をリリースします。こちら、僕がいちばん聞いたスタジオ盤かなと思うんですけど。プロデュースとエンジニアにデイヴ・フリッドマンっていう方が参加しまして。これ、フレーミング・リップスとか、ウィーザーのセカンド『ピンカートン』っていうアルバムを手がけている方なんですけど。まあ、知る人ぞ知る人であったデイヴ・フリッドマンをプロデューサーに迎えるっていうのもなかなかすごい話だなというか。まあまあ、向井さんの音楽好きっていうのがそこに反映されているのかなって思いますけど。で、リードシングル『URBAN GUITAR SAYONARA』っていう曲で。この曲なんですよ。



(小出祐介)いま、かかっている曲ですね。この『SAPPUKEI』っていうアルバム、他にも今後代表曲となるような、ライブアンセムとなるような曲が入ってるんです。それが、『ZEGEN VS UNDERCOVER』っていう曲なんですけど。それが、まあ結構パッと聞き、キャッチーだし。

(宇多丸)普通、これがシングルだろ?と。

(小出祐介)と、思うんですよ。なんだけど、向井さん的にはこっちだったし。で、加茂さんも、『ZEGENじゃねーの?』って言ったらしいんですけど、『いやいや、URBAN GUITAR SAYONARAで行きます』って言ってこの曲が。ちょっと変な曲なんですけど。まあ、こだわりを見せているんですけど。さらにこの時、eastern youthの発案のコンピレーション『極東最前線』というコンピがあるんですけど。そこに『TOKYO FREEZE』という曲で参加していまして。それが、ラップの曲なんですよ。



(宇多丸)うん。向井さん、ラップすごい好きなんですよね。

(小出祐介)そう。HIPHOPもすごい好きなんですけど。それで、いまのZAZEN BOYSでも繰り返し出てくるフックですね。『繰り返される諸行無常 蘇る性的衝動』っていう言葉がそこで出てきたりとか。後の向井さんにつながるような曲もここですでに仕上がってますよと。だから、HIPHOP傾倒みたいなのも徐々にしだすっていうのがこの時期でした。

(宇多丸)僕、最初、なんか向井さんのインタビュー見た時に、『最近聞いているのはShingo02』とか言ってて。えっ!?っていう。でも、やっぱり感というか。だよねって感じしましたけど。そして、その頃。

(小出祐介)僕なんですけど。まあ、バンドメンバー、僕集まんなくて。僕、開店休業状態だったんですよ。

(宇多丸)まだ湯浅くんしかいなかった?

(小出祐介)関根は会ってるんですけど。女の方ですね。堀之内はまだ会ってなくて。で、ドラムがずっと見つからなかったもんで、オーディション繰り返してたんだけど、結局なんかどうにもならず。結局開店休業状態になっちゃって、僕はもうバンドのモチベーションが下がったから。もう映画監督でもなろうかな?と思って、こん時、日に2・3本毎日レンタルビデオして、映画を見てるみたいな時期でしたね。

(宇多丸)へー。いいね!いい青春をおくってるね!でも、そのモチベーション下がる手前のところで、関根さんとあれでしょ?土手のところでさ、アンプにつながないで2人でベース、ギターの練習してんでしょ?

(小出祐介)そうそう(笑)。そういうのもやってました。

(宇多丸)泣くわ!最高だよ!

(小出祐介)(笑)。そして、2001年ですね。NUMBER GIRL、リリースはなかったんですけど。特に際立った。オリジナル作品はなかったんですけど。精力的にライブやツアーはやってまして。町田康さん原作の『けものがれ、俺らの猿と』っていう映画のサウンドトラックに参加して。そこで、『ZAZENBEATS KEMONOSTYLE』という、これもラップっぽい曲を披露したりとか。



(宇多丸)そうだった。そうだったね。はいはい。

(小出祐介)はい。で、その一方、僕。もう青春の絶頂期でして。もう、そこで初めて青春しているって思ったんです。

(宇多丸)いくつ?いくつ?

(小出祐介)17才です。で、同じクラスに彼女ができたりとか、親友ができたりとか。さらに、Base Ball Bearの原型となるバンドが。

(宇多丸)ホリくんも入ってきて。

(小出祐介)はい。ホリも入ってきて。で、最初はスーパーカーのコピーバンドをやっていたんです。なんですけど、本当は文化祭で解散する予定だったんですけど。堀之内と僕がケンカして(笑)。

(宇多丸)(笑)。このニュアンスはちょっとまた説明が必要になるからあえて飛ばすけど。

(小出祐介)ケンカしてやめることになっていたんだけど、そのライブ終わった後に、ホリからメールが来て。『今日、ライブ楽しかったよ』と。

(宇多丸)すごい良かったんだ。

(小出祐介)そうそう。『ライブ、良かったよ。これから、みんながんばっていくんだろうけど、俺は陰ながら応援してるから』みたいなことを言われて。なんだけど、俺はホリとなら一緒にやれると思ったから、メールで『いや、今後も一緒にオリジナルバンドとしてやりませんか?』ってメールしたら、彼から『はい(ニコッ)』みたいなメールを返してきて。

(宇多丸)めちゃめちゃいい話じゃない!えーっ?あのいつものさ、4人いてさ。写真見ながらさ、『ホリだけ隠すとバランスがいいんだよな』とかさ。あのくだりは、でもそれが有りきなんだね!泣けるわー!

(小出祐介)まあ、っていうような感じで、バンドも結成しましたというのが2001年でした。そして、2002年。NUMBER GIRLサードアルバム『NUM-HEAVYMETALLIC』。こちらをリリースします。前作に続いて、デイヴ・フリッドマンのプロデュースの作品なんですけども。サウンドプロダクションが本当、すごくて。いま聞いても、ちょっともうやりすぎなんじゃねーか?ぐらいのすごい音になってまして。特にダブ処理がすごいことになってたりとか。あと、まあ単純に曲としての祭感っていうか和モノ感っていうか。そういうのがだんだん増してきたっていう時の曲なんですけど。同時期に、塩田明彦監督。『黄泉がえり』とか、『カナリア』とか、最近だと『抱きしめたい』とか監督されている塩田監督の映画『害虫』の音楽を担当したりとか。

(宇多丸)あの宮崎あおいのね。

(小出祐介)そうです。で、『I don’t know』っていう曲がそれのテーマ曲だったりするんですけど。で、その映画の雰囲気にすごいそっくりな携帯のCM、やってましたよね。中島哲也さんが監督の。で、曲もすごい『I don’t know』みたいな感じの、某携帯会社のCMで。



(宇多丸)あー。

(小出祐介)あ、これ、まんまだなみたいなのがあったりとか。インスパイアされてるんじゃないかな?と思うんですけど。で、そんな中、秋に突然の解散発表をします。中尾憲太郎さんが脱退するとかしないとかっていう話から解散っていう話になったらしいんですけど。で、その後、札幌ペニーレーンでのライブを最後に解散しまして。まあ、こん時の『終わった』感。自分での。『あ、時代、終わった。1個の時代が終わった』感がすごくて。この後、2003年ぐらいかな?ミッシェル・ガン・エレファントも解散したんですけど。そん時も、『ああ、これもうハンパねー』みたいな感じだったんですね。

(宇多丸)ちなみに、ライブを見に行ったことはなかったの?

(小出祐介)で、この話が。この後、僕が18才なんですけど。この時、もうね、人生で最大の暗黒期でして。

(宇多丸)ちょっと待って・・・さっき、青春を謳歌してたのに!

(小出祐介)黄金期からの、暗黒期なんですよ。18才。っていうのも、いままで大嫌いだったあいつらのほとんどと同じクラスになっちゃったんですよ。18才の時に。

(宇多丸)ああ、そうなんだ!ずーっと。一貫?

(小出祐介)一貫です。中高一貫。そこで一緒になっちゃって、『うわー、もう最悪』と。で、もうだから『どうやって殺してやろうか?』ってことを考えて。毎日。で、その登下校でずっと聞いていたのがNUMBER GIRLだったんですよ。特に。だからNUMBER GIRL聞くと、当時の登下校の景色が出てくるというか。

(宇多丸)やっぱさ、ヒリヒリ感、ゴツゴツ感みたいなのもでも、ありますよね。それこそ、殺伐感というかさ。殺風景感というかさ。

(小出祐介)そうです。まあ、そういうので特に自分の気持ちが加速していったわけですけど。で、その時に僕ら、実は東芝EMIのデモテープオーディションに応募しまして。で、その窓口っていうのが実はこのNUMBER GIRL A&Rの加茂さんだったんですよ。そっから、加茂さんとの付き合いが始まったんですけど。それ以降、NUMBER GIRLと同じスタッフに僕ら、育成をされていくんですね。エンジニアをやっていた斉藤匡崇もそうですし、あと、PVの。向井さんのサポートをしていた遠藤さんっていう方がいて。遠藤さんと一緒にやったりとか。あと、NUMBER GIRLのインディーズから、ZAZEN BOYSのいまに至るまで、ずっとデザインをやっている三栖一明っていう。向井さんの高校の同級生なんですけど。僕らもずっとインディー時代からアートワーク一緒にやっていたりとか。あと、ウチのいまのディレクターは夫婦でNUMBER GIRLの当時、宣伝をやっていたりとか。

(宇多丸)もう、本当にじゃあそっち移行したような感じじゃん。もう、ベボベは。

(小出祐介)そのままスライドしたような感じだったんです。なんで、NUMBER GIRLと同じレーベルになれるかも、って思っていた矢先の解散だったんですけど。で、そのラストツアーに、僕ら全員で行ったんです。セミファイナルなんですけど、Zepp Tokyoで。僕ら、制服姿で。全員ブレザーで行って、ライブ、バーッ!って4人で見て。で、汗だくになって。それで終わった後、加茂さんに『ちょっとグッズTシャツ、買ってくださいよ』っつって、買ってもらって。で、そのTシャツ着て、Zepp Tokyoの観覧車に乗ったんです。

(宇多丸)うんうん。

(小出祐介)で、4人で乗って、『今日のライブ、最高だったよな』って言って。で、いまだったら絶対やらないですよ。絶対やんないですけど、観覧車がてっぺんに来たところで、窓をちょっと開けて、網越しに外に向かって、『俺らもここでライブやるぞー!』って叫んだんです(笑)。

(宇多丸)(爆笑)。あのさ、なに?映画!?ベボベは、映画!?もうヤバいんですけど!

(小出祐介)っていうようなことを、やっちゃったんですよ。

(宇多丸)ああ、そう。いーい話じゃないの!もう完全に、なんか青春の軌跡と一致してるわけね。まさにその、NUMBER GIRLが終わる瞬間にさ、そこに夢の入り口じゃん。超いいじゃん!

(小出祐介)そうなんですよ。で、まあその後に、実は僕ら、2008年の『17才からやってますツアー』っていうのでZepp Tokyoをワンマンでやりまして。だからそっから6年たっちゃいましたけど、夢はかなったなと。

(宇多丸)2008年。じゃあそのZeppは感慨深かった?

(小出祐介)深かったですよ。めっちゃ。『ここ乗ったね』とかって言ってましたもん。さすがに。

(宇多丸)これはあれだよね。だからモーニング娘。のなっちと飯田圭織にとっての『横浜アリーナいっぱいだよ』だよ。

(小出祐介)まさに。

(宇多丸)マジかよ!そう。いい話じゃん!でも、こっから。ベボベもね、普通に成功してっちゃうから。

(小出祐介)いや、なんですけど。まあ、この翌年。2003年。僕らはじめてのアルバムですね。『夕方ジェネレーション』ってこれ、インディーズでリリースしたんですけど。実はこのアルバムが、NUMBER GIRLに似てるって、めっちゃ叩かれたんですよ。

(宇多丸)えっ、マジで!?誰が叩いたの?評論家?

(小出祐介)まあまあ、ネットとかでもそうですし。で、なんかそれを僕、当時見ちゃって。いまは絶対見ないですけど。めっちゃ気にしちゃって。すげーヘコんだんですよ。で、まあたしかに、僕らの周りもね、NUMBER GIRLのスタッフだったし。僕もすごいNUMBER GIRL好きだったし。だからこうすごい追ってたっていうのはたしかにあったと思うんだけど。だけど、僕なりに自分の思うことをちゃんと形にしたと思っていたから、そういう風に言われたのがすごいショックだったんですよね。だからそれがきっかけで、僕、それ以降はあんまりNUMBER GIRLの話を外でしないようにしてきたんです。

(宇多丸)なるほど。それがあったのか。

(小出祐介)それからだからずっと。10年間ぐらい。まあ、好きですぐらいは言ってたんですが、あんまりNUMBER GIRLの話はしてこなかったですね。

(宇多丸)あー、たしかにそんな経験すると、ちょっとはばかられちゃうかもね。

(小出祐介)そう。っていうことがあったんですけど。でも、やっぱりずっと自分の目標としてきたNUMBER GIRLが解散したくらいの年齢には、僕も自分らしい自分になりたいと。だったら。っていう風にずっと思ってたんですよ。で、話がちょっと戻るんですけど。僕の今作。『二十九歳』っていうアルバムなんですけど。これは初めてね、なんか自分でも作った手応えとして、やっと自分らしい自分でできたなっていうアルバムなんですよ。

(宇多丸)自分らしい。いままでは、なんかこう、なにかに憧れて作ってた感っていうこと?

(小出祐介)とか。いちばん最初に、1作目で否定されちゃった自分っていうのを、自分でやっと肯定できたというか。『それも込みでの今の俺だよな』っていう風にやっとなれたっていう、実はアルバムで。すごいなんて言うか、自己肯定のアルバムになったかな?って思うんですよ。あと、狙ったわけじゃないんですけど、奇しくもですね、NUMBER GIRL解散時の向井さんの年齢が29才なんですよ。

(宇多丸)あ、マジで?あ、そうなんだ。あの人、年、わかんな!でも、29なんだ。へー。

(小出祐介)そう。だからまあ、あの時の向井さんと今、俺、同い年かって思っているとすごい感慨深いし。

(宇多丸)じゃあ、ある種リスタート地点に立てたっちゅーか。

(小出祐介)ですね。だからやっと胸はって。それも込みでNUMBER GIRLの話もできるなっていう風に、いまやっとなれたかな?と。

(宇多丸)ね。で、ズバリ二十九歳と来たか!って思ったしさ。ちょうどアルバム、今回作る。ニューアルバム、いま考えてるんですよっていう時にいろいろ・・・コイちゃんは頭いいし、いろいろ考えるから。もう完璧!1回ゼロに戻りました!っていうところも知ってるから。だからそこまで吹っ切れて納得できるところまでいったんだったら、本当によかったね。

(小出祐介)そうなんです。

(宇多丸)途中になんか、無理やり飲みに連れ出したりして、本当迷惑かけたなって。

(小出祐介)あれはね、本当めっちゃ楽しい夜でした。あの夜は(笑)。

(宇多丸)あの後がたぶんね、日程的に大変だったと思うけど。無事できてっていうことですね。はい。

(小出祐介)そうなんですよ。で、どうですか?時間的にどうですか?まだいけますか?1分か・・・じゃあ、NUMBER GIRLがなにがすごかったのか?って考えた時に、たとえばたくさんフォロワーがいるっていうこともそうかな?ってちょっと思ったんですよ。たとえば、アジカンの曲に『N.G.S』っていう曲がありますけど、これ、『NUMBER GIRL SYNDROME』の略だったりとか。きのこ帝国っていう最近すごい人気のある・・・



(宇多丸)そういうこと言われるグループって、ないよね?

(小出祐介)そう。ないんですよ。『Girl meets NUMBER GIRL』っていう曲があったりとか。こう、曲のモチーフに近代のバンドが出てくるってなかなかないなと思うんですけど。



(宇多丸)日本の、だよ。しかも。

(小出祐介)そうそうそう。で、そういうこともないなって思うんですけど。じゃあ、NUMBER GIRLとはなんだったのか?ってもう1回。本当に考えてみたんです。今回のことを考えながら。そしたら、答えになるようなワンフレーズが今回のその『SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT』の15周年盤にあったんです。向井さんのインタビューが中に入ってるんですけど。そこで『向井さんにとってのNUMBER GIRLってなんだったんですか?』って答えに、『これね、もう一言で言わせてもらいますけども、青春なんですよね』と。すいません。青春です。向井さんにとっての青春だって言ってるんですけど、そこではじめて気づいたんですけど。向井さんにとって、NUMBER GIRLが青春だったみたいに、NUMBER GIRLは僕らの青春でもあったんだなって。

(宇多丸)うんうん。

(小出祐介)なんか、やっと気づいたっていうか。だから、心と景色ってつないでいたのがNUMBER GIRLだったなって思うし。で、向井さんがこう言ってくれたおかげで、僕がすごい叩かれた時も、『でもそうか。あの人は、やっぱりあの人たちにとっての青春だったんだ』って思ったし。なんか全部、肯定できたというか。そういう気持ちにもなって。だからリスナーの人たちの青春そのもののバンドであったなと。だからこそ、僕、伝説になったんじゃないかなと、ちょっと思ったんですよ。で、すなわちこれが、『omoide in my head』だったなと。

(宇多丸)キレイな。キレイなところに着地して。いや、見事じゃないですか。特集。コイちゃんの、NUMBER GIRL特集というか、僕とNUMBER GIRL特集。思いの外、いい話も聞けたし。

(小出祐介)(笑)

(宇多丸)キレイにまとまって、素晴らしかったです。1回、時報を挟んで、ちょっとしばらくお付き合いください。

(時報CM明け)

(宇多丸)はい、本日はBase Ball Bear小出祐介さんをお招きしてのNUMBER GIRL特集、お送りしました。あの、締めのさ、向井さんの言葉の『NUMBER GIRLは青春』って。で、僕にとっても青春で、リスナーにとっても青春って。ちょうどだからさ、いま言ってたのは、95年から2002年っていうのはロック方面でもインディーズであたらしい感じのグループ、いっぱい出てきたし。これ、恥ずかしながら日本のHIPHOPシーンとかも。

(小出祐介)そうですね。まさにそうですね。

(宇多丸)本当にすごい。まあ、ライムスターとかにとって。だから年、関係なく。僕、コイちゃんよりぜんぜん一回り上だけど。やっぱり僕にとっての青春期ですもん。95から2002って。だから日本の音楽シーンの、なんかもう1回新しい波がここで起きて。で、90年代に出てきた人が2000年代頭にいったんメジャーデビューして、こんぐらいでいったん一区切りつけて、みたいな。まあ、キック(KICK THE CAN CREW)なんかもさ、活動休止もさ、含めて。なんかさ、なんかすごいその感じ、わかります。だから年齢とかジャンルとか関係なく、95年-2002年の日本の音楽シーンの青春感。あたし、わかるわ!っていう感じ、しました。

(小出祐介)(笑)。そうですよね。いや、本当そうなんですよ。

(宇多丸)うん。いや、良かった。小出くん、今日、なんか話芸として完成度、高かったっすよ。

(小出祐介)本当ですか?ありがとうございます。

(宇多丸)あと、やっぱりベボベがね、いつもホリくんね、写真隠して遊んでる。あそこの背景にある美しい物語、わかってよかったです(笑)。

(小出祐介)ありがとうございます。

(宇多丸)はい。さあ、ということでね。コイちゃんはまあ、今後もね。コイちゃんの部屋というこの番組。まだまだ続くわけなんですけども。まだ、特集。やってないネタ、いっぱいありますから。

(小出祐介)いや、そうですよ。だから仮面ライダー2号特集。2号ライダー特集も。

(宇多丸)2号っていうか、サブっていうか。後から出てくるライダーでしょ?

(小出祐介)そう。サブライダー特集っていうのもやりたかったし。それ、準備かかるから。ちょっとできなかったっす。

(宇多丸)(笑)。いや、ほどほどでやってくださいよ。

(小出祐介)あとは、乙葉さん特集ね。

(宇多丸)乙葉さんはこれは・・・これ、ついに後押しきちゃいましたよ。本当に。これ、藤井さんにも『次は乙葉さん特集ですね』って言ってあるんで。

(小出祐介)マジか!

(宇多丸)夫婦揃って可能性もありますから。

(小出祐介)俺、だからもう藤井さんに感謝伝えないとなって思って。『乙葉さんと結婚してくれてありがとうございます』って。

(宇多丸)(笑)。おかしいよ!

(小出祐介)いや、本当に乙葉さんのブログ読むと、本当に幸せそうなんだよ。

(宇多丸)まあ、あそこはね。でも、わかりますよ。乙葉さんが藤井さんと結婚するって聞いた時に、なんというこの・・・それか!と。なんだ、この正解感は!?

(小出祐介)そう。俺も全く同じなんです。乙葉さんが結婚するなら俺だと思っていたから(笑)。

(宇多丸)いや、だからね、わかるよ。コイちゃんでもいいけど、コイちゃん以上の正解はあったよね。

(小出祐介)そう。藤井さんなんですよ。

(宇多丸)順番、おかしいわ(笑)。

(小出祐介)いや、藤井さんなんですよ。本当に。だから藤井さんには僕、すごい感謝しています。

(宇多丸)そのさ、狂ったお礼を言う意味でも、その時コイちゃんに来てもらうようにします。

(小出祐介)お礼言う係で。

(宇多丸)(笑)

<書き起こしおわり>