菊地成孔 大谷能生 『先のことはわからない』

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大谷能生さんがTBSラジオ『菊地成孔の粋な夜電波』にゲスト出演。2人の出会った当時から現在に至るまでの話をしていました。

(菊地成孔)まあいつも私の仕事をフォローしてくださってる方には、もう紹介の用なしって。『大谷くん』一言で済む話なんですけど。一応、紹介しましょうか。一般的にね。

(大谷能生)はい、ありがとうございます。なんて紹介されるのが一番いいんだろうか?

(菊地)まあ・・・どのぐらいですか?つるみ始めて。

(大谷)10年・・・ですね。10年以上、たちましたね。

最初につるんだ時、具合悪かった

(菊地)最初につるんだ時、俺具合悪かったもんね。あれ、2002年だから・・・

(大谷)2001・2年ぐらい。迎えに行ってましたもん。毎日。ピンポーン!ってやっても、出てこないんだもん。

(菊地)(笑)

(大谷)いるの、わかってるから。しばらく待ってから、またピンポーンってやって。3回くらいやるとね、ガチャガチャって気配が出てきて。ものすごいカケアミ?漫画で言う。かかった感じで出てきて。『ごめん、まだ動けない・・・』みたいな(笑)。『わかりました、わかりました』みたいな。

(菊地)(笑)。あれがね、12年前でしょ。そのぐらいからのつるみで。最初の大っぴらな仕事が・・・

(大谷)レクチャーですよ。

(菊地)あ、あれは小っぴらだね。大っぴらなのは、東大でしょ。ブッキッシュな人には、共著者ですよ。私の。

(大谷)本。書籍側で言うと、菊地さんの相方っていうことで言うと、本を2人で作っていると。

(菊地)共著作、何作ありましたっけ?

(大谷)シリーズでね、4つか5つ、あるわけだから。

(菊地)『憂鬱と官能を教えた学校』。


(大谷)で、『東京大学のアルバート・アイラー』があって、


(大谷)『M/D』があって、


(菊地)『アフロ・ディズニー』があって。


(大谷)4つか。

(菊地)これだけ読めば十分だよね。

(大谷)4作で、しかもそれが全部、上下巻になってるっていう(笑)。おそろしいことだよね。

(菊地)そうだよね。元気なドゥルーズ&ガタリみたいな(笑)。

(大谷)あれじゃない?これもマイルス・トリビュートじゃないですか。あの2枚組4作あるじゃない?『Get Up With It』からはじまる。


(菊地)そうだね。

(大谷)あの一番ミステリアスな時。読み解けないっていう。

(菊地)読み解けない。要するに、読みきれないっていう。

(大谷)2枚組4枚出したっていう感じだよね。

(菊地)あれ、全部読めないでしょ?

(大谷)あれ、全部読んだよ。俺は。

(菊地)そりゃ、読むけど。俺たちは読むけど。いや、読めないんじゃないかな?しかもそれだけで、ただの物書きだったらともかくね。物書きながら・・・

(大谷)音楽をやっている2人ですから。

(菊地)そうだね。流れ流れて、いまなにやってるか?っていうと・・・ヒップホップ(笑)。

(大谷)流れ流れてって(笑)。流れ流れて感、ありますね。12年やってたら、一番最初は神経症の人で。

(菊地)そうだよ!精神分析を受けているクライアントって言われたんだから。そして、大谷くんは同人誌作ってる人だったんだから。『EsPresso』の同人。

(大谷)『EsPresso』、まだやってたんだ。ギリギリ。ミニコミ作ってたんだもん。で、こっちは強迫神経症だったんだもん。

(菊地)不安神経症。

(大谷)パニック障害だった。

(菊地)パニック障害。それで、精神分析を受けてて。同人誌の人と一緒に仕事して。

(大谷)それがいきなり東大で先生だったっていうね。

(菊地)(笑)

(大谷)何が何だか・・・世の中面白いなと思いましたね。

(菊地)いや、あのね、最近みんな『何年後に俺はどうなる』とか言ってる人とかいるけど、まああんまり・・・

(大谷)考えないほうがいいですね。

(菊地)そうだね。まあ、バカとしか・・・(笑)

(大谷)(笑)。バカとアホウですよ。

(菊地)そうですね。バカとアホウの凌ぎ合いですよ。

(大谷)二人三脚でね。

(菊地)いや、先のことは本当にわからない。

(大谷)わからない!

(菊地)4分後のことだってわからない。

(大谷)わからない。4分33秒後に、大友(良英)さんが1億円の長者になってるっていうね(笑)。

(菊地)これだってわかんない(笑)。

(大谷)ぜんぜんわかんなかった!本当に。

(菊地)俺ね、大友っちがね、ネットにそういうの書く人、いるじゃない?推定印税収入書いた人がいて。2億何千万って出てたんだけど。まあ大友っちがさ、NHK経由で国民的な音楽家になって、2億何千万ってのはそんなに驚かないね。

(大谷)ですね。

(菊地)それよりね、さっちゃん(Sachiko M)の懐に1億入る(笑)。

(大谷)(笑)。それも試算でしょ?

(菊地)試算(笑)。試算ってことは、もっと多いかもしれない!2億入るかもしれない。想像つかないでしょ?だって。あ、さっちゃん。Sachiko Mさんです。

(大谷)Sachiko M。まあ、友達ですからね。なんかおこぼれが来るんじゃないかという気もね。NHK・・・あ、紅白に出してもらいましょうよ。

(菊地)もう、もちろん出るよ!

(大谷)『絶対音、出さないから』っつって(笑)。

(菊地)(爆笑)。当て振りで。

(大谷)当て振りで。後ろでガヤッ!ってやってるだけでいいから。

(菊地)まあ、さっちゃんも出してるかどうか、危なっかしそうだね(笑)。

(大谷)『北三陸の大友さーん!』っていうと、大友さんがいきなり『あまちゃん』じゃなくて、『Lonely Woman』を弾き始めるっていう。長渕みたいな照明の中で、こうブワーッ!っつってさ(笑)。


(菊地)それ、わかんないでしょ(笑)。でも、ほとんどの人がさ、『大阪で生まれた女』のBOROだと思う。もしくはドリアン助川。叫ぶ詩人の会!

(大谷)まあ、もうちょっとね、大友さんも太られましたからね。

(菊地)そうですね。まあそんなこと、想像もつかないですよ。12年前はそれで東大の先生やって。その時に、TFM。TOKYO FMで。

(大谷)そうだ!TFMで番組やりながら東大の先生やってたんだもん。それも訳わからないな。

(菊地)あれは2人で番組やりながら、そのまま収録が終わった後、東大行ってた。

(大谷)番組のラジオ時間が27時-29時。から終わって、次の日にそのまま昼が東大っていう。寝てないっていう。

(菊地)だから半蔵門と駒場を往復してる(笑)。2人で。

(大谷)だんだんボケてくるっていうね。何をやってるんだろう?っていう。

(菊地)その時の、『水曜WANTED!』っていう番組名だったんですよ。並び、すごかったよね。バナナマンさんと・・・

(大谷)猫ひろしさんもいました。あと、ホストの人(城咲仁)もいたね。

(菊地)いたね。あの方、あんまりメディアでは見ないよね。あ、そうだ。ライムスターさんもいた。だから、あの番組からTBSに来た・・・来たっていう言い方でいいのかな?TBSで番組を持った人が、宇多丸さんもそうだし。で、その『水曜WANTED!』っていう番組が、あまりそんなに長くやらなかったよね?

(大谷)1年半とか。後半から収録にしたんですよね。それまでは生放送で。収録にしても大変だったっていうね。

(菊地)そうね(笑)。俺がいない日とか、あったよね。

(大谷)あとね、電話かけても出ない日とかね。ひどい・・・スタジオ行ってみたら、俺1人だったっていうね。生放送だから(笑)。

(菊地)あと、俺1人だった日もあったね。まあ、そんなことやりつつ。で、本だしてラジオやって、それで・・・

(大谷)継続的に、要するにレクチャーですよね。ジャズとか音楽に関する仕事がちょこちょこあって。

(菊地)だからラジオなんかをよく聞く人は、『水曜WANTED!』で時が止まってるからさ。いわゆるしがみつきっていうかさ。

(大谷)もう何年だ?8年ぐらい?8年たってますよ。

(菊地)いや、しがみつく人は何年だってしがみつくよ。

(大谷)目を覚ました方がよろしいんじゃないでしょうかね?23歳の人は31歳ですよ?

(菊地)いや、本当だよ。8年前のあなたが素敵だった、素敵だったって知ってる人に言われ続けてみ?っていうね(笑)。ま、そういうことじゃないんだろうけどね。まあ、しがみつきは自然なことですから。構わないですけどね。排泄なんかとおんなじで。

(大谷)そこがわかんないんだよな。しがみつかない感じですからね、俺。

(菊地)しがみつかないっていうと、生き急ぎですよね。で、それがその12年間の中で、だんだんとわかってきたことがあって。それは2人ともヒップホップが好きなんだって。

(大谷)そうですね(笑)。なんだろうね、このじわじわと・・・

(菊地)最初から、ウチらはジャズのチームで。ジャズ批評家のチームだったんですけど。まだやってるんですけど。なんだけど、だんだんヒップホップが好きなんだなっていうことと・・・

(大谷)お互いサックスプレイヤーなんで。ジャズやってたんだけど、やっぱりもうずーっと聞いてるのは何?っていったら、なぜかこう、ゆっくり出てくる『ヒップホップ』っていう言葉。

(菊地)そうだね。で、最初はお互いヒップホップが好きだよね、って言ってたんだけど、なんか大谷くん、声もいいしラップとかやってみたらいいんじゃないの?っていう話にだんだんなってきて。で、DOMMUNEやっている間に・・・あ、DOMMUNEっていうのはパソコンで見れるテレビ番組ですけど。18万人的に言うと。いろんな地域のお年寄りとかも聞いてるんで。

(大谷)パソコンで見られるテレビ番組ですよ。毎日やってる。

(菊地)最後は盆踊りになるっていうね。番組が終わるとね(笑)。それの中で大谷くんがフリースタイル一回、やったんだよ。あれが最初の披露じゃないですか?で、あれでMC能生っていうのが生まれて、で、その番組がDOMMUNEって番組だったんで。これはCOMMUNEが『C』だから、Cの上なんで『D』なんだっつって。発達したコミューンってことで、DOMMUNEっていうのを、宇川直宏くんっていう人が考え出して。それでDOMMUNEなんだと。で、我々の番組は『JAZZ DOMMUNE』っていう番組だったんで、チームの名前を『JAZZ DOMMUNISTERS』っていう名前にしようって決めて。で、2MC2DJでやろう!って言ったのが始まりですね。

(大谷)2MC・2DJなのに、2人しかいないっていうね。掟破りですよね。

<書き起こしおわり>

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