稲川淳二が語る 工業デザイナー時代 Uボート事件

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稲川淳二さんがTBSラジオ たまむすびに出演。玉袋筋太郎さん、小林悠さんとされていたお話が超面白い!稲川淳二さんが芸人になる前、工業デザイナーだった時代のお話です。
稲川淳二が語る 渋谷・代官山の心霊スポット の続きです。


(玉袋筋太郎)こっから工業デザイナーになったっていう稲川さんもすごいですよね。元々、お父様はどんな仕事だったんですか?

(稲川淳二)ウチの親父はね、運送屋のセガレだったんですよ。で、戦争でもって地域に1個っていうんで、日本通運になったんで、スライドしたんですよね。兄弟男4人で下3人がみんな海軍行っちゃったの。で、東京来ちゃったわけだ。で、横須賀でしょ?じゃあいても仕方ないしっていって東京来たんですよ。で、そのツテかな?元々運送屋のセガレだから、そのまま日本通運に入ったんですよ。

(玉袋筋太郎)ほー、その息子さんがなぜまた工業デザイナーになった?

(稲川淳二)私はね、モノ作るの器用だったんですよ。子供の時から。小学校1年の頃なんて寡黙な少年。

(玉袋筋太郎)寡黙な少年?

(稲川淳二)ただ黙々とモノを作る。お金を貰うと下駄履いてそのまま上野の美術館行って二科展なんか見たり。そういう少年。

(玉袋筋太郎)ええー!?

(小林悠)本当ですか?

(稲川淳二)本当本当。もう勉強は嫌いだけど絵は大好きだったの。で、半ズボンでランニングシャツでもって、行ってたんですから。見に。都電乗ったりして。

(玉袋筋太郎)そういう人が工業デザイナーになって。

(稲川淳二)ただすいません。小学校3年になった時にはもう、「うるさい!」って言われてました。

(玉袋筋太郎・小林悠)(笑)

(小林悠)すごいちっちゃい時だったんですね。寡黙だった時期は。

(稲川淳二)で、音楽だけダメだったんです。僕ね。音楽の時間になると、「はーい、稲川くん。校庭走ってこよう!」って言うの。出されちゃうんですよ。邪魔だから。だから恥ずかしかったなー。だってどこの教室からでも見えるんだもん。ウチの校庭って。小学校の。『また走ってる』って思うと、みんなバカにするじゃない。みんな歌うたってる時にずっと走ってるの。終わるまでトットトットと。で、あとから来るの。「稲川くーん、待ってー。稲川くーん!」なんて来るの。情けなかったなー。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)どんどんいろんな話が浮かんできますけどね。

(玉袋筋太郎)そうなんですよ。でもね、やっぱりこの工業デザインとして作品を手がけてね、まあお金をいただいてモノ作るわけじゃないですか。

工業デザイナー時代に作ったもの

(稲川淳二)そうですね。もし分かるとすれば・・・たとえば一番分かりやすいのは、新幹線乗ると車掌さんが来てね、会計するんだよ。ピッピッ!って機械で。

(玉袋筋太郎)ありますね。ピッピッ!って。

(稲川淳二)あれの初期型、私なんですよ。

(玉袋筋太郎)ほら来た!すごい!

(稲川淳二)ええ。あれ、そうなんですよ。

(玉袋筋太郎)お金、結構入ったでしょ?あれ。

(稲川淳二)あんまり儲かんないです。会社は儲かるけど。たのまれて行ってますからね。デザイン事務所。だからそこそこボーナスは出ますがね。それとあと、キオスクなんかでさ、お金の時ビー!ってやるバー。手にもっててビー!ってやる。あれの初期のやつね、あれ私なんですよ。

(玉袋筋太郎)おおっと!引き出しあるなー!

(稲川淳二)いやいや、昔ですよ。それとあと、ポスターね。ボクシングのポスター。あれが変わったんだ。ある時期から。それ、変えたの私なんですよ。本当に。

(玉袋筋太郎)ええー!?その前はどうだったんです?

(稲川淳二)それまでは普通のね、あまり良くない紙に赤い枠・青い枠でもって中にはモノクロの写真が入ってたんですよ。陰気だったんですよ、すごく。それで「稲川くん、やってみるかい?」って言われた時に私ね、23になったすぐぐらいかな?「これ、色が決まってるのか?」って言ったらそうじゃないと。っていうんで、白い紙ですから印刷するわけですからね、黄色は使わせてくれないかと。で、赤と黒も使えば茶も出来るじゃないですか。印刷上のことで。それで写真入れてやったんですよ。それがね、柴田国明さんって。

(玉袋筋太郎)お!来た来た!

(稲川淳二)あの人がチャンピオンになってて。挑戦者がラウル・クルスっていう人だったんですよ。その時のやつ、ポスターとかチラシやってて。ところが、ラウル・クルスが日本に来る途中でまた戦って強くなっちゃったんですよ。順位上がっちゃったんですよね。それ、覚えてますよ。柴田さん、それ知ってますよ。

(玉袋筋太郎)へー!やってるなー、稲川さん!

(稲川淳二)やってたんですよ。昔はね。だからちゃんと真面目にマトモにやっていれば、今頃はそっちの方でずーっとやっていたかもしれないですね。

(玉袋筋太郎)もう素晴らしい逸話がありますからね。その話で行くと。あのマリーナの話、ちょっと・・・ボートの。

(稲川淳二)あー、あの。ボートたのまれたんですね。

(玉袋筋太郎)ボートたのまれたんですよ、稲川さん。

(稲川淳二)たまたまグラスファイバーというの、当時日本でまだあまり無い頃にやってたんですよ。浜松行って、作ってたんですよ。帰ってきたらば、たのまれて行ったんですね。三菱の有名なナントカって会社にたのまれて。その会社があるんですよ。ちょっと上野から少し行った会社。あんまり言えないんだけど。

(小林悠)(笑)

(稲川淳二)それで、そこはすごいワンマンな社長でもって、私がね、「どういうボートがいいんだ?」って言ったら、「どういうボートがいいじゃない。あんたが好きなの作ってこい。良けりゃ私がそれやってやるし、悪けりゃやらないから」って。その言い方、無いじゃない?それでオマケに生意気なオヤジでねー。『こいつ気に入らないな』って思ったから。で、私は図面書くの面倒だったんで、絵の方が得意だったんで、レンダリングっていってね、本物みたいに描くやつ。あれをいくつか描いてったの。それで、合評会みたいなのあるんですよ。で、敵はさ、なぜそうなったかというと、この会社でもって作っている12フィート、小さいボートですが、そのレジャー用のボートが真ん中にヒビが入ってるわけですよ。

(玉袋筋太郎)ほう。

(稲川淳二)それはね、スクーターなんかと同じ樹脂なんですけど、それって一発で型抜きするもんだから、強度の入れ方が難しくって、ただデコボコにすると強くなる。波板みたいなもんですよ。強くなるでしょ?形悪いわけだ。でも強く側面作っちゃったんで、たぶん真ん中ヒビ入ったんですね。カーブする時かなんか。それをその社長とカツ丼食いながら社員食堂で、メシの付いたアレでもって私がやって見せたら、ムッとしたんでしょう。きっとあの人がね。それで「三者だ。アンタだけじゃないよ。ウチは他にもデザイナー来てるし、社員のデザイナーもいるんだから」っつって。で、その合評会の日、絵見せたら年寄りって図面見ないから、カッコよく見えたんですよ。スピードがすごい好きな人だから、ちょっとノーズが流れるゼッケンとか書いて。

(玉袋筋太郎)コレだ!って。

(稲川淳二)そう。コレだ!ってなって。で、2月早くにボートショー控えてますから。3月の終わり頃に。で、『これすぐ出来るから、これで行こう!』っつって。で、いよいよ出来たのを見せるっつんで、ボート関係から雑誌からみんな来たんですよ。当時私ね、会場でマキシコート着てたの。ロングの。

(玉袋筋太郎)オシャレだなー!

(稲川淳二)ロングヘアーで髭つけていたんだ。で、社長が「稲川くん、乗らないか?」って言うの。本当は2人しか座席がないのを2つ後ろに付けて。それで前で運転してるのがデザイナーなんですよ。ウエットスーツ着てね、寒いから鼻水垂らしてるの。ペローっと。で、「稲川さん、僕だってね、デザイナーなんですよ!」って言ってるの。嫌味なんだな、私が。気に入らないだ。

(小林悠)そうか。通らなかったから。

(稲川淳二)それでパーッ!っと走ったわけ。利根川を。ファーッ!ってスラローム。結構いいんですよ。で、ブーン!って行った瞬間にね、『何か変だなぁ・・・』って。

(玉袋筋太郎・小林悠)(爆笑)

(小林悠)妙だなと。

(稲川淳二)っていうのはさ、『ジョーズ』っていう映画ご存知でしょ?あのモーターボートの先って尖っているじゃない?あれ、ジョーズみたいにグーって上がってきたの。ボートっていうのは、船体ごと上がるのはいいんですよ。前が。そうじゃない。なんか先が上がったような気がしたの。『ええー!?』って思ったら、コーン!っていってエンジンが取れちゃったの。ピュー!って。

(玉袋筋太郎・小林悠)(爆笑)

(稲川淳二)「おい、エンジンが取れたぞ!」って。でもエンジンまだ回ってるの。『いいや、俺のせいじゃないや!』って思ったわけ。だからグーン!ってきた瞬間に、やけに前で運転してる彼と近くなったの。距離が。やけに近いのよ。運転している人間と私が。要するにU字になってるのよ、ボートが。前がグニュー!ってなって。やけに近いなー!って。ガガガガガーッ!って。そのまんま。3人が沈んでいったわけ。

(小林悠)ええー!?

(玉袋筋太郎)これが『稲川淳二のUボート事件』って。

(稲川淳二)それで俺、逃げちゃったんだね。コートのまんま逃げちゃったの。

(玉袋筋太郎)(笑)

(稲川淳二)で、ボートショーの時に気になって。たまたま他のことあって行ったの。そしたらさ、その一番端のところで看板があって、社長がチラシを配ってる。ボートが無いのよ。間に合うわけないんだから。壊れたんだから。それでそこへ行ってさ、「どうも、お久しぶりです」「あー、稲川くんね!これ、いま業界で評判だよ!」って指さしたの。見たらさ、縁日でもって金魚すくいする水槽って知ってます?25cm角の四角いの。あれが作ってあるわけ。水入って。ボートショーよ?でも出品するものがないからさ、水槽作るのって簡単じゃない?それで「これ、業界で評判よ」って言ったのが始まりで、その後だよね。この社長、すごいじゃない。ボートが失敗しちゃったもんだから、逆に器にしようと。中に水を入れちゃおうっつんで、浴槽の会社になったんです。これ。

(玉袋筋太郎・小林悠)ええー!?

(玉袋筋太郎)すごい話だ!

(稲川淳二)モーターボートの会社から。

(玉袋筋太郎)浴槽の会社になっちゃう!すごい話だ!

(小林悠)何がどうなるか、わかんないですよね。

(稲川淳二)結構さ、うまく行ったのよ。浴槽の世界で。で、私の知り合いなんかデザイナーでもって入ったりしてたわけ。その時にさ、たまたま私ね、熱湯風呂ってテレビで入って。

(玉袋筋太郎)熱湯風呂!たけし軍団のね。稲川さん、「入れ!」って言われて「ヤダヤダ!」って言いながらワイヤレスマイクを外すっていう。あの所作は稲川さんなんだから。

(小林悠)あ、稲川さんが最初考えたんですか?

(玉袋筋太郎)「いやいや、ヤダヤダ!」って言いながらワイヤレスマイク外すっていうのも。

(稲川淳二)一番最初、ドラム缶の中お湯入れて中に入って1曲歌ったんですよ。それが赤組の応援団長がやるって。そこから始まったのね。

(玉袋筋太郎)そう。五右衛門の格好させられて、五右衛門風呂っつって。必ず。ふんどし1丁で。

(稲川淳二)あれは辛かったな。本当に。

<書き起こしおわり>
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